第七十話 穂北彦との戦い
不弥国王の言った通り、多模は頭の回転の速い青年だった。
しかも、驚いたことに穂北彦よりも更に若い17歳だということだった。
俺がその歳で、不弥国の軍事権を一身に任されていることを賞賛すると、
「先の奴国との戦いで、主要な延臣は悉く死に絶えました。残っていたのが私だけというだけですよ」
そう言って、悲しそうに笑った。
「……悪い、余計なことを言ったな」
俺は多模に頭を下げた。
多模はすぐに手を振る。
「いえ、持衰殿が悪いわけではありません。戦とはそういうものです。覚悟の上でした」
一瞬、彼の瞳が揺れた。
「私はまだ、国を背負うには若するという自覚もあります。ですが、父も兄も、私にこの国を託すと言い残して逝きました。だから、この国を守るため、私は私に出来ることをしようと、そう考えています」
穂北彦がその言葉を聞いて、小さく頷いた。
「多模。お前のような者がこの国を支えている限り、不弥国は必ず立ち上がる。俺たちはその後押しをするためにやってきたんだ」
こういう所は日御子の弟だ。
元々は都萬彦の政略的な判断による、不弥国への援助だったが、いま穂北彦は純粋に、この国を救いたいと思っているようだ。
日御子によく似た横顔を眺めながら、俺は思わず笑ってしまった。
多模が深く息を吸い込み、静かに顔を上げる。
「……ありがとうございます穂北彦様。王もお二人の来訪を心から喜んでおられました。実を言えば、我が国にとっても時間がありません」
「わかってる。機は今しかない」
俺は多模の言葉に頷いた。
現在奴国は九州西部の争奪戦に多くの人員を割き、注意もそちらに向けている。
このチャンスを逃したら、仮に邪馬壹国が共闘しても、不弥国の独立を成し遂げるのは困難を極めるだろう。
俺たち3人は、急ぎ作戦を練り上げていった。
3日後。不弥国は大々的に軍の編成を開始した。
王の屋敷の前の中庭では、鍛冶の火が上がり、鉄の匂いが風に混じっている。
「奴国からの援軍要請を利用して、そのタイミングで堂々と軍を組織するとはな」
俺は感嘆まじりに言った。
奴国は西側の動乱に兵を割くため、連合下の諸国に次々と出兵命令を出していた。
不弥国にもいずれ同じ命が下る。多模はそれを見越して、あえて兵の招集を遅らせていたのだ。
そして今、奴国の正式な命令が届いた。名目上は“援軍編成”、実際には“不弥国独立のための軍事準備”である。
「見かけによらず大胆だな、多模」
「いえ、持衰殿ほどではありませんよ」
多模が穏やかに笑った。
「奴国の使者には、“遅れているが間もなく出立する”と伝えてあります」
「なるほど、時間を稼ぐ気か」
「はい。あと二日もすれば、こちらの兵の大半は動けます」
多模の目には、若さよりも老練さが宿っていた。
17歳の瞳に、亡国を二度と許さぬ決意の炎が揺らいでいる。
戦いの時が、刻一刻と近づいて来ていた。
そしてさらに2日後、多模が率いる不弥国軍が進発した。
それと同時に、残った集落の僅かな兵と、俺と穂北彦が、不弥国内の奴国兵に対して牙を剥いた。
奴国兵たちを多勢に無勢で縛りあげて捕らえたのだ。
これで集落内は完全に不弥国側が制圧した。
そろそろ、多模の軍は合流予定だった奴国軍の背後を突き、戦闘になるはずだ。
制圧が完了した直後、俺と穂北彦は海岸へと走った。
そこには、中型船と10艘の構造船が並んでいた。
中型船は会稽で用意してもらった漢船だが、構造船は邪馬壹国の造船所で製作したものだ。
「まさか船を利用するとはな」
穂北彦が感心したように呟いた。
「去年、投馬国に対して使った方法だ。倭国の海上戦術は未熟もいいところだからな。しばらくはこれでアドバンテージを取れるはずだ」
奇を衒ったとはいえ、奴国軍は精強だ。
北部九州の国々は、朝鮮半島との交易路を独占し、豊富な鉄資源を輸入している。
兵の半数以上が鉄製武器を使用している。
朝鮮半島との交易を行えない邪馬壹国と不弥国軍は、未だに銅製武器や、下手したら石槍や石剣を利用している。
武器の性能差は、決定的な力の差になりうる。
不弥国軍だげで押し切ることは不可能だろう。
「だからこそ、俺たちは俺たちだけの武器を利用しないとな」
中型船と10艘の構造船は、まもなく戦場付近まで辿り着いた。
多模は作戦通り川を越え、海岸近くにまで後退していた。
奴国軍はこれを追撃。
河を背後にして攻めたてていた。
「多模はよく防いでいるな」
穂北彦が冷静に戦況を分析している。
「ああ、奴国軍には今のこの位置にいてほしいからな。多模はそれをよくわかってる」
俺は中型船を海上で停止させ、構造船を敵の背後に流れる川へと向かわせた。
中型船では通れないが、構造船なら縦に並べば、十分進んでいける川幅だ。
「いいか穂北彦。小型船の兵たちが奴国の背後を突いた後に、俺たち中型船の隊が上陸。敵の側面を攻撃する」
「わかってるよ。二段階の奇襲だろ」
声は冷静だが、目は僅かに血走り、船縁を掴む手は、力を入れすぎて白くなっている。
穂北彦は成長したが、未だに戦慣れはしていないようだ。
俺が穂北彦を守らないと。
こいつに何かあれば、日御子に顔向けできない。
「そろそろだろう。行くぞ」
おおよその見切りをつけて、中型船を岸に向かわせた。
上陸し、駆け出す。
調べによれば奴国軍は200名。
多模軍は150名で、二隊に分けた邪馬壹国軍が50名ずつの100名だ。
武器が劣っていても、数と流れは勝っている。
必ず勝てるはずだ。
戦場が近づいてきた。
奴国兵は川から現れた背後の敵にも対している。
だが崩すどころか、邪馬壹国軍も多模の軍も押され始めている。
「行くぞ。側面をつく」
俺は叫び、敵に突っ込んだ。
向こうも直前でこちらに気づき、側面の敵は迎撃の構えをとっていた。
「指揮官は冷静なようだ」
思わず舌打ちする。
だが、その分舟の奇襲隊と多模たちは楽になるはずだ。
敵にぶつかる。剣がぶつかり火花が散る。
観測者補正で敵の力の流れを読み、受け流す。
空いた首を掻っ切る。
この技も随分と手慣れてきた。
穂北彦が叫び声を上げながら剣を振り回している。
未熟であり視野も狭くなっているが、太刀筋は悪くない。タケルに鍛えられたのだろう。
思ったより使い物になりそうだ。
穂北彦が認識できていない敵を片付ける。
「穂北彦。闇雲に戦うな。敵は一人だけじゃないんだ。周りを見ろ」
はっとした顔をし、直後に苦々しげに歯軋りしながら、一歩下がった。
俺に、というよりも、自身の未熟に怒りを覚えているようだった。
俺は観察を続け、瞬間瞬間を剔抉しながら指揮を続ける。
遂には三方からの圧力に屈し、奴国軍が崩れた。
「追い立てろ。撃てるだけ撃て。但し、川岸までだ」
俺は声を張り上げる。兵たちが敵の背後を追う。
「穂北彦。何人かは生け捕りにしたい。手伝え」
「わかった」
俺と穂北彦も敵を追い、1人ずつ捕らえて締め上げた。
やがて追撃した兵も戻ってきた。
「多模。兵を2人捕らえた。別々に尋問して奴国の実情を聞き出す」
「わかりました」
2人を別々にするのは、証言の信頼性を上げるためだ。彼らの証言に食い違いがあった場合、どちらかが嘘をついていることになる。
その場合は拷問にかけて再び問い質す。
その意図を、この17歳の少年は説明せずとも理解したようだ。
多模は涼しい顔をしているが、穂北彦は冷や汗をかいている。
拷問などしたことがないのだろう。
俺だって出来ればやりたくない。敵とは言え、普通に可哀想だ。
「なるべく素直に吐いてくれればいいんだけどな」
重い足取りで、俺は穂北彦を伴い、片方の奴国兵の元へ向かった。
奴国兵の前にしゃがみ込み、手元の松明の炎をその顔に近づけた。捕虜の顔がはっきりと見える。その顔は恐怖に歪んでいた。穂北彦は背後で身を強張らせている。
「お前の名は?」
「……クチルと申します」
短く答えた。年端もいかぬ若者ではないが、まだ老練さはない。見たところ、嘘をつく余裕はなさそうだ。
「撤退したお前の仲間はどこへ向かった」
クチルは一瞬黙し、目を泳がせた。俺は穂北彦の方を見て、軽く頷く。
穂北彦は頷き、鉄剣を火にくべた。
鉄の刀身が赤く光る。
「待て、待ってくれ。話すから」
男が慌てた様子で制止する。
穂北彦が溜息をつく。内心、安心したようだった。
正直、それは俺も同じだ。
「……我らは、西の山麓の中腹にある補給砦まで引き上げました。定期的に徴発民が荷を運びこんでいます。鉄や矢筒、干し穀などです」
助かりたい一心でうまく舌が回っていないが、要点は揃っている。
「増援はいつ来る?」
「二日後。西から二百余、補助の軍を回すと聞きました。西の動乱に当たっているため、それが限界だと」
穂北彦の顔に影が落ちる。二日。時間的には余裕があるが、敵の物資を放置すれば鉄の優位はやがて致命的になる。
俺は静かに立ち上がり、松明の炎を彼の顔から少し逸らした。
「お前に提案がある。今夜、その砦のそばで薪を積んで火を焚け。兵が慌てて出てくれば、その混乱で我らが突入する。念のため言うが、奴らを皆殺しにするつもりはない。民と荷を巻き込まないようにする。協力してくれれば、お前と仲間の命は保証する」
クチルの瞳が一瞬揺れ、すぐに何度も首を縦に振った。
「……家族を、守りたいんです。ならばやります。約束を守ってくれるなら」
「その言葉に嘘はないな。お前の仲間も尋問している。偽りがあれば、隠しきれないからな」
「う、嘘などついていません」
必死の形相で男が訴える。
俺は短く頷き、穂北彦に視線を送る。
穂北彦も俺に頷き返す。
尋問はここまでで良いということだ。
「よし。一旦下がらせろ」
周りの兵がクチルを連行していく。
「多模の方と擦り合わせる。向こうの証言と齟齬がなければ、あいつから得た情報を元に軍を動かす。もし、食い違いがあった場合は」
俺は皆までは言わなかった。
穂北彦の緊張した顔を見れば、それが伝わっているとわかったからだ。




