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倭国大乱  作者: 明石辰彦
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第五話 大乱の波

雪が降るでもなく、氷が張るでもなく―― けれど朝の空気に冷たさが増し、木々の葉が落ち、やがてまた柔らかな若芽が芽吹く。


俺の数え方で言えば、今は西暦159年。年が明けたのだと、肌と匂いと景色でなんとなく分かるが、途中で今何年経ったのか分からなくなりかける。ある程度正確に俺が時を刻めるのは、西暦の基準に合わせてナビが今何年なのか教えてくれるからだ。こういう所は流石ナビゲーターと言ったところか。


ここ北九州の集落は、まだ大きな戦火には巻き込まれていない。 けれど吉備や出雲で起こった戦の噂は、交易人や漂泊の民を通じて繰り返し耳に入る。そしてその噂は、確実に人々の心を揺さぶっていた。


大きなクニに抗するため、同盟を組んだ集落もあれば、逆に古くからの宿敵同士が睨み合いを深める場合もある。

とにかく北九州全体でも吉備や出雲に匹敵する“一つのクニ”を作ろうとする考えが急速に強まっているようだ。

しかし、簡単に他のクニに吸収されるのを良しとする者ばかりではない。


(結局、“大国に対抗するためにまとまろう”って言いながら、誰が主導するかで争いになるんだよな……)


ナビが俺の周りをひらひらと浮遊する。「それが“歴史の必然”ってやつ。国家が形づくられるときには、必ず“誰が王になるか”で争いが起こるんだよ。」


(分かっちゃいるけど……。 昨日までのんびり田を耕してた人たちが、農具から武器に持ちかえて戦う姿を見るのは、なんか……怖い)


俺の集落の近辺はまだ平和だとはいえ、隣の集落と同盟を結ぶ話し合いが進められ、防備の柵を新しく組み直す作業も頻繁に行われるようになり、今までとは村全体の空気感がかなり変わってきた。 十一歳の俺にできるのは、木を運ぶのを手伝ったり、見張り用の櫓に登って交代で煙を焚いたりすることくらいだ。


焚き火の煙が空に昇り、それが合図になって遠くの集落からも煙が返ってくる。 互いの存在を確認し合うための小さな工夫。 でもその煙の向こうに、“戦”が近づいているのを感じざるを得なかった。


そんな日々の中で季節はまためぐり、村の田には青々とした稲が育っていた。 けれど人々の会話は、稲の出来よりも「どのクニが力を握るか」という話題で持ちきりだった。


北九州では、奴国や伊都国といった大きなクニが頭角を現しつつある。 交易の拠点を握る伊都国、広大な平野と豊かな稲を抱える奴国―― どちらも「我こそが北九州をまとめるに相応しい」と声高に主張し始めていた。


そのうねりは、小さな集落にも押し寄せてくる。 「どちらに付くべきか」 「同盟を結ぶか、それとも距離を取るか」 男たちが焚き火を囲んで議論を交わす夜が続いた。


そのような折に、俺の暮らす村の首長が代替わりした。

先代が亡くなり、その息子であった男が後を継いだ。まだ28歳と若く(この時代の平均寿命から考えるとそうでもないけど)男らしく精悍な顔つきで筋骨隆々だった。

顔に似合わず思いやりのある男で、集落の住人から奇特な目で見られがちな俺に対しても、分け隔てなく接してくれていた。

そんな彼が首長となってはじめて皆の前で言葉を放つ。


「今この地では戦乱が広がりつつあり、伊都国や奴国をはじめ、多くのクニが覇権を握ろうと争いあっている。だが、我らは争わぬ。 刃を取っても、皆が傷つくだけだ。 大事なのは田を守り、人の腹を満たすこと……それ以上の血は要らぬ」


火の光に照らされた横顔は決意に満ち溢れ、声には揺るぎがなかった。


首長の声が広場に響き渡る。 焚き火を囲む村人たちのざわめきが、じわりと静まり返った。


(でも、本当にそれで済むのか? 歴史の“必然”を知ってる俺には分かる。平和を願うだけじゃ、大国の波に呑まれてしまうってことを……。)


ナビはそんな俺を珍しく黙って見つめている。


(……分かってる。けど……)


(……俺だって、この村が戦に巻き込まれるのは嫌だ。 なら、たとえこの先この村が、大きな歴史のうねりに巻き込まれてしまうのだとしても、)


「……オレは、この村が少しでも長く平和であってほしい」


小さく呟いた言葉は、同じく広場にいた別の人間の声にかき消された。


「だが、このままでは他のクニがどんどん力をつけていく。そうなっては取り返しがつかないぞ!」

「そうなる前に俺たちも他の集落の地を奪って力をつけないといけないんじゃないのか!?」

「戦わずにどうやって生き延びるんだ!?」

その問いかけに対し、

首長は低く、しかし揺るぎない声で続ける。

「我らが刃を取らぬのならば、どこかのクニの庇護を受けるしかない」


その言葉に村人たちは顔を見合わせ、ざわめきは一層大きくなった。


「傘下に入るってことか?それじゃあ税を取られることになる!」

「せっかくの稲を、汗水流して作った米を、差し出さねえといけなくなるのか!?」

「腹を減らしてまで生き延びて、何の意味がある!」


声は次第に怒号に近づき、火の粉が舞う。

だが首長は黙ってそれらを受け止め、やがて重々しく口を開いた。


「米はまた実る。だが命は戻らぬ」


焚き火の爆ぜる音だけが一瞬響いた。

誰も反論できずに、ただ首長の言葉を待った。


「奪われるのは悔しい。だが命には代えられぬのだ。

我らが守るべきは、田と、人の命だ。

そのためならば、伊都国の傘下に入ることを、私は厭わぬ」


「伊都国……」

村人たちの間に緊張が走る。


「伊都国からはかねてより使者が訪れていた。返事は保留にしていたが、これ以上引き延ばせばおそらくあちらは強行策に出るだろう。そうなれば近隣の集落の力を借りても、撃退するのは困難だろう。それに、傘下に加われば、伊都国という大国が我らの後楯となる。少なくとも、この辺りの敵対していた村々は、容易に手出しができなくなるはずだ。」


交易の拠点を握る、北九州の大国。

従えば命は守られるかもしれない。だが、毎年のように税を納めねばならなくなるだろう。


俺はその場で、複雑な気持ちで首長の背中を見ていた。


(……平和を守るために、誰かの庇護を受ける。

それが最善かどうかは分からない。

けど――命を守る、という首長の言葉に嘘はない)


ナビが小さく囁いた。

「こうやって小さな力はより大きな力、“国家”に組み込まれていくんだよ。

独立した村は、歴史の流れに呑まれていく」


(……でも、この村が生き延びられるなら……俺は、首長の決断を信じたい)


焚き火の煙が夜空に昇り、やがて風に消えていった。

その煙の行方のように、村の未来もまた、不安定なものに見えた。




その後、村は伊都国に使いを出し、正式に使者を招くことになった。


数日の後、村に伊都国の使者がやってきた。

俺はまだ子どもだから広場には入れてもらえず、竪穴住居の陰から煙の上がる空を眺めていた。

村の大人たちは焚き火を囲み、声を荒げて議論していたらしい。


後で年上の子や母代わりの女たちから断片的に聞いた話をつなぎ合わせると、こうだ。


伊都国の使者は、まず税を納めるよう求めてきた。

稲や干魚、塩――この土地で得られる恵みを、年ごとに差し出せという。

それは当然のこととして受け入れざるを得なかった。


だが次に口にした条件が、人々の怒りを買った。

「奴隷として数人を差し出せ」


広場は一瞬にして怒号に包まれたという。

「我らの子を差し出せというのか!」

「命に代えても拒む!」

「ならば抗って死んだ方がましだ!」


さすがの首長も険しい顔で立ち上がり、拳を握りしめて使者に言い放った。

「それは決して認めぬ。我らは伊都国の傘下に入ることを選んだ。

だが人を売ることはしない。どうしてもと言うなら、戦を覚悟してもらうぞ」


伊都国の使者は一時睨みつけたが、やがて鼻で笑い、別の条件を告げた。

「ならば、いざ戦となった時、男たちを兵として差し出せ」


その場にいた皆は息を呑んだという。

結局、首長は深く息をつき、うなずいた。


「女子供を守れるならば……男たちは武器を取ろう」


こうして村は伊都国の傘下に入った。

税を納めること、戦時には男を兵として差し出すこと――

その約束を代償に、村は攻められる心配をしばらくは免れることになった。


俺は火の粉が昇る夜空を見上げながら、その話を胸の奥で繰り返していた。


(……結局、戦わなきゃならないのか。

でも少なくとも、この村の子どもたちや女たちは守られる。

それだけでも……良かったと思うしかないのか)


「結局平和って、誰かの犠牲の上にしか成り立たないのかな?」

俺の考えをまた読んだのか、ナビが少し悲しそうに囁いた。そして更に続ける。

「でも、そんな平和だっていつか必ず崩れる時がくる。そしてキミはそれを見届け続けなければならない」


俺は返事をせず、拳を握った。

その小さな拳は、自分でも呆れるくらい頼りなかった。


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