第五十八話 来客
王の宮や神域、政庁が立ち並ぶ丘の麓に、俺の家はある。
“家”といっても、普通の住居とは違う。半ば公的な施設のような造りだ。
壁は焼いた粘土を積み上げ、目地に稲藁と泥を詰めて補強してある。
屋根は厚い桧皮葺きだが、軒の反りは漢の建物を真似たものだ。
入り口の上には、丸太を削って梁を渡し、白く塗った漆喰の壁が陽の光を反射して眩しい。
中央の広間は吹き抜けになっており、炉と薬研、乾燥棚、甕、香炉などが整然と並ぶ。
棚には薬草の束がぎっしりと詰められている。
倭人村の時と同様、俺の住居は勝手に薬方所にされてしまっていた。
船の民も当たり前のように、俺の家をそういった造りで建設し、都萬彦もこのことに関して、珍しく口を出さなかった。
どうも宮崇が都萬彦に根回ししたらしい。
宮崇を連れて都萬彦に初めて会った日。
あの時に披露した宮崇の医療知識と、その根底にある実用主義的な考え方。
都萬彦それらを高く評価し、宮崇にはそれなりの信を置いているようだ。
宮崇の目論見通り、アイツの要望はかなり通りやすくなっている。
中に入ると、宮崇が仏頂面で何やら作業をしていた。
「今日はここにいたのか」
「ああ」
宮崇が短く返事を返す。
邪馬壹国に薬方所は三カ所。
入り江の北の中央の村、薬草採取所に一つ、南側中央の養蚕所に一つ。そして、丘の上のこの村に俺の住居兼、薬方所が一つだ。
宮崇はその3つの薬方所を順次回っている。
最早諦めているが、当然のようにここにいる時は、母さんがいても寝泊まりしていく。
母さんも率先して宮崇に協力していて、下手な人間よりも薬学に精通しているほどにまでなっている。
「母さんは?」
「奥にお見えだ。夕餉を整え、お前の帰りを待っておられる」
今日帰ることは、使いを出して知らせてあった。
すぐに食事ができるのはありがたい。もう腹ぺこだ。
中央の広間の脇にある扉から、住居区間へと入る。
奥に行くと、湯気とともに食欲を唆る香りが漂ってくる。
囲炉裏の前に母さんが座っている。
「お帰りなさい」
微笑みながら、母さんが俺を出迎えてくれた。
「ただいま、母さん」
やはり、家に帰って母さんの顔を見ると安心する。
そして、気が抜けたのかどっと疲れが襲ってくる。
最近休みも取らずに村々を行ったり来たりしていた。
加えて、慣れたつもりではあったけど、都萬彦に見られながら仕事をしていると、未だに肩に力が入ってしまうようだ。
思ったより疲労が蓄積している。
「ファイ、おふぁえり。いふも、おふろうふぁま」
母さんに向かい合うように、ヒミコが座っていた。
美味しそうに小魚を頬張っている。
「おいおいヒミコ、王女様がはしたないぞ。挨拶は呑み込んでからでいいから」
俺と母さんはくすりと笑う。
楽しそうに微笑む俺と母さんを見て、ヒミコも目を細める。
穏やかで、幸せな時間。なんだか久しぶりだ。
俺、母さん、それにヒミコ……。
……ヒミコ。
「ヒミコ!?」
俺は口にしていた貝汁を盛大に吹き出す。
自然。あまりにも自然に、当たり前のように家の中にいるせいで、何の疑問も持たなかった。
「ひ、ひひひ、ヒミコ。何でここにヒミコが?」
俺は疲れすぎて幻でも見ているのだろうか?
俺の家にヒミコがいて、あろうことか一緒に食卓を囲んでいる。
全く現実感がわかない。
「家、近いから」
「そうよ。ご近所さんなんだから、家に訪ねてきたっておかしくないでしょ?」
「「ねー」」
息を合わせて相槌を打ち合う。
確かに、俺の家は今、普段ヒミコのいる神域の丘の麓に建っている。
歩いても割と近い距離だ。
けど、そういう問題じゃないだろ。
王族であり、次期御子の最有力であるヒミコが、家にいちゃまずいだろ。
“今度は持衰がヒミコ様を連れ込んだ”なんて噂が立てば、今度こそあの御子候補達がタダでは済まさないだろう。
「ひ、ヒミコ、まずいって、勝手に抜け出してこんな所にいたら。バレたら、今度は何されるか……」
俺はしどろもどろだ。何とかしてヒミコを帰さないと。
「サイは、わたしと一緒は、いやなの……?」
ヒミコが少し悲しそうに俺を見つめる。
そんな目で見ないでほしい。
「いや、じゃないけど……」
「こら、ぼうや。ヒミコちゃんを虐めちゃダメでしょ」
母さんが俺を叱責する。
ていうか、王女様に向かってヒミコちゃんて……。
俺もたいがい呼び捨てだけど。
「いや、母さんも母さんだ。ヒミコは王女様なんだよ。勝手に家に上げたら、怒られるじゃ済まないってわかってるの」
「関係ない。ヒミコちゃんはお母様を早くに亡くされて、ずっと寂しい思いをしてきたのよ。同じ年頃のお友達と、自由に遊ぶこともできなかった」
母さんはヒミコに近づき、その細い身体を抱き寄せる。
「だから、わたしが、ヒミコちゃんにいっぱい甘えて貰うの。あなたもヒミコちゃんと仲良くしてあげなさい」
「だ、だめです。ヒミコは王族なんだ。家には居られません。帰してきなさい」
心を鬼にして母さんに伝えるが、一層強く抱きしめて離そうとしない。
ヒミコは母さんに頬を擦り寄せている。
何となくご満悦そうだ。
「ヒミコちゃんに意地悪するなら、あなたはもう家の子じゃありませんよ」
「かあさん……」
弱った。どうしよう。
このままじゃ俺だけでなく、母さんにまで危害が及びかねない。
俺が頭を抱えていると、のそりと宮崇が中に入ってきた。
「宮崇。ヒミコがいるなら先に言えよ」
「聞かれなかったからな」
いけしゃあしゃあとコイツは……。
「そもそも、お前がいながら何でこんな……」
「わたしが招いたからだ」
「……は?」
宮崇が俺の言葉を遮った。 あっけにとられる俺に向けて、淡々と告げる。
「王に進言し、正式に御沙汰を頂いた。ヒミコ殿には、薬学と医術、いや、我が師于吉先生の“太平清領書”の教えを全て修めて頂く」 「……宮崇、お前まさか、本当に」
漢人である宮崇がここにいる理由。 それは、俺たち船の民のためだけでも、ましてや邪馬壹国のためだけでもない。 もっと、より多くの人間を救うために、その素養に恵まれた、于吉の後継者を探すこと。 そして宮崇は、ずっとヒミコに興味を抱いていた……。
「初めてお会いした時に確信した。わたしは、この方に会うためにここへ来たのだと。この方こそ、于吉先生が仰っていた人物に違いないと」
宮崇の言葉は、激しい使命感と決意に溢れている。 ここまで感情を表に出したのは、于吉と別れる際に涙した時以来だ。
「私は今後この方に仕え、全てを捧げる。ヒミコ様なら張角のような愚行は犯さぬ。正しき意味で、于吉先生の道術を継承して下さるだろう」
――道術。
「魏志倭人伝に、卑弥呼は“鬼道”を操ったと記されているよね」
ナビ……。
「同時期に興った、太平道や五斗米道と、何か関わりがあるんじゃないかって説もあるけど、こんな風に繋がるなんてね」
宮崇が今ここにいるのは、俺が歴史に干渉したからであり、実際の歴史の中で、卑弥呼がどこで鬼道を習得したのかはわからない。
だが、“歴史の強制力”が俺の介入をも過程へと組み込み、同じ結果に結びつけた。
やはり、ヒミコは、卑弥呼になるのか……。
ヒミコはそれからというもの、ほとんど毎日のように我が家を訪れるようになった。
夜が明けると現れ、夕暮れまで宮崇の言葉を一つも聞き逃すまいと、炉のそばに座り込む。
教えは薬草や医療の域を超えていた。
人の身体のしくみ、病が生まれる仕組み、風や湿気、食事の違いが体に与える影響。
さらには、天気の移り変わりから農作の兆しを読む方法まで。
宮崇が伝える于吉の教えは、“神の力”ではなく、“理”としての医術。
神仙思想も組み込まれているが、殆どが科学的な見地に基づいていた。
と、思う。
ヒミコの学習能力は異常だった。理解が早く、一度覚えたことは決して忘れない。
砂が水を吸い込むように、知識を身につけていった。
「な、なあ持衰。お前ん家、ヒミコ殿が良く来てるって本当なのか?」
ヒミコが家に来るようになって2ヶ月ほど。流石に噂にもなっているか。
現場で居合わせたタケルに問い詰められた。
「ああ、本当だ」
隠してもすぐバレるので、俺は正直に告げる。
「な、お前。何でそれを、俺に黙ってるんだ。俺だって、俺だって……ヒミコ殿に……」
タケルがモジモジし始める。
この1年でタケルの身体は一回り大きくなった。
逞しい身体でこんな動きをされると、正直気色悪い。
「ズルイぞ持衰。お前ばかり。まさかお前、ヒミコ殿の家に忍び込んだって話も本当なのか。俺はお前はそんなことはしないって信じていたのに」
タケルが俺に掴みかかってくる。
照れたり怒ったりで忙しい。
というか、また噂に尾鰭がついている。
「落ち着け。俺だって殆ど家に帰れてないんだ。会ってるのは主に宮崇と母さんだけだ」
「それでも時々は会ってるんだろ。持衰という立場を利用しやがって。神への冒涜だ」
ダメだ。全く納得してくれない。
「わ、わかった。じゃあこうしよう。お前、休みの時に俺の家に来い。それで、ヒミコに会わせてやる」
タケルの動きがぴたりと止まる。
「い、いいのか。会えるのか、ヒミコ殿に……」
「あ、ああ。ヒミコはお前にも会いたがっていた。顔を見せれば喜ぶと思う」
正直、あまりヒミコ信者を増やしくはないが致し方ない。こいつとの関係に亀裂を生じさせたくないし。
「持衰……。ありがとう。お前はやっぱり、俺の友だちだ」
タケルは涙を流して俺に抱きつく。
苦しい。離せ。馬鹿力め。




