第二十八話 再会
タケルから聞いた孫堅像は、概ね俺の知っている孫堅のままだった。だが、
「将軍は俺たちに分け隔てなく接して下さる。気さくで明るい方だ。流石は伯符殿のお父上だ。
だが、敵と見なした者に対しては苛烈だ。手段は選ばないし、情けもない」
俺とタケルは営地からほど近い川辺に腰を下ろしている。
ここなら落ち着いて話せるからと、タケルに連れてきてもらった。
孫策にやられた傷口を塞ぐため、俺の額には布が巻いてある。
一晩経って出血や痛みは引いていた。
「東郡太守、橋元偉様の檄文に応じ、破虜将軍も打倒董卓の旗を掲げ、挙兵された。長沙から北上する道中、当時将軍の上役だった荊州刺史、王通耀様に軍で攻撃を仕掛けた。王刺史は追い込まれ、終いには自害されたそうだ」
「孫堅は何でそんなことを……?」
「王刺史の罪を綴った檄文が、将軍の元に届いたらしい。表向きはその罪により、将軍が誅殺したということになっているが……」
タケルが言葉を濁す。
「何か別の理由があるのか?」
「三年前、長沙で区星って奴が反乱を起こしてな。そこで将軍は当時、長沙太守として赴任して乱を鎮圧した。だが、それに呼応するように各地でも反乱が起きた。その際、荊州刺史の王通耀様も将軍に助力したんだ」
「上司であり、戦友でもあったってことか? その話じゃ、孫堅が刺史を殺す理由にはならないだろ」
むしろアイツなら、その刺史を庇うかもしれない。俺たち倭人を守ってくれたように。
「続きがあるんだよ。王刺史は将軍を田舎の小役人上がりと舐めきってた。侮辱的な言葉を言われたこともあったそうだ」
「じゃあ、その時のことをずっと恨んでて……」
「檄文にかこつけて殺したってことだ。その一件以来、将軍のことを田舎武者だなんだとバカにする者はいなくなった」
「悪口言われたくらいで、アイツが人を殺すなんて……」
「何だよ? まるで将軍のことを知っているみたいな言い草だな?」
「あ、いや! 聞いた話だとそんなイメージだったってだけで」
俺は慌てて誤魔化す。
「将への侮辱は軍そのものの威信にも関わる。将軍はそれを嫌ったのかもしれない」
「殺す以外にも方法はあると思うけど……」
アイツなら、自らの武勇と働きで誹謗中傷を跳ね飛ばすはずだ。
どうも腹落ちしない。
「まだあるぞ」
タケルは話を続ける。
「その後将軍は南陽郡まで進まれた。当時の太守、張子議様には事前に南陽へ入ると通達してあったそうだ。だが、将軍が通る道はろくに整備されていないばかりか、兵たちのための兵糧も用意されていなかった。董卓打倒を掲げているはずが、むしろ盟友の足を引っ張る真似をするとは何事かと激した将軍は、張太守を斬り殺した」
「まずは直接その太守に『兵糧を用意しろ!』って怒ればよかったんじゃね?」
「いや、有無を言わさずだ。将軍の命は絶対だ。破った者に待つのは死。その一件でそのことがよく分かった」
俺は言葉を失う。俺の知ってる孫堅は器がデカく、ちょっと悪口言われたくらいじゃ怒らない。
失敗を叱責することもしない。むしろどうやったら、みんなが間違えずに済むようになるのか。そういうことを考える奴だった。
孫堅と会うことが無くなり16年。その年月は人を変えるのに十分過ぎる時間だったのだろうか。
同日、そろそろ夕暮れ時になろうかという頃、孫堅が一団を伴って寿春に到着した。
兵たちは左右に列を作り、主君の到着を出迎える。
俺も後ろの方にいる倭人隊に混じった。
おそらく魯陽から伴ってきたであろう兵を50人ほど連れ立ち、孫堅は兵たちが並んでできた道を歩いてくる。
今は35歳だったろうか。
精悍さを増し、凄味のようなものを、一緒にいた時以上に感じる。
だが同時に若々しくもあり、まだまだエネルギーに満ち溢れていた。
出迎えの兵一人ひとりに声をかける顔は笑顔で、大人にはなったが、俺の知っている孫堅そのものだった。
先程のタケルの話が余計に信じられなくなる。
「孫堅……」
俺は静かに呟く。
16年前。死にゆく俺を抱きかかえ、友と呼んでくれた。
一緒にいたかった。戦いは嫌いだけど、アイツの役に立てるのならば、俺は剣を握ることを厭わなかっただろう。
孫堅、何があったんだ?
俺がいれば、何か変わったか?
それとも……
前世の記憶が呼び起こされ、涙が込み上げてくる。
孫堅。友よ。
少しずつ孫堅が近づいてくる。
そして俺の目の前に――
「孫堅!!」
思わず叫んでしまった。
あまりにも無意識で、自分でも驚いてしまう。
「またこのパターンか」
ナビが頭を抑えている。
場が急速に冷ややかになっていくのがわかる。
孫堅の後ろに立つ兵たちに至っては、徐々に殺気のようなものを孕んでいった。
孫堅の傍らにいた男が、ギロリとこちらを睨みつけてくる。
デカい。180センチ以上は軽くありそうだ。この時代においてはかなりのタッパだ。
何より盛り上がった筋肉が、その大きさをより強調している。
「テンメェェェェェエ!!コラ、オイ、こんボケナスガァァァァァア!!オラァ!!ッメテットコロスゾコラァ!?」
めちゃくちゃ巻き舌で、その大男はこちらに向かってくる。
腰を曲げ、わざとこちらを上目遣いに睨みつけてくる。
わかりやすくメンチを切られている。
「オイオイオイオイ!?クソガキ、コラ!!ナントカ言ワンカイコラァ、ボケガァ!コチラのお方をどなたと心得てやがんだコラァ!?」
どこの田舎のヤンキーだよ?
「す、すみません、ちょっと口が滑って」
「ッアア? 何言ッテッカ聞コエネンダヨ、ボケが!!」
ダメだ、話になんねえ。俺が弱り果てていると――
「持衰! 持衰なのか!?」
孫堅がヤンキーを押しのけて、俺の元へやってきた。
両手を俺の肩に置く。
「いや、違うな。そうか、お前が二代目の……。だがしかしこれは……。話には聞いていたが、まるで生き写しだ」
「と、殿?」
ヤンキーが目を丸くする。
「お前、持衰の息子か何かか? いや、アイツは確か女人と交合うことが出来なかったはず……。ならば一族の者の一人か?」
悪かったな。童貞で。
歴史の強制力のせいで、俺は転生している間、子孫を残せない身体にされてしまっている。
「イエ、アカノタニンデス」
肉体は。
「……そうか。お前、歳は?」
「15歳…」
孫策にも聞かれたな。
「持衰が死んで一年後か。ならば、お前はおそらく持衰の生まれ変わりなのだろうな」
どきりとした。まさにその通りだからだ。
「アイツめ、死んだ後も俺を驚かせるか」
孫堅は口元に笑みを浮かべた。その笑顔は、16年前のままだった。
優しくて、まっすぐで――胸の奥が熱くなる。
だが次の瞬間、その表情はすっと消えた。
笑みの跡を一切残さず、氷のように冷たい瞳が俺を射抜く。
あまりに急な変化に、心臓が凍りつく。
目の前の男は、本当に俺の知っている孫堅なのか。
温かさも、仲間を思う誠実さも一片も見えない。
そこにあるのは、殺意を帯びた将の眼差しだけだった。
「お前とは後でゆっくりと話したい。それが叶うかは――お前の師匠次第だがな」
その言葉は重く、拒絶の刃のように胸に突き刺さる。
声を返すことすらできず、俺はただ息を呑んだ。
「祖茂!」
「は、ここに」
祖茂さんが駆けてきて、片膝をつき拝礼する。
「于吉道士をお呼びしろ」




