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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第一章

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第十八話 失望

孫堅が去っていく。いつの間にか李魁達を追っていた兵も戻ってきており、11騎の騎馬の群れの馬蹄の音が響く。


辺りは暗くなりつつあるが、このまま眠るわけにもいかない。

傷の酷いものは女達に手当てをしてもらっている。幸い重傷の者はいなかった。


そして死体だ。

夥しい数の死体が転がっていた。

血の臭いが鼻を突き、まだ温かさを残す肉体には、早くも蠅が群がっている。


「……穴を掘れ」

誰ともなくそう言って、村人たちが鍬を手に取った。

敵兵といえども放置すれば疫病の元になる。

このまま捨て置くこともできないので、地面の下に埋めることになる。


殆どは孫堅達にやられた兵だ。

助けてもらっておいてなんだけど、ちょっとは死体の処理も手伝って欲しかった。


掘り返した土は重く湿り、掘るたびに鈍い音を立てる。

穴が十分に深くなると、仲間たちは死体を次々に放り込んでいった。

鎧や武具は剥ぎ取って利用する。

裸の姿で流れ作業のように放り込まれていく死体を見ると、どうしてもいたたまれない気持ちになる。


「うっ……」

若い者の何人かは、悪臭と腐敗に耐えきれず吐き戻した。

しかし手を止めることは許されない。黙々と、ただ黙々と、土をかけていく。

やがて穴は埋まり、戦場の痕跡は土の下に隠された。


供養の言葉も祈りもない。これがこの時代の当たり前だ。倭国にいた頃から似たようなものだった。

でも俺だけは、そっと手を合わせた。


日が暮れ、篝火の明かりが村を照らす。

粗末ながらも、村の女たちは総出で食事を用意していた。

炊き上げた米の湯気が立ち昇り、葉に包んで蒸した赤米が卓に並べられる。

大鍋では豚肉が醤と塩で煮込まれ、川から揚げた鮒が炭火でじりじりと焼けている。


さらに山から獲ってきた鹿肉が串に刺され、香ばしい匂いを漂わせていた。

里芋は皮を剥いて煮込み、山菜は塩でさっと和えられている。

倭の素朴な料理と、中国南部風の煮込み料理が並ぶ光景は、村人の目にも不思議な取り合わせに映った。


今日は、孫堅を迎えるための宴を催す。その席を彩る様々な料理が並ぶ。

首長は中央奥に設えた台座をすすめ、そこに酒と肴を運ばせると提案したが、孫堅は喋り辛いからとこれを固辞。

皆と同じように焚き火を囲んで、地べたに腰を降ろす。伴ってきた五人の配下もそれに倣い、俺達の輪の中に紛れた。


「おお……これはなかなかのもてなしだな」


孫堅は嬉しそうに目を細め、まずは大盃の濁酒を一息にあおる。

「ふむ、米の香りが強いが悪くない。温まるな」


続いて、鹿肉の炙りに手を伸ばす。

「これは倭人の食か?」

頷く村人に、孫堅はにっと笑って言った。

「若い頃から山に分け入って獲物を仕留めるのは同じ。肉は国を越えても旨いな」


一方で、葉に包んだ赤米の蒸し飯を口に運んだときは、思わず眉を上げた。

「ほう……米をこうして食うのか。中国では餅にすることはあるが、これはまた独特だな」


やがて酒の席は温まり、村の者が口噛み酒を差し出す。

「これは、わしらの国では祭りの時に飲むものです」

う、それは……。

説明を聞いた孫堅は一瞬目を丸くしたが、豪快に笑った。

「ははは!人が口で作る酒か!面白い。ならば俺も挑むとしよう!」


盃を傾けると、村人たちに緊張が走る。

しかし孫堅は意に介さず喉を鳴らし、やがて豪快に笑った。

「濃く、甘いな。文字通りこれが倭人の味か!」


その笑い声に、場の空気が一気に和んでいった。

豪快で明るい男だ。この時代に来て初めて会うタイプだった。


「して、司馬殿。我等へのご要件とはどういった内容であろうか?お申し付け下さればこちらから出向きましたものを……」


孫堅の隣に座る首長が、ある程度場が暖まったのを感じ取り質問に入る。


「なに、首長殿。ここにいる倭人のみんなに関係することだからな。一度に話しを聞いてもらった方が手っ取り早いだろう?」


若さ故かもかもしれないけど、かなりノリが軽いよな。

会稽郡司馬ってあの句章の県令より偉いんだよな?

あの偉そうな県令とは全く違う。

これが英雄の器のデカさってやつか。


俺は一人感心して、うんうんと頷く。


「単刀直入に言おう。俺と一緒に戦ってほしい。」

「やはり、そう言ったお話しでしたか……」

「民を守るのは郡司馬の務めだからな。別に恩着せがましくするつもりはない。けど、あんたらのその団結力はかなりのもんだ。一緒に戦ってくれるなら、これほど心強いことはない。」


首長は考え込み、周りの人間も沈黙する。

俺達は孫堅が伊都国の連中や、あの県令とは全く違う人間だということは感じている。

いいように利用されたりすることはないだろう。

けど、俺達はもう、誰かの為に犠牲になりはしない。自分達の為に戦う。そう決めたんだ。だから今回李魁とも刃を交えた。

だがこの先はもう……。


「司馬殿。ご助力頂いたことには言葉では言い表せぬほど感謝しております。だが、我々は倭国の戦乱を逃れるためにこの地へやってきた。攻められれば守るために武器を取るが、自ずから戦場いくさばへ向かうことはせぬ。それに我らのようなものが司馬殿の軍勢に加わっても足手まといにしかならぬと思う。」

確かに、李魁との戦いで見せた孫堅達の動きは次元が違った。あんな精鋭、おそらく倭国の強国である吉備国でもいないだろう。

しかも、俺達は誰一人馬の扱いも知らない。


「あんたらの気持ちは分かるよ。確かにこんな異国の地で、漢のために戦ってくれと言われても簡単には頷けないよな。けどな、それは間違いだ。」

最後の言葉は、それまでの親しげな話し方とは違う、刺すような語気だった。

首長は続きを促すように、孫堅を見返す。

「確かに共に戦ってほしいと言った。けどな、それはあんたらも同じはずだ。これはな、一緒に戦ってやってもいいと。提案でもあるんだよ。」

「提案?」

「前にも言ったよな?あんた達は有名人だ。今会稽中が、いや揚州でさえもあんたらに注目している。なら、許昌の連中も同様だ。実際居所も割れてるわけだしな。」

孫堅の言いたいことが段々と分かってきた。

「今回は追い払った。けどこれで終わるはずないよな?奴らの仲間はまだまだ大勢いるんだ。」

「同じようなことがあっても、司馬殿は、会稽の軍はもう動いてはくれぬと?」

首長の言葉遣いも遠慮が無くなってきた。楽しげだったはずの宴の席は、ピリリとした空気に包まれている。

「そうは言ってない。けどな、許昌の勢力は句章だけに留まらず、すぐ隣のぼうぎんにまで手を伸ばしている。西へ行けば上虞じょうぐだって危うい。どこも油断ならん。狙われる村落は数知れない。全ての民を救うのが俺の仕事だ。あんたらだけを守っていられるほど、兵の数にゆとりはないんだ。」

「聞こえは良いが、脅しにしか聞こえんな。」 「どうとでも取ってくれ。けどな、自分達の為に戦うってあんたは言ったが、それは違う。敵が攻めてきたら武器を取る?ただ、尻尾を丸めて小屋に閉じ籠もってる負け犬と一緒だ。そんなもん戦いじゃない。首長さん、あんた戦禍を逃れるためにここに来たって言ってたけどな、結局向こうでも同じようなもんだったんだろ?あんたがそんなんだから、こんな臆病者どもの集まりになっちまったんだよ。」

首長が腰を上げる。倭人達が色めき立つ。孫堅の配下も少し警戒の色を強めるが、当の孫堅はどこ吹く風だ。

「もう、逃げ場はないぞ?自ら噛みつく牙がなければ、いずれあんたらは滅びるだけだ。」 首長が歯を食いしばる。歯軋りの音がこちらにも届いてきそうだ。 座っていた孫堅が立ち上がる。

「おい!お前ら!負け犬のままカスみたいに死んでいくだけでいいのかよ!?この間の戦いは見事だった。あの時の覚悟を外に向けろ!俺とお前らなら許昌なんてブッ倒せる!力は授ける。扱い方も教えてやる!後はお前ら次第だ!」

孫堅は首長ではなく、俺たちに向かって叫ぶ。


孫堅の声が夜空に響いた。

最初は誰も返せなかった。

だが、沈黙を裂くように一人が立ち上がる。

「……お、俺は戦う!」

続いて別の声が上がる。

「俺もだ!」

その火種は一気に広がり、焚き火に爆ぜる火の粉のように、次々と叫びが重なっていく。

「俺も!」「戦うぞ!」


「どうする首長殿?」

孫堅が首長に笑顔を向ける。人懐っこい、そして少し悪戯をした後の子供のような笑い方。

勝負あった。この場を掌握しているのは最早首長ではなく孫堅だ。首長は一つため息をつき、

「私は皆の意見を尊重する。我らは会稽郡司馬殿に従おう。いや、我らと共に戦って頂きたい。」

「応!よろしくな!」

話は決まった。俺達は孫堅と共に許昌を討つ。


いずれ故郷に帰る。首長の提示した未来は、確かに俺たちに希望を与えてくれた。それは今も変わらない。 ただ、孫堅の与えてくれた大義は、現時点において、最も俺達が欲していたものかもしれない。ただいつ来るとも知れない時を思って耐えるだけではない。災厄自体を自らの手で打ち破る。その能動的な目標は、俺たちの魂に、かつてないほどの力を与えてくれるだろう。


酒宴は再開された。 これから俺達は命がけの戦いをする。 なのにみんなは憑き物が取れたみたいはしゃいでいる。 こんなに心から楽しそうな仲間を見るのは初めてだった。


「なあ、持衰殿。」 孫堅だった。 皆それぞれに酒や歌を楽しんでいる。誰も俺と孫堅に気づいていない。

そういえば、俺とも話しがしたいようなことを言っていたな。


「あ、ああ。孫堅。」

孫堅が少し目を丸くする。

あ、ヤバい。流石に呼び捨てはマズかったか?

でも、コイツ今の俺より年下なんだよな。

でも偉いやつではあるわけで。

謝るか……?


「っていうか!本名で呼ぶこと自体失礼だよ!!こういう場合は首長みたいに司馬殿とか、せめてあざなの文台殿とか!」

「そ、そうなのか!?」

「2年以上も漢に住んでいて、何で知らないのよ!」

「だ、だって漢人で付き合いのある人なんて殆どいなかったし!」

「……?誰と話してるんだ?」


しまった。慌てて口を噤んで、ナビを睨みつける。

だから人前で急に話しかけるなって言ってんのに……。


「私のせいじゃないもーん」


すると孫堅が少し笑った。

「これが話に聞いていたやつか。」

「え?聞いていた。って?」

「持衰殿のことは、首長や他の倭人から教えてもらってな。持衰殿は神と心を通じ合わせることができる。常人には無い力を持っていると。」


あ、あーその話か。

とりあえず呼び捨てにしたことは怒ってないみたいだ。セーフ。


「それにしても孫堅か。」

いや、アウトか?

「いや、すみません!えーと、何だ?ぶんだい殿?」

すると孫堅は大笑いし、

「いや、いい。おそらく俺の方が目下だろうしな。孫堅と呼び捨てで呼んでくれ。会稽郡司馬なんて大層な肩書をもらったせいで、最近気安く話しかけてくれるヤツも減ってしまってな。」

「じゃあ、お言葉に甘えて。孫堅?」

「ああ。代わりに俺もお主を持衰と呼ぶぞ?」

「どうぞ。」

「それでな、持衰。俺は話しを聞くまでもなく、初めて戦場でまみえた時から、お前に興味があったのだ。」

「え、何で?」


すると孫堅の表情が変わった。口元は笑みを

たたえたままだが、眼光は鋭い。



「何でお前、手を抜いていたんだ?」

孫堅の言っている意味が分からなかった。

「手を抜いてた?何言ってんだよ?俺は本気で……」

「じゃあ何故敵を殺さなかったんだ?」


心臓が跳ねた。

全身に冷や汗が滲む。


「いや、あれは……。何も殺すまでも無いだろ?あいつらにだって、家族はいるかも知れないんだし。」

「自分達を殺そうとしてるヤツの家族のために、お前は自分の家族を、仲間を見殺しにするのか?」

「そんなわけないだろ……!だから俺はみんなを守るために必死に。」

「確かにお前の働きで多くの人間が救われた。けど、あのまま俺が来なければ、お前らは殺されていた。逆に最初からお前が本気で戦っていれば、あるいは俺達の力がなくとも、敵を退けられていたかも知れない。」

「そ、そんなこと……」

違う。俺は精一杯やっていた。オレ1人の力で結果は変わらない。

いや?本当にそうか?俺はこう思っていなかったか?

「俺の力があれば、皆を守り切ることができる」と。

どこかで軽く見ていなかったか?戦場を。命を。

「もう一度聞かせてくれ。何でお前は誰も殺さなかった?」

「俺に、人殺しなんて……。」

孫堅は失望したようにため息をつき、

「そうか。だとしたら俺が一番腹立たしいのはな、」

孫堅の真っ直ぐな視線を感じる。俺は堪らず目を背けてしまう。

「お前、自分が殺さないくせに、仲間が敵を殺すことには頓着していなかったよな?自分の手が汚れなければ満足か?英雄気取りのクソ野郎が。」


孫堅の言葉が胸に刺さる。深く、深く。


「戯れにやった事だと言われた方が、まだ見込みがあった。」

そういうと孫堅は背を向けた。

「倭人達は今後俺の調練に参加してもらう。いずれ俺の軍と共に、賊軍どもを討ち滅ぼすためにな。だが、お前は要らん。もう興味もない。」


そう言ってその場を立ち去っていく。

俺は呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。



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