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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第七十一話 傀儡

不弥国にやった持衰と穂北彦から報せが届いた。

不弥国軍の奇襲は成功。

更に近くの補給砦を占拠。豊富な物資を奪い取ることも出来たという。

現在はその砦を中心に布陣して防備を固めつつ、捕らえた兵を解き放って、不弥国の独立を承認しろという要望を伝えさせたそうだ。


手緩い。と、都萬彦は思った。

悠長に相手の出方を待っていては、いずれ西の動乱も落ち着き、万全の態勢を引いた奴国軍に攻められるのがオチだ。

持衰もそれを分かっているだろうが、邪馬壹国は防衛以外の目的で、他国に侵攻はしないという、日御子によって勝手に植え付けられたこの国の印象を必死に守っている。


「穂北彦あたりが討死してくれれば良かったのだがな」


ポツリと独りごちる。

穂北彦に経験を積ませるという名目で、持衰に同行させたのは都萬彦だった。

邪馬壹国の指揮官不足は深刻だ。

穂北彦がある程度使えるようになれば、この国に利がある。

そしてもう一つ。

仮に穂北彦が死んだとしても、それはそれで自分の今後の王位が盤石なものとなる。父王が死んだ後に、兄弟同士で殺し合うなど、珍しい話でもないからだ。

更に、穂北彦を殺されれば、流石の持衰も奴国を捨て置くことなどできないだろう。

どちらに転んでも、いや、寧ろ穂北彦の死を期待して、敢えて危険な任務に向かわせたのだった。


邪馬壹国北部。

細島の西部の山麓に位置する防衛拠点に、都萬彦は常駐していた。


元々ここの指揮官は穂北彦だったが、不弥国へ派遣したために、代わりに都萬彦が指揮を執っている。


鉦を鳴らす。すぐに執務室に兵が入ってきた。


「タケルを呼べ」


兵は一礼して再び出ていく。

しばらくすると入れ違いにタケルが入ってきた。


「只今参りました、都萬彦様」


直立してタケルが都萬彦の前に立った。

その顔には王子に対する、畏敬、緊張が見て取れた。

南での失敗を赦した感謝と負い目もあるのかもしれない。

本来なら漢で経験を積んだこの男からしたら、都萬彦など小国の一首長の息子位にしか映らないだろうが、はっきりと敬意を持って、タケルは都萬彦に接している。


だが、持衰にはそれがない。どこかふてぶてしさを感じる。

利用価値があるため不問としているが、本来なら斬り捨てているところだ。


「不弥国の持衰たちから報告が入った。初戦は勝利。現在は敵の砦を制圧し、そこで防備を整えながら、奴国に対して不弥国の独立を認めるように呼びかけているそうだ」

「そうですか。流石は穂北彦様と持衰です」


素直に喜色を浮かべる。

倭国よりも激しい戦乱を経験してきたとは思えない正直さだった。

幼稚とも軽薄とも言える。

だが、それが良かった。


御し易い。


都萬彦のタケルに対する第一印象がそれだった。

タケルの軽薄さは、都萬彦にとっては寧ろ美徳だった。


それから、都萬彦は徹底的にタケルを調べさせた。


船の民の中でも抜きん出た武勇を誇ること。

持衰と同い年で、幼い頃より親交があったこと。

初めて邪馬壹国に訪れた船の民が、持衰とこのタケルであったこと。

そして、そこで日御子に出会い、強烈に惹かれているということ。


しかも、民衆が日御子に対して抱く信奉心とは違う。

タケル自信がどこまで自覚しているか分からないが、この男はあの異母妹いもうとを女として見ている。

日御子をうまく餌にすれば、持衰の側からこちらに引き入れることは造作もないだろう。

都萬彦はどうしても、タケルの武力が欲しかった。


「タケル。だがな、持衰は少し甘いとは思わんか」


都萬彦の声は穏やかだった。だが、その静けさの奥に、刃のような冷たさが潜んでいる。


「甘い、とは?」


タケルが眉を寄せる。


「元々この戦は、西の動乱によって自国内の注意が散漫になっている奴国の隙を突く。そういう趣旨で始まったはずだ。だが現状はどうだ。軍を動かさず、ただ相手の出方を窺っているだけ。これでは、機を捉えたとは言えぬ」

「た、確かにそうかもしれません。ですが、邪馬壹国は無闇に他国へ攻め込むような真似は――」


タケルが遠慮がちに反論する。

都萬彦は、その言葉の続きを遮るように、静かに名を口にした。


「日御子か」


その名を聞いた瞬間、タケルの瞳がわずかに揺れた。

期待していた反応だった。都萬彦の口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


「日御子が民心を集め、邪馬壹国が拡がったのは確かだ。だがな、そのために本当に日御子が必要だったのか?」

「……どういう、意味ですか」

「日御子が動く以前から、お前たち“船の民”のもたらした技術と交易によって、我が国はすでに豊かになっていた。その繁栄の評判は自然と周囲に伝わり、やがて他国の方から我らに加わりたいと申し出てきたのだ。つまり――」


都萬彦は一拍おいて、目を細める。


「日御子の加護などなくとも、邪馬壹国は今の形に至っていた。しかも、無理のない速度でな」


タケルが小さく息を呑んだ。

都萬彦は、その反応を逃さず畳みかける。


「我々は、日御子の作り出した慈悲の国という姿に縛られている。お前も見てきたはずだ。不弥国での持衰たちがいい例だ。敵を前にしてもその名を守るために、刃を鈍らせている」

「ですが……無駄な血を流さぬようにしようという日御子様の志は、大乱で疲弊しきったこの倭国には必要なものです」


タケルの声が揺れていた。

都萬彦はその揺れを見逃さない。


「漢に居たお前が、そのような綺麗事を口にするとはな。戦場で人が死ぬのを何度見た?理想で民は救えぬ。むしろ、甘い慈悲は戦を長引かせるだけだ。結果として、守るべき民を殺すことになる」


タケルが口を閉ざす。

握りしめた拳が、わずかに震えている。

都萬彦はその様子を見て、ゆっくりと立ち上がった。


「それにな、タケル」


机の端に手を置き、わずかに身を乗り出す。

声を低め、囁くように言葉を続けた。


「お前の力は……戦場でこそ輝く。いつまでも日御子の呪縛に囚われたままにするには、惜しい男だ」


タケルが顔を上げる。目を逸らそうとしたが、都萬彦の視線に縫いとめられる。


「思うだろう? 本当は剣を振るいたいと。血の匂いを嗅ぐと、心が静まるのではないか」


タケルの喉が、ごくりと鳴った。

都萬彦は微笑む。獲物が罠にかかった音が、確かに聞こえた気がした。もう少しだ。

都萬彦はゆっくりと座り直す。


「お前たち北方警備軍で、国境沿いの奴国軍を攻撃しろ」

「こちらから奴国を攻めろと仰るんですか」


タケルが目を剥く。


「そうだ。持衰が動かないのであれば、こちらからきっかけを作ってやろうという訳だ。戦が始まってしまえば、持衰も動かざるを得んだろう」

「しかし、それは……」

「なあ、タケル。日御子がいくつか知っているか?」


何を聞かれたのか分からなかったようだ。

タケルは戸惑いの表情を浮かべたまま、都萬彦を見つめている。


「日御子は今いくつだ。知っているだろう、お前なら」

「二十になられたと、思います」

「そうだ。二十だ。本来は一五、六で夫帯するのが当たり前だろう。もう子の一人や二人を成していてもおかしくない。なのに、未だにあいつは道士の真似事をして、ふらふらしている」

「ですが、日御子様が夫を持たぬのは、神との繋がりを絶やさぬためで……」

「お前も知っているだろう。日御子はそんなことを望んでいないと」


都萬彦はタケルの言葉を止めた。


「日御子は御子にならずに、自由でありたいと考えている。そうだな」


これは持衰に聞かされたことだった。

王族の身でありながら、何を無責任なと思った。

だが、都萬彦にとっては都合がいい。


「このままでは民衆はいつまでも日御子を神として求め続ける。操を立てさせ、女としての人生を与えぬままにだ」


生々しい言葉に、タケルはますます視線を逸らす。頬の赤みがひときわ濃くなる。


「タケル、お前。日御子を好いているだろう」

「な、何を。そんな畏れ多いことを」


タケルが慌てふためく。この男の日御子に対する思いは、調べ始めて初期の段階で察していた。


「恥ずかしがることはない。日御子は身内から見てもいい女だ。同年代で、しかも日御子に近い所にいたお前が、義母妹いもうとに惹かれない方が不自然だ」


そう。女を決して抱くことがないという持衰が異常なのだ。

持衰にもまともな色欲があれば、ここまで都萬彦が持て余すことはなかったかもしれない。


「タケル。勘違いするな。俺はお前を責めているわけではない。寧ろ嬉しく思う」

「嬉しいとは……?」

「それはな、タケル。お前のような男に、日御子を預けたいと思っているからだ」

「都萬彦様、何を」


タケルの顔がこれ以上ない程紅潮する。


「お前が日御子を妻に迎え入れてくれれば、日御子自身も、邪馬壹国という呪縛から、御子の血族という命運から解放してやることができる。母は違えど、俺にとっても日御子は大切な妹だ。お前からしたら、俺は冷たい兄に見えているかもしれん。でもな、俺も俺なりに、あいつの幸せを願っているんだよ」


タケルは明らかに狼狽している。

だが、その仕草の奥に、戦いたいという衝動と、日御子への激しい想いが渦巻いているのを感じた。

都萬彦は顔を上げ、真っ直ぐな目でタケルを見つめる。

やがてタケルはその視線に押されるように、言葉を紡ぐ。


「日御子様を娶るなど、俺には考えられません……」


絞り出すような声だった。

タケルは今、欲望と信頼の間で揺れ動いている。


「でもそれ以外では、俺はあなたの御心のままに致します。都萬彦様」


その言葉に都萬彦は穏やかに微笑んだ。

その目の奥に、冷徹な光が宿っていることを、タケルは気付くことができなかった。

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