第二十五話 誤解された修行
それからというもの、于吉は月に二度ほど倭人村に姿を現すようになった。
しかも毎度のように、俺の家に当たり前の顔で上がり込むのだ。
そして家の一角を勝手に薬方所に改造して、村人たちを相手に治療――いや、ほとんど商売を始めてしまった。
定期的に服薬が必要な薬もあるから、突然来なくなったら困るのも確かだ。だが、だからといって、なんでよりによって俺の家なんだ?
置きっぱなしの道具類は邪魔で仕方がない。
母親に言っても「于吉様の道具が家にあるなんて名誉なことじゃないの」と目を輝かせるばかり。
もういっそ薬方所を建てればいいのに。村人たちが同じ提案をしても、本人は首を振る。
「いや、それほど頻繁に訪れるわけでもないからな」
と、さらりと固辞するのだった。
ついでに宮崇まで、いつの間にか普通に出入りするようになっている。
俺の家、いつから公共施設になったんだ……?
家はお陰で慌ただしい時もあるが、許昌乱以降、倭人村は平和そのものだ。
対して黄巾の乱は、なおも各地で燻り続けていた。
「なぁ」
ある日、俺は思い切って于吉に言ってみた。
「そもそもさ、あんたが張角の所に行って、“もうやめろ!”って説得すりゃいいんじゃないか?あんた、アイツの師匠なんだろ? 少しは効果あるかもしれないじゃん」
「弟子は弟子だがな」
于吉は肩を竦め、湯呑みを傾ける。
「彼奴はどこぞで拾った太平清領書を勝手に読み、勝手に太平道を興しただけよ。儂が直に教えたわけではない。……そもそも顔を合わせたことすらないわ」
「いや、それ弟子って言わないんじゃ……」
思わずツッコミを入れる俺。
于吉はケロリとした顔で、まるで「細かいことを気にするな」と言わんばかりに飄々としていた。
このように、于吉が俺の家に来るのが当たり前になりつつあった。 だが、ある日急に来なくなるということも十分あり得る。そうした時にこちらから于吉に接触できなければアウトだ。
俺は自分からも于吉の住処に赴くことにした。
呉郡富春県。その山裾に、地元の信者たちが寄進して建てた精舎がある。
そこに于吉はいる。
瓦葺きの屋根で、柱は太い松材で組まれ、堂内には香炉の香りが漂っている。
正面の広間では、彼を慕う人々が集まり、病の相談や于吉の誦読を聴きに来る。
側の小部屋には、乾かした薬草や薬瓶が並び、弟子の宮崇のたてる、調合の音と香りが絶えなかった。
外には小さな庭があり、竹林を背に、静かな小川が流れている。
「……仙人の隠れ家、っていうより、これもう立派な寺じゃないか」
俺が思わず呟くと、于吉は涼しい顔で肩を竦めた。
「儂は頼んだ覚えはないぞ。勝手に精舎を建てるのだ。儂がいる方があやつらの利にもなるしの」
同じような形で、会稽と呉を中心に、精舎が幾つか点在しているそうだ。
つまり于吉は何処かに定住しているわけではなく、様々な場所を行き来しているようだった。
一度足取りを見失えば追うのは難しそうだ。
ここへは倭人村から、于吉に連れてきてもらった。
親には適当に理由をつけた。于吉先生に教えを請い、自分も人々を救える道術を学びたいとか何とか。反対されるかと思ったが、于吉を信用しきっている母は歓喜していた。
「于吉様のもと立派な道士になるように」とさえ言われた。
正直道術自体をマスターしたいとかは思ってないが、書かれている内容には興味があった。
薬学については正直、難しすぎてよく分からなかった。
草の名や性質を覚えるだけでも一苦労で、聞いたそばから頭から抜け落ちる。
だが、神仙思想に関する話は面白かった。
元始天尊や太上老君といった中国の神々の物語を、于吉は臨場感たっぷりに語ってくれた。
「天に住まう仙は、人の寿命を延ばし、時に人の運命すら左右する」――そんな話は、中々に男心をくすぐった。
さらに教えを受けたのが、『太平清領書』に記された建康法。
これは“人が健やかに生きるための心得”をまとめたもので、
「食事の前には手を洗え」とか「部屋は清潔に保て」とか、現代社会では当たり前の衛生法が多い。
けれど、中には思わず耳を傾けるものもあった。
たとえば呼吸法。
吸うときは静かに、吐くときは長く。
そして、必要最低限の回数で呼吸を留める。
息をたくさんする者は、外の邪気もそれだけ多く吸い込んでしまう。それが老いにも繋がると。
実際于吉と宮崇の年齢を聞いて驚愕した。
于吉78歳、宮崇53歳。
二人とも実年齢より20くらいは若く見える。
特に于吉はこの歳でこの健脚。ここに来るまでの山道も、さほど息を切らさず歩ききっていた。
「……太平清領書に書かれてる“不老長生”って、本当に効果あるんじゃ……」
俺のつぶやきに、ナビがすかさず口を挟んだ。
「科学的に言うとね、“不老長生”そのものはもちろん無理。でも、書いてある養生法自体は、今の医学から見ても理にかなってるのは確かだね」
「ほう、詳しく」
「まずは生活習慣!これはキミも分かってると思うけど、食事を節制するとか、清潔を保つとか、手を洗うとか。これって全部、感染症を防いで健康寿命を延ばす効果があるでしょ?
それと今の呼吸法――これは自律神経を整えてストレスを減らす効果がある。ストレスって酸化ストレスの原因だから、老化を早める要因のひとつなんだよ」
「……つまり、酸素を吸うなって話じゃないんだな」
「そうそう!酸素は必須。でも、荒い呼吸や過剰な酸素は細胞を傷つける“活性酸素”を増やすこともある。逆に、ゆっくり深い呼吸は体を落ち着けて、老化のスピードを緩める方向に働くんだ」
「なるほど……不老不死は無理でも、“若々しく長生き”くらいなら現実的ってわけか」
「そういうこと! 于吉と宮崇が実年齢より若く見えるのも、きっと毎日あの養生法をコツコツやってる成果だね」
とまあこんな具合に俺は于吉の元にいる時間がどんどん増えてきた。
そんなことをしているうちに、俺は母親以外からも、于吉に弟子入りし、道士としての修行をしているのだと思われるようになった。
そして、なんと、遂にはこう言われるようになる。
――持衰の再来。
俺は、単に于吉を見張っていただけのつもりだったのだが……。
そして、持衰の再来と言われるようになったもう一つの要因、
容姿が瓜二つだと言うのだ。
成長するにつれ、前回の俺の顔を知っている人間が、持衰の顔にだんだん似てきていると。
神仙の力を学ぶ俺の身体に、持衰の魂が宿ったのではないかと。
あながち間違いではない、中身は一緒だし。
「ていうか、そんなに似てるのか?」
この時代に来てから、鏡なんて物は一部の権力者しか手に入れられない貴重品だったからな。
水面に映る自分の顔もそんなにまじまじ見たことないし。
「なあ、于吉。鏡ある?」
「祭祀用のやつならあるが?」
「貸して」
「良いぞ」
あっさりと貸してくれる。于吉は演出としてこういう道具を使うことはあるが、実際の効果には期待していない。
こうしてずっと一緒にいてわかってきたが、この男は道士の癖に現実主義者だ。
「似て…るな。
いや、そもそも。」
今の俺と前回の俺。そして現代の俺。全部顔一緒じゃね?
「どういうことだ?なんか理由があるのか?全員実は血の繋がりがあるとか?それともたまたま?」
「肉体同士で血の繋がりは一切ないよ。でも、キミの顔が同じになるのには理由がある」
ナビが現れる。びっくりした……。
「どんな!?」
「魂ってね、ただの“霊”じゃなくて、もっと物質寄りの存在なんだ。
分かりやすく言えば、“情報を保持する場”っていうか、脳や遺伝子が持っているデータを、そのまま写し取る記憶媒体みたいなもの」
「記憶媒体……?」
「そう。わたしがキミの魂を剥ぎ取ったとき、意識や人格だけじゃなく、細胞の設計図――つまりDNA情報までパッケージでコピーされてるんだよ。
魂を構成する“素粒子的な情報体”は、遺伝子発現に干渉できる性質を持っていてね」
「……DNAに干渉? 魂が?」
「うん。魂の情報が新しい身体に宿ると、その情報に合わせて“顔つきや体格”が微妙に補正される。遺伝的に無関係でも、魂が持つ設計図に引っ張られて、前世の自分と似てきちゃうんだ」
「まるでチートの再現装置だな……」
「いやいや、チートっていうより“生物学的フィードバック”だよ。
魂を物質とみなせば、肉体の成長過程で遺伝子スイッチに影響を与えてるって説明できる。例えば、エピジェネティクスって聞いたことある?環境やストレスで遺伝子の働き方が変わる現象なんだけど、それの“魂バージョン”だと思えばいい」
「……魂の情報がエピジェネティクスをいじる……?
途中の専門用語がよくわらんかったが、つまり俺は何度生まれ変わっても人格だけじゃなく、身体も同じ人間になるってことか……?」
ナビはぱちんと指を鳴らした。
「その通り! キミは“魂のデータ”が固定されてるから、再生されるたび同じ顔、同じ声、同じ雰囲気を持つんだ。まあ、多少の誤差はあるけどね。環境や食生活も肉体の形成に影響を与えるから」
理解できたような気はする。
でも、相変わらず後付け設定な気がしてならない。
「前にも言ったけど、なんでお前全部先に言わないんだ?」
「一気にチュートリアル終わらせても覚えきれないでしょ?進行度に合わせて解説していく方が親切じゃない」
「てことは、まだ俺に説明してないことがあるってことか?」
じとー、っとナビを睨む。
「さーね」
そう言ってそっぽを向く。
今は説明する気が無いってことか…。
もったいぶりやがって。
兎にも角にも、こうして俺は今生でも、持衰と呼ばれるようになってしまったのだ。




