表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
倭国大乱  作者: 明石辰彦
第ニ章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

61/95

第五十九話 彼女の世界

後日。時間を合わせ、俺はタケルを家に招いた。表から入ると、早速宮崇とヒミコが一緒にいた。

隣のタケルが固まるのが気配でわかる。

こんな調子でよく会おうと思ったよな……。



「ヒミコ様、火が…。薫りを」

「わかった……」

「よろしい」


宮崇とヒミコは集中していて俺たちに気づかない。

それはいつものことなのだが、宮崇のヒミコへの態度が気になった。呼び方が、いつの間にかヒミコ“殿”からヒミコ“様”になっている。


「あれ、タケル君。久しぶりだね」


宮崇達よりも先に、母さんが俺たちに気付き、声をかけてくる。


「随分大きくなったね。元気だった?」

「ああ。おばさんは変わりないね」


タケルと俺は子供の頃から仲が良かった。母さんとも顔馴染みだ。


「ヒミコちゃん達、集中してるとなんにも聞こえなくなっちゃうから、こっちで待ってて」


母さんに促され、俺とタケルは囲炉裏の脇に腰を下ろした。

薬草を煎る香りが、部屋の隅々にまで満ちている。

かすかに甘く、土の匂いが混じったような落ち着く香りだ。


タケルはというと、何かに魅入られるように、真剣に薬草と向き合うヒミコの横顔を眺めている。

邪馬壹国で暮らし初めて1年以上になるが、その間タケルはヒミコと会話はおろか、間近で見る機会もなかった。

恋い焦がれた女性が、今手の届く距離にいる。

俺はまともに恋愛したことはないけど、大好きな人に久しぶりに会えた喜びは、俺にも想像はできた。


「熱が」

「わかった……風を」

「どれほど」

「……半分」


火皿の上で、薬草がかすかに焦げる匂いが立ちのぼる。


宮崇が頷く。ヒミコも、静かにうなずき返す。


「……煙、上がらない」

「昨日の分が」

「……わかった。ならほうじる。次からは北で」

「良い判断です」


相変わらず会話に無駄がない。無駄がないというか、必要なことまで削ってる気がするけど。


「おい。なあ、おいって」


隣のタケルが俺の袖を引く。


「……おい、今の会話、成立してるのか?」

「してるよ。あの二人、元々口数少ないからな。なんか息が合うみたい」


タケルは俺の説明を聞いても、完全には理解が及ばないようだった。

無理もない、俺も初めはそうだったし、宮崇とヒミコの3人で話していると、2人の会話に追いつけないことも多い。


「けど……」


タケルが呟く。


「ヒミコ殿、凄く楽しそうだ。それだけは、わかる」

「うん、そうだな」


火皿の炎に照らされて、ヒミコの髪が照らされる。

秋なのに汗ばんでおり、頬を伝う。

その姿は16歳の女の子にしてはやけに艶めかしい。

けど、真剣に宮崇から教えを受けるヒミコの表情はとても活き活きとしている。

今のヒミコは王女でも、神の下僕しもべでもなく、好きなものに熱中するごく普通の少女だった。


「今日は」

「うん。わかった……ありがとう」


ヒミコと宮崇が手を止める。

火に当たり続けていたために、2人とも汗だくだ。


「お疲れ様。これどうぞ」


母さんが2人に水を差し出す。


「かたじけない」

「ありがとう……母上」


宮崇とヒミコの返事に母さんが笑顔で応える。

ヒミコはいつの間にか、母さんのことを“母上”と呼ぶようになった。

母さんもそれが嬉しくてしょうがないようだ。

娘ができたように思っているみたいだった。


「どうぞ」


俺とタケルにも水を用意してくれた。

わざわざ井戸から汲んできてくれたのだろうか。


「ありがとう」


俺も母さんに礼を言う。

だが、タケルはそれどころじゃないようだった。

俺を凝視しながらわなわなと震えている。


「どうした?」

「おま、お前、ヒミコ殿が、おばさんを、はは、母上って……。お前、お前それまさか」

「バカ違う。そういう義母的なアレじゃない。また妙な勘違いをするな」


俺は必死に否定する。


「タケル……?」


俺達の声で、ヒミコが俺とタケルの存在に気づいたようだ。

すぐにこちらに駆け寄ってくる。

走るたび、薬草と汗の甘い匂いが混じったような香りが漂う。


「久しぶり、タケル。会いたかった……」


俺と再会した時と同じような言葉を、タケルにもかける。


「ヒ、ヒミコ殿。お久しぶりです」


ガチガチになりながらも、何とかタケルがヒミコに返事をする。

おお、成長したじゃないか。


「ヒミコ」

「そ、そうだった。えーと、ヒミコ……」

「うん」


ヒミコが満足そうに頷く。

そしてタケルの隣に腰を下ろした。

腕に、ヒミコの肩が触れる。

タケルの顔がどんどん紅潮して、汗が吹き出てくる。心臓の鼓動がこちらにまで聞こえてくるようだ。


「タケル、何でここに……?」

「タケルもヒミコに会いたかったんだって」

「ば、バカ、持衰、余計なことを」

「タケル、わたしも嬉しい。あなたは、友だちだから……」

「と、友。俺が」


タケルは感無量といった様子だ。

仮に友だち止まりだったとしても、今のタケルにとっては十分なのかもしれない。

うんうん、これくらいだったら、微笑ましく見ていられるぞ。


1人頷いていると、ヒミコが黙って俺たち2人を眺めているのに気づいた。

何か言いたげなように思える。


「どうした、ヒミコ」

「サイ、タケル。わたし……ふたりに会ったら、お願いしたいことが、あった」

「お願い?」


俺とタケルは顔を見合わせる。

ヒミコからのお願いか。全く想像がつかない。


「三人で、山に行きたい。狩りをして、走り回って、川で水を飲んで……。二人と、遊びたい……」

「ヒミコ……」


それが、彼女のお願い。

初めて会った時、ヒミコは1人で狩りに出かけていた。

こっそり抜け出しては、同じようなことを何度もしていたようだった。

野を駆け回り、自然の声に耳を傾ける。それが、ヒミコにとって幸せなことなんだろう。

けど、ずっと1人だった。


歳の近い友達と、思いっきり遊んでみたい。

普通の人間なら当たり前に許されることを、実は心の奥底で、ヒミコはずっと願っていたのかもしれない。


「お前、また勝手なことを」


俺も立ち上がってタケルに目線を合わせる。


「ヒミコの立場を考えて言っているのか?もしこのことが知れて問題にでもなれば、俺たちだけでなく、船の民みんなにも迷惑がかかるかもしれないんだぞ」


折角ここまでうまくいってるのに、それを壊すような危険はおかせない。


「なんだよ持衰、ノリが悪いな。漢にいた時のお前だったらもっと……」

「漢の時とは違うんだよ」


俺は溜息をついた。

上の立場になって初めてわかった。

俺の肩には、みんなの行く末が乗っているんだ。孫堅と、首長との約束も。

以前のように、個人的な願望や同情心だけで、軽率に動くわけにはいかない。


「サイ。ごめんなさい……。困らせる気はなかった……」

「ヒミコ……」

「忘れて。こうして、ここでみんなに会える。それで、十分……」

「いや、ヒミコど……、ヒミコ。安心してくれ、持衰が行かなくたって俺一人でも、」

「お前、なに勝手なこと……」

「閃いた」


突然母さんが手を叩いて声を出す。

皆の注目が母さんに集まる。

母さんは、得意げにニヤニヤと笑っていた。


翌日。

ヒミコがまた我が家へとやってきた。

ヒミコは白い着物が好きで、今日も養蚕場で作った純白の絹布で織ったドレスを身に纏っていた。


入れ違いに俺と、麻布の頭巾を被った母さんが外に出る。

弓を番え、腰袋を提げて山へと向う。

薬方所や田畑からも薬草と食料は得られるが、時には自分たちで採取や狩りに向うこともある。


村から西にある森に分け入っていくと、程なくタケルに合流した。


「うまくいったようだな」

「ああ。もう大丈夫だ」


俺は母さんに、母さんの着物を纏ったヒミコに声をかけた。

白布の頭巾の奥、琥珀色の瞳が覗く。

被っていた布を取り払うと、ヒミコの白銀に輝く長い髪が流れ出る。


顔を出したヒミコは、大きく息を吸った。

目を閉じ、ゆっくりと、吐く。


森を渡る風が、彼女の髪をそっと揺らした。

湿った土の匂い、木の葉の擦れる音、遠くで啼く鳥の声。

ひとつひとつを胸の奥で感じ取るように、ヒミコは静かに立っていた。


「サイ、タケル。……ありがとう」


振り返ったヒミコの頬に、木漏れ日がこぼれる。

その瞬間、彼女の唇が柔らかくほころんだ。

初めて見る、満面の笑顔だった。


こんなふうに、笑うこともできたのか。


ヒミコの笑顔は、眩しくて、綺麗で、そして少し儚げで……。

この笑顔を守るためなら、俺は何だってする。

そんな衝動が胸の奥から込み上げてきそうになった。



「……行こう」


そして、ヒミコが駆け出した。

白い裾が風を切り、木漏れ日の中を跳ねるように進んでいく。


彼女の笑顔に当てられていた俺たちは、一瞬出遅れた。

我に返って慌てて後を追う。

普段のおっとりした印象からは想像もできない。

枝を避け、岩を飛び越え、まるで森そのものと呼吸を合わせているかのような身のこなしだ。


狩りの腕前も相当だった。まるでどこに何がいるのか分かっているかのように獲物を捉え、一瞬の風の流れを読み、矢を放つ。

音もなく飛んだ矢が、正確に獲物の急所を射抜いていく。


タケルも負けていない。

筋肉が盛り上がり、太い弓が唸る。

矢は一直線に鹿の首を貫き、その巨体が地に沈んだ。


俺はというと、成果なし……。

観測者補正で、動く獲物は止まって見える。見えるんだけど当たらない。

的が止まってるからって、矢が命中するとは限らないのだ……。


「やり過ぎると、山の神が怒るから」と、ヒミコは途中で狩りを切り上げた。

その後は木の実を採りながら、山の頂上を目指した。

いずれもヒミコは本当に楽しそうだった。


やがて川に降り、岩に腰を下ろす。

冷たい水が足を包み、疲れを癒してくれる。


「ヒミコの弓は凄いんだな。熟練の兵も顔負けだ」


タケルがヒミコの腕前を讃える。狩りなどを通して、ようやくヒミコとも普通に話せるようになってきた。


「山や風が教えてくれるから」


ヒミコは何でもない事のように応える。表情は柔らかいが、いつもの無表情に近い。あの笑顔はかなりレアなのだろう。

カメラがない時代なのを、これほど恨んだのは初めてだ。


「山が教えてくれるか……。凄いな。俺も修行すれば、ヒミコや持衰みたいに、普通では見えないものが見えるようになるのかな」

「わたしは、最初からそうだったから、わからない……」

「そっか、残念だな」


俺から見ればコイツも十分化け物なので、これ以上余計な力を身に付けなくていいと思う。


「なあ、ヒミコ。気になってたんだけど、ヒミコにはこの世界がどんな風に見えてるんだ?」


俺の問いに、ヒミコは一瞬だけ考え込む。

指先で草をなぞりながら、静かに言葉を探すように。


「どんな風に……。ふつう……だと思う」


少し戸惑いながらヒミコは答える。

困らせちゃったか……。そうだよな、ヒミコの見てる世界が俺に分からないように、俺たちの“ふつう”もヒミコには見えない。

説明しろって方が、無理な話か。


「例えば、ヒミコは良く、人の言葉から色が見えるって言うだろ?俺たちには、言葉を聞いても、音でしか感じられないんだ。けど、ヒミコは違うんだろ?」

「うん。その人自身と、その人の今の気持ち。それが、言葉と一緒に混じり合って色を持つ……。でも、時々、理解できない色も見えたりする……。わたしの当たり前が、どこまで皆の当たり前なのか分からなくて、困るときが、ある……」


ヒミコの口数が少ないのは、そういう理由もあるのかもしれない。

人との関わりが、億劫になることも多いだろう。


「凄いな。ヒミコは。だから相手のウソも見抜けるし、神様の声を聞けたりするのか」


ヒミコの気苦労も知らずにコイツは……。

幸いヒミコは怒る様子もなく、タケルに少し微笑む。

こういう裏表のない直球野郎の方が、ヒミコにとっては楽な相手なのかもしれない。


「うーん、間違いないね。やっぱりヒミコは“共感覚”の持ち主なんだよ」

「共感覚?」


ナビの声に反応する。


「共感覚って言うのはね、簡単に言うと、一つの刺激に対して、本来とは別の感覚も同時に立ち上がる現象のこと。今ヒミコが話してた人の声に色が見えるっていうのは、聴覚と同時に視覚も反応しているってことだね」

「それって、超能力的なやつでは無いのか?」

「違う違う。まあ、一種の個性かな。キミがいた時代にだって、程度や症状の差はあれ、共感覚の持ち主は大勢いたんだよ」

「大勢って、どれくらい」

「正確にはわからないけど、2000人に1人くらいって話もあるね」


つまりこの時代にも、ヒミコと同じような人が他にいてもおかしくないのか……。


「ヒミコが共感覚だと考えれば、彼女のこれまでの言動や、異常な記憶力にも全て説明がつく」


ナビが指を一本立てる。俺に何か説明するときの、彼女の癖だ。


「例えば、人の声って、必ず感情が乗るよね?勿論、声音なんかを変えて、相手に悟られないようにすることは出来る。でもヒミコは音だけでなく、声の色も見て判断する。仮に嘘をついたら、聞こえ方は一緒でも、声の色は変わっちゃう。だからヒミコは他人よりも、相手の言葉の真偽を見定めるのが得意なんだね」


なるほど、初めてヒミコに会った時、妙に俺たちのことをすぐに信用してくれたと思ったけど、俺の言葉に“嘘の色”が見えなかったからか。


「記憶力もそうだね。子供の頃にちょっと習っただけで、漢語を操れたり、宮崇に教えられたことをどんどん覚えちゃうのも、共感覚がなせるわざだね」


どういうことだ。

俺は表情で疑問を伝える。


「ヒミコは言葉だけでなく、おそらく文字や数字にも色、あるいは匂いや音を感じているはず。五感を連動させて物事を覚えるから、一つの感覚だけに頼るより多層的に物事を捉えられて、記憶が定着しやすい」


なるほど、何かを覚える時の脳の働きの段階から、ヒミコは俺たちとは違うプロセスを踏んでいるのか。


「自然の中に神の意思を感じるっていうのも、思い込みなんかじゃないんだろうね。ヒミコは、例えば単なる風の音や陽の光の中にも、様々な意味を見出すことができるんだよ。彼女は本当に、自然と繋がることができる。それを彼女は“神の意思”と解釈しているんだと思う」


それが、ヒミコの力の正体か。


「けど、デメリットもある。単純に疲れやすいんだよ。何かを見たり聞いたりした時に、普通の感覚なら視覚や聴覚だけで済む。なのに共感覚の持ち主は、他の感覚も反応するから騒がしい」


そうか、ヒミコは大きな声を聞いたり、大勢に囲まれている時に不快感を示していた。

その理由がそれか。

それに、相手の気持をわかりすぎるのも考えものだ。

知りたくもない他人の悪意がはっきりとわかってしまうんだから。


「弥生人はキミたちより自然に根差して生きている。未来の共感覚者より、ヒミコの感覚はより鋭敏なのかもしれない」


ヒミコの生きづらさを思って、ナビが自分のことのように悲しそうな顔をする。

俺自身も、ヒミコの世界を見ることはできなくても、ほんの少しだけ、彼女の気持ちが理解できた気がした。

「終わったか?」


突然、タケルが俺に声をかけた。


「え、な、何が」

「いや、また神様と話してたんだろ?」


タケルが平然と聞いてくる。

しまった。声を出さないようにしていたけど、また気づかれていたか。


「ヒミコにも、持衰の神様が見えるのかな」


タケルがヒミコにも話しを振る。

タケルの言葉に答える代わりに、ヒミコが俺の方に顔を向ける。

その瞳に、俺の心臓は跳ね上がった。

ヒミコは俺の方を見ていない。





その視線の先には正確に、ナビの姿があった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ