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倭国大乱 〜『観測者』は転生し、全ての歴史を見届ける〜  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第九十一話 鬼道

日御子たちの陣営が、揉めているような気配があった。


投降するかどうかで意見が割れているのか。

そう思ったが、それはすぐに収まった。


そして兵たちの中から、日御子が一人で現れた。

護衛もつけず、川岸に向かってくる。


水辺で足を止めた。

何事もないかのように、佇んでいる。

その不自然な自然さに、都萬彦も兵も、一瞬戦いの最中であることを忘れた。


「兄上。そして、それに従う兵たちよ……。話しがあります……」


どうやってそんな声を出しているのか。

特に大声を出したようにも聞こえないのに、対岸の自分たちにまで、日御子の声がはっきりと届く。


居並ぶ兵たちが、神に突然話しかけらたかのように動揺する。

都萬彦は只々、不気味だった。


兄王けいおう都萬彦は、その手腕において、邪馬壹国を強大な国へと発展させました」


日御子の声は、淡々としていた。

感情を読み取れぬ平板な声音。


「けれど兄王は、その陰で……幾多の命を失わせました。ひとえに、自らの利のためだけにです……」


ぴくりと、都萬彦の眉が動いた。


「いま諸国は悲しみに覆われ、邪馬壹国に怒りの刃を向けている……。この現状を、神も憂いております……」


神という言葉が口にされた瞬間、

対岸の兵たちの間に、目に見えるほどの動揺が走った。


どれだけ切り離そうとしても、この国の人間は神への崇拝と畏怖を捨てられない。

姿も見えぬ、あやふやな存在に縛り付けられる。


その彼らの愚かさに、腹の中で怒りが膨れ上がっていく。


「今の邪馬壹国に、神の恩寵はありません。

兵たちはただちに武器を捨て……我に従いなさい……」


淡々とした口調。

だが、その言葉が確実に兵たちの心を揺さぶっていく。

まずい。このままでは。

日御子の言葉だけで、この戦が終わりかねない。

そんな馬鹿なことは許されない。


「弓兵、前に出ろ。あの女を射殺せ」


号令を発したが、お互いに顔を見合わせるばかりで動こうとしない。

都萬彦に忠実なはずな兵たちが、その命に対して躊躇している。

こんなことは初めてだった。


「そして……、兄王都萬彦」


はっきりと、自分を呼ぶ声がした。

あの女の言葉に耳を貸してはならない。

頭の中で警鐘が鳴るのに、日御子の声に引き込まれてしまう。


「あなたは、神に認められた王ではない……。このままでは国が乱れ、多くの命が失われる。もう、猶予はない……」


冬の風が吹いたわけでもないのに、都萬彦の背中を冷たいものが撫でた。


「だから都萬彦。あなたは、王位を譲らねばならない。……このわたしに」


――禅譲。


日御子の目的は最初からわかっていた。

その要望に驚きはしない。

だがあの女は、それを言葉だけでなし得ようというのか。


自分の言葉になら、誰もが従うと思っているのか。

神にでもなったつもりか。


無論、日御子にそのような驕りはない。

冷静なようでいて、彼女は必死だった。

血を流さずに済むために最善と思える方法を、彼女は全力で実行しているに過ぎない。


だが都萬彦には、日御子のそのような思いは一切届かない。

彼の目には、己の力を過信した傲慢な女としか映らなかった。


「神に認められておらぬだと」


兵をどかし、都萬彦は前に進み出た。


「俺は先代御子の神託を受けて王となったのだ。その俺を否定するならば、お前自身で神を否定することになるぞ」


内心の怒りを押し殺して、都萬彦は冷静に日御子に返した。

日御子はゆっくりと首を左右に振る。


「王として、人としての道を踏み外したのは、兄上です……。兄上が自ら、神の意に背いたのです……」

「ふざけるな。神の意だなんだと言いつつも、結局その言葉は、お前たちの口を通して出てきたものでしかない。そんなものをどう信用しろと言うのだ」


御子の宣託を自身の地位の根拠にした後で、都萬彦はその信用性を否定した。

冷静を装っていても、都萬彦は日御子に呑まれかけている。


「兄上……わたしは、」

「黙れ。妄言でこれ以上、人を惑わすな」


都萬彦は後方に控える兵たちに身体を向けた。

王の暗い怒りをたたえた眼差しに、彼らはたじろいだ。


「聞いていたな?日御子の言葉など、まやかしだ。あいつに特別な力などない」


兵たちの畏れを取り除く。

日御子などただの人間に過ぎない。

そう思わせれば、彼をまた動かせると、都萬彦は考えた。


「王はこの俺だ。俺に従え。対岸に向かって矢を放て。今直ぐにだ」


兵たちが前に出る。

辛うじて弓を番えるが、その手は震えるばかりで、誰も矢を放とうとしない。


日御子はやじりを向けられようとも、一歩も下がることなく平然としている。


「さっさと放て。命に背く気か」


都萬彦は腰にさした剣を抜き放った。

日御子よりも先に、兵たちを斬り殺しかねない勢いだった。


このままでは、都萬彦に殺される。


恐怖と重圧が、一瞬日御子の神威を上回った。

耐えきれなくなった兵の一人が、裏返った声で喉を鳴らし、叫び声とともに矢を放った。


それに釣られるように、他の兵も次々と弦を引き、狂ったように矢を射掛けはじめた。


日御子を守ろうと、対岸の兵が飛び出しかけたが、日御子は静かに手を上げ、それを制した。


最後の最後まで、あの女は神の加護とやらを信じて死ぬつもりなのか。


だが、矢は当たらない。


数々の矢は、まるで日御子を避けるようにして地へ突き立ち、日御子の衣をかすめることすらしなかった。


まさか、本当に超常の力が……?


いや、違う。


そもそも矢は日御子を正確に狙っていない。

兵たちは気づかぬまま、鏃をわずかにずらしているのだ。

無意識に、避けている。


「いい加減にしろ、貴様ら」


都萬彦は堪えきれず、兵の一人から強引に弓を掴み取った。

ゆっくりと日御子へ向け、弦を引き絞る。


日御子。

目障りな異母妹。

己の最大の障害。


この女を屠りさえすれば。

邪馬壹国は、倭国は、すべて思いのままだ。


都萬彦は息を整え、狙いを定める。

鏃は正確に日御子の心の臓を捉えていた。


この手を離せば、日御子は死ぬ。



見えぬ何かが、都萬彦の顔を打った。

矢を放つ。

視界が眩む。

それでも一直線に、日御子に向かっていく。


風。

激しい勢いが、都萬彦の正面から叩きつけられてくる。


放った矢は失速し、力なく日御子の足元に落ちた。


なぜこの瞬間に。

突風に煽られ、兵たちも顔を手で覆う。


「風に怯むな。打て。打て」


声を張り上げ、都萬彦は兵に命令を下す。

一斉に矢が飛んでいくが、日御子には届かない。


日御子の衣が激しくたなびき、長く美しい髪が広がる。

まるで日御子の身体から、暴風が生じているようにさえ見える。


「突撃しろ。渡河を開始する」


矢が使えないなら、直接叩く。

渡河の最中を狙われるだろうが、数はこちらが圧倒的に上だ。

もう多少の犠牲など構いはしない。

一呑みにして、さっさとこの戦を終わらせる。


だが、天はそれさえも許さなかった。


風に押されるように、雲が流れ出て、空を覆った。


先程までの晴天が嘘のようだった。


あたりは光を遮られ、まるで夜にでもなったかのようだ。

黒雲が唸りを上げ、激しい閃光が雲を裂く。轟音とともに豪雨が地に叩きつけられる。


川は一気に増水し、何者をも拒むようにあれくるっている。もはや渡河が不可能なのは、誰の目にも明らかだった。


薄闇の中、対岸でただ一つ。

日御子の白い衣だけが、異様にはっきりと浮かび上がっていた。


“日御子様は、天さえも従えている”

“神が我らの行いに、いかっておられる”

口々に兵たちが騒ぎ出す。

武器を投げ捨て、無様に尻をつく。

手を掲げ、赦しを請うている者もいる。


兵たちを咎める余裕は、都萬彦にはもうなかった。

彼自身も、日御子に対する恐怖に飲み込まれていた。


「何なんのだ……。あれは、本当に人間なのか」


掠れた声で呟くのがやっとだった。

身体中が激しく震える。


「鎮まりなさい。皆の者」


日御子の声は、荒れ狂った天の咆哮にも妨げられることはない。

穏やかで澄んだ声がはっきりと届く。

こんな状況での、その静謐さが返って不気味で、都萬彦の恐怖心を余計に煽った。


「もう、わかったでしょう……。神は怒っておられる。でも、まだ間に合う……」


日御子が手を差し出す。

それが彼らに向けられた、ただ一つの小さな救いの紐。


「来なさい。私のもとへ……」


雨が鎮まり、雲間がわずかに開いた。

温かな光が一筋差し込み、日御子を照らす。


怒り狂っていた天が見せた、最後の優しさ。

それは、日御子のもとにある。


兵たちが、卑弥呼に向けて一斉に走り出した。


都萬彦のことなどもう誰も見えていない。

王のことなど気にも止めず、何人もの肩が彼の身体にぶつかっていく。


激流はもう息を潜めていた。

次々と川を渡って、縋り付くように日御子の足元に跪いていく。


都萬彦は呆然とその光景を眺めていた。



彼の周りにいる者は、もうだれ一人存在していなかった。

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