第九十四話 女王
戦は終わった。
都萬彦によって派遣されてきた後続部隊も、主が捕らえられたと知った途端、速やかに投降した。
諸国に対しても都萬彦の敗北を報せる使者を送ると共に、この戦で被った被害の補填は、邪馬壹国が可能な限り請け負うことで手打ちとなった。
「もう少し揉めると思ってたんだけどな」
「あのまま戦ってたら、遅かれ早かれ負けるのは自分たちだって分かってたんだよ。戦が終わって、待望の日御子ちゃんが王になる。しかもアフターケアまで邪馬壹国が行ってくれるってんなら、これ以上ごねるのは得策じゃないって判断したんだろうね」
どの国も戦に疲れ果てていた。
皆、限界の中で戦い続けていたのだろう。
「都萬彦はどうするの?」
「他国の王たちと協議してからだな」
都萬彦の処遇を巡っては、各国とのやり取りを行った上で決定する。
他国にも被害が及んでいる以上、邪馬壹国の独断というわけにはいかなかった。
現状、都萬彦は妻子と共に自邸へ幽閉されている。
身柄は完全に拘束されているが、その扱いは丁重なものだ。
先王への礼は、今のところ保たれている。
そして都萬彦の次は、日御子だ。
彼女が“王としてどのように在るべきか”についても、その場で協議される予定だった。
「できることなら、普通の王として、ある程度の自由は守られるといいんだけど……」
ナビの心配はもっともだ。
「俺も、その方向で打診するつもりではある……」
難しいとは思う。
巫女王という地位は前例がないが、邪馬壹国に限らず、一部の国でも御子のような人間は存在している。
いずれも女性で、神殿の奥でひっそりと祈り続けるという共通点があった。
「王でありながら御子でもある日御子が、邪馬壹国だけでなく北部九州全体の王として認められるには……これまでの王と同じ形では成り立たない」
「そう……だよね」
ナビが悲しげに目を細めた。
彼女の幸せを願っているのは、俺たちだけではない。
ナビもまた、心から日御子の行く末を案じていた。
話し合いの場は不弥国で持たれた。
各国の王、そして俺や穂北彦、多模などの長官や王族たちが列席している。
王たちは左右それぞれに一列に並んでいる。
日御子ひとりだけが広間の最奥、高座に座し、彼らを見下ろしていた。
論点は主にふたつ。
先王・都萬彦の処遇。
そして、連合国の盟主となる日御子の扱いだった。
「これだけの被害を出したのだ、先王と言えど、処断は免れまい」
「妻子ともども斬るのが妥当かと」
「妻子までとはさすがに惨い。都萬彦殿のみ処断し、妻子は連合国領外に追放すれば良いかと」
多少の意見の食い違いはあったが、都萬彦の助命を主張する者は皆無だった。
よくもまあ腹違いとはいえ、妹と弟の前でこんな話が出来るものだ。
遠慮して口を噤んでいるのは、不弥国王と、その臣下である多模くらいだった。
「お待ち下さい。確かに先王によって他国には多くの犠牲が出ました。しかし、先王の命を奪った上で女王が即位すれば、その王位が血で汚れてしまいます」
俺は口を挟んだ。
穂北彦が不安そうにこちらを見る。
こいつにとって優しい兄とは言い難かっただろうが、それでも肉親の情はある。たった1人の兄を救いたいと、本気で願っているのだ。
「では、どうすると」
伊都国王が鋭い視線を向けてきた。
「都萬彦には、もはや何の力もありません。妻子だけでなく、都萬彦本人も共に追放処分として頂きたい」
「手緩いな。決起されればまた国が荒れる。後の禍根を、わざわざ残しておくような真似はできぬ」
伊都国王の言に、ほとんどの者たちが頷いた。
やはり旗色は悪い。
穂北彦は諦めたように俯く。
日御子は無表情のまま、黙して人々の言い分を聞いていた。
半ば都萬彦の処断で固まりつつある空気の中、話題は日御子の扱いへと移っていった。
「日御子殿に盟主となって頂くのは、我ら諸王の悲願。それ自体に異論はない」
「うむ。だが、女王という存在は初めてだ」
「王でありながら御子である。それが女王だ。なればこそ我らはその下に結びつくことが出来る」
「であれば、日御子殿には巫女王として余人との関わりを断ち、その神性を保って頂かなければ」
やはりそう来たか。
勝手なことを。
わかりやすいシンボルがなければ手を取り合うこともできないのか。
分かっているのか?
自分たちの都合で日御子を閉じ込めて、彼女の人生を奪おうとしているんだぞ。
これでは女王ではなく、ただの人柱だ。
都萬彦の件よりも、日御子の扱いに対する怒りの方が強く湧き上がる。
「神への祈りを捧げて頂くのに、なぜ閉じこもる必要があるのですか。表に出て執政を行って頂いても、何ら問題はないはずです」
「先ほども言ったであろう持衰殿。御子とは神の伴侶である。おいそれと人前に出られては、神の不興を買ってしまわれる」
「しかも、日御子殿は若く美しいからの。良からぬ事を考える者が出てきてもおかしくない。間違っても日御子殿を汚すわけにはいかんからな」
下卑た顔で日御子の姿を盗み見る、どこぞの王。
殺してやろうか、この男。
俺の腹の裡に殺意が膨らんでいく。
「日御子ちゃんを表に出したくないのは、おそらくもう1つ理由があるんだと思う」
後ろにいるナビが話しかけてきた。
彼女の声は俺以外には聞こえない。
「盟主である日御子ちゃんが常に出張ってきたら、完全に北部連合国は邪馬壹国の傘下に収まる。それは面白くないんだよ。日御子ちゃんは飽くまでも、連合を強固にする為の補強材。実際に国を動かすのは自分達でいたいんだろうね」
政治を行う以上、自身の国の利権を一番に考えるのは仕方がない。
けど、それならもう男たちだけで勝手にやってくれ。
日御子を解放してくれ。
祀り上げる存在が必要なら、偶像でも作って拝んでいればいいじゃないか。
彼らの話し合いは、既に細部にまで及んでいた。
国境線をどうするか。
朝鮮半島や東国との交易権は。
有事の際の各国の兵力の動員数、指揮系統。
少しでも自国の優位に働くように、彼らは目の色を変えて激しく意見を戦わせている。
日御子や都萬彦の時よりも、国々の者たちは熱心な様子だった。
そんな彼らを見ているうちに、俺は急速に心が萎えていくのを感じていた。
だがその滑稽な喧騒は、突如終わりを迎えた。
「諸国の者たちの言い分は、理解しました」
今まで静観していた日御子が声を上げた。
日御子の声は、静かなのにはっきりと耳に届く。
紛糾していた人々は、思い出したように日御子を仰ぎ見て、口を噤んだ。
「細事は良い……。まずは都萬彦です」
日御子は兄の名を、他人のものであるかのように口にした。
それが、人々に公平さを印象づけることに成功した。
「持衰の言う通り、わたしは無益な血は好みません。妻と子供と共に、領外へ追放します」
「女王、兄君を救いたいというお気持ちは理解できます。しかし、ここは王として、肉親の情を捨てて考えて頂きたい。都萬彦殿をそのまま野に放てば……」
「わかっている。私はもはや、都萬彦を兄とは思っておらぬ」
その言葉を誰も疑わないだろう。
なぜなら日御子の声は、聞くものを凍りつかせるように冷たく、その瞳は無機質な光を湛えていたからだ。
反論した者は、射すくめれたように固まった。
「都萬彦が生きていても、彼の者が再び我らに牙を向けるのは不可能です」
「姉上、それはどういう意味でしょう」
穂北彦が恐る恐る問いかける。
「穂北彦、私は今、連合国の盟主としてこの場にいます。であれば、あなたもその立場は、他の人間と変わらぬと心得なさい」
「し、失礼致しました、女王」
穂北彦が慌てて平伏する。
肉親に対しても毅然とした態度を崩さない。
日御子の、王としての凄まじい覚悟が伝わってくる。
諸王からも先程まで感じられた、日御子に対しての微かな侮りの気配が消えていった。
「都萬彦は、漢へと追放します。彼が何をしようと、この先倭国に戻ってくるとはあり得ぬでしょう」
漢。
その手があったか。
「漢、ですか……」
ひとりの王が呟く。
「邪馬壹国には船の民と呼ばれる、漢で産まれた倭人たちがいます。そして、彼らの産まれ故郷は、まだ漢にある」
会稽群句章県。
懐かしい港町の景色が、脳裡に蘇る。
「そこでは、都萬彦の権威など通じません。平民として市井に紛れ、その一生を終えさせます。まだ異論はありますか?」
日御子が一同を見渡す。
承諾の意を込めて、人々はそれぞれに頭を下げた。
「そして私自身のことですが……その前に」
日御子は言葉を切って、穂北彦に視線を向けた。
「邪馬壹国の王には、穂北彦を就かせます」
その言葉に、さすがに諸王らがざわつく。
「どういうことですか」
「王位を放棄するおつもりか」
口々に日御子に疑問を投げかける。
「鎮まりなさい。まだ全てを語り終えておらぬ」
そう言った日御子の顔は、本当に辛そうだった。
共感覚を持つ日御子は、人々の声や姿を、視覚や聴覚以外の感覚器官に結びつけて認識する。
少数の者と接する時は問題ない。
だが、大勢と対する際は“情報過多”に陥ってしまい、脳のキャパシティが破裂する。
日御子は本来、ただここに座っているだけでも苦痛なはずだ。
そこで俺は気づいた。
もしかしたら日御子は、他者がそう望むまでもなく、普通の王のように人前に出続けるは不可能なのかもしれない。
彼女が王であるためには、どう転んでも孤独でいるしかないのだ。
俺は膝の上で、拳を強く握った。
「邪馬壹国の王は穂北彦だと言ったまでです」
「……どういう、ことでしょうか?」
ふたたび別の者が問いかける。
「私は北部連合の女王です。邪馬壹国だけでなく、全ての国々の上に立つ者となります」
皆が息を呑むのがわかった。
「ですが安心なさい。私が口を挟むのは、神のお言葉を伝える時のみです。取り決めを破らぬ限りはこれまで通り、諸王の思うまま、各々の国を治めれば良い」
何人のかの者を日御子は順に眺め回した。
自分たちの考えを見透かされた気まずさで、皆一様に顔を伏せた。
「私は邪馬壹国だけを優遇しません。北部連合の国全てが私の故郷。全ての民が、愛すべき我が子です。神に誓いましょう。私は、全ての国々を平等に扱うと」
そう言った日御子の声には、先程までの苛烈さは無く、母のような優しさと温かさを孕んでいた。
微かに微笑んだその表情は、凝り固まった人々の心を解きほぐしていく。
「この日より先、北の国々は互いを隔てず、ひとつの運命を背負う。
栄えればともに栄え、滅ぶならばともに滅ぶ。
これが神に選ばれし日御子の誓いです。
心に刻みこむのです。
いずれの国も、神の御前では平らに並ぶのだと」
そして日御子は、何もかもを包み込むかのように優しく微笑んだ。
居並ぶ全ての者が、その微笑に惹き込まれ、頭を垂れた。
この瞬間、日御子は本当の女王となった。
お飾りなどではない。彼女こそが、自分たちを導く存在なのだと、この場の全てが認めたのだ。
西暦200年。
日御子はこの時、まだ23歳だった。




