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倭国大乱  作者: 明石辰彦
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第四話 弥生人の日常

あれから十年。俺はこの時代で「十歳の子ども」として暮らしている。

ここは北九州。吉備や出雲では大きな戦が始まったと噂されるけれど、この村は大きな戦火からは遠く、小さな土地争いや水の取り合いがあるくらいで、概ね平和だ。


竪穴式住居の中は相変わらず土と煙の匂いで満ちている。毎朝、焚き火の煙に目をこすりながら外に出ると、田んぼに立つ人影や、漁に出る舟の姿が目に入る。


……けど、俺はどうにもこの暮らしに馴染めない。


狩りに連れていかれても、獲物を仕留めるどころか、動物の目を見た瞬間に矢を放つ気力が萎える。漁も舟酔いで吐きそうになるし、解体作業では血の匂いだけで胃がひっくり返りそうになる。


食べ物も最初の頃より慣れてきたが、あまり口に合わない。


「……カップラーメンとか、ポテチとか、今すぐ食べたい」

思わず漏らすと、横からナビが口を挟んでくる。


「はぁ?そんな保存食あるわけないでしょ。キミさ、十年経ってもまだ現代人やめられないの?」


「うるせぇな!木の実や魚とドロドロの雑穀粥しかない生活で満足できるか!」


「十分栄養あるじゃん。あ、でもその体格……ちょっと貧弱だねぇ。他の子に比べて。ちゃんと食べなきゃダメだよ?」


「わざわざ言うな!」


ナビと口論していると、村の子どもたちが怪訝そうな目で俺を見る。

……そりゃそうだ。俺にしかナビは見えないんだから。


(ああ、また変な奴って思われてるんだろうな……)


けど、それでも十年の間に少しずつ古代語も覚え、この村の人たちと暮らしてきた。

相変わらず俺は“異物”のままだが、この世界で生きることに、少しずつ慣れてきてもいる。少しだけどね。


今日の朝は田んぼでの作業を任されている。ドン引きしていた同い年の集落の子が、遠くで俺を呼んでいる。まぁ、他人とも普通に話せる程度の仲ではあるのだよ。

歩いていくと風にのって、湿った土の匂いと稲の青い香りが混ざって流れてくる。

水を張った田んぼでは、大人も子どもも膝まで泥に浸かって苗を植えている。俺も腰に紐を巻いて加わるが、指先はすぐ泥に負けて皮が剥け、何度も叱られる。


(……機械でガーッとやれば一瞬なのになぁ)


そんなことを考えながらも、腰をかがめて黙々と苗を差し込む。


昼になると、男たちは森へ狩りに、女たちは川辺へ洗濯に向かう。俺は同年代の子どもたちと一緒に木の実を拾ったり、畑の雑草を抜いたりするのが仕事だ。

だけど解体の場面に立ち会うと、やっぱりダメだ。鹿の毛皮を剥ぐ音と匂いと何よりその光景に嘔吐感を覚え、思わず手で口を覆う。他の子はそんな俺に冷ややかな目を向る。


(……ナビに言われたように、現代人の感覚が抜けてないんだよな)


夕方になると、焚き火を囲んでの食事。

雑穀を炊いた粥に、干した魚や塩で味つけした貝。俺はどうしても慣れず、心の中で「カップラーメン……ピザ……」と唱えながら噛みしめる。


ナビは焚き火の煙の中でくるくる浮きながら言う。

「いいじゃん、バランスの取れた食事だよ? 現代人は加工食品で寿命縮め過ぎなんだよ!」


「……それでもピザ食いたいんだよ」


「はいはい。十年経っても文明依存症、治らないねぇ」


俺は無言で粥を飲み込み、焚き火の向こうで笑い合う村人たちを眺めた。

家族でも血縁でもないのに、互いに子を抱き合い、食を分け合う。

この時代は不便だらけだけど――だからこそ、人と人が寄り添う力は、現代よりも強いのかもしれない。




またある時は、俺は村の子どもたちと一緒に用水路へ連れて行かれた。

竹や木の棒で泥をかき出し、水の流れをよくする作業だ。

稲が立派に育つかどうかは、この水の通り道にかかっているらしい。


「水が濁って止まったら、稲も枯れるんだぞ」

年上の子にそう言われ、俺も必死に泥をすくう。

腰まで泥に浸かりながら――(重機使えよ……ユンボがあれば一瞬なのに!)と心の中で泣きながら。


夕方になると、海辺では別の大人たちが大きな土器を並べていた。

中に汲んだ海水を入れ、焚き火でぐつぐつ煮詰める。

煙と潮の匂いにむせながら見ていると、やがて白い粒が土器の縁にこびりついていく。


「これが塩だ。魚を保存するときに使うんだぞ」

一人の男が見せてくれた白い結晶を、指先で舐めてみる。


……しょっぱい。当たり前だ。

でもこの時代の人間にとっては、命をつなぐ宝みたいなものなんだろう。


ナビが横でくるくる浮きながら言う。

「いいねぇ〜。ほら、こういう“生活技術”こそ歴史の積み重ねなんだよ」


(……塩ラーメン食べたい)





季節がまた移り、稲の穂が黄金色に染まる頃、村全体がそわそわしはじめる。

皆で刈り取った稲を高床倉庫に運び込み、広場では焚き火が赤々と燃やされていた。

今日は一年の恵みに感謝する日――収穫の祭りだ。


女たちは大きな石臼で稲を突き、いつもの黒っぽい粥ではなく、白みがかった米粒を炊いている。

湯気の立つ土器からよそわれたそれは、普段はめったに口にできないごちそうだ。


(……白米だ……! いや、半分ぐらい玄米混じりだけど、それでも十分……!)


手に握らされた米の塊を頬張ると、ほんのり甘く、普段の雑穀粥とはまるで別物だった。

思わず涙が出そうになる。


焚き火の周りには、鹿や猪の肉を串に刺して焼いたものが並べられている。

脂が火に落ちてじゅうじゅうと煙を立て、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。

海辺から運ばれた魚や貝は、塩を振って炙られ、あるいは干したまま保存食として振る舞われた。


(……ピザとか唐揚げが恋しいけど……これはこれで……うまい……)


やがて祭祀の長老が火の前に立ち、稲の穂を掲げて祈りを唱える。

皆が静かに頭を垂れ、刈り取った穂を少しずつ火に投じると、煙が立ち上り、夜空に消えていった。


「これはね、稲の神様に感謝を捧げてるんだよ」

ナビが横でにこにこしながら囁く。

「ごちそうをみんなで分け合うのも、神様に見せるのも、共同体を強くするための知恵なんだ」


長老の祈りが終わると、太鼓代わりにした丸木を叩く音が鳴り響き、骨笛と貝のホラ貝が加わり、若者たちが輪になって踊り始めた。

俺も子どもたちに腕を引かれて、焚き火の回りを駆け回る。


火の粉が舞い、笑い声が夜空に溶けていく光景を見ながら――

(……この人たちは、不安や争いを抱えていても、こうやって生きる喜びを分かち合ってるんだな)

こうして笑い合った一時も、歴史が崩壊すれば存在したという事実さえ無くなってしまうんだ。

俺は観測者としての役割を、ほんの少しだけ意識しはじめていた。


その時、広場の入口に数人の男たちが姿を現した。

腰に狩猟用の短剣を差し、背には網袋を背負っている。海から来た交易人らしい。


「……※△◇……」

彼らの声に、村の男衆が集まって耳を傾ける。

どうやら米や塩、貝殻細工などを持ってきた代わりに、この土地の干魚や鉄器を求めているらしい。


けれどそれ以上に、彼らの口から語られる「噂」に人々の顔が強張った。


「――吉備の国で大きな戦が起こった」

「出雲も軍を集めているらしい」


俺の耳には断片的にしか入ってこないが、村の人々のざわめきで内容は察せられた。

祭りの空気が、一瞬で冷え込む。


「……ついに始まったか」

低い声でつぶやく長老の顔は、焚き火の明かりに照らされ皺の影が深かった。


ナビがひょいと俺の耳元に浮かんでくる。

「ほらね。これが“倭国大乱”の波。吉備や出雲は勢力が強いから、九州にもいずれ影響が及ぶよ」


(……やっぱりか。

さっきまで笑って踊ってたのに、すぐに戦の影が差してくる……)


俺は白い飯の残りを噛みしめながら、焚き火の向こうで交わされる緊迫した会話をただ聞いていた。

観測者であるはずの俺ですら、この時代に巻き込まれていくような感覚に囚われていた

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