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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第六十九話 不弥国

後の西都市の入り江から出た中型船に揺られながら、穂北彦ほきたひこ達と不弥国を目指している。

密使としてやってきた男も伴っており、現地についた後は、彼の案内で不弥国王に引き合わせてもらう手筈となっている。


穂北彦はずっと不機嫌そうで、俺とまともに目も合わせない。

俺もあいつと話すなんて願い下げなので、こちらとしても都合がいい。……というわけでもなく、共に戦うことになるのであれば、このままというわけにもいかない。

将が仲違いしている軍の脆さは、あらゆる兵法書で嫌というほど語られている。

漢で戦った胡軫と呂布なんかがいい例だ。


仕方ないので、ここは俺が大人になる。

あいつに聞きたいこともあるし。


俺は船縁にもたれて、海を眺めている穂北彦に近づいた。

なるべく友好的な笑みを、顔面に貼り付ける。


「なあ、穂北彦」

「何だよ」


不機嫌そうな返事。

この時点で俺の怒りのボルテージが上がるが、何とか耐える。


「いや、何見てるのかなって思ってな」

「海と空以外に何があるんだよ。つまんねえ事を一々聞くな。鬱陶しい」


こ、このクソガキ……。


「そ、そうだよな。悪かった。ところでさ、穂北彦」

「まだ何かあるのか?」


落ち着け。堪えろ俺。


「あ、ああ。その、日御子ってどうしてるんだ?」


実はこれが一番気になっていた。

都萬彦は俺が日御子に近づくのを禁止しているし、御子に聞こうにも中々会えない上に、あの人も日御子が邪馬壹国内の国々を回っていることくらいしか知らないようだった。

後はもう、穂北彦位にしか、聞く相手がいなかったのだ。


「お前、やっぱり姉上のことを狙っているのか」

「ち、違うそうじゃない」


俺はすぐに否定する。こんなやり取りはもう何度目だろう。


「お前のような奴の頭の中で、姉上が勝手に妄想の道具にされていると考えるだけでも怖気が走る。二度と姉上に近づくな、口にするな。考えるな」

「お前の思い込みの方が怖いよ……」


シスコンは相変わらず。どころか、ますます悪化しているな。


「大体お前だって知ってるだろ。俺は、なんていうかその、女性とは縁のない身体っていうか……」

「それもお前の作戦だろ。姉上を油断させてあわよくばってな」

「日御子にそんな思惑を抱いても、すぐにバレるだろ」


こいつ、分かってて言ってるよな……。


「タケルもお前とずっと一緒じゃ、さぞかし苦労してんだろうな」

「タケルか……。アイツはいい奴だ」

「なんだと?」

「タケルは、真っ直ぐなやつだ。お前みたいな腹の底の読めない人間と違う。一緒にいて気持ちがいい」


確かにタケルは裏表がない人間だ。話してて楽だし、安心する。

けど、タケルこそ日御子のことを俺以上に意識している。

穂北彦にとっては、その時点で気に入らない相手になるんじゃないのか?

まさか、タケルの日御子に対する気持ちに気づいていないのか。


「なあ、穂北彦。タケルと日御子の話しになったりするか……?」


藪蛇になるとイヤなので、それとなく探りを入れてみる。


「姉上の話しをするなと言っただろう」


穂北彦が軽く睨んでくる。


「タケルはここの底から、姉上のことを案じている。民たちは、姉上の力を崇拝し、救いを求める。だが、タケルは姉上の、一人の人間としての幸せを願っている。……あいつになら、姉上を」

「姉上を?」

「なんでもない」


怒ったような口調で言い放った。

何なんだこいつ……。


「……まあ、そういった意味では持衰、お前にも感謝している」

「俺に?」


穂北彦がそんなことを言うなんて、どういう風の吹き回しだ。


「兄上と一緒に、御子様と姉上を政治の場から切り離しただろ。初めは、兄上と共謀してこの国の実権を握るつもりだと思っていた。

だが、お前は本気で、姉上をしがらみから解放しようとしていたんだな」


日御子は生まれながらにして、共感覚という特異な力を持ち、王族でありながら御子の血を引くという理由で、幼い頃から人々に敬われてきた。

小さな国から出ることも、自由に外を歩くことも許されない。

そして御子の座を継げば、神殿の奥に閉じ込められ、人の声も、風の匂いも、届かない世界で生きていくことになる。


名誉なこと。そう言われるだろう。

その立場を羨む者も多いかもしれない。


けれど、日御子は違った。

名誉なんてどうでもいい。ただ、空を見上げて風を感じていたい。

自由でありたい。

それが、日御子のたったひとつの願いだったのだ。


「姉上は今、宮崇道士と協力して、新たに邪馬壹国に加わった国々に薬方所を作って回っている。神に向かって民の平穏を祈っているよりも、よっぽど活き活きとしておられる」

「え……?」

「お前が聞いたんだぞ。姉上が何をしておられるか」


日御子の幸せ。

それを願って、俺は行動してきた。

そのために俺はヒミコの傍を離れ、都萬彦についた。

タケルをも日御子から遠ざけてしまい、そのせいであいつは自分を見失った。


そうまでしたが、本当に日御子は幸せになれたのだろうか。

それはただの、俺のエゴだったんじゃないか。

その疑念と不安は、いつまでも消えなかった。


「日御子は……笑ってたか?」

「ああ。他の連中には分からんだろうが、弟の俺には分かる。

姉上は……笑っておられたよ」

「そうか。……なら、よかった。ありがとう、穂北彦」

「礼を言っているのはこちらの方だ。……気持ち悪い」


穂北彦は照れ隠しなのか、顔をそむける。


「けどな、穂北彦。お前は俺を恨んでないのか?」

「何がだ」

「俺は都萬彦の側につき、あいつを王に推している。

つまりそれは、お前の王位継承を妨げていることにもなる」

「下らない。俺は王位になんて興味ない。姉上と一緒にいられれば、それでいい」

「そうか」


自然と笑みがこぼれる。

胸の奥の靄が、少しだけ晴れていくような気がした。

俺の決断は、間違っていなかったのかもしれない。

穂北彦のおかげで、少しだけそう思えた。


不弥国に近い沖合にまで到着した。

そこには二艘の漁船が待ち構えていた。


「ここからは、こちらの舟にお乗り換え下さい」


不弥国の案内人の指示に従い、俺と穂北彦だけが漁船に乗り込む。

中型船でそのまま向かっては、ほぼ確実に奴国に気取られてしまうからだ。


中型船を置いて漁船はゆっくりと岸に向かう。

いよいよ、不弥国に辿り着いた。


不弥国は、現在の大分市に跨がる港町のような国だった。

海辺に家々が密集し、潮風に晒された板壁や、波で削られた杭が並んでいる。

小舟が入り江に幾つも繋がれ、浜には干した魚や海藻が並べられていた。


漁村だった、前世の頃の俺が暮らしていた集落を思い出す。

もう30年近く前の話だ。

だが、磯の香りに混じる潮の味、湿った風の感触は、今でも鮮明に覚えている。


不弥国は、かつての俺の村よりも遥かに大きな国だ。

だが、奴国の武力に屈し、無理やり属国の地位に落とされている。

港には奴国兵らしき見張りの姿があり、柵の門の前では、屈強な兵が長槍を構えていた。


住居が密集する狭い路地を抜け、中道を進む。

やがて、集落の奥に建つ王の屋敷が見えてきた。


案内人に導かれ、俺たちは王の前に通された。


王は40過ぎの男で、浅黒い肌に、潮風に晒された漁師のような逞しさがある。

背後には、数人の家臣が控えている。


「遠路よく参られた。邪馬壹国のお二方」


俺たちにかけたその声には、一国の使者に対するもの以上の敬意が込められていた。

それもそうだろう。今や邪馬壹国は九州の中でも一大国と見做されるほどの規模を誇っている。

しかも、あちらは自分達から援助を求めて来た立場なのだ。

気を使うのは当然だ。


「船で飛んできたので大したことなかったです」


俺は頭を下げながら答える。


「不弥国王、私は邪馬壹国の王子、穂北彦と申します。隣の者は持衰と名乗っている、漢で産まれた倭人です」

「漢で産まれたと」


不弥国王が目を見開く。

俺はこれまでの経緯を掻い摘んで王に伝えた。


「なるほど、邪馬壹国の急激な発展の裏には、持衰殿らの働きがあったということか」


不弥国王は感嘆とも畏れともつかぬ表情で俺を見つた。

俺は軽く会釈し、静かに応じた。


「漢より来たということは、戦を幾度も経験しておるのだな」

「はい。俺が寄越されたのも、その経験が今回の戦いで役に立つと判断されたからだと思います」

「ふむ。邪馬壹国王のはからいには感謝せねばなりませぬな。王子に加え、このような心強い人物を派遣して下さるとは」


王は深く頷く。


「この国は、あまりに長く、争いに巻き込まれてきました。奴国の圧政に抗う者は皆、容赦なく家族ごと焼かれた。我が国は、奴国王の前で膝をつかねばならなかった。だが――」


王の拳が、膝の上でぎゅっと握りしめられる。

手の甲に浮き上がる血管が、彼の屈辱を物語っていた。


「今こそ、真の意味で不弥国を取り戻したい。だが、我らの力では奴国には到底及ばん。だからこそ、恥を偲んで貴国に頼んだのだ。慈悲の国と名高い邪馬壹国にな」


王の言葉に、穂北彦が一歩前に出る。

まだ若いながらも、その眼差しは真っ直ぐだった。


「不弥国王。邪馬壹国は、民の願いに応える国です。あなたの国が、奴国の圧制に苦しみながらも独立を求めるならば、我々は全力で助力いたします」


堂々とした言葉だった。

俺も思わず、穂北彦の横顔を見つめてしまう。

この二年で、少年がしっかりと将の顔になっていた。


王はしばらく沈黙していたが、やがて静かに口を開いた。


「……ありがたい。だが、我が国にはすでに奴国の兵が駐屯しておる。表立っては動けぬ。お二方の存在も、臣下の一部にしか知らせてはおらぬ」

「でしょうね。あまり表立って動くことはできないとは思っていました」


俺が答えると、王は頷いた。


「左様。なのでここから先は、我が腹心と話し合って頂き、表向きはその者が主導して動いていくこととなります」


すると後ろに控えていた若い男が進み出てきた。

歳は穂北彦と同じくらいだろうか。


「お初にお目にかかります。此度の戦で兵を預けられました、多模たぼと申すものです」


その若者、多模は俺たちに向かって深々と礼をした。


「穂北彦殿、持衰殿。多模は若いが武勇に優れ、頭も切れる。漢で経験を積み、またはその教えを受けた貴殿らには見劣りするやもしれぬが、足手まといにはならぬと思う」


王の言葉に続くように、再び多模が頭を下げた。

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