第二十四話 仙人
黄巾党との戦いは続いている。 俺達の句章県のお隣、上虞県出身の朱儁って人がいて、黄巾軍討伐に際して右中郎将に任じられた。
ナビによると、どうやら皇帝直属の軍の将らしい。左とか右とか前とか後とか、中とか……いっぱいあって、要するに皇帝の近衛軍の司令官みたいなもんだ。
で、朱儁はその“右”担当。まあ、黄巾討伐みたいな大仕事がある時は、こういう皇帝の信頼できる将軍が現地に派遣されるってわけだ。
つまり朱儁って人は、中央のエリート軍人ってことになる。
朱儁は同郷の誼を頼ってか、会稽で活躍する孫堅をスカウト。
佐軍司馬に任じた。
佐軍司馬。ナビ曰く、これは討伐軍の副官みたいなポジションらしい。
軍の運営や兵の指揮を補佐し、時には将軍に代わって軍を動かすこともある。
いわば“将軍候補の登竜門”だとか。
つまり、孫堅はついに“地元の英雄”から“中央の将軍チームの一員”へと昇格したってわけだ。
彼の采配は的確で、戦場での奮戦ぶりも加わり、その名声は兵士の口伝えで広がっていった。
遠く会稽の村々にまで「孫堅あり」と噂が届くほどだった。
一方で、依然民衆の心は宗教に傾いていた。
西方では五斗米道と呼ばれる集団が勢力を伸ばし、
会稽郡でも出自の怪しい宗派や、仙人や道士を名乗る者たちが次々と現れていた。
戦乱と飢饉に疲れた人々は、天に救いを求め、漢の地はまさに空前の道教ブームに包まれていた。
そのような折に、ある道士が倭人村を訪れた。
歳は60ほどだろうか?
風に揺れる長髪は白くなっているが、艶がある。
衣は白と青を基調とし、袖や裾には雲の文様が刺繍され、歩くたびにかすかな光を放つようだ。
腰には小瓶が下がり、手には桃木の杖。杖の先には小さな玉が結び付けられており、陽を受けて淡く輝いていた。
その姿は老いを感じさせぬ端正さと、神々しさを併せ持ち、人々はただ息を呑んで見つめるばかりだった。
老人は倭人村の関の前に現れるとこう言った。
「突然の来訪済みませぬな。こちらに倭国の方々の村があると聞き申した。そしてこちらには倭人の神となられた持衰様が祀られいるとも。一介の道士たる我も是非その神威に触れたいと思い至り、こちらに参った所存」
持衰はこの村のヒーローだ。
そのヒーローを持ち上げてくれるもんだから、門番も気を良くした。
しかも相手は老人1人。
特に警戒することなく中に招き入れたそうだ。
「ふむ。そこな童」
爺さんが俺に目を向ける。
「お主、持衰様の祭壇まで案内してくれぬか?」
「え?なんで俺?」
「大人達は忙しいであろう。手を止めさせるにしのびない。お主暇そうだからの」
ぬぬ、子供だって色々やることあるんだぞ?
ただ、周りの大人達は是非案内して差し上げろと言ってくる。
この見るからに只者じゃない爺さんに、一瞬で敬服してしまっているようだ。
「道教ブームの影響だな……。みんなそれっぽい人に弱い」
ま、俺もちょっとこの爺さんに興味が出た。
爺さんを先導して、倭人塚に向かう。
「祭壇って言ってたけど、正確には墓だからな?」
「そうであったな。聞く所によると、持衰様は生前から神力をお持ちで、航海に出れば荒海を割って道を作り、戦場に立てばその剣の一振りで、万の軍勢が薙ぎ払われたというが、それは真か?」
「いや、流石にちょっと大袈裟じゃない!?」
どこのモーセだよ!?
村人達があることないことオーバーに吹聴するから、持衰の伝説にどんどん脚色がついてきてるじゃん!!
歴史書にも眉唾物の偉人エピソードが多くあるけど、こんな形で出来上がっていった話も多いんだろうな……。
俺が先導して倭人塚に着くと、爺さんはしばし無言で立ち尽くした。
やがて杖を突き、深く一礼する。
腰の小瓶を外して祭壇の前に置き、何やら呪のような言葉を唱え始めた。
風が止み、周囲の空気がぴたりと張りつめる。
なんか雰囲気あるな……。
俺は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
「ふむ。お会いできて光栄でしたぞ、持衰様。さて、童よ」
爺さんが俺に向き直る。
「なに?」
「このまま去ってもいいのだが、そろそろ暗くなりそうでな。折角だ。今宵、お主の家に泊まらせてくれぬか?」
「えー?」
なんか凄そうな爺さんだけど、こんな得体の知れない老人と一晩過ごすのはな……。
「そうあからさまに嫌がってくれるな。そうだの、おぬしの村で具合の悪い者などはおらぬか?特別に一度だけタダで診てやろう」
「え?道士のクセに金とるのか?」
「アホか。当たり前じゃろ。道士だって飢えたら死ぬんじゃ。五斗米道の張陵は知っておるか?あやつだって教義の名の通り米を寄進させておるだろ。神への捧げ物と言っておるが、あいつ絶対米喰っとるからな」
「……いや、確かにそうだけどさぁ……」
俺は思わず苦笑した。
爺さんは涼しい顔で続ける。
「道士とて霞を食って生きられるわけではないからの。治療するにも、薬を作るにも、まずは自身が生きておらねばな」
その言いようが妙に現実的で、逆に説得力があった。
「寧ろ神だ道術だなどと誑かし、いたずらに財を放出させたり、人々を煽動して乱を起こさせるような真似をする人間よりも、余程潔いと思わんか?」
「太平道の張角みたいにか?」
「おお、そうだ。全く、彼奴も有名になったもんだ。あのバカ弟子が」
「ん?弟子?」
おい、ちょっと待て。今サラッととんでもないこと言ったぞ?
「爺さん、弟子ってどういうとだよ?」
「そのままの意味だが、あの張角という男は、儂の太平清領書から道術を学び、その教えをもとに太平道を興したのだ」
「いやいや、そんな人間がこんな所に一人でふらふらやってくるわけないだろ?自分に箔をつけるためだとしても、もう少しマシな嘘を……」
続きを老人が遮り、
「お主小僧の癖に弁が立つの?気に入ったわい。特別に見せてやろうかの」
そう言って爺さんは懐から竹簡を取り出した。
そこには確かに
太平清領書とある。
「いやいやいやいや、たまたまどっかで手に入れただけだろ……?」
「疑り深いの〜、おい、宮崇」
林の奥からぬっと男が現れる。
「だ、誰だ!?」
「儂のもう一人の弟子の宮崇だ。おい宮崇」
「はい。先生」
林の奥から現れた宮崇は、背に大きな竹籠を担いでいた。
何が入っているかわからないが、
ぎしぎしと竹の軋む音が響く。
竹籠を地に置き、宮崇は中身を取り出す。
老人が先ほど見せたのと同じような竹簡を並べはじめる。
その全てに太平清領書と書かれている。
一巻、二巻――
やがて地面いっぱいに広がった竹簡の山は、見ているだけで気が遠くなるほどの分量となった。
というか、こんな量を良く一人で担いでいたな。
よく見れば確かに宮崇は、鍛え抜かれた見事な体つきをしている。
「これが、太平清領書、全百七十巻だ」
宮崇が俺に告げる。
「同じものはその昔、こやつが漢の順帝に献上した物のみになる。張角でさえも全ては持っておらん」
爺さんが後を取る。
「じゃあ、本当に張角の師匠?あんた一体……」
「お、まだ名乗っとらんかったか。儂は于吉だ。太平清領書はこの儂が著した」
「「う、于吉!?」」
俺とナビの叫び声がハモる。
于吉って言えば三国志の中でも超有名な道士だ。
「そういえば、確かにこの人呉郡や会稽郡で活動していたって記録があるけど……。それにしても流石観測者。凄いの引き当てたな」
ナビも驚きを隠せないようだ。
「儂のことを知っているのか?」
「いや、まあ、えっと、どうだろ?」
「まあ、儂けっこう有名だからの。ともかくこれで納得してくれたかの?またお主の村に連れて行ってくれぬか?」
「わ、わかったよ」
俺は于吉の申し出に了承する。
まさか、于吉が出てくるなんてな。
そうとわかれば話しは別だ。むしろ俺がこいつから離れない。
だってこいつは……。
そういえば、いつの間にか宮崇の姿が見えなくなった。
「あれ?宮崇は?」
「最初に一人でおった儂が、急に二人で戻ったら怪しいだろ」
「だったら最初から2人で入ればよかったじゃん」
「あいつ、身なりがゴツイから怖がられるのだ。それに老人一人のほうが警戒されんのだよ」
確かに。納得。
俺は宮崇の逞しい体を思い出す。
倭人村に戻ると、夕暮れ時になっており、仕事を終えて家々に戻ろうとする人たちが目立った。
于吉に気づくと多くの人間がおっかなびっくり近づいてきた。
コイツ、見かけのオーラ半端ないからな。人を引きつける魅力と近寄りがたさが共存している。
早速于吉は病人を探し当て、治療をはじめる。
于吉は病人のそばに腰を下ろした。
まず手首を取り、じっと脈を探る。
しばらく目を閉じていたが、やがて口を開いた。
「高熱にうなされ、咳も出ておるな。痰が濃い……肺熱じゃ」
腰の小瓶から乾いた薬草を数種類取り出し、小さな石臼で粉にする。
生姜と甘草を煮出し、そこに粉を混ぜて薬湯を作った。
鼻をつく苦い匂いが立ちのぼる。
「少しずつ飲ませよ」
村人が匙で病人の口に薬を含ませる。
しばらくして、苦しげだった呼吸が徐々に楽になり、
汗をかいた額から熱が引いていくのが見えた。
「一晩経てば回復するじゃろ」
「おお、やはり真の仙人様だ」
「生仙人様だ!!」
「ありがたや、ありがたや」
人々が口々に持て囃す。
持衰の時も思ってたけど、ここの人たちその場のノリで盛り上がり過ぎなんだよな。
ミーハーというか、なんというか……。
「初回のみ無料。二回目以降は受診料がかかるぞ」
と言って、二人目以降は金品や食糧を受け取りながら診ていく。
流石にみんなもこいつが聖人君子なんかじゃなく、お金もらって治療する他の医者と変わらないと気づくだろ。
そう思ったが、次から次へとやってくる。普通の医者よりも格安なんだそうだ。
列の中には病人以外も多く、お布施を始めるものまで現れる始末。
于吉は何食わぬ顔でそれらも受け取る。
「出しすぎだ。これだけでいい」
散財し過ぎという者には少し返してる。根っからの守銭奴ってわけでもないのか……。
落ち着いたところで、于吉を家に泊めるために連れていく。
皆その名誉を羨ましがったが、俺は別に嬉しくない。
ただ、コイツの近くにいられることは願ったり叶ったりだ。
俺はコイツを監視しなければならない。
なぜならコイツは……
孫堅の、友達の息子を殺す男だからだ。




