第八十四話 古代海軍
「于吉様は、今頃どうしているんだろうな」
食事を取りながら、タケルがふと呟いた。
この面子で囲んでいるんだ。漢の話題は必ず出るだろう。
「于吉先生は変わらんさ。孫伯符殿と共に、多くの命を救っておられるはずだ」
宮崇の表情は変わらない。
けど、于吉との別れの時に流した、彼の涙が忘れられない。
誰よりも于吉のことを信じているのと同時に、誰よりも于吉の身を案じているに違いない。
「伯符殿のことも気になるよな。漢を飛び出してから、今何年だ」
タケルが指を数える。
倭国には暦がないから、時々正確な月日の流れがわからなくなる時がある。
「6年だな」
俺にはナビという天然カレンダーがいるので、正確な時間経過を常に把握していられる。
「もう、そんなになるのか。伯符殿や公瑾殿、どうしてるんだろうな」
タケルが虚空を見つめる。
「伯符殿たちだったら、破虜将軍の悲願、漢王朝復興をもう成し遂げてるかもな。今頃、三公の位に就いてたりして」
タケルの言う三公とは、後漢における3つの官職、司空・大尉・司徒のことだ。
いずれも臣下に与えられる最高の位となっている。
けど、残念ながらそれはない。
「今から12年後の西暦220年。曹丕が後漢から禅譲を受け、魏王朝が成立。それと同時に後漢は滅びることになる」
ナビが俺の横で呟く。
そう。漢王朝復興どころか、遠くない未来、漢そのものが無くなってしまい、時代は三国時代へと移っていく。
その時に孫策は……。
「おそらく、今頃孫策は袁術から独立して、江東制覇に乗り出しているところだね。小覇王と呼ばれ始めるのはこの時……」
ナビが史実に照らし合わせ、現在の孫策の動向を教えてくれた。
そこで言葉を止める。
俺はナビを見つめる。
彼女が敢えて止めた言葉の先を聞くために。
「……けど、目覚ましい活躍を見せた孫策は、今から2年後の西暦200年に、その命を落とす。刺客によって負わされた傷が原因だと言われてるけど、確かな理由はわからない。伝承の一つには、孫策が殺した于吉の呪いだなんて話もある……」
そう。俺はその未来を変えるために、于吉に近づいた。
そして最終的には、于吉の弟子たちが集まって出来上がった医療部隊が、孫策軍の中に誕生した。
于吉と孫策が手を取り合う未来。
それは、どの歴史書にも書いていない、俺が作り出した未来。
でも、この世で俺だけが知っている“歴史の強制力”という概念。
小さな過程は変えられる。だが、通る道が違うだけで、辿り着く場所は必ず同じになる。
于吉という存在が、果たして孫策の運命を変えられるのか……。
「どうしたんだよ持衰。急に黙りこくって」
俺の変化を察して、タケルが声をかけてくる。
「伯符殿が心配なのはわかる。けどさ、あの人なら大丈夫さ。絶対に」
タケルは俺を安心させるように笑いかける。
単細胞のくせに、仲間の気持ちにいつでも寄り添ってくれる。
タケルは本当に変わらない。
単細胞だけど。
「ん?持衰。何かいま馬鹿にした?」
「してないよ」
軽く笑って、俺は目の前に並ぶ膳を食し始めた。
孫策のことを忘れたわけではない。
けれど、良くも悪くも日々の忙しさの中で、
彼のことは頭の片隅へ追いやらざるを得なかった。
そして、年が明け、春先。
俺は糸島の港湾に、邪馬壹国の大型船1隻、中型船1隻、さらに30隻に及ぶ構造船をかき集め、急ごしらえの海軍部隊を編成していた。
港は混乱していた。
船に材木を積み込む者、帆の縫い目を確認する者、矢束を運ぶ者、そして行き交う怒号と潮の臭いが充満している。
歩兵部隊はすでに出撃済みだ。
関門海峡を挟み、本州が目視できる地点に布陣している。
――出雲、吉備。
急速にまとまった北部九州連合に危機感を募らせた両国が、合従して突如こちらへ兵を向けてきたのだ。
俺たちは急遽、各国から兵をかき集め、防備を整えた。
だが問題は海だ。
出雲も吉備も、この時代には珍しく、本格的な海戦部隊を有している。
特に出雲は、日本海を縦横に移動できる外洋航行能力を持ち、吉備は瀬戸内で培った戦闘用の船団技術を誇る。
それに比べ、北部九州はこれまで“海は交易の道”でしかなかった。
沿岸漁船や輸送船はあっても、海戦を主目的とした艦隊はほぼ存在しない。
その中で、唯一まともに戦えるのが、会稽の大型船を持つ、邪馬壹国海軍だけだった。
都萬彦をはじめ諸王は、上陸してきた敵を迎え撃つ水際作戦を提案してきた。
この時代の人間たちは、まだ船の戦いの重要性を理解していない。
海上を敵に奪われれば、ありとあらゆる場所からの奇襲を許すことになるし、敵は前線までの補給路に一生困らない。
敵の奇襲を防ぎ、兵站を断つには、海の戦いを制することが必要不可欠だ。
唯一俺の考えに賛同してくれたのが奴国王だった。
2年前の邪馬壹国・不弥国連合との戦いで、海上からの奇襲で手痛い目を見たことを覚えているのだろう。
奴国王の後押しもあり、俺は連合海軍の総指揮権を与えられた。
……と言っても、編成された艦隊のほとんどは邪馬壹国の船と兵だ。
他国の王たちは、まるで「好きにしろ」とでも言わんばかりで、海軍部隊の動きについて口出ししてくることはなかった。
その代わり、積極的な援護も期待できない。
結局のところ、海の戦いに本気で向き合う気があるのは、俺と奴国王くらいのものだ。
「まあ、好きに動けるならそれでいいさ」
俺は短く呟くと、艦隊に出航を命じた。
潮が緩む夕刻、船首がゆっくりと北へ向きを変える。
帆が風を孕み、きしむ櫂音が一斉に響く。
邪馬壹国の大型船を先頭に、中型船と構造船の列が海原に伸びていく。
目指すは本州西部。
出雲・吉備の船団が現れるはずの海域だ。
俺は静かに息を吸い、荒れる海と戦場の匂いが混じった風を胸に入れた。




