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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第七十九話 王の死

俺の家は、宮崇の手によって薬方所になっている。

都の病人たちはこぞってここを訪ねてくるので、朝から晩まで人の出入りが絶えない。


母さんは楽しそうだった。

人の笑顔を見るのが好きな人なんだ。

誰かが「ありがとう」と笑ってくれるだけで、一日中機嫌がいい。

時々、どうにもならない命もある。

その度に、母さんは涙を流していた。

それでも、薬方所の手伝いをやめようとはしなかった。


随分前から、母さんだけでなく、宮崇と日御子の弟子たちも、薬方所を手伝ってくれるようになっていた。

忙しそうだが、弟子たちが上手く回してくれているおかげで、俺と宮崇は落ち着いて調薬に専念できていた。


石臼で薬草をすり潰す音が響く。

乾いた香草の匂いが、風に乗って部屋を満たしていく。


筑紫島つくしのしまは、統一されたようだな」


宮崇がぼそりと呟く。

相変わらず、必要なことしか言わない。


「ああ。流石に奴国との同盟が決定的だった。落ち目とはいえ、筑紫島最強の国が、今勢いに乗ってる俺たちと手を組んだんだ。逆らっても利はないだろう」


あのあと、北部九州の残る二国、末盧国まつろこく伊都国いとこくも、邪馬壹・奴・不弥国連合への加盟を申し出た。

王がその折衝に立ち、日御子も同席して取りまとめたと聞く。



教科書に載るような“邪馬台国を盟主とする倭国連合”とは違い、形式上は各国が対等な立場での同盟だ。

だが、それでも、北部九州が史上初めて一つになった事実は変わらない。


日本の歴史は、大きな一歩を踏み出した。


「そして、南か」

「そうだな。投馬国つまこくはやはり、こちらには傾かなかった」


今の九州は、北部連合と、南部に勢力を張る投馬国とで、ほぼ二分されていた。

各国で纏まることを優先した北部九州は、その代償として西の中立地帯の大部分を投馬国に奪われた。

邪馬壹国王の意向で、こちらから南に攻めかかることはせず、投馬国からこちらに侵攻してくることもなかった。

現状は平穏だが、南北の境では、未だ緊張状態が続いている。


事態は、確かに好転している。

だが、憂いは絶えなかった。


そして俺は、思い知らされることになる。

人の意思や後押しがなくとも、月日の流れが、時に歴史を否応なく進めさせるということを。


西暦198年。

その時が、やってきた。


邪馬壹国の西方、丘陵地の上。

後の世に「西都原古墳群」と呼ばれることになるその一角に、王の墓所を築いた。


大木を縦に割ってくり抜いた木棺に、邪馬壹国王の遺骸を横たえる。

俺のいる現在、まだ九州のこの地方には本格的な古墳の築造技術は伝わっていない。

西都原の地もまた、今はまだ単なる共同墓地の延長にすぎず、身分の低い者たちの墓も、王の墓のすぐ傍に並んでいる。


ただ、異なる部分もある。

棺の中には、副葬品として銅鏡や鉦などの祭祀具が慎ましく納められた。

副葬品は地域性や、故人のそれまでの生き方も反映される。

祈りと調和を重んじた王に、これらは最もふさわしい品々だと思えた。


土を被せる音が、丘の静寂の中に鈍く響いた。

人ひとりほどの高さになるまで盛ったあと、皆で踏み固め、形を整えていく。


最前列には、日御子が立っていた。

白布の衣が風に揺れ、唇は固く結ばれている。

涙は見せない。だが、その眼差しの奥には、確かな痛みが宿っていた。


その隣に、タケルと俺が並ぶ。

タケルは拳を握り締め、まるで戦場に立つときのような硬い表情をしていた。

それが悲しみを押し殺すための、彼なりの鎧なのだろう。

俺はただ、静かにその横顔を見つめていた。


やがて、葬列の最後尾で巫女たちが声を合わせる。

ゆるやかな旋律が風に乗って、丘の上を渡っていく。

その音は、この場にいる多くの参列者達の悲しみ、祈りを、代弁しているかのようだった。


やがて全ての音が静まり、丘の上に沈む陽が赤く空を染めた。

王の墓の上に立てられた一本の榊が、その光を受け、金色に輝いていた。


その後、王の親族たちは「停喪かりもがり」と呼ばれる期間に入った。

倭の国では、死を悼むと同時に、歌い、舞い、酒を酌み交わして死者を送る。

哭く者と笑う者が入り交じり、涙と笑いが一つの輪になってゆく。

それが、この国の死のかたちだった。


通常それらは10日以上の時をかけて行われる。

だけど、時代は日御子たちに、故人を偲ぶ十分な時間さえも、与えてはくれなかった。



丘の政庁の広間で、俺と都萬彦は向かい合っていた。

ひっきりなしに訪れる使者の足音が、静かな室内に響き続けている。


「各国の王達が、次の王位に就く者をどうするのか。早く決めよと、使者を次々に送ってきている」

都萬彦の声は低いが、苛立ちが滲んでいた。


「早すぎるだろ。王が亡くなってまだ2日だぞ」


他国の気持ちも分からないではないが、もう少し、日御子と穂北彦をそっとしておいてやってほしい。


都萬彦は眉を寄せ、少し前のめりになった。


「殆どの国が、日御子擁立を望んでいる。奴国と不弥国の圧力は苛烈だ。奴国に言わせれば、日御子を拒めば連合を抜けかけない勢いだ」


言葉の重さに、部屋の空気が締まる。俺は目を閉じて、日御子の顔を思い浮かべる。まだ喪が明けぬうちに、彼女を戴くかどうかを決めろってことか。


「連合国だろうと、他国が王位の後継に口を出すのは出過ぎているとは思わんか、持衰」


皮肉っぽい笑みが都萬彦の唇に走ったが、眼光は冷たかった。


「だけど、実情を見たら仕方がない。今回の協定は日御子を中心に結ばれたようなものだ。彼女の影響下に集ったって認識が強いんだ」


俺は冷静に言う。外圧を、ただ否定しても始まらない。


都萬彦は短く息をつき、肩越しに外を見た。やがて彼は、低く含み笑いを漏らすように言った。


「いっそ、奴国に嫁がせてしまえばいいのかもしれん。日御子がいなくなれば、ここまでの口出しは無くなるだろうからな」

「まるで、厄介払いするかのような口ぶりだな」

「分からなかったか?そのつもりで言ったんだ」


他国からの圧力には、俺も辟易しているが、今の都萬彦の言い草は頂けない。

彼女がいなければ、こんなにも早く、そして平穏に、北部九州が纏まることはなかっただろう。


わずかな間、俺と都萬彦の視線がぶつかり合った。

そして、唐突に、都萬彦の口元がわずかに吊り上がった。


「ここからは……お手並み拝見だな、持衰」


その声には、冷ややかさが混じっている。

俺を試しているのか、それとも脅しているのか。判別がつかない。


「お前が言ったんだろう。俺を王にすると」


都萬彦は立ち上がり、俺の正面にゆっくりと歩み寄った。

視線が正面から突き刺さる。

すぐ傍まで来ると、肩越しに囁くように続けた。


「言葉にしたからには、実行してもらうぞ。……持衰」

「分かってるさ……」


そう都萬彦に答えたものの、事は中々思い通りにいかなかった。

極論、他国がどれだけ言い分を通そうとしても、結局は邪馬壹国内の問題だ。

強引に都萬彦を王に据えたところで、文句は言えない。


だが、内部の反発は別だ。


日御子を崇拝する民衆たちや有力氏族が、こぞって日御子推戴を望んでいる。

この時代、まだ強力な王政国家は日本には存在していない。

王と名乗ってはいるが、歴史的に見れば、多くの集落を取りまとめる“首長”でしかない。

彼らの言葉を無視して、あまり勝手は出来ないのだ。


「日御子はどうしている?」

「祭壇で祈りを捧げ続けている。この件に関して、姉上からのお言葉はない」

「そうか……」


王の宮の近くにある穂北彦の屋敷で、現状の話し合いをしていた。

渦中の日御子は神殿にこもり沈黙を守っている。

彼女の真意を窺い知ることができるものは、唯の一人もいなかった。


「まるで天岩戸あまのいわと籠もりだな」

「何か言ったか?」

「何でもない」


しばしの沈黙のあと、穂北彦が顔を上げた。


「なあ、持衰。もし——もしもだぞ。俺たちが姉上に、王位についてほしいとお伝えしたら、姉上はどうされると思う?」

「おそらく……受けるだろうな」


日御子が姿を見せないのは、おそらく俺たちに託しているからだ。

自分の意地ではなく、民と国の意志に身を委ねている。

それこそが、彼女の意志なのかもしれない。


「けど、俺は日御子を王位に就けたくない。あの若さで、あいつを国と民の鎖で縛り付けたくないんだ」

「持衰、俺も考えは同じだ。であれば、やはり……」


俺は頷いた。


「都萬彦に王位を宣言させる。俺たちがそうしなくても、いずれあいつ自身がそうするだろう」

「民衆の反発はどうする?」

「受け入れてもらうしかない。都萬彦が先王と日御子の意志を継ぎ、同じ政を行えば、いつか人々も納得する」

「時間がかかるな」

「それが、俺たちの戦いなんだ」


長い、長い戦いを覚悟した。

それは剣を抜いて挑む類の戦ではない。

人々の心という、見えぬ力に抗う戦い。

都萬彦と俺たちで、それに勝てるのか。確信はない。

だが、やるしかない。

それが、日御子の笑顔を守る唯一の道だから。



そして、神殿の御子から呼び出しがかかったのは、その数日後のことだった。

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