第百二十四話 想い人
都市牛利は最終局面で戦闘に参加できなかった自分を恥じていた。
失態を犯した己を罰して欲しいと申し出てきたのだ。
そういう所は、三十年以上前から変わらない。
奇襲部隊が、逆に不意を突かれた。
しかも、十騎とはいえ卑弥弓呼が駆る騎馬隊だ。
壊滅、そうでなくとも奇襲攻撃自体が間に合わなかったはずだ。
それを都市牛利一人で引きつけることで、天照軍を主戦場にまで間に合わせた。
寧ろ称えられて然るべき働きと言える。
責めを負うとすれば、埋伏を読まれることまで想定に入れていなかった、この私だ。
私は都市牛利を、弥馬升という位に就けた。
邪馬壹国内の臣下における位で、第二位の位置にくる。
大率はそれとは別で、連合国全体での最高位だ。
勿論、王族はこの序列には組み込まれない。
都市牛利は固辞しようとしたが、私はその言い分に耳を貸すことはなかった。
「難升米。都市牛利が外れていた時、代わりに指揮していた者を知っているか」
吉野ケ里にある私の屋敷の中だった。
狗奴国が去ったあとも、我々は戦後処理で忙殺されていた。半月経ったところで、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
「はい、掖邪狗という名の男です。私と年齢も同じです」
「親しいのか」
「はい。“船の民”出身ではありませんでしたが、集落が一緒でした。掖邪狗の祖母様がその昔、女王に治療をして頂いたことがあったそうで。それで移り住んで来たとか」
王位に就く前の女王は、各地を回って怪我人や病人を治療しながら、医療技術を伝え歩いていた。
四十年以上も前の話しになる。
邪馬壹国に来たのは、おそらく掖邪狗が産まれる前の話しだろう。
「それにしても、掖邪狗か……」
難升米、都市牛利、掖邪狗、そして伊声耆。
この四人は、ずっと探し続けていた。
都市牛利は初めから知っていた。
難升米も船の民出身であったため、容易に見つかった。
掖邪狗。まさか天照軍にいたとはな。
これも“歴史の強制力”とやらの思し召しか。
伊声耆は、まだ見つかっていない。
だが、いずれは出会える。
「持衰様、掖邪狗が何か……?」
遠慮がちに、難升米が問いかけきた。
「いや、見事な指揮だったと思ってな。覚えておこう」
「……持衰様に目をかけて頂けるとは、掖邪狗も大層喜ぶことでしょう」
良いことのように言っているが難升米。お前、そうは思っていないだろ。
口には出さないが、難升米の愛想笑いを、白い目で見つめた。
しかし、それも仕方がない。
私からの手ほどきは、難升米にとっては辛い日々であっただろう。
なにせ、一切手を抜かなかったからな。
「もういい。私は本来の役目に戻る。お前しばらくはここに来なくていい。後のことは万事任せる」
「承知いたしました」
口ではそう言ったものの、難升米は動こうとしなかった。
何やら、言いたげな様子だ。
「どうした。何かあるのか?」
「あ、いえ……、その」
目線だけで、私は先を促した。
なるべく柔らくするように心がけたが、難升米は脂汗を滲ませている。
「此度の戦、お見事でした」
そう言って私を見つめる難升米の瞳は、いつものような恐怖心だけでなく、羨望のような物が籠っていた。
私は何も言わずに手だけ払って、難升米の退出を促した。
今度こそ頭を下げ、屋敷をあとにしていった。
私も間を空け、外に出て吉野ケ里の最奥にある、女王の屋敷の方へと向かった。
この集落自体が、二重の環濠と、柵によって覆われている。女王の住まいは、更に周りに柵で囲み、人々に対して隔絶した存在であると知らしめている。
「あら、持衰殿。お帰りなさい」
長年、御子長を務めている於登だった。
今年で七十だったろうか。
すっかり頭髪は白く染まり、顔の皺も増えている。
しかし、闊達さはあいも変わらずだった。
「夕餉には間に合ったか?」
私がそう言うと、於登は訳知り顔で微笑する。
「ええ、持衰殿が今日には見えられるとのことだったからね。少し遅らせてあるよ」
そう言って手を叩くと、板に並べた膳が運ばれてくる。
私はそれを受け取った。
「済まない」
「女王も首を長くして、待っていらっしゃるよ。何年経ってもラブラブだよね」
「馬鹿を言うな」
於登のにやけ顔から逃げるように、私は足早にその場から離れた。
会う度に、今のように私をからかってくる。
困ったものだが、ああやって気さくに話しかけてくる人間は、もう於登くらいなものだ。
気易い人間の殆どは、先に逝ってしまった。
「待っていました。持衰……」
女王の住まいの中にいる。
この時代の屋敷には、現代のような“部屋”と言えるようなものは無い。 そのかわりに、布で仕切って空間を分けている。
最も奥の仕切りの中に祭壇があり、私と会う時、女王は大抵そこにいる。
「申し訳ありません。只今、膳をお運びに上がりました」
「それだと……」
女王が少し俯く。
しまった。食事のことでは無かったようだ。
「あ、いえ。帰参していながら、拝謁が一度切りとなってしまい、申し訳ございませぬ」
再び私は頭を下げる。
「謝らなくても、良いです。顔を上げて……」
言われた通り、私は顔を上げた。
女王は真顔で、こちらをじっと見つめている。
慣れない人間が見たら、感情の無い人形のようにしか思えないだろう。
だが、私は女王と出会って五十年以上だ。
微かな表情の動きで、ある程度の心の機微は読み取れる。
気を損ねた様子はない。
むしろ、少しだけ機嫌が良さそうだった。
「……落ち着きましたか?」
政務は、ということだろう。
「はい、恙無く。狗奴国から取り返した土地も、今は安定しております」
「そうですか、ご苦労さまです……」
「恐れ入ります……」
卑弥弓呼と最後に三人で会ったあの時から、私と女王は、互いを名で呼び合うことは無くなった。
たとえ二人きりの時でも、主君と臣下としての関係性は、決して崩れることはない。
それが私なりの、友に対する筋の通し方だった。
女王自身も、私に対してわだかまりがあるのかも知れない。
あの時の私の行いは、彼女にとっては裏切りと等しいだろうから。
それでも、女王は私を側に置くことをやめなかった。
私も、彼女の側を離れようとは、どうしても思えなかった。
「那美様も、お見えですか?」
「やっほー、日御子ちゃん。ちゃんといるよ」
手を上げて、ナビが返事をする。
こいつだけは変わらない……。
「こちらに控えております」
ナビの姿や声は、私以外には認識できない。
それは女王も例外ではない。
だが、私の脳に残った、ナビの観測波の残滓を読み取って、女王はナビの感情を読み取ることが出来る。
共感覚を持つ、女王だからこそ可能なことだった。
毒見を通し、冷めてしまった膳を並べる。
その間はナビが女王の相手をする。
女王はナビの言葉が聴こえないので、結局は私が口を動かさなければならないのだが。
女王の前。そして正面の近い場所に、私の膳も並べる。
初めて女王に食事を運んだ時、そのまま辞去しようとした私を、女王が引き留めた。
なぜ共に食さないのかと言われてしまい、その後は二人で食事をするようになった。
準備が整い、箸で料理に口をつける。
この時代、倭国にはまだ箸は無いが、私と女王は、木材師に木を削って作らせた物を使用している。
かつて女王が宮崇という道士に伝授された、“太平清領書”。
その中に、手には不浄が宿るとの教えがあったそうだ。
女王は口数が少ない。
二人で向かい合って食事をしていても、時々思い出したように、ぽつりぽつりと言葉をかわす程度だ。
今も、無言で食事をしている。
けれど私は、この時間が一番が好きだ。
戦いは、嫌いだ。
実権を握りたいとも、思わない。
平和に国を動かしてくれる人間がいるなら、喜んでその人物に全て委ねよう。
女王の、彼女の傍にいたい。
想いは、日々積み重なって、大きくなっていった。
ただ、彼女と共にいることに、幸福を感じれば感じるほど、激しい痛みを伴う。
罪悪感。
私と同様に、女王を思っている人間が、ここにいられないのだから。
私は、自分の感情に、心を委ねてはならない。
「持衰」
「はい」
涼やかな声も変わらない。
女王は、六十一になっている。
髪は白に近づいているが、元々灰褐色なので、そこまで印象を変える要因にはなっていない。
肌の皺も少なく、まだ四十そこそこに見える。
ただ、女王自身は、歳を重ねることに対して、特に頓着していないようだ。
於登辺りは、会う度に「いくつに見えるか?」と質問を浴びせては、一喜一憂しているというのに。
「いよいよですか……」
「はい。魏への使者を立てます。これで、連合国に同調する国も増えるでしょう。狗奴国がそれで大人しくなるとは思えませぬが、成功すれば、我らが優位に立つことができます」
女王は僅かに肯いたあと、窓の外を見上げた。
「持衰、東にも、目を向けて下さい……」
「出雲や吉備も、おいそれとは手を出せなくなると思いますが……」
「いいえ。もっと、東です……」
その言葉で、女王の言わんとしていることは察した。
「承知いたしました」
私は女王に叩頭した。
「母上にも、お顔を出して上げて……」
「そう、ですね……」
確かに、母とも随分と会っていない。
事が動き出せば、多少は身体も空くだろう。
久しぶりに、母に会いに行くのも悪くない。




