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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第一章

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第三十三話 兵法書

馬車に揺られながら梁への道を進み続ける。

もちろん馬車は周家が用意したものだ。

すでに舒を経って6日になる。

一日に何処まで進むのか、しっかりと計画が立てられているらしく、日没前には街に着き、しっかりと宿をとった。

倭国から後漢までの舟旅。

于吉との放浪。

寿春への行程。

この時代に来てから長旅は何度も経験してきたが、こんなに長閑な旅は初めてだ。


ーーだが、ある意味では最も過酷な旅かもしれない


「では、孫子に曰く。戦前に測るべき五つの事象とは何かな?」

周瑜が扇を軽く振りながら問いかける。

「え、えっと……一に曰わくたく、二に曰わく量、三に曰わく……数?で、四に曰く称、五に曰く勝だ」

「ふむ、ではその五つの事柄はどのように関連するのだ?」

「えと、たくがその土地を調べることで…、えと……」

「持衰殿、いいか?度は土地を測ること。険しいか、遠いか、広いか。

それを元に量――つまり、どれほどの資源や兵糧を得られるかを量る。そこから数。動員できる兵士の数を計算する。そして称。敵味方の数を比べ、優劣を秤にかける。

そして最後に勝。勝敗の見込みを測る。五つはこのように順に連なっているのだ」

「そうそう。それそれ」

「では次に……」

「まだやんのかよ!?」


6日間この調子だ。馬車の中ではもちろん、宿でも寝る直前まで講義、講義だ。

これならまだ歩きづめで野宿ばかりの長旅の方が気が楽だ。


「なあ、公瑾。そういえば、早馬はもう梁についたかな?」

公瑾に話題を振って、話しを逸らそうと試みる。

今は少しでも頭を休ませたい。

公瑾はそんな俺の表情を測るように観察する。

「まあ、おそらくそろそろ着いた頃であろう」

話しにのってくれた。

おそらく、俺の意図に気づいた上であろう。

見透かされてようが何でもいい。この拷問から少しでも逃れられるなら。

「向こうはどんな感じだろうな?」

「反董卓連合軍で気骨のあったものは、破虜将軍以外は潰滅状態だ。流石の将軍も簡単に洛陽に入れるとは思えぬが……」

「でも、孫堅なら今頃、董卓の手下なんかボコボコにしてるかもな」

「ボコボコ……?すまんな、倭国の言葉は不勉強なのだ」

公瑾は顎に手を当てて少し思案するような表情になる。

「我々の通る道のりは伝えてある。もし今到着したのであれば、二、三日後には返答の使者がやってくるだろう」

「そうか……」

早くても2日後。じれったい。仕方がないが昔の連絡手段の乏しさといったら。

さっきは強がって軽口を言ったが、実質反董卓軍は孫堅軍のみだ。不安は尽きない。

「今ここで憂いても仕方がない」

俺の表情から何を考えているのか察したのだろう。

公瑾がここまでだというように話題を打ち切る。

「頭に余裕ができるから余計なことを考えるのだ。さ、兵法指南の続きといこう」

そう言って公瑾は朗らかに笑った…。


だが翌日、予想に反して伝令が俺達の元へ現れた。

馬上から転げ落ちるように地に降り、そのまま膝をついて肩を震わせる。

顔色は土気色、唇はひび割れ、目は血走り……それだけで察した。

――孫堅に、何かがあったのだ。


「突如、徐栄軍が梁に襲来。未だ持ちこたえておりますが、敗走は時間の問題かと……!」

声を絞り出すように伝令が告げる。


「彼我の兵力差は?」

公瑾の声は冷静だった。だが扇を握る手には白いほど力がこもっている。


「破虜将軍一万、徐栄軍二万!」

「二倍の兵力差か……。だが伯符がいるのだぞ。それでも苦戦するとは、徐栄とはそれほどの将か?」

「非常に巧みな用兵に、勇猛果敢です。しかし……」

伝令が言い淀む。

「何だ、申せ」

「ここしばらく袁公路様からの兵糧が滞っており……兵が満足に戦えぬのです」


「袁術は何を考えている」

静かだが、その声にははっきりと怒りの色が滲んでいた。


「公瑾!」

堪らず俺が声をかけると、彼は深く息を吐き、冷静を装った。

「落ち着け、持衰殿。我々二人が行ったところで戦局は変わらん」

「戦の結果は変わらなくても、拾える命があるかもしれないだろ!?」

「死人が二人増えるだけかもしれぬ」

「こんな時まで頭で考えてどうする! お前だって本当は……孫策を助けに行きたくて仕方ないんじゃないのか!」

俺は公瑾の瞳を見据えた。公瑾も俺から視線を逸らさない。しばし、沈黙が支配する。

先に目線を外したのは公瑾だった。

「持衰殿、まずはこの男を休ませてやろう」

公瑾は腰を落とし、伝令の傍らに寄った。

「よくぞ知らせてくれた。お主の働きに必ずや報いよう。今は休め」

男は口から荒い息を漏らし、そのまま糸の切れた人形のように気を失った。

「公瑾、俺一人でも先に行く。孫堅や孫策たちを放っておけない」

公瑾は苦笑混じりに溜息をつく。

「わかったよ。私も行こう。君は将軍と孫策から預かった客人だ。みすみす一人で死地にやるわけにはいかない」

「公瑾、ありがとう」

俺はそう言って頭を下げる。

「なら公瑾、とにかく急ごう。早く梁に着かないと」

「急ぐからこそ、考えるのだ。足の重い馬車を飛ばしたところでたかが知れている」

「それはそうだけど……」

俺は口ごもる。だけど、だからこそ少しでも早く出発しなければ。

「近くに街がある。馬を調達する」

そう言って公瑾は、馬車を操る従者に指示を飛ばした。馬車はすぐさま走り出し、ほどなく街に到着した。

公瑾は迷いなく馬を4頭買い付け、従者には馬車で魯陽へ向かうよう命じる。


「行くぞ、持衰殿」

手綱を強く引きしぼり、俺達は梁に向けて駆け出した。

土煙が舞い、風が頬を叩く。

胸の奥に焦燥と熱が燃え上がる。


「ところで公瑾。何で馬を四頭用意したんだ?」

「君が急ぐと言ったんだろう。乗り換えながら駆ければ馬も保つ。これなら梁まで何とか駆け通せるはずだ」

大した男だ。焦っていても怒っていても、常に見るべきものを見ている。今の俺には無いものだった。


半日以上、駆け通しただろうか。俺も公瑾もほとんど口を開かなかった。


「……そろそろのはずだ」

ようやく公瑾が口を開く。


いよいよか。

一刻も早く到着したいと願っていたのに、目の前に迫る現実に、胸が締めつけられる。

孫堅は、孫策は。タケルや倭人隊、仲間たちは――。


その時、喧騒が耳を打った。

打ち鳴らされる鉦と太鼓。飛び交う矢の唸り。兵たちの叫声。

鼻を刺す焦げた匂い、風に乗る血の鉄臭さ。


「持衰殿……既に退き始めている!」

公瑾の声に目を凝らす。

乱れた旗、崩れる隊列、背を向けて走る兵の影。

俺にも、はっきりと見えた。


だが、統率が取れていないわけではない。

槍を構えた歩兵たちが盾の壁を築き、波のように押し寄せる敵を受け止める。

その背後から数騎の騎馬隊が何度も繰り返し突撃し、敵の列を切り裂いては素早く引いた。

――被害は最小限に抑えられている。だが、最小限だ。槍の先が赤く染まり、味方の兵が次々に膝を折る。犠牲は出ている。


「一人でも多く救う」

「持衰殿、気持ちは分かるが無謀な真似だけはするなよ。君は簡単に死んでいい人間ではない」

「お互いな」


孫堅はどこだ?

間もなく前線に到着しようかという時、土煙の向こうに燃えるような赤が揺れた。

一際多くの敵に追われる一騎の騎兵。将兵以上が身に纏う立派な鎧。そして、赤いさく


「あれは?」

「将軍の幘に見える。敵に追われている」

護衛は皆やられたのか?いや、とにかく今は孫堅を助けなければ。


公瑾の目に氷の光が宿る。俺の胸には炎のような熱がこみ上がる。

二人同時に激しく鞭を打った。

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