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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第一章

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第十九話 練習試合

孫堅による調練が始まった。

戦える者は首長と俺を除いて、ちょうど六十人。

二十人ずつが十日交代で孫堅の本拠・銭塘県に赴き、調練を受ける。こうして一か月で全員が一巡し、その後も順に繰り返される。村の防備を手薄にしないための配慮だ。


訓練の主な内容は、軍隊としての動きを身につけることだった。

李魁との戦いで孫堅たちが見せた、見事に統率の取れたあの動き――まるで全員が孫堅の身体の一部であるかのような連携。あの力を倭人たちも学ぶのだ。

ただ寄り集まるだけの“集団”から、指揮系統の行き渡った“軍隊”へ。俺たち倭人にはなかった力だった。


そのほかにも体力づくりや、馬の乗り方なども教わっているという。


調練に俺と首長は参加しない。

首長はあくまで客分であり、孫堅の部下ではないという扱いだ。仲間たちは銭塘へ赴くが、孫堅が首長に用向きがあるときは、むしろ彼の方からこちらに訪れてくる。

倭人のリーダーをしっかり立ててくれる孫堅の配慮に、皆は感銘を受けていた。


俺の場合も、持衰という半ば神格化された特別な立場であるがゆえに、調練など不要と判断されたのだと、皆はそう解釈している。

だが、事実は違う。

孫堅には役立たずと見なされ、はなから存在しない者として扱われているのだ。


「一応、倭人からは崇拝されているようだからな。彼らの士気を下げぬために、張りぼての面子だけは保ってやるよ。」

孫堅がそう言われているような気がしてならなかった。


「わたしは、むしろこれで良かったと思うけどね」

明るい調子でナビが話しかけてくる。

「何度も言うけど、キミは“観測者”だから。巻き込まれて戦うのは正当防衛だから仕方ないけど、自分から率先して戦に参加するなんて越権行為だよ。観測者失格!」

ナビは腕を交差させてバツ印を作った。動きがいちいち大袈裟だ。


「今のこの、持衰だから一線引いて皆を見守りますポジションは理想的だよ。これで安全にこの時代の観測を終えられる」

「……そうだな」

自嘲気味に俺は笑う。

「もー、またウジウジして!

孫堅に言われたことなんて気にしなくていいの!そもそも現代人のキミと、この戦乱の世の人間たちとじゃ価値観が違いすぎるんだから。

なるべく人を殺さないようにする。なんて、キミの時代じゃ当たり前の倫理観なんだから。そこに罪悪感を覚える必要はなし!」

ナビは腰に手を当て、ぷいと顔をそむける。

「キミは観測者にしては、この時代の人にちょっと入れ込み過ぎだよ」

「そうか…。そうだな。確かに、ウジウジしててもしょうがない。戦いは孫堅たちに任せればいい。俺は俺のやるべきことをやればいいんだよな」

「そうだよ、そうそう。キミはただ観測すればいいの。第一、キミがガンガン人を殺しまくったら、どこかで因果が狂わないとも限らないでしょ?」

「……それもそうだな!」

そう言って俺は笑った。何がどう可笑しいのか、自分でもよく分からない。ただ、無理やり笑う。そうしなければ、どんどん自分の気持ちに負けてしまいそうだった。


とにかく、やれることをやろう。

戦い以外でも、俺には役に立てることがあるはずだ。


日々を過ごすうちに、鬱屈とした気持ちは少しずつ日常の影に埋もれていった。

決して消えることはない。けれど、少なくとも目に入らなくなる。こんな処世術は、現代にいた頃から既に身につけていたものだった。


――そして年が明ける。

西暦173年。俺は25歳。そして、孫堅は18歳になっていた。



調練が始まったこと以外にも、孫堅と盟を結んでから変わったことがある。


一つは、句章県の許昌の動きが沈静化したことだ。

方々で孫堅たちが睨みを効かせているおかげで、少なくとも俺の村の周りでは、許昌の一味が暴れ回ることはなくなった。

川や街道に設けられていた関も取り払われ、他の街との行き来もしやすくなった。

いま俺は、かつて許昌の手下に遭遇したあの川を渡っている。だが当然、もうそんな奴らの姿はなく、何事もなく通り過ぎることができた。

もっとも、小さな衝突は時折あるらしい。倭人の仲間たちも孫堅の下で、何度も許昌軍と刃を交えている。

――危険を冒すことなく、この束の間の平和を享受しているのは、俺だけだ。


……い、いかん。またセンチメンタルになってきている。

俺は必死に頭を振った。別のことを考えよう。


変わったことといえば、もう一つ。――あの県令だ。

許昌を除けば、俺たちの目下の悩みは県令に課せられた重税だった。

今までも決してゆとりがあるとは言えなかったが、調練に男手を割くようになれば、その負担は否応なしに増してしまう。

だが、その点でも孫堅は抜かりがなかった。

俺たちの実情を知るやいなや、すぐさま県令のもとへと赴き、事の次第を問い質したのだ。

「本来、漢に奉ずべき民の税を、戸籍が無いのをいいことに私物化するとは罪である」

そう断じて、県令を更迭させ、代わりに別の者を据えたのである。

その辺りの法的な手続きにはとんと無関心だったが、俺たちは正式に漢の戸籍に入れられ、正当な量の税を納めるだけで済むようになった。


もっとも孫堅は、


「まあ、正直こんなことをやっている役人は珍しくない。今回は県令がそうだっただけで、もっと上の太守や刺史が同じ真似をしているなんてこともざらだ。たまたま俺が、それを許さない人間だったってだけさ」


と語っていたらしい。


漢の腐敗はすでに深く進んでいる。

許昌のやり方は許せない。だが、これでは漢に対する反乱が起きても無理はない――そう思わざるを得なかった。


倭人の村から、一番近い川辺に舟をとめる。

もっとも、まだまだ距離があり、急な斜面に阻まれてここから村の姿を窺うことはできない。かすかに見張り櫓の頭が覗く程度だ。


徒歩で十五分ほど進むと、隠れ道の入り口に到着する。そこから斜面を登ればようやく村に辿り着くが、隠れ道の終点には柵と関が設けられていた。

かつてこの道を敵に知られ、逆に背後を突かれたことがある。その教訓を踏まえた対策だ。


北側正面の柵もさらに厚く強化され、孫堅から支給された装備で武器庫も潤った。村の様相は確実に変わってきている。


何より、調練を終えて戻ってくるたびに村人たちは逞しくなり、ただの農民から戦士へと変貌を遂げつつあった。

これだけの防備と人員があれば、孫堅がいなくとも、この村を容易に攻め落とすことはできまい。

隣街で買い付けてきた品々を保管庫に入れる。

会稽は温暖な気候とはいえ、春はまだ遠く、寒さは厳しい。

その代わり農作業は少なく、この時期はほんの少し時間に余裕ができる。


日暮れまでは、まだしばらくある。

――さて、何をしようか。


「持衰殿!」


うげ。


声のした方を振り向くと、昨日調練を終えて戻ってきたばかりの者だった。


「持衰殿、俺とも一度お手合わせ願えぬか?」

目を輝かせながら、そう申し出てくる。


『俺とも』というのは、以前、こいつ以外の何人かに頼まれて稽古をつけたことがあったからだ。練習試合のような真似をしたあの時のことを指している。


孫堅に「用なし」と言われ、自分だけが何もしていない。その羞恥と負い目を少しでも紛らわせたくて、つい了承してしまった。それが、いけなかった。

それからというもの、俺の姿を見るやいなや、ひっきりなしにガチムチどもが寄ってくるようになってしまった。

仕事だ何だと理由をつけて断ることもあるが――今日はもう逃げられそうにない。


「……暗くなるまでだからな」


開けた場所に移動して向き合う。

さっきまで一人だったはずが、気づけば後ろには順番待ちができている。

まったく、孫堅の影響ですっかり戦闘バカになりやがって。


しかも周りにはギャラリーまで湧く。いつもこうだ。娯楽の少ないこの時代、こんなものでも立派に“見世物”として成立するらしい。


木製の模造刀を渡される。


「おい、何だよこれ?」

「模擬戦用の木剣ですけど……」

「バカ野郎、当たったら痛いだろうが!」

「ですが孫堅様のところで試合をする時は、必ず同じような物を使ってます。ある程度の緊張感がなければ、本当の稽古にはならないと……」

「そんけん〜? 知るかそんなやつ! おい、誰か余ってる布持ってこい!」

するとギャラリーの中から何人かが駆け出し、使えなくなった襤褸切れを何枚も持ってきた。

相手にも手伝わせながら、俺は木剣に布を巻きつけ、麻紐でくくりつけていく。


「おい、そんなぎゅうぎゅう巻くな! 硬くなるだろ!?」

「は、はい……」


よし、こんなもんだろう。これで布がクッションになって多少は痛みが和らぐ。……まぁ、それでも痛いんだけどね。ちなみに前回も前々回も同じようにした。


「うわ〜、持衰様ダサ〜」

最初にやった時は、ナビに侮蔑を込めた顔で見下された。

今は何も言わないが、きっと心の中では似たようなことを考えているに違いない。――だって、あの時と同じ顔をしてるんだから。


「いいか? 俺が止めって言ったら終わりだからな?」

「わかりました!」


若者はハキハキと返事をする。俺と手合わせできるのがよほど嬉しいらしい。

……まったく、過大評価してくれちゃって。


「よし、来い」


俺の合図に、若者は一瞬大きく息を吸い、気合を込めて駆け出してきた。

横一閃に剣を振る。速い。だが李魁と比べれば大した速度ではない。


俺は上体を沈めて難なく避ける。外されたことに動揺もなく、すぐさま二撃目、三撃目を繰り出してくる。

間断なく続く攻撃。俺は試しに受けてみることにした。


布が緩衝材になって派手な音は鳴らないが、体の芯にずしりと響いた。やはり孫堅の調練は伊達じゃない。倭人たちの戦闘力は確かに上がっている。

ぶっちゃけ観測者補正がなければ、俺なんて秒殺だろう。


衝撃に押されて後ろへ流される。好機と見たか、若者は大きく振りかぶり渾身の一撃を叩き込んできた。

でも――


がら空きになった胴に剣を合わせる。

相手が呻き声を漏らした。……ちょっと力を入れすぎたか。でもダメージは大して無さそうだ。


「はい、ここまで! やめやめ!」

「も、もうですか?」


まだ余力を残した若者は物足りなさそうだ。

いや、このまま続けたら俺が体力負けしてやられる。後にも控えてるんだし。


「甘えるな。本物の剣なら今ので死んでいたぞ。戦場に次なんてものはないんだ」

俺は、昔読んだ少年マンガのセリフを丸パクリした。


いや、だからこその訓練なんじゃないの? 一回で終わらせたら意味薄いじゃん?

……なんて言われたら何も言い返せないけど、彼らは納得してくれたようだ。


「さすが持衰殿だ! 訓練でも命を懸けるつもりで挑めということか!」

「あの布切れも、きっと俺たちのためなんだ。本気で打たれたら、たとえ木剣でも命が危ないからな!」

「なるほど……やはり格が違う。孫堅様が調練に呼ばないのも当然だ。実力差があり過ぎて、訓練にならないとお考えなのだろう!」


……なんてお目出度い連中なんだ。勝手に何でも良い方に解釈するんだから。


その後も代わる代わる相手をする。

全体的にレベルアップしていて、観測者補正を使っても浅く打ち込まれる場面が僅かにあった。

ただ、こうして稽古を重ねるうちに、俺自身も我流ながら剣の扱いには大分慣れてきていた。


――もっとも、もう強くなる必要なんて無いんだけどな。

汗を流している間は忘れられるが、気を抜くとまた孫堅の言葉が呼び起こされる。

「英雄気取りのクソ野郎」「もうお前に興味はない」

戦いなんてごめんだけど、孫堅に頼られているコイツらが、羨ましくもあった。

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