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倭国大乱 〜『観測者』は転生し、全ての歴史を見届ける〜  作者: 明石辰彦
第ニ章

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第六十三話 聖女

その後、御子は王たちを神殿へと呼び出し、於登の口を通して神意を告げた。

実際には俺が御子に言わせた言葉なので、少し胸が痛んだ。

それでも御子を救うためなら、安い代償だと思えた。


都萬彦どころか、王ですら最初は難色を示した。

だが「これは次期御子候補、ヒミコに課せられた試練である」という一言が、王の心を動かした。

それに、邪馬壹国の人々は“共感覚”という言葉を知らなくても、ヒミコの特別な力を理屈抜きで信じている。

その信頼が、最後には王の首を縦に振らせたのだろう。


そして神託の儀のあと。


ヒミコは御子候補たちを前に、静かに口を開いた。


「於登。あなたたちも、今までのような、過度な祈りはしなくていい……」

「ですが、ヒミコ様。私たちは、そのために――」

「大丈夫。神のお声が聴こえなくても、わたしたちの声は、神に届いてる。だから……ただ祈るだけで、いい」


アルコールや幻覚作用のある、所謂マジックマッシュルームと呼ばれるようになる茸を香に混ぜ、無理に祝詞のりとでトランス状態へ導く神託の儀。

それがどれほど危険なものか、宮崇から薬学を学んだヒミコにはよく分かっていた。

ヒミコは御子だけではなく、侍女たちも救おうとしているのだ。



そして御子の予想通り――

その後も、邪馬壹国に加わりたいという国が、時折名乗りを上げてきた。


ただひとつ、御子の言葉に無かったのは、

その勢いが加速度的に増していったということだった。


原因は、言うまでもない。

ヒミコの存在だ。


各国からの使者や王たちは、まず彼女の姿を目にして息を呑む。

白装束に、繊細な金糸をあしらった装飾品。

まるで神の依代のように、透き通るような存在感を放っていた。

そこにいるだけで、場の空気が変わる。

それほどまでに、彼女は人の領域を超えた気配を纏っていた。


そして何よりも、人々を惹きつけ、畏怖させたのは、その琥珀色の瞳だった。


ヒミコの瞳は、まるで心の奥を覗き込むように相手を見つめる。

実際には、彼女の共感覚が五感を連動させ、

声の震え、呼吸、香、温度――その全てから相手の感情を読み取っているのだ。

だが、そんな理屈を知らぬ人々にとって、

それは千里眼のようなものにしか見えなかっただろう。


ヒミコの評判は、王や有力者の間だけでは収まらなかった。


各国の目的は、ただ邪馬壹国に属することだけではない。

俺たち“船の民”がもたらした漢の技術力、その恩恵にあずかること。

それこそが、彼らの真の狙いだった。


造船、航海、製鉄、薬草、織物――

それまで倭の各国が断片的にしか持たなかった知識が、邪馬壹国を通して体系化され、流通しはじめていた。


当然、技術を広めるために、俺は代表として、他の船の民たちと各国を巡ることになる。

その度に、ヒミコは俺に随伴した。


正直、ヒミコがそんなことをする必要は全くない。

けれども、それは彼女の義務感や使命感から来るものではない。

ヒミコは以前俺に言っていた。“わたしは邪馬壹国から出たことがない。この山の向こうがどうなっていて、海の向こうにはどんな国があるのか。本当には知らない。まだ見ぬ世界にはどんな光景が広がっているのか。それが気になって仕方がない”と。

これは、ヒミコにとっては幼い頃からの夢を叶えることと同義なのだ。


使者たちの言葉だけではなく、実際にヒミコに各国を見てもらうことで判ることもある。

そう王を説得した。

属国ならば邪馬壹国領内。それならば安全だろうと、王は護衛をつけることを交換条件に許可してくれた。


こうして、ヒミコは俺たちと共に、様々な国を巡った。

知らない土地、知らない人々。

彼女の表情は相変わらず読み取りづらい。

それでも、その瞳の奥に宿る輝きから、胸の高鳴りは容易に感じ取れた。


初めて見る大河の流れに、静かに息を呑む。

市場で交わされる活気ある声に、そっと耳を傾ける。

子どもに花を差し出され、少しだけ微笑む。


そのどれもが、ヒミコにとって“はじめての世界”だった。


だが、感動していたのはヒミコだけではない。

彼女を一目見た現地の民たちもまた、深い衝撃を受けていた。


倭国では滅多に見られない、灰褐色の髪。

陽光を受けるたびに、まるで白銀の糸のように輝く。

慣れない人間には無感情にしか見えないヒミコの表情。

だが、それこそがヒミコの神秘を際立たせ、

見る者の想像を限りなく掻き立てた。

風に揺れる絹布のドレス。小国の王や有力者ですら手にできぬほどの贅。

繊細な織りと光沢が、彼女の高貴さを何より雄弁に語っていた。


その全てが一つになって、ヒミコという存在を形づくっていた。


人ならざる美。

だが、確かに“人”としてそこに立つ少女。


彼女を目にした瞬間、誰もが言葉を失った。

それは畏れではなく、ただ圧倒的な感動。

まるで、遠い神話が現実に降り立ったかのように見えただろう。


だが、人々を惹きつけたのは、そのビジュアルだけじゃなかった。


旅の先々で、ヒミコは数多くの病人や怪我人を目にした。

飢え、熱、咳。

疲れ切った母親が子を抱きしめ、男たちは無力感に打ちひしがれている。


そんな中、ヒミコは迷うことなく手を差し伸べた。

宮崇から教わった医療の知識を思い出しながら、薬草を選び、煎じ、傷口を洗い、布で包む。


彼女の指先には、一切の迷いがなかった。

そして、その動きには、確かな優しさがあった。


「大丈夫……もうすぐ楽になるから」

「……ありがとう、ございます……」


信じられないという表情で、人々はヒミコを見上げる。

それも無理はない。

見ず知らずの、しかも雲上の身分にある人間が、見返りも求めずに、膝をついて自分たちを救っているのだから。


立ち上がったヒミコの裾は、土に汚れていた。

純白の衣だからこそ、その汚れが一層際立つ。


「み、御子様……。お召し物が」


慌てふためく人々。

まるで、自分たちの命よりもヒミコの衣の方が大切であるかのようだった。

その様子を見て、俺は胸が締めつけられる。


――人は皆、等しく生まれ、等しく生きる。

俺にとっては当たり前のことが、この時代ではまだ“夢物語”なのだ。


「大丈夫……そんなことより、痛いところや、苦しいところ、ない……?」


その声に蔑みや、憐れみはなかった。

ただ、自分と同じ人間に対する気遣いがあるだけだった。


「なあ、持衰。やっぱりヒミコって、なんていうか……」

「うん、わかるよ。わかる」


護衛として同行していたタケルまでもが、

ヒミコを見つめて茫然としていた。


「タケル。お前、“俺も怪我したらヒミコに手当てしてもらえるかも”とか思ってるだろ」

「お、おお、思ってない」


……思ってたな。



タケルのようなヒミコ信者が、九州中部で爆発的に増えた。


比喩ではない。

本当に“神の使い”として、ヒミコを崇め奉っているのだ。


邪馬壹国の傘下に入る国々も、民の声に後押しされるように増えていった。

最初の頃は、俺たち“船の民”の技術力が目当ての国ばかりだった。

だが、今は違う。


もはや技術や交易などどうでもよく、ただ“ヒミコに仕えたい”そう願う国が圧倒的に多数を占めるようになっていた。


そして、あっという間に2年が過ぎた。


その頃には、九州中部から東部にかけての大半が邪馬壹国の支配下に入っていた。

末盧まつろ国、伊都いと国、国、投馬つま国。

四強国に並ぶ、第五の勢力として、邪馬壹国の名は、ついに九州全土に轟いた。



西暦196年。


俺は邪馬壹国が見渡せる丘の上に座り込み、眼下に広がる入り江を眺めていた。


「なあナビ。これも歴史の強制力によるものなのかな」


俺は虚空に向かって声をかける。

そこにナビの姿が浮かび上がる。


「俺は最初、ヒミコの力と、人を引き寄せ過ぎる魅力に警戒心を抱いた。人々の信仰心が、いずれ黄巾の乱のような地獄を作り出すことになるんじゃないかって」


ナビは黙って、俺の言葉に耳を傾けている。


「けど結局、俺はヒミコの力を利用している。御子様に会って、あの人を救いたいと思ったからだ。彼女に仕える御子候補達も」


御子や巫女たちが行っている、神と繋がるための儀式。それは薬物と自己催眠による、命を削る行為だった。

並の人間が神と交わろうとすれば、相応の代償を伴う。

だが、ヒミコは唯一あっさりと、神と人の垣根を飛び越える。

御子たちを救うため、俺は彼女にその役目を負わせた。

その結果がこれだ。

今や邪馬壹国だけに留まらず、ヒミコの名は九州全土に知れ渡っているだろう。

着々と、歴史は女王卑弥呼の誕生に向かって進んでいる。他でもない、俺の意思によって。


でも、俺はヒミコの言葉を思い出す。


“わたしは、御子にはなりたくない”


消え入りそう声で、でもはっきりと、あいつは俺にそう言ったんだ。


おそらく、ヒミコが女王になる日は必ず訪れるだろう。

けど、今じゃない。少しでも、ヒミコに自由な時間を与えたい。


そのための鍵を握る人物。


都萬彦。


あいつを、何としても俺の味方に引き入れる。

失敗すれば、御子もヒミコも救うことができなくなる。


「キミが何を考えているか、何となくはわかる……」


ずっと黙っていたナビが口を開く。


「漢の時とは違って、キミ自身に命の危険はない。だから、今回はわたしは止めない。けど」


少し言い淀んでから、ナビは続ける。


「おそらく、キミの思い通りにはいかない」


その声音には、優しさと悲しみが入り混じっていた。

だからこそ、俺は悟る。

彼女の言葉が、真実なのだと。


「精々がんばるよ」


俺は無理に軽口を叩いた。

いつの間にか、辺りは夜の帳に包まれていた。

入り江の真ん中に月が映し出され、夜空に星々が瞬いている。

ここに来て、俺が一番気に入った風景だった。


「サイ……?」


背後で声がした。

この星空に相応しい、静かに響き渡る綺麗な音だった。

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