第三十四話 灼熱の幘
赤い幘が近づいてくる。
だが、後方に迫る敵の軍勢も、刃が届く距離まで幾ばくもない。
後方からは矢が飛来する。
俺と公瑾は頭を低くし、敵の集団に突っ込む構えをとる。
先に孫堅が俺達に近づいてくる。
「孫堅。持衰と周瑜だ。救助に駆けつけた!」
味方だと認識させるために俺は叫んだ。
孫堅と敵がもう目の前だ。
集中力が増す。全力で駆ける騎馬に乗りながら、景色の流れが次第に緩やかになる。
孫堅の顔がはっきりと見える。
ーーいや、違うあれは。
「祖茂さん?」
被っている幘は間違いなく孫堅のものだ。灼熱のような赤色。
ーーまさか孫堅の身代わりに?
すれ違い様、一瞬祖茂さんと目が合ったような気がした。
怪我は無いだろうか?
祖茂さんの状態も気になるが、今は追っ手をどうにかしないと。
敵の馬群の中に突っ込む。
相手の剣や槍を躱し、斬撃を浴びせる。
二人斬った。敵の中を通り過ぎる。
公瑾は。
集団の右側から飛び出してきた。
側面から攻撃を仕掛けたようだ。
「ど真ん中に突っ込むとはな。早速無茶をしおって」
「俺からしたら無茶でも何でもない」
揃って馬首を返す。敵軍が四騎こちらに駆け戻ってくる。残りは祖茂さんを追って走り去る。
足止めか。
舌打ちをして二人で敵に当たる。
本来ならかなりのスピードだろうが、補正のおかげで近づいてくる敵の動きをしっかりと見極められる。
すれ違いざまに一人、二人と斬り倒した。
周瑜も一人を倒した。
しかし、後方からは残りの一騎。
今度は俺たちが追われる側だ。
「用兵はともかく、武技においては君の方が上のようだな」
そう言うと公瑾はUターンし、追ってきている一騎にぶつかっていく。
言葉は交わせなかったが、公瑾の意図は読めた。
俺は祖茂さんを追う敵騎集団の後方に迫る。
残り7騎。
完全に祖茂さんの真後ろについている。
突如その7騎が二手に分かれる。
左右から祖茂さんを挟み込む。
もう逃げられない。
「祖茂さん!頭を下げろ!止まれ!」
反応は無かったが声は届いたようだ。
祖茂さんは頭を丸めながら、思いっきり手綱を引く。
馬が嘶き棹立ちになる。
敵の槍が馬の首を斬る。
馬体が傾き、祖茂さんが投げ出される。倒れ込んだ馬の身体が重い音を立て、土煙を上げる。
だが、おかげで相手の勢いはすぐには止まらず、そのまま通り過ぎる。
俺はその間に祖茂さんの盾になるように、敵との間に立ち塞がる。
敵が向き直り正対する。
「祖茂だと。孫堅ではないのか」
指揮官らしき男が怒鳴る。
俺はわずかに後ろに視線をやり、祖茂さんの様子を伺う。
いくつか矢傷や斬られた痕が見られるが、致命傷は無さそうだ。
だが、かなり疲弊している。
「徐栄軍の華雄という男だ…。腕は立つ、気をつけろ」
祖茂さんが喘ぐように声を絞り出す。
「分かった」
とにかく祖茂さんを守らなければ。
華雄ら7騎がこちらに駆け出す。
俺は祖茂さんの盾になったまま、迎え討つ。
華雄の戟が振られる。
剣で止める。重い一撃。
脚を締めて馬から弾き飛ばされないように堪える。
何とか耐えたが、大きく体勢を崩される。
後続が迫る。
避けきれないと判断して、俺はわざと力を緩めて地面に転がり落ちる。
直前に馬の尻を浅く斬る。
驚いた馬が走り出す。
後続の兵達の間を駆け抜け走り去る。
わずかに敵の動きが怯み、俺はその間に構えを取る。
敵騎がこちらに迫る。
そのまま俺達を踏み殺さんとする勢いだ。
「横に跳べ!」
祖茂さんが左に転がる。
あたりは木々が生い茂っている。
祖茂さんは樹木の陰に紛れる。
俺もタイミングを合わせて跳び、剣を前に突き出す。
相手の馬は自ら串刺しとなる。
だが、俺の方にも相当の衝撃があった。
断末魔のような馬の叫び。
もんどりをうちながら馬が倒れ込む。
剣を握っていられず、俺は吹き飛ぶ。
受け身が間に合わず背中から地面に
叩きつけられた。
一瞬息が止まる。
這うように雑木林に逃げ込む。
「持衰殿」
公瑾が駆け寄ってきた。
馬から飛び降りる。
「無事か」
「何とかな」
ようやく3人で合流できたが、このまま隠れていても包囲される。
「持衰殿」
公瑾が俺に槍を差し出す。
敵兵が落としたものだろうか。
俺は槍を受け取る。本当によく見ている。
祖茂さんがふらふらと立ち上がる。自分も戦うつもりのようだ。その手には剣が握られている。
かなり消耗しているだろうが、今は気遣っている余裕はない。
「正面の華雄は俺があたる。2人は左右に別れて、残りの6人を止めてくれ」
呼吸を合わせて木々の間から飛び出す。
攻勢に出るとは思わなかったようだ。多少は奇を衒うことができた。
華雄の戟が突き出される。
鋭く、力強い。
屈んで避ける。
走る勢いをなるべく殺さず、そのまま槍を突き出す。
華雄は戟の柄で俺の槍をかち上げる。
そのまま回転させ、戟の刃を俺に向かって振り上げる。
後方に跳んで凶刃を躱す。
「やるな。名のある将か」
「倭人の神の化身、持衰様だよ」
「噂の倭人兵か。しかし、神の化身だと。蛮族の間でも道教が流行ってるのか?」
馬鹿にするように、にたりと笑う。
はったりでどうにかなるとは思わなかったが、流石に敵方に持衰伝説は伝わってないか。
再び華雄の戟が降りかかる。槍でいなす。反撃。防がれる。
斬り結びながら、公瑾と祖茂さんの様子を伺う。
公瑾は何とか一人を倒したようだ。
残りの2人の敵に対しても何とか優勢なようだ。
ーー祖茂さん。
剣筋に力がない。何度も斬りつけられている。致命傷はないようだがこのままでは。
援護に向かわなければ。一瞬でもいいから華雄を引き剥がしたい。
俺は渾身の力で槍を振り回す。華雄の戟の刃がぶつかり、火花が散る。腕ごと弾かれる。完全に力負けしている。
俺は槍を振り被る。
文字通り槍投げの要領で華雄に向かって思い切り放つ。
華雄の頬を掠めて飛んでいく。
ヤツの頬を赤い血が一筋伝う。
走り出す。
俺は祖茂さんを襲う敵に背後から掴みかかる。
剣を奪って蹴り飛ばす。
そのままその背を斬りつける。
残りの敵に斬りかかって散らす。
ようやく祖茂さんのもとにたどり着く。
後ろに庇うと、彼はそのまま崩れ落ちた。
もう限界か。華雄ら3人の敵が躙り寄ってくる。
三方からの激しい攻撃。
全ては捌けない。
観測者補正で相手の攻撃を見極め、致命傷にならないものは敢えて諦めて受ける。皮膚が裂け、血が飛ぶ。
「あわわ、まずいまずいって。このままじゃまた死んじゃう。諦めて逃げて」
ナビが叫ぶが、今更逃げようとしても背中から斬られて終わりだ。
公瑾の援護を待つしか…。
ーー馬蹄。
敵の増援か。背筋が凍る。
「祖茂!」
叫び声。次の声は――
「持衰、公瑾?」
孫策だった。彼はそのまま華雄たちの前に立ち塞がる。ゆっくりと馬から降りると、後方から二騎の馬が続く。
「奥に公瑾もいる。援護に回れ」
二頭の蹄の響きが、そのまま戦場を切り裂いて通り過ぎていく。
「孫堅の小倅か。お前の首を取れば何とか格好はつくな」
華雄が嗜虐的に笑う。だが、その直後に孫策が走り出した。相手の出方など気にも留めない。華雄の表情が一瞬引き攣るのが見える。
孫策の剣が振り下ろされる。力強い一振り。以前より増した鋭さが刃に宿っている。確実に華雄の急所を狙っている。
華雄もすぐに立て直し、戟を振るう。金属同士の衝突音が辺りに金切り声のように響いた。何合かの打ち合い。幾度となく刃がぶつかるが、孫策は決して力負けしていない。
後方から二人の兵が襲いかかる。俺はすかさず孫策の援護に入り、華雄の配下を止める。華雄が戟で薙ぎ払う。孫策は距離を取りつつ巧みに躱す。
瞬間、華雄が馬めがけて走り出した。二人の手勢も続く。公瑾の声が近づく。敵を片付けたようだ。公瑾たちが道を塞ごうとするが、華雄はそれを蹴散らして駆け去る。配下の二人も後を追う。不利を悟った瞬間、即撤退を選んだ。単なる猪武者ではないようだ。
「祖茂さん!」
俺は祖茂さんのもとへ駆け寄る。
「徐栄の追手はまだ来る。とにかく俺たちの馬の背に乗れ」
孫策に従い、祖茂さんを孫策の背に乗せる。俺と公瑾も孫策の配下の背に身を預ける。間もなく、馬たちは駆け出した。
「孫策、孫堅は――」
馬上から俺が叫ぶ。
「祖茂が注意を引いてくれたおかげで、父上は既に落ち延びている」
その言葉に胸の奥がふっと軽くなる。史実通りなら孫堅の死はまだ先のはずだ。だが、史書に書かれていることが事実とは限らない。何より過程は変化する。
「伯符、なぜ君までここにいるんだ。君こそ真っ先に退却するべきだろう」
「華雄が祖茂を追っているのは分かっていた。俺以外でアイツを止められるヤツはいなかった」
「ならば見捨てろ。臣下一人のために主君が命を賭すなど、あってはならぬ」
「俺は祖茂の主君じゃない。それは父上だ」
「いずれはそうなる」
孫策と公瑾の口論は続く。今の俺なら、公瑾の言うことがこの乱世では正しいと理解できる。だが、もしそうしていれば、俺たち三人はこの場で死んでいたかもしれない。
ーー祖茂さん、大丈夫だよな。
孫策の背にある祖茂さんは、息も絶え絶えだった。
必死に馬を走らせ、俺たちは何とか孫堅の待つ魯陽へと辿り着く。
「医師を呼べ。祖茂の手当てを急げ」
孫策の叫びに、兵たちが慌ただしく駆け回る。
魯陽では落ち延びた兵を迎え入れ、あちこちでまだ息のある者の治療が始まっていた。
やがて医師が駆けつけ、その場で祖茂さんの治療が行われる。
夥しい出血。内臓まで達していなければいいが……。
「伯符」
孫堅が駆け寄ってきた。帰還の報せを受けたのだろう。
「周瑜、それに二代目……報告は受けていたが、本当に来ていたのか」
そして、祖茂さんに目をやる。
「祖茂。お前の働きで俺は生き延びた。感謝するぞ」
短く言葉をかけ、すぐに顔を上げる。
「戻ってきた兵のうち動ける者を再編する。魯陽の在留軍に組み込み、布陣を整えろ。勢いづいた徐栄が攻めてくるやも知れぬ」
感傷に浸っている暇はない。孫堅はすぐに指揮を執り始めた。
「伯符、お前は共に来い。騎馬隊を率いよ。
公瑾、二代目。お前たちは祖茂の側にいてやれ」
それだけ告げると、孫堅は兵たちの喧噪の中へ消えていった。




