第五十ニ話 邪馬壹国
…ヒミコ。ヒミコって言ったか。
もしかして、あの“卑弥呼”か。
「ナビ。あの子ってまさか…」
「やっぱりそうだったか…」
ナビが右手を顎に添える。
「やっぱりって、お前、もしかしてここに卑弥呼がいることをわかっていたのか」
「確信はなかったの。でもヤマイ国っていうのが、もしかしたら私の考える邪馬壹国かもしれない。とは思ってた」
ナビが歩きながら、指の光で宙に文字を書く。
「邪馬壹国?」
「そう。『魏志倭人伝』に書かれている女王国。世間では邪馬“臺”国として知られてるけど、原文の写本では“壹”の字が使われているの。あ、“臺”っていうのは“台”の古い書き方ね」
壹、臺。空中に浮かぶ文字。どちらも似た形だ。
「“臺”を“壹”って書き間違えたってこと?」
「そういう説もある。でも逆に、最初から“壹”が正しかった可能性もあるの。時代によって字体が変化したり、書写の段階で混ざったりするからね」
「つまり、どっちが本当かはわからないってことか」
「そうだね。この辺の論争は昔からされているけど、後世で完全な決着をつけるのは至難じゃないかな」
そこまで話して、突如俺の心に火が着いた。歴史好きの俺の心に。
この感覚久しぶりだ。
「後世では決着がつかない? けど、ナビ。今答えが出たよな。だって俺はかつての弥生時代にいて、目の前に卑弥呼がいるんだ。邪馬台国は邪馬壹国だった。そしてその場所は日向の西都市。俺は古代日本の最大の謎の一つに終止符を打ったってことだよな」
ゾクゾクしてきた。これだよ、これ。何十年もそれどころじゃなかったけど、俺はこういう発見と感動を期待して、ナビについてきたんだった。
興奮が冷めやまないぜ。
「盛り上がってる所悪いんだけど、そう決めつけるのは早計だよ」
「え、なんでだよ。証拠は目の前にあるだろ」
「理由は色々あるんだけど……。1つめ、確かに地名と時代は一致してるね。でも、それだけじゃ決定打にならない。この時代には“ヤマ”で始まる国名はいくつもあるんだよ。“ヒミコ”って名前も、固有名詞というより称号の可能性があるし、当時さほど珍しくない名前だったのかもしれない」
俺の熱を冷ますように、ナビの声はいたって冷静だった。
「まあ、“観測者”って因果を持つキミの前に、このタイミングでヒミコと名乗る人物が現れた。これであの卑弥呼じゃなかったら逆にビックリだけど」
今の言葉は、俺にというより、自分に言い聞かせているようだった。
「そして、2つめ。わたし的にはこっちの方が重要。そもそもキミという存在自体がバタフライエフェクトとなって……」
「じさい。だれと、話してるの……」
俺の話し声に気づいて、ヒミコが声をかけてきた。
しまった。テンション上がって周りが見えてなかった。
「え、ああ、いや。タケルだよ。こいつと、話してた。他に、誰がいる」
俺は慌てて誤魔化す。
「その人……何も、喋ってない……」
あ……たしかに。
さっきからタケルは、ずっとヒミコの背中を凝視したままぼうっとしている。
かと思えば、ヒミコが振り返ると、慌てて顔を伏せる。
純倭人だけど、育ちは漢。
生粋の倭国の、それも同年代の女の子に出会って戸惑ってるのかもしれない。
「そ、そんなことない。タケル。おい、タケル。俺たち、話してたよな」
「………」
だ、だめだ。
「いや、ごめん。ひとりごと。俺の、クセ」
昔みたいに変な奴と思われてしまうけど、仕方ない。正直に話したら、余計に変人扱いされるだけだし…。
「うそ……誰かいる。あなたを通して……別の色が映ってる」
「いや、嘘なんか」
言葉が途切れた。
ヒミコの澄んだ瞳に見つめられると、
まるで心をそのまま覗かれているような感覚に襲われる。
胸の奥がざわつく。
妙な後ろめたさが襲ってくる。
何も言えないまま、俺は立ち尽くした。
けれどヒミコは、それ以上追及せず、ただ静かに前を向き、歩き出した。
……なんなんだ、この子。エスパーか?
「彼女、もしかしたら」
ナビがまた、何かに気づいたような声を出す。
こいつ、倭国に来てから妙に思わせぶりなんだよな。
気になったが、またヒミコに問い詰められるのが怖くて、俺は黙ってその背中を追った。
森を抜けると、視界がふいに開けた。
斜面の先の台地の上に、土地が広がっている。
陽の光が差し込み、白い靄がゆらゆらと漂っていた。
「ここが……ヤマイ国、いや邪馬壹国か」
かなり整った村の造りだった。
盆地の中央には丸太を組んで作った高床の倉庫がある。
その周囲に住居が整然と並んでいる。
だが、いずれも竪穴の住居だった。この辺りはやっぱり倭国だ。実際に住んでた場所とは離れているけど、故郷に帰ってきたっていう実感が湧く。
「このまま……、父上に、会ってもらう……」
「キミの、お父さんに?」
コクンと頷き、また黙って村の奥へと歩き出す。その先には丘があり、頂上には他の建物と比べると、大きな宮殿のようなものが見える。あそこへ行くのだろうか。
村を観察していたら、いつの間にかヒミコはかなり先に行っていた。
特に合図もないし、滅多に後ろを振り向かないので、さっきから離されてしまうことが多い。
ヒミコに追いつこうとすると、先に3人ほどの若い女性達が駆け寄ってきた。
彼女たちも腕や首に装飾品をつけ、倭人の中では身なりがいい方だった。
「ヒミコ様」
「また、黙ってお一人で狩りになど」
「せめて護衛をつけて下さい。何度言えばお聞き届け頂けるのですか」
女性陣が喚き立てる。
どうしよう。なんか出て行きにくいな。
「静かに、して……。大きい声、嫌い……」
ヒミコが少し困ったような顔になる。
「大きな声にもなりますよ」
「ヒミコ様が我々の願いを聞き入れて下されば良いのです」
「あー、どこで覚えたのか弓なんて持ち出して」
「狩りなんて、村の男達に任せれば良いのです」
なおも女性達が言い募る。ヒミコが可哀想な気もするが、彼女たちの様子を見るに、普段からヒミコには手を焼いているようだ。
「それは……違う。生きることは……、生命を奪うこと……。目を、背けちゃ……だめ」
確かにその通りだ。俺も、この時代に来て初めてそれを実感した。生きる為には、殺さなくてはならない。だからこそ、奪った生命には向き合わなくては。
ヒミコはそれが言いたいのだろう。
「だからってヒミコ様が狩りに出る必要はないでしょう」
「何かあったら、多くの者が悲しむんですよ」
女性達はヒミコの正論にも全くたじろがない。
堪りかねて、俺も前に出ることにした。
「あの」
「あら、珍しい。ヒミコ様、今日は共を連れて……ないわね。誰かしら貴方」
「漢の、倭人……」
女性達の剣幕に押されてたじたじになっている俺に代わって、ヒミコが助け船を出してくれた。
けど、それじゃ伝わらない。
「ど、どういうことかしら。漢のお人なのだろうとは思いますけど」
ヒミコではなく、俺に直接問いかける。彼女に聞いても仕様がないと判断したのかもしれない。
「俺たち、は、漢人、じゃない。倭人」
「何を仰いますの。そんな身なりの、そんな倭国語が下手な倭人が、いるわけないでしょ」
「それに“達”って」
言われて俺は気付き、遥か後方にいたタケルに手招きする。
はっとして、タケルがこちらに駆け寄ってくる。
……ようやく正気に戻ったか。
「タケル、頼む。お前からも俺たちのことを説明してやってくれ。この人たち、俺なんか苦手」
漢語でタケルに耳打ちする。
「ああ、分かった」
タケルは先程までの緊張はどこへやら、爽やかに笑って俺に頷いた。
「俺達、倭人」
どストレート。もっとちゃんと言わないと。
「いえ、ですから倭人にはとても見えないと、先程も」
「俺たち、先祖。逃げた。海。漢」
大きく身ぶり手ぶりを使いながら、タケルが説明する。
「俺たち、夢。故郷。倭国。戻る。でも、今。俺たち、国、無い」
言葉に勢いと魂が籠もっている。先程まで騒いでいた彼女たちが、タケルの話しを静かに聞き入っている。
「末盧国、取られた。探す。一緒、暮らせる、国」
タケルの表情、語気で、彼の感情が伝わってくる。
凄い。こいつは俺みたいに、何とか上手く話そうと取り繕おうとしていない。表面的な言葉の意味だけに頼らず、自分の魂をダイレクトにぶつけている。
タケルの必死さが伝わったのだろうか、女性達が涙ぐんでいる。
「な、なるほど。伝えたいことはわかりました。でも、だからと言って鵜呑みにはできません。村に入れる前に、一度皆で話し合ってから……」
「……この人たちは、大丈夫」
ヒミコが言い切った。
彼女とは出会ったばかりだが、こんなはっきりとした言い方もできるとは意外だった。
「そうですか……。ヒミコ様が仰るのならそうなのでしょうが……」
あれ?さっきまではヒミコの言う事を何でもかんでも否定していたのに、今回は随分あっさりだな。
「父上に……直接、お会いして頂く……」
「そ、そうですね。漢から来た倭人など珍しいですからね。先ずは王のご判断に委ねるべきですね。あとは……」
ちらりと、女性が横目で視線を移す。その先には大きな建物が見える。
というか、やっぱりヒミコは王女様だったのか…。
「わかってる……。御子様に、神意もお伺い……すると思う」
ヒミコがそういうと、一旦は納得したように下がっていった。
彼女たちがいなくなって、ようやく俺は肩の力が抜けた。
だが、タケルは逆にまた固まってしまった。なんなんだコイツは。
タケルに気を取られている内に、ヒミコはまた黙って歩き始めた。
だが、このタイミングにも慣れてきたぞ。俺は遅れることなく、すぐ後ろについていく。
……タケルを引っ張って。
この状態のこいつにも大分慣れてきた。
「タケル。貴方、凄かった……」
ヒミコが初めてタケルに声をかけた。
隣のタケルの体が、弦を弾いたようにビクッと震える。
「貴方の声、凄く綺麗な色だった。濁りがなくて……澄みきってる」
「あ、ありがとうございます……ヒミコどの……」
ようやくまともに返事ができた。
最後の声は消え入りそうなほど小さかったけど。
タケルの顔は、見る間に真っ赤になっていく。
え、待って。もしかしてコイツ……。
真夏のはずなのに、俺は突然、春の訪れを感じた。
「いや〜、若者の恋って良いもんですな」
「何か……言った?」
「別に〜」
ヒミコはきょとんとしていたが、すぐに前を向いて歩き出す。
いかん、口元が緩む。
でも、タケルは変わらず頬を染めている。
うい奴、うい奴。
丘を登りきると、視界が開けた。
そこには、二つの大きな建物が並んでいた。
手前は祭壇だった。
白い布が四方に垂らされ、中央には青銅の鏡と榊の枝。
淡い煙が立ちのぼり、鈴の音が風に乗って響いている。
その奥には、祭壇を見守るように黒塗りの宮殿がそびえていた。
他の家々とは比べものにならない規模だ。
太い柱が十数本、等間隔に並び、屋根の両端からは角木が突き出している。
外壁は漆黒で、入口の柱の間には白布が垂らされている。
「……あれが、王の宮」
ヒミコに導かれ、俺たちは祭壇の横を通り、黒塗りの宮殿の前に立った。
入口の前では、鎧をまとった男たちが左右に並び、槍を構えていた。
いずれも無言。
だが、ヒミコが一歩前に出て名を告げると、
二人が同時に槍を立て、深く頭を下げた。
「王の娘、ヒミコ……。父上に、お目通り願います……」
その言葉を合図に、入口の白布の幕が左右に開かれた。
中から冷たい空気が流れ出し、線香のような香が鼻をかすめた。
迷いなく、足を踏み入れていく。
俺とタケルもヒミコの背に続いた。
「ここで、待ってて……」
中は奥行きがあるようだったが、奥の柱の間に、入口にあったような白布が垂れ下がっていた。
この時代に、壁や中扉で仕切られた、いわゆる“部屋”というものがないので、このような形で空間を仕切る。
入口の左右には、また衛兵のような人物が立っている。彼らが幕を開けてくれたのだろう。
俺たちは入口付近で待機して、ヒミコだけ白布の奥に入っていった。
しばらくすると、白布からヒミコの顔だけがひょこっと出てきた。
俺たちに向かって手招きする。
“入っていいよ”ということなのだろう。
俺とタケルは顔を見合わせ、静かに白布をくぐった。
中は先ほどよりさらに薄暗く、柱と柱のあいだに灯された火皿の明かりが、床に淡い橙の影を落としている。
踏み固められた土の上に敷かれた藁が足の裏でかすかに鳴った。
白布一枚隔てただけなのに、外とはまるで空気が違う。
奥には黒塗りの柱に囲まれた高座があり、その上にひとりの男が座していた。
ヒミコがその傍らに立つ。
歳の頃は60前後だろうか。
だが、年齢の割に背筋はまっすぐで、全身にただならぬ気迫が漂っていた。
黒い麻布の衣をまとい、胸元には銀の飾り紐が垂れている。
頭には冠のような細い金属の輪があり、それが火皿の光を受けて鈍く光っていた。
だが、彼の目は思いのほか柔和で、敵意よりも興味の光が宿っている。
「ヒミコちゃんから話は聞いた」
低く、重い声。荘厳な空間に響き渡る。
だけど……
「ヒミコ、“ちゃん”」
俺の疑問符は一切スルーして、王は話しを続ける。
「国を追われた倭人たち。漢へ渡り、再び倭国へ戻ってきたとな。だが、ヒミコちゃんから聞いたのはそこまでだ、もうちっと、詳しく説明してもらいたい」
王が上体を曲げ、少し前のめりになる。
「二人で来たのか。何故、この地を選んだ。ここで、何をするつもりだ。そして、」
王が言葉を切る。
「何ができる」
なるほど、中々計算高い。
口調は柔らかだが、明らかに俺達を測ってる。
一国の王ならこれくらいでないとな。
けど、俺だって漢では孫堅という“王者”とともにいたんだ。
負けていられない。
すうっと大きく息を吐く。
「「俺たち、漢で学んだ。力、技術、伝えられる。
俺、戦う。強い。敵、倒せる」」
……あ、ダメだこりゃ。
ていうか、なんでお前も同時に喋るんだよ、タケル。
「なるほど。お主は漢で学んだ戦術や技術を伝え、そしてお主は武勇に自信がある。そういうことだな」
王が俺とタケルを交互に見た。
あの断片的な言葉だけでここまで察してくれるのか。
流石はヒミコの父親だ。
「で、具体的にどんな技術なんだ」
今度はタケルを制して、俺一人で答える。
「俺たち、できる。武器、稲、えーと……」
言葉が詰まる。単語が出てこない。
王は苛立つことなく、静かに聞いてくれていた。
『漢語で、いいよ……』
ヒミコの声が静かに響く。
言葉は倭国のものでなく、漢の国のものだった。
「え?」
『わたしが……伝える。貴方の、ことば』
通訳してくれるってことか。
「父上。わたしが伝える」
「おお、ヒミコちゃんが彼らの言葉を教えてくれるのか。でも、大丈夫だ。普段からヒミコちゃんと話しておるからな。拙い言葉から、その真意を汲み取るのは慣れておる」
「わたしの話し方が……、彼らと一緒?」
ヒミコが無表情のまま王を見つめる。
「あ、いや、違う。今のは言葉の綾だ。そんなに怒らんでくれ、ヒミコちゃん」
王が慌てて手を振る。
娘には弱いらしい。
……そもそも、怒ってるのか?
ヒミコの表情の変化がまるで読めない。
「では任せた。ヒミコちゃん」
王が軽く咳払いした。
そして、ヒミコに代弁してもらいながら、俺は自分達のプレゼンを行なった。
兵法、製鉄、農耕、養蚕などなど。
俺の話しに王は満足気だった。すんなりと俺たちの受け入れを了承してくれた。
「ただの、儂の一存では決められんのだ」
王が豊かな顎髭を撫でる。
「王なのにか」
「王と言えども神の下僕。神意は得なければならん」
「神意」
「神の御子を通して、神託を伺うということだ」
御子? そういえば、さっきヒミコが女官のような人達にも言っていたな。
「神意を得るため、御子のもとへ行かねばならぬ」
王がゆっくりと立ち上がる。
「客人を神域へ連れて行く。ヒミコちゃんも父上と一緒に来てくれ」
「……はい」
ヒミコが軽く頭を下げる。
「神域?」
俺が思わず聞き返すと、ヒミコが静かに答えた。
「御子様の……、おられる場所。ここより、もっと奥……限られた人しか、入れない……」
王が補うように言葉を継ぐ。
「お主らを御子に引き合わせる。と言っても、お主らから御子の姿は見えぬがの。御子を通して、お主たちを受け入れるか否かを、神がお決めになる」
なるほど。俺たちが受け入れてもらえるかどうかは、その“御子様”にかかってるってわけか……。
俺は神域の奥にいるという、まだ見ぬ神の代弁者に、思いを馳せた。




