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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第一章

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第三十一話 遷都

孫策との騎乗訓練を初めて、はや1ヶ月が経とうとしていた。

俺は曲がりなりにも駆け足で馬を操ることができるようになってきて、ようやくなんとか形になりつつあった。


そんな折、魯陽から急使が到着した。

定期的に寿春にも魯陽からの知らせが届き、向こうの状況を知る事ができた。

だが今回の急使はかなり慌てた様子だった。


ーー孫堅に何かあったのか?


嫌な予感が胸をよぎる。

使いは孫策に拝礼すると、仔細を告げた。


「董卓が……遷都だと!?」


使者の報告に孫策が驚愕する。


董卓は少しずつ狭まる洛陽包囲網に対し、最悪の一手を返してきた。

都、洛陽を捨て、遠く離れた旧都、長安へ遷すというものだった。


遷都に際し、董卓は洛陽の資産家から財を没収し、さらに王侯貴族たちの墓陵を暴いて副葬品を奪い取った。


そして官吏や兵だけでなく、家財もろとも百万人の民衆に長安への強制移住を命じた。

拒むものは容赦なく殺されているという。



「ナビ。この時代、洛陽から長安まではどのくらいかかるんだ?」

「直線距離でもざっと400キロくらい。現代の高速道路なら半日で着くけど、この時代はもちろん徒歩。普通の隊列なら一日に4、50キロが限界だから……」

「つまり、最短でも10日はかかるのか……」

「しかも道中は険しい山や荒野。歩く距離は実際にはもっと長い。飢えや寒さとの戦いにもなる。途中で力尽きる人が大勢出るはず」


想像するだけで背筋が寒くなる。

百万人の民が列をなし、泣き叫ぶ子供や荷を背負った老人が延々と歩く光景が目に浮かんだ。


「しかも旧都長安は、前漢末に赤眉軍に焼かれて以来、荒れ果てたまま。無事に辿り着いたとしても、待っているのは食糧も住む家もない廃墟での復興作業……」


ナビの顔に悲痛な色が浮かぶ。

史書にわずか数行で記される董卓の遷都。

だが、俺にとっては今まさに進行する“現実”だった。

こうしている間にも、行軍の列で人々は次々と倒れていく。


悪夢のような黄巾の乱の残火が消えぬうちに、新たな地獄が始まろうとしていた。



「父上はどうされているのだ?」

厳しい口調で孫策が使者に問いただす。


「破虜将軍は全軍を率い北上、梁に陣を敷き、洛陽を伺う構えを取っております!」


「悠長な!なぜすぐに洛陽へ入り、事態を鎮めぬのだ!なぜ民を救おうとしない!?」


「洛陽には董卓の大軍が布陣し、進路を塞いでおります…!」

「他の軍勢はどうしている!」

行奮武こうふんぶ将軍、曹孟徳殿らが少数を率いて突撃しましたが……董卓配下、徐栄の軍に大敗致しました!」


孫策は顔を歪め、唇を噛みしめる。

状況は切迫していた。



「孫策。孫堅の言いつけを守ってる場合じゃない。俺達も梁へ行こう!」


思わず口走った俺に、孫策は驚いたように振り向く。

だがすぐに笑みを浮かべた。


「……流石は俺の友だな」

そう言って俺に正対する。


「だがどうせなら戦力は多い方がいい。まずは舒県に向かうぞ!」


「舒県? それって……」


孫策は力強く言い放った。


「もう一人の俺の友――周公瑾を迎えに行く!」



孫策と共に舒県への道を馬で駆ける。

かなり慣れてきたとはいえ、孫策の手綱さばきには遠く及ばない。

何度も置いていかれそうになるが、孫策は後ろにいる俺を顧みるとこをしない。


ーーついてこれないなら、そこまでの男だということだ。


孫策の背中がそう言っているようだった。

普段は優しいくせに、こういう時には非情なまでの厳しさを見せる。

そんな所も孫堅にそっくりだ。


俺は歯を食いしばって孫策に付いていく。


やがて、遙か先に城郭が見えてきた。


「着いたぞ!」

孫策が前を向いたまま叫ぶ。

「あれが舒県の城か」


舒県の城門をくぐると、すぐ脇に木造の厩舎きゅうしゃがあった。

柱ごとに縄と革の環が取り付けられ、馬たちが鼻を鳴らして繋がれている。

土壁に覆われた建物の中は藁の匂いが立ち込め、兵士の馬番が水桶を運んでいた。


孫策は迷いなく愛馬を引き入れ、手綱を革環に括りつける。

俺も必死に真似をするが、慣れぬ手つきに馬が首を振り、中々上手くいかない。

なんとか見様見真似で繋ぎ止め、早々と走り去っていく孫策を追う。


「逃げたらどうしよう?」


少し不安になりながらも、必死に脚を動かした。

城内は活気に満ちていた。

市場からは喧噪が響き、兵士たちが武具を整え、子供たちが駆け回っている。

洛陽の混乱など露知らず、この舒県にはまだ穏やかな日常の色が濃く現れている。


「ほらほら、置いてかれるよ!」

ナビが俺の頭上でひょいと飛び、前を指差す。

すでに孫策は人垣をかき分け、城の奥へ走り込んでいくところだった。


「くっそ!」

俺は息を切らしながら後を追う。

やがて目の前に立派な屋敷が現れた。

高く塗られた白壁と、深紅の門。屋根瓦は端正に並び、門前には従者が数人、槍を手に控えている。

屋敷の前でようやく孫策が足を止める。


「もしかして、ここが……」

思わず息を呑む。孫策が誇らしげに胸を張った。

「そうだ。これが周家の屋敷、そしてーー」


門が開かれ、ゆるやかな風とともに、一人の少年が姿を現した。

衣は簡素ながら上質で、容姿は整い、中性的な顔立ちをしている。その所作からは気品が漂っている。

その目が孫策を見つけ、柔らかに微笑んだ。


「久しいな、伯符」


「この人が周瑜……」

イメージぴったりの周瑜が出てきた。

超絶イケメン。

思わず見とれて、惚けている俺に周瑜が声をかける。

「そちらが噂の」

「ああ、父上に頼まれていた倭人、持衰だ!」

孫策が俺のかわりに答える。

「ほう。まるで普通の人間だな。神の化身とまで聞いていたので、どれほど貴きお姿かと期待していたが」

真っ向から失礼なことを言ってきやがった。

「周瑜、時間がないんだ!すぐに一緒に来てくれ!」

周瑜は少し考えて、

「何か由々しき事態だということは察するが、持衰殿は随分お疲れのようだ。まずは休め」

「公瑾、董卓が遷都を行なった。今洛陽は火の海だ!早く何とかしないと、大勢の民が死ぬんだぞ!」

「なんだと……」

涼しげだった周瑜の表情に驚きの色が表れる。

「だが、それでは尚のこと身体を休めねばならん。

ーー関心有りと雖も、之に従いて死せん。

と言う言葉もある。このまま向かったところで足手まといだ」

孫策は舌打ちしたが、それ以上反論することは無かった。

周瑜が何を言ったのかイマイチよく分からなかったが、とりあえず孫策も納得したようだ。

都や孫堅が大変な時に情けないが、俺はもう限界だった。

休息を取れるのは正直ありがたい。

「私も詳しく話しを聞きたいしな。とにかく中に入ってくれ」


周瑜の屋敷に足を踏み入れると、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

白壁と黒瓦の端正な造り、敷き詰められた石畳、庭には手入れの行き届いた松が影を落としている。


従者がすぐに駆け寄り、汗に濡れた俺たちの衣を受け取り、涼やかな水を入れた盆を差し出した。

俺は椀を取って一息に飲み干す。

冷たさが喉を滑り落ち、胸の奥まで染み渡るようで、思わず肩の力が抜けた。


「顔色が随分と戻ったな」

周瑜が静かに微笑む。


「俺は平気だ!」

「キミのことではない」

周瑜は孫策を軽くいなし、さらりと従者へ命じる。

「食を少し。なるべく滋養を得られる物を」


やがて出されたのは、温かい粥と漬け菜、それに干した肉をほぐした小皿だった。

営地での粗末な糧食とくらべれば、これ以上ないご馳走だった。


「……うまい」

思わず声が漏れる。

胃にじんわりと熱が広がり、体がようやく自分のものに戻ってきた気がした。

そういえば、于吉と過ごすようになってから、贅沢な物なんて殆ど食べてなかったな。


「さて、伯符。話しはわかった。持衰殿は私が預かろう。君は先にお父上のもとに馳せ参じるなり、好きにすればいい」

「何を言ってんだ公瑾!俺はお前の力を借りるためにここまで来たんだぞ!?それじゃあ意味ないだろ!?」

「私は“先に”行けと言ったんだ。持衰殿に学ぶべきことを学んでもらったら、すぐに後を追う」

「学ぶべきこと?」

今度は俺が周瑜に問う。

「元々の話では、私はキミが将として倭人を率いるのに必要なことを伝えるようにと。そう破虜将軍に頼まれていたのだ」

「そんなことはわかってるんだ公瑾!だが、今は状況が変わっちまったんだ!」

「いや、だからこそさ伯符。持衰殿がいれば倭人隊の士気は大いに上がる。一人の存在が百人の兵の働きに匹敵するのだ」

「だったら尚更――」

「尚更、持衰殿をみすみす犬死にさせるような真似はできないんだ」

「犬死にだと?」

「いや、犬死にならまだいい。今の彼が軍に加われば、何人もの兵の足を引っ張るだろう。それを理解しながら、みすみす梁へ向かわせるわけにはいかんな」


孫策は黙って周瑜を睨めつける。

「持衰殿にはまず将器を身に着けてもらう。それこそが現状最も益のある判断だと、私は思う」

孫策に一歩も引かずに、周瑜は見つめ返す。


「わかったよ」

折れたのは孫策だった。

「公瑾、確かにお前の言う通りだ。持衰のことは任せる」


孫策だけでなく、周瑜の理屈は俺にも理解できた。まともに調練に参加していない俺は、軍としての動き方も分からない。

そんな俺がいては、仲間を助けるどころか命を危険にさらしてしまう。


危うく俺は、また以前と同じ過ちを繰り返すところだった……。

だが、理解と逸る気持ちは全くの別物だ。


「周瑜。だったら俺に、早く“将として必要な物”ってやつを教えてくれ!」

「君は先ず、将以前に人としての礼を学ぶべきだな」

周瑜が溜息をついた。


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