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倭国大乱 〜『観測者』は転生し、全ての歴史を見届ける〜  作者: 明石
第ニ章

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第九十五話 師との別れ

邪馬壹国の王都にて、穂北彦の即位式、並びに九州北部連合国の盟主誕生を告げる儀が執り行われた。


各地から王や有力者たちが集うのはもちろん、他国の民までもが、ひと目日御子の姿を見ようと王都へ押し寄せていた。


女王のために築かれた櫓は十数メートルにも及び、さらに丘の上に建てられているため、遠く離れた場所からでも、その姿を仰ぐことができた。


純白の絹布の衣に、翡翠の勾玉を連ねた首飾り。

綺羅びやかな装飾を身に纏い、陽光を背にした日御子は、まさにその名の通り、日の御子と呼ぶに相応しい姿だった。


だけど、その顔を誰も見ることはできなかった。

彼女の顔の前には、頭飾りに押さえられた薄布が静かに垂れていた。


たった1枚の、ささやかな隔たり。

それだけで、女王がもはや自分たちとは隔絶した世界に身を置く存在となったことを、否応なく思い知らされる。


もう俺と日御子は、今までのように顔を合わせることはないだろう。


それは彼女が望み、俺が選んだ道。

女王と、その国の民。

今の俺と日御子の関係性は、その必然の帰結なのだと、苦い哀しみと共に噛みしめていた。


だけど──。


「持衰。前へ出て下さい」


「は? 俺?」


突然、日御子の口から俺の名が告げられた。

瞬間、皆の視線が一斉に俺へと向けられる。

日御子のもとへ続く道を開けるために、人垣がすっと割れた。


人々に見守られつつ、俺は最前列まで歩いていき、膝をついた。


「私は今後、神殿へ籠り、神にこの身を捧げ、その声に耳を傾けます。ですが神の声を、私の口からすぐに伝えるのは難しい。ゆえに、私と貴方がたとを繋ぐ者が必要となります」


俺は驚いて顔を上げた。

衆人も互いに顔を見交わす。

すぐ後ろで、ナビの歓喜の嘆息が聞こえた。


「その役目を負うに相応しいのは、今ここにいる持衰ただ一人です。持衰は私同様、神に近しい存在です。

男子の身でありながら、私の傍にいても神の不興を買うことはありません。

先々代の御子に近侍することを許されていたのが、その証となります」


そうか。そういうことか。


俺の脳裡に、御子様の言葉が蘇った。


“私が死んだ時に、その意味がわかる”


生前の御子様は、なるべく俺に自身のもとを訪れるよう求めていた。

俺もその言葉に従い、時折ひとりで伺っては、他愛のない話を交わしていた。


だけど、なぜ御子様がそんなことを望むのか、理由が分からなかった。

問いかけた時に返ってきたのが、あの言葉だ。


あの時は、ただの気晴らしに付き合っているだけだと思っていた。

けれど、そうではなかった。


いや、あの人のことだからそういう意味も確かにあったのかもしれなけど……。

とにかく本質はそこじゃない。


御子様はこの事態を見越して、あらかじめ俺を近くに置いていたんだ。


もし、不本意にも日御子が女王になってしまった時のために。

彼女が一人ぼっちにならないように。


“持衰は御子の傍にいることが許される”


その既成事実を、御子様は俺を通して作り上げようとしたんだ。


「持衰、聞いた通りです。この役目は、貴方にしか果たせない。私と共に、神に仕えてください」


「謹んでお受けいたします、女王」


そう答え、俺はこっそりと日御子に笑いかけた。

薄絹越しにその顔は見えない。だが、きっと同じ表情をしているに違いない。

大人に内緒で悪戯を思いついた子供のような——そんな無邪気な笑顔を。




即位の儀は恙無く終わった。

持衰が日御子に近侍するという特別措置についても、思ったほど強い批判は上がらなかった。


これまで日御子の影に隠れて目立たなかったが、持衰への信仰はなお根強く残っていたらしい。

何より、御子様が張っておいてくれた伏線が、今の俺の立場を、あって然るべきものとして、人々に自然と受け入れさせていた。


そして俺は、女王日御子より最初に与えられた仕事を終えるため、王都の港に来ていた。


そこでは今、先代の王・都萬彦を漢へと運び出す船の出港準備が行われている。

その差配を、俺は日御子から命じられたのだ。


兵に囲まれ、船に乗り込む都萬彦は、白髪が増えて頬もこけ、まるで10歳は齢を取ったかのようだった。

その都萬彦と、一瞬だけ目が合う。

渇いた、感情の無い、全てを諦めたような目。

だが俺の姿を見たその刹那だけ、わずかに光が宿った気がした。

そこに込められた想いは、恨みか、呪詛か。

でも俺は真っ直ぐに、その瞳を見つめ返した。


「本当に行っちまうんだな、宮崇」


見送るのは都萬彦だけではない。

漢から共に渡ってきた道士・宮崇もまた、今日、故郷へと帰ってしまう。

俺の傍らには、母さんも立っていた。


「ああ。于吉先生に与えられた私の使命は果たした。それに、見届人がいた方が、お前も安心できるだろう」


幽閉されていた先王都萬彦とその妻子は、日御子の決定により、漢の会稽へと送られることになった。


そこには、かつて俺たち船の民が住んでいた倭人村がある。

都萬彦はそこへ流され、ただのひとりの倭人として、一生を過ごすことになる。


だがもし、倭人村での暮らしが受け入れられないようであれば……。


「お前もこれ以上、後味を悪くしたくはないだろう」

「確かにな……」


倭人村に都萬彦たちを送るのは、厄介ごとを押し付けるようで気が引ける。

最悪、共生が難しいと判断されれば、都萬彦たちは今度こそ行き場を失い、野で朽ち果てるしかない。


宮崇が、彼らと漢の倭人たちとの間に立ってくれるなら、その最悪の結末を避けられるかもしれない。


「それに、私はできればこの口で先生に伝えたい。先生の教えが、遠き異国の地で、類まれなる才によって、多くの命を救ったのだと」


宮崇は表情を変えない。

今も何でもない事のように語っている。

だが、その声には僅かな熱が籠もっていた。


「于吉には、俺からもよろしく伝えてくれ。それと……もし会えたら、孫策にも」


俺はあえてそう頼んだ。


西暦200年。

今この年、于吉と孫策は命を落とす。

もしかしたらもう今頃、2人はこの世にいないかもしれない。


――だけど、俺は信じたかった。

俺が漢でやった事が、少しでも未来を変えてくれていることを。


宮崇は黙ったまま、俺に頷き返した。


「ご母堂、長年世話になり申した」


宮崇は母さんにも向けて、恭しく頭を下げた。


「いいえ、宮崇様。宮崇様のおかげで、息子がいない間も退屈せずに済みました」


仏頂面の宮崇とは対照的に、母さんは満面の笑顔を向けた。


「色々なことも教えて頂きました。私でも誰かの役に立つことができるようになりました。それに、日御子ちゃんとも仲良くなれました。全部、宮崇様がいてくださったからです」


喋っているうちに、母さんの声が震えだす。


「ありがとうございます、宮崇様……」


母さんの頬を、幾筋もの涙が伝った。

宮崇は少しだけ顔を伏せた。もしかしたら、照れているのかもしれない。


「日御子か……。最後に会えなくて、残念だな」


「いや、日御子様はもう、私などと軽々しく会えるお立場ではない。これでいいのだ。それが私の望んだことなのだ」


そう言ったあと、宮崇が俺と母さんの顔をじっと見つめてきた。


「ど、どうしたんだよ、宮崇」


「日御子様には、申し訳なく思っている。お前にも、ご母堂にも」


「ああ……」


自分の理想のために、日御子に無理矢理その役目を負わせてしまったと、宮崇は考えているのだろう。

結果として日御子は自由を奪われ、母さんはこれまでのように日御子と会えなくなってしまった。


だけど、たとえ宮崇がいなくても、日御子は女王になっていた。それは歴史が証明している。

むしろ、彼がいたことで……。


「いいえ……。先生のお陰で、わたしは単なる飾りではなく、力を持った、本当の王になれました……」


背後から突然響いた、鈴のような声。

あの宮崇が目を見開き、驚いている。

俺と母さんは、慌てて振り返った。


「ヒミ……むぐっ!」


「日御子ちゃん……」


大声を上げそうになった俺の口を押さえながら、母さんが驚きの声を漏らす。


そこには、平民が纏う麻布の衣を着た女王日御子が立っていた。

外套を深く被っているため、誰も日御子だと気づいてないようだった。


「ひ、日御子。どうしてここに」


日御子がこんな所にいるなんて、今頃神殿の人たちは大騒ぎだろう。


「だいじょうぶ……。いまは、於登がわたし……」


「それって、どういう……」


あ、まさか。

悪ふざけした時のような日御子の表情で、すべてを察した。


昔、日御子とタケルと俺の3人で、こっそり山へ遊びに行った時と同じだ。


「於登に替え玉を頼んだのか」


日御子がこくりと頷く。

まったく、この女王様ときたら……。俺は額に手を当てた。


けど、宮崇のためにここまでしてくれた彼女の想いが嬉しくて、つい顔が綻んでしまう。


「母上、お久しぶりです……」


「日御子ちゃん……」


「先生も……」


俺と母さんの間から進み出て、日御子が宮崇に声をかけた。


「日御子様……」


「わたしは、先生に感謝してます。先生がいたから、わたしは……」


「日御子様」


言葉は短いけど、この2人にはそれで十分だったようだ。

宮崇は膝をつき、日御子の手をそっと握った。


宮崇の背中は、少しだけ震えていた……。

于吉と別れた時のことを思い出す。

この男はもしかしたら、案外涙脆いのかもしれない。

別れ際になって、初めてそんなことに気づいた。


――どれほどそうしていただろう。


やがて宮崇は立ち上がり、日御子たちに深く拝礼し、船へと乗り込んでいった。


別れは済んだ。彼はもう、俺たちを振り返ることはなかった。


「日御子ちゃん、久ぶりに御飯食べてったら?」


遠のく船を眺めながら、かあさんが呟いた。


「はい。母上……」


そう答えた日御子の微笑は、女王のものではなかった。俺が見慣れたただの日御子の、無邪気な微笑みだった。

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