第八十話 新王即位
神殿の前に、多くの人々が集められた。
都萬彦、穂北彦、各国の有力者たち。
中には、それぞれの国の王たちの姿もある。
御子が俺たちを呼び集めた要件。
それは邪馬壹国の次代の王を、神の決定に委ねるというものだった。
俺は、密かに御子様の元を訪れ、猛反発した。
神降ろしの儀は、御子の身体に大きな負担をかける。
薬と休養で持ち直しているとはいえ、再び行えばまた悪化してしまう可能性が高い。
俺の抗議に対して御子は、「安心して下さい。必ず、あなたが望むご神託を賜ってみせます」と、俺に答えた。
違う。そうじゃないんだ。
俺はあなたに死んでほしくない。それだけなんだ。
けど、俺の願いは聞き入れられなかった。
御子の固い意志を変えるのは、例え神であっても不可能に思えた。
人々が声を潜めて囁き合っている。それらは折り重なって、大きな喧騒へと変わっている。
誰が王位に就くのか。大方の予想は日御子に傾いていた。
それなのに、場において最も騒ぎ立てそうな男が、最も冷静に事態を見守っていた。
――都萬彦。
御子の親族にあたる日御子と穂北彦への警戒心から、邪馬壹国の神権政治を否定し続け、遂には神を政から遠ざけた男。
その彼が、ただ静かに見守っている。
それが、不気味に映ったのだろう。
居合わせた人々は何度も都萬彦の方を盗み見ていた。
やがて、神殿の前に巫女たちが進み出る。
中には於登の姿もあった。
榊を捧げ持ち、ゆらゆらと揺らす。
神殿の奥から、香の薫りとともに、鉦の音が響いてくる。
その音に続き、御子の祝詞が流れ出した。
美しい自然と祈りの声が、風に溶けていく。
人々は、王位継承という重大な場であることを忘れ、ただその調べに耳を傾けていた。
やがて、声が途切れる。
人々が現実に戻る。
於登が静かに神殿の中へと足を踏み入れた。
――次の王は、兄か、それとも妹か。
緊張に満ちた沈黙の中、
二つの影が、神殿の奥から現れた。
ひとりは於登。そしてもう一人は、
「御子様……」
ざわめきが広がる。
人々の前に姿を現すのは、これが初めてだった。
その顔の前には薄布が垂れ、表情は見えない。
だがその神秘さこそが、御子を“神”たらしめる演出に一役買っていた。
「神の意は、得た」
静かに、それでいて威厳を帯びた声。
確かに御子の声だ。
けれど、まるで別人のようだった。
人々は息を詰め、次の言葉を待つ。
「邪馬壹国の次代の王は、先代の長子・都萬彦が務めよ。それが、神のご意向だ」
一瞬の静寂。
それはすぐ、ざわめきへと変わった。
だが御子の声が、その喧騒を一瞬で鎮める。
「口を閉じよ。神の御前だ」
その声音は静かで、優しげだ。
なのに、有無を言わさぬ威を持っていた。
「邪馬壹国において、神の意思は絶対。その意は既に示された。余人はただ従え。王でさえもな」
御子の視線が、布越しに都萬彦を射抜く。
「新王は、前へ」
「――はい」
都萬彦は胸を張り、堂々と進み出た。
その姿には、既に“王”の風格が宿っている。
神殿前の段を登り、祭壇に頭を垂れ、再び振り返る。
都萬彦が初めから冷静だった理由。
それは自分が神に、いや、御子に選ばれると知っていたからだ。
当初、王の選定を神に委ねると聞いたとき、都萬彦は激怒した。
兵を起こし、力ずくでも即位しかねない勢いだった。
そのとき、俺は彼に告げた。
御子の真意を。
「御子は日御子のために、神の意志を曲げるつもりだ。“必ず、俺たちが望む神託を告げる”と、そう言っていた」
――つまり、出来レースだ。
神降ろしの儀は、ただの建前。箔をつけるための演出にすぎない。
その話を聞いた瞬間、都萬彦はその顔に、薄ら寒い笑みを浮かべていた。
いま目の前に立つ都萬彦は、一分の隙もない神妙な面持ちになっている。
だが、俺には分かる。
こいつは内心、笑いを噛み殺している。
やがて、都萬彦の宣誓が始まった。
「神の御意により、先王の長子であるこの都萬彦が、新たな王と定められた。
先王は、その仁徳によって筑紫島北方の諸国を一つにまとめあげた。
その偉業を、はたして我が受け継げるのか。
疑念を抱く者、不満を抱く者もいよう。
だが、神が我を選ばれた以上、この身はその意を遂げねばならぬ。
民よ。
諸国の王たちよ。
神が望まれるのだ。
我が王として、邪馬壹国を導くことを。
我は、神の御心のままに、この国を、より大いなる栄えへと導く。
新王都萬彦。
ここに、神の御前にてこれを誓う。」
いけしゃあしゃあと、良くも言う。
散々、神と政治を結びつけることを否定してきた男が、いざ自分が神に選ばれたとなれば、今度はその威光を全力で利用しはじめる。
都萬彦に王になってもらいたかった俺でさえ、その豹変ぶりには、胸の奥に冷たいざらつきを覚えた。
他の人間からすれば、その違和感はきっと俺以上のはずだ。
だが、御子の神託によって正式に選ばれた王。
この一点で、すべての異議は封じられる。
反論は許されない。
疑念も、反発も、すべて飲み込むしかない。
その重い沈黙の中で、都萬彦は宣誓を終え、
兵に囲まれながら、ゆったりと神域を後にした。
「新王誕生を祝う酒宴を開く」
そう告げられ、各国の人間も、邪馬壹国の民も、その言葉に従ってぞろぞろと丘を降りはじめた。
対して、御子たちは粛々と神殿の奥へと消えていく。
布で顔を隠した御子の足取りは、見たところしっかりしている。
——けど。
あれだけ負担の大きい神降ろしをした直後だ。
平気なはずがない。
俺は人の流れに逆らうように、
儀式を終えて退出していく群衆の中を押し分け、そのまま神殿へと駆け込んだ。
「持衰くん?」
「於登、御子様は」
中に飛び込んできた俺に、於登が気付いた。
表情は青ざめている。
「居室で休ませてる。けど……」
「1人か?」
「日御子様がついて下さってる。今、診て頂いてるけど、御子様の状態は分からない」
日御子がついているなら、もうこれ以上俺たちに出来ることはない。
離れた場所で控えているしかなかった。
やがて居室から、人が出てくる気配がした。
俺たちの方へと近づいてくる。
だが、その足音はは一つだ。
「日御子様……」
現れたのは、やはり日御子1人だった。
彼女の暗い表情からは、不吉な予感しか感じられなかった。
「御子様は……」
「いまは、落ち着いていらっしゃる」
その言葉に、全員が胸を撫で下ろした。
だが、日御子の表情は変わらない。
「サイ、一緒に来て……」
「俺が……?」
「御子様が、お呼びになっている」
日御子は踵を返し、先に進んでいく。
俺が於登の方に目を向けると、微かに彼女が頷いた。
その小さな頷きに背中を押されるように、俺は日御子の後を追って、静まり返った神殿の奥へと歩みを進めた。
御子は、薄暗い部屋の中央に敷かれた筵の上に、静かに横たわっていた。
俺と日御子に気付くと、弱い光を宿した目をゆっくりと開き、ふっと微笑む。
「御子様……」
思わず駆け寄り、その顔を覗き込む。
「持衰殿、心配をおかけしましたね」
「御子様、なぜこんな無茶を」
俺の望む神託を告げるだけなら、わざわざ本当に神降ろしの儀を行う必要はない。
都萬彦を王にすると、神託を賜ったと伝えるだけで十分なのに。
だけど、日御子の前でそれを言うことは憚られた。
「持衰殿……あなたは勘違いをしている。私は決して、神の意を蔑ろにはしません……」
「でも、それじゃあ……」
御子は俺に確かに言った。“俺の望む神託を得てみせる”と。
本当に神降ろしの儀を行ったら、そんな保証はなくなってしまう。
俺の心を読んだかのように、御子が首を横に振る。
「持衰殿、日御子……。あなた達はこの国のために、民のために、懸命に働いてくれました。そんなあなた達のささやかな願いを、神が聞き届けてくれぬわけがありません」
御子の息が荒い。話すだけでも苦しそうだ。
それでも、彼女は言葉を続ける。
「持衰殿、悲しい顔をしないで下さい……。これは、私が望んで行ったことです。……日御子。残念ですが、この時代は、あなたを放っておいてはくれないでしょう。でも、持衰殿はあなたに時間を与えてくれた。その時を、大切にしなさい……」
「伯母上……」
「そうだ。持衰殿……」
「はい、御子様」
「薬、あれからちゃんと飲んでましたよ……。凄く苦かったけど」
苦しそうな顔のまま、それでも御子は笑顔を作った。
それが俺たちへの、この人からの思い遣りなんだ。
「偉いですよ。御子様……。でも、ちゃんと元気になるまで、ずっとずっと、飲んでもらいますからね」
俺も何とか笑い返す。
上手くできたかはわからない。
「持衰殿は、厳しいですね……」
もう一度、かすかな笑みを浮かべると、御子はゆっくりと目を閉じた。
「御子様」
「大丈夫、眠っただけ……」
よく見ると、確かに御子の胸は、ゆっくりと上下していた。
だけどその呼吸の一つごとに、御子の中で何かが、砂のようにこぼれ落ちていくような。そんな音に聞こえた。




