第七十四話 王の人心掌握術
都萬彦が始めた戦は、俺たちのいる場所にまで波及していた。
不弥国独立の交渉は、なし崩し的に決裂。
もはや、どちらかが倒れるまで戦い続けるしかないように思われた。
だがその戦いは、唐突に終わりを告げた。
「邪馬壹国王の軍が介入したのですか」
多模が息を切らせて、俺の陣に駆け込んできた。
額には汗がにじみ、興奮と安堵が入り混じっている。
「ああ。戦闘中止の命が下った。おそらく、奴国にも伝わっているはずだ」
山上の砦から見下ろすと、奴国軍が陣を払い、整然と撤退を始めていた。
戦場を包んでいた熱気が、嘘のように消えていく。
俺たちもそれに合わせ、最低限の人員だけを残し、不弥国の港町へ帰還した。
多模と共に不弥国王への報告を済ませ、兵を休ませた。
「邪馬壹国王たちが、船でこちらに向かっているそうだ。おそらく今日中には到着すると思う」
改めて届いた伝令の報告を、多模にそのまま告げた。
言葉通り、その日のうちに沖合に巨大な影が現れた。
邪馬壹国の大型船。会稽で造船された、全長30メートル近い楼船。
倭国には存在しない規模の化け物だった。
帆柱は山のように高く、甲板の上には旗が翻っている。
不弥国の人々は海岸に集まり、口々に叫んだ。
あれは船ではない、神の御使いが乗る浮島だと。
楼船が湾に入り、ゆっくりと帆を畳んだ。
やがて船腹に取り付けられた舷梯が軋みを立てながら降ろされる。
「あれが……邪馬壹国の旗船なのか」
多模が小さく呟く。
普段は冷静な彼でさえ、目を奪われているようだった。
木製の舷梯を踏み鳴らし、まず王がゆっくりと姿を現す。
その後ろから現れたのが日御子だった。
見慣れぬほど巨大な船から降り立つその姿は、陽光を一身に浴び、彼女の名前の通り太陽の化身のようだった。
風が吹き、白い衣がはためきながら輝く。
演出効果としては完璧だな。
邪馬壹国の兵たちはもちろん、不弥国の兵も、民も、次々と地に膝をつき、頭を垂れた。
王と日御子が、ゆっくりと地に降り立った。
背後には、整然と並ぶ護衛の兵たちがいる。
やがてその前に、一人の不弥国兵が進み出た。
砂の上に膝をつき、深々と頭を垂れる。
王は短く頷き、二言三言、言葉を交わした。
そしてその兵を先導にして、不弥国王の屋敷の方へと歩み始めた。
「持衰殿からの報せにより、すでに出迎えの準備は整えておりました。穂北彦様、持衰殿もご同行ください」
多模の案内に従い、俺と穂北彦は王の屋敷へと向かった。
広間に通されると、そこには邪馬壹国王と日御子、そして不弥国王と数名の延臣がすでに席に着いていた。
不弥国王は自ら上座を譲り、王と日御子を最奥に迎えている。
床には真新しい敷物が広げられ、香が焚かれていた。
王の名を持つ身であっても、国としての格の差は歴然としていた。
……だが、その場には不自然なほど緊張感がなかった。
王たちは酒と肴を口に運びながら談笑している。
え、寧ろ盛り上がってる?
まるで宴の席にでも紛れ込んだみたいだ。
但し、王の隣に座る日御子は全くの無表情だ。
おじさん達の話についていけず、ひたすら退屈だと言ったところか。
「おー、穂北彦、持衰。やっと参ったか。まま、とにかく座れ座れ」
俺たちに気付いた王が、大声で呼びかけてきた。
この人、こんな所でも軽いのかよ。
言われるまま、指し示された場所に、俺と穂北彦は腰を降ろした。多模はもう少し下座についた。
俺の隣には日御子がいる。
目が合うと、こっそりと微笑みかけてくれた。
俺もわずかに笑みを返す。
二人だけの、短いアイコンタクトだ。
なんとなく照れ臭い。
間近で日御子を見るのは一年以上ぶりだ。
あの時よりも、少し大人びている。
……その静けさをぶち壊す声が、すぐ後ろから響いた。
「ギャーー! 日御子ちゃん可愛い! そして超きれい! 大人になった日御子ちゃん最高! てぇてぇ!てぇてぇよ〜!」
近くにいたナビが、テンション最高潮で叫んでいた。
推しに会えたドルオタかお前は。
「いや〜、しかしフミちゃんが話の分かる男でよかったわ」
「なにを仰るか。ヤマさんの人柄あってのことよ」
……ん? 何いまの。
「ちょっと待て。今なんつった。フミちゃん? ヤマさん?」
思わず口を挟む俺。
「ああ、これか。儂と不弥国王の愛称だ」
邪馬壹国王が酒を片手に上機嫌で笑う。
「持衰殿、不弥国と邪馬壹国は今宵より兄弟分となったのだ。儂は今後、ヤマさんを兄として慕うつもりだ」
そう言って2人の王は盃を掲げ、見事に息を合わせて一息に呷った。
……エアー乾杯。
長の2人がこんな調子だから、周りの兵や臣下たちもすっかり浮かれている。
酒の匂い、笑い声、どこかで笛まで鳴ってやがる。
真面目な多模はこの異常事態に、完全にキャパオーバーだ。
さっきから笑顔が貼り付いたまま動かない。まるで能面だ。
「おい、こら持衰」
不意に隣から声。穂北彦だ。
肩に腕を回され、ぐっと顔を寄せられる。
「貴様、いつまで姉上の隣に座ってるんだ、ああ?」
酔っ払い特有の間合いゼロ。
真っ赤な顔、そして、酒臭い息が俺の顔に当たる。
こいつ、完全にできあがってるな。
穂北彦は無理矢理俺を引っ張り、日御子との間に割り込んできた。
「穂北彦も……久しぶり」
「……姉上、ご健勝のようで何よりです」
穂北彦は目に涙を浮かべている。
よほど日御子に会えたのが嬉しいようだ。
「うん。穂北彦は、少し逞しくなったね……」
日御子がそっと穂北彦の頭を撫でた。
穂北彦の表情が見る見る溶けていく。
飼い主に撫でられて喜ぶ猫のようだ。
「そうですか、姉上。だったら嬉しいです。穂北彦は頑張りました。姉上の弟として恥ずかしくない人間になるために、たくさんたくさん頑張りました」
ニコニコしながら日御子に答える。
何かこいつ、赤ちゃん返りしてないか?
「偉いね、穂北彦。あなたは、立派な……わたしの弟だよ」
「姉上……」
感極まったのか、穂北彦が日御子に抱きつく。
日御子はそんな弟を優しく受け止め、背中を擦っている。
衆目の前で何やってんだと突っ込みたい所だが、穂北彦も大好きな姉にずっと会えていなかったのだ。
こいつの気持を思うと、それも躊躇われる。
それに、顔立ちの整った2人がこうして抱き合っていると、非常に絵になるのだ。
周りの人間達も、「良かった良かった」と口々に呟いている。
中には、涙ぐんでいる者までいた。
いや、邪馬壹国の人間はともかく、不弥国の奴らはその辺の事情とかよく分かってないよな。
完全にその場のノリだけでリアクションしてやがる。
近くではいつの間にかやってきたのか、不弥国王が邪馬壹国王と肩を組みながら酒を呷っている。
穂北彦は気づくと日御子に膝枕してもらいながら眠っている。
右を見ても左を見ても酔っ払いだらけだ。
いつまで続くんだこの時間……。
「サイ……」
辟易していると、日御子が小声で声をかけてきた。
僅かに手招きしている。
耳を貸せということらしい。
促されるまま、日御子の方に片耳を寄せる。
「外に、出たい。ついてきて……。タケルも一緒に」
内緒話をするように、日御子が俺に囁く。
「タケル?」
日御子の指さす方向には、兵に混じって座っているタケルがいる。
全く気づかなかった……。
だが、タケルはこちらを凝視している。
ずっと日御子を見ていたのだろう。
俺と目が合うとわざとらしく視線を外した。
「わかった」
素早く円から抜け出し、タケルの方まで寄る。
腕を引いて外へ向かう。
反対側を見ると、日御子もそろそろと出口に向かって歩いていた。
「持衰殿?」
ただ一人、場に馴染めていなかった多模が、俺たちの動きに気付いた。
「しーっ」
人差し指を口に当て、多模の言葉を制した。
捨てられた子犬のような目をしている多模を置いて、3人で外に出た。




