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倭国大乱 〜『観測者』は転生し、全ての歴史を見届ける〜  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第九十六話 ささやかな願い

向いていないと、自分では思っていた。


以前、持衰が伊都国で執り行っていた交易管理。

それを彼に代わって、タケルが任されていた。


渡来人の身辺調査、輸出品の把握、交易品の分配、人員の管理。

そんな細かい仕事を、タケルがすぐに覚えられるはずがなかった。


やっているうちに少しは慣れてきたが、今でもほとんどを部下に任せている。


実質的にタケルが行っている仕事は、交易隊の安全確保のための警護部隊の指揮だった。

そのため天照軍てんしょうぐんも、タケルと共にその任につくようになっている。

時には狗邪韓国くやかんこくまで出向くこともあった。


筑紫島つくしのしまが落ち着いている一方、からの国は少し荒れていた。

辰韓しんかんからの海賊行為、陸地では山賊まがいの襲撃が起こり、物資を奪われる事件も多い。


それらから守るため、武力が必要とされるようになっていた。


その権限を認められるために、タケルは女王から位を賜った。


大率だいそつ

それがタケルに与えられた役職だった。


その位が何を意味するのか。

タケルには分からなかった。

分かるはずもなかった。


なぜなら、当時の倭国にはまだ明確な官位制度がない。

だから大率という地位の具体的な役割も、九州北部連合の中でどの程度の序列に位置するのかも不明瞭だった。


その疑問を、タケルは持衰にぶつけた。


「漢みたいに明確な官吏制度は、今の倭国にはないからな。無理に作っても混乱するだけだし、行き届くまでにも時間がかかる。

けど、タケルは韓の国に行く機会も多いだろう? その時に名乗る肩書きがあった方が便利なんだ。“箔”がつくっていうのかな。立場がある人だと思われた方が、交渉の時なんかで舐められずに済むんだよ」


そういうものか、と思った。

同時に、下らないともタケルは思った。


肩書があろうが無かろうが、その人間自体が変わるわけではない。

結局は人と人だ。


確かに漢にいた時は、様々な立場の人間がいた。

けどそれは、その人物が何者なのかを正確に知るためのものだ。

そのおかげで軍の指揮系統は保たれた。

政の場でも同じだったのかもしれない。


今のタケルのように、何となく偉い人間だと思わせるためではなかった。


だが持衰の言う通り、大率というよくわからない立場の人間が、そこにいるというだけで意味はあった。

タケルが実際に何かしたわけではなくとも、後ろに控えているだけで交渉は捗っているようだったからだ。


都市牛利としごり、持衰殿に報告へ上がる。お前もついて来い」

「はい、将軍」


都市牛利は、ある船の民の息子だった。

その男は大型船の操船を行う人物で、そのためか息子である都市牛利も船に詳しかった。

狗邪韓国に渡る機会の多いタケルにとって、船の扱いに長けた者がいて困ることはない。


武の才にも恵まれていたため、タケルはこの十三歳の少年を従者のようにしていた。

ゆくゆくは、正式に天照軍の一員に加えるつもりだった。


港のある糸島から南へ、山を越えた平野に、持衰は大きな集落を築いていた。

そこに日御子のための大きな神殿を建て、女王とともに持衰もそこへ移っていた。


邪馬壹国の王都は南の国境に近すぎるうえ、交易拠点である糸島に近いほうが内外の情報を得やすい。それが理由だった。


こちらとしても、急げば一日足らずで到着できる場所なので、負担は少なくて済む。


集落はかなり大規模で、環濠が幾重にも巡り、その内側には高い物見櫓がいくつもそびえていた。外敵の侵入を拒むための柵列が整然と張りめぐらされ、内部には穀倉や作業小屋が区画ごとに並んでいる。

見晴らしの良い中央には祭祀の場が設けられ、そこに向かって道が放射状に延びていた。人の往来も多く、交易のためか各地の言葉が飛び交い、活気に満ちていた。


その最奥に、日御子の館は構えられている。

門の兵士がタケルに一礼し、先導を開始した。彼らの到着は、いち早く物見の者から伝えられていた。


神殿を中心とした居住区の脇に、持衰の館が建っている。

兵に促され、都市牛利と二人で上がり込むと、既に奥の高座に持衰が座っていた。


「タケル、久しぶりだな。えーと、そっちは都市牛利だったよな」

「は、はい。持衰様」


上ずった声で都市牛利が答えながら拝礼した。


持衰に手招きされ、タケルと都市牛利は腰を下ろす。

今回の交易で手に入れた鉄資源の量や、それをもとに各国への分配量などを持衰に確認する。

それらは全て都市牛利に任せてある。タケルよりも彼の方が正確に把握していた。


都市牛利の報告を聞きながら、持衰は苦笑したが、タケルは素知らぬ顔を貫いた。


「うん。よくわかったよ、都市牛利。ご苦労だったな」


持衰が朗らかに笑いかける。

昔からこの男は、身分などを気にせず、誰に対しても気さくだった。


「い、いえ。勿体ないお言葉です」


都市牛利が恐縮しきって平伏した。


「で、タケル。今日は珍しくお前が訪ねて来たんだ。何か話があるんだろう?」

「ああ、持衰殿」


日御子が即位し、持衰がその付き人のような立場になって、既に五年が過ぎた。

タケルと持衰は三十、日御子は二十八になっている。


その五年の間に、タケルと持衰の関係は、いや持衰の立場そのものが変わった。


持衰の役目は、単なる女王の勅令の伝達係に過ぎない。

女王の傍に居られる以外に、持衰には何の権限も与えられていない。


だが、元々船の民を中心に根付いていた持衰信仰は健在だった。

日御子に侍る持衰も、女王と同一視されるようになり、日御子に次ぐ絶大な権威を得るまでに至った。


いつの間にかタケルも、持衰に対して敬称をつけるようになってしまった。


「だが、持衰殿。できれば二人で話がしたい」


そう言って、さりげなくタケルは周囲を見渡した。


「わかった。都市牛利、済まないが外してくれ。出口にいる兵にも、遠くに離れるように伝えてくれないか」

「畏まりました。持衰様」


持衰とタケルに頭を下げ、慌ただしく都市牛利が出ていった。


「それで、持衰殿……」

「殿はやめてくれよ、タケル」


笑いながら持衰が高座から降り、タケルの目の前に座った。


「昔みたいに話してくれ」

「わかった。持衰」


口調を直したタケルを見ながら、満足そうに持衰が頷いた。


持衰は立場が変わった今でも、タケルを友として扱ってくれる。

昔なら、その配慮が嬉しいと思ったのだろう。


「今回の、狗邪韓国への派兵についてだが」

「まあ、その話だよな」


半島南部の弁韓諸国の乱れは、倭国にとっても看過できない事態にまで陥っていた。

交易の安全性は揺らぎ、得られる物資の量も毎年のように目減りしている。

特に一年前の夏に起こった辰韓と馬韓の争い以降、その傾向は決定的になった。


南部にまで波及したこの事態を収束させ、倭国と関わりの深い狗邪韓国の安全を確保する。

それが、タケルに与えられた任務だった。


百済くだらの……、違くて、えーと、伯済国はくさいこく肖古王しょうこおうからは返答はもらってる。新羅しらぎ、じゃなくて、えーと……」

斯蘆国しろこくか?」

「そうそう、それそれ」


慣れきっているので、特に何とも思わないが、持衰は時折、こうして記憶の層が混ざり合ったように、言葉が引っかかることがある。

漢にいた頃、周瑜から様々な書を読まされた弊害だと思っているが、そもそも子供の時からよくわからないことを口走る男だった。


「伯済国は、斯蘆国に対しての共同戦線を張ることを条件に、狗邪韓国の安撫を約束してくれた」


斯蘆国が属する辰韓は、昔から倭国との諍いが多い。

さらに弁韓へも勢力を伸ばしており、タケルたちが被る被害の原因のほとんどは、辰韓諸国によるものだった。

そうした辰韓を抑え込むために、持衰が目をつけたのが、馬韓に属する伯済国だった。


馬韓は昔から辰韓と争いを繰り返していた。

特にその中の一国、伯済国の肖古王は、一年前の夏に斯蘆国と激しくやり合い、斯蘆国の腰車城ようしゃじょうを陥とした。

これに対し斯蘆国の奈解尼師今王なかいにしきんおうは報復軍を送りつけて、伯済国を逆に攻め立てた。

一応の落ち着きは取り戻したようだが、二国は依然として対立関係にある。


敵の敵は味方。

持衰が伯済国と手を結ぼうと考えたのは、当然の帰結だった。


「これで伯済国と共同で斯蘆国に当たれる。弁韓諸国からも援助の依頼が来ている以上、そちらからの後押しもある。危険ではあるが、無謀ではない。お前と天照軍ならきっと——」


「いや、その話はいいんだ」


持衰はタケルを安心させようと言葉を並べたが、そもそもタケルが気にしているのはそこではなかった。


「褒美についてだ」


持衰がわずかに目を丸くした。

タケルはこれまで、戦や働きの見返りを求めたことなどない。

要求せずとも、女王と持衰はいつも相応の褒賞を与えてくれていた。


「ああ、当然褒賞は用意する。物だけでなく、伯済国との交渉次第では、弁韓の土地を与えることもできるかもしれない」


「いや、俺は今回の戦の功績に、物品も土地も一切求めるつもりはない」


「は?どういうことだよ、タケル」


持衰が、正気かと言わんばかりの表情を浮かべる。


「部下たちには、それなりのものを用意してやってほしい。だが、俺個人には不要だ。代わりに——名誉が欲しい」


「名誉?」


タケルは深く頷いた。


これを言うために、今日はここへ来た。


「女王から、直接お言葉を賜りたい。僅かな間でもいい。女王と……日御子と、直接話をさせてくれ」


言い切ると同時に、タケルは深々と頭を下げた。


——タケルは日御子と、もう五年会っていない。


わかっていた。

日御子が女王になった瞬間から、こうなることは。

昔のならその事実に、また自分を見失っていただろうが、今は違う。

ただ、会えない日々は、少しずつタケルの心を蝕み続けていた。


もう限界だった。


褒美など不要。

ただ、日御子から言葉をかけてもらいたい。

その顔を、再びこの目で見たい。


自分の働きでそれが叶うなら、他に何も望まない。


日御子。


彼女の存在だけで、タケルにとっては戦う理由として十分すぎるのだから。


「タケル……」


持衰が低く呟く。


友である彼なら、きっと理解してくれる。

タケルの願いを。


タケルは額を床につけたまま、静かにその返答を待った。


「……わかった、タケル」


長い沈黙ののち、持衰が厳粛に口を開いた。


「お前の願い、聞き入れる。無事に狗邪韓国の平和を勝ち取った暁には、お前と女王の謁見の場を設けよう」


タケルは反射的に顔を上げた。


「会わせてくれるのか。女王に」

「ああ。約束する」

「……感謝する、持衰」


日御子に、もう一度会える。


やっと。

やっとだ。


暗く沈んでいたタケルの心に、清らかな光が差し込んだ瞬間だった。

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