第百二十一話 守勢
九州の東側は、辛うじて国境線を死守している。
私のいた時代の宮崎市の南部まで、狗奴国は進出して来てはいる。それでも、大淀川を挟んだところで、何とか食い止めていた。
女王の本貫、邪馬壹国には、指一本触れさせてはいない。
だが西側は別だ。
現熊本市までが狗奴国に支配されている。
第二の都、吉野ケ里を窺える位置にまで、狗奴国は触手を伸ばそうとしている。
私は軍を金峰山に展開させた。山林を拠り所として、卑弥弓呼を迎撃する。
場所は違えど、三十年近く行ってきた、いつも通りの戦構えだった。
狗奴国との戦いにおいては、とにかく平地に出ないことが肝要になる。
山に罠を張り、木々に紛れて敵を討つ。
追撃も山の麓までで、外に飛び出たらすぐに戻るを繰り返した。
卑弥弓呼の騎馬隊を、徹底して警戒した戦い方だ。
西側の戦線が異様に押し上げられているのも、広く、山が少ない熊本平野を、放棄するしか無かったが故だった。
「だが、今回は違う」
私は櫓を降りて集落を後にした。
そして、自身が率いる部隊と合流した。
金峰山他、周囲の山々に軍を点在させてある。
百名の隊を十二に分け、更にそれを十名毎の小隊に分散してある。
対して、卑弥弓呼の軍は千五百ほどの大隊だった。
おそらくその遥か後方に、卑弥弓呼の騎馬隊が控えている。
騎馬隊の総数が幾つなのかは、こちらの情報には入っていなかった。
だが、無効化すればいないのと同じだ。
山中には馬防柵も、嫌というほど仕掛けてある。
哨戒の兵から報告が入った。
敵の一陣、五百の兵が、金峰山に向けて軍を進めた。
指揮を執るのは卑弥弓呼の息子、狗奴健だった。
相手も我々との戦いには慣れている。罠を警戒し、一つ一つ潰しながら、少しずつ奥地へと入り込んできている。
「行くか」
私は合図を送り、駆け出した。
戦場に出るのは久方振りだった。
ここ十年は、後方で指揮を執り続けていたのだ。
策の概要だけ伝え、戦に参加しない時もあった。
この身体は、既に六十三になっている。
だが、まだ違和感なく動くことは出来た。
木の陰から飛び出し、奇襲を仕掛けた。
相手は突然現れたように感じるだろう。
だが、動揺は伝わってこない。
一度だけ、深く呼吸した。
集中を高める。
来た。
観測者補正。
辺りの動きが僅かに、だが確かに緩慢になる。そして、私の反応速度が増す。
加齢による神経の衰えを、この力が補ってくれる。
この齢になってから気付いた、観測者補正の新たな利点だった。
最小の力で敵の急所を刺し貫く。
まるでそれを合図にしたかのように、方々から次々と味方が現れる。
固まっていた敵が分断される。
いや、敢えて散ったのか。
正面から敵が一人、肉薄してくる。
指揮官。
狗奴健か。
出会うのは初めてだ。
卑弥弓呼の面影が、僅かに感じられた。
直情的な、だが鋭い剣撃を、狗奴健が放ってきた。
真っ向から受け止める。
力では完全に負けている。
私は力の流れに逆らわず、腕を引いた。
私の剣に誘われるように、狗奴健の剣が踊った。
すぐさま手首を返し、斬り上げる。
狗奴健の衣を掠り、布が裂けた。
だが、傷は負っていない。
瞳に恍惚の光を見た。
戦を愉しんでいるのか。
そんな所まで、父親と一緒なのか。
狗奴健が斬撃を放ち続け、私がそれをいなす。
隙を突き、反撃する。
狗奴健は強引にそれを受け止める。
そのやり取りを、幾度となく繰り返した。
微かに息が上がる。
だが、まだまだ動き続けられる。
自分でも意外だった。
戦いつつも、私は常に周囲に気を配るのを忘れなかった。
観測者補正の恩恵で、そのゆとりが生まれる。
こちらに駆け寄ってくる影。
一人。
森の中で、機敏に動けるのは連合国兵だけだ。
そして、私の隊の人間ではない。
「難升米」
奴には、別の百人の隊を預けてある。
指揮はどうした?
そんな言葉を、放っている場合ではない。
一拍遅れて、狗奴健も難升米の接近に気付いたようだ。
目線だけを、一瞬送った。
大ぶりに、剣が横に振られた。
当たるわけがない。
私は後ろへ下がり、それを避ける。
だが、私との距離が開いた。
「来い」
狗奴健は左手を素早く動かしながら叫んだ。味方への合図か。
同時に、難升米へと駆けていく。
味方一人を斬り伏せた敵が私へと迫ってくる。
相手の動きの起こりを読み、先に心臓を突き刺した。
口から血の泡を吹きながら、絶命した。
背後から金属のぶつかる音がした。
難升米。押し込まれている。
狗奴健の背後へ、駆ける。
「師の力量差か……」
剣を突き出す。
狗奴健は難升米を蹴り飛ばし、私の突きを躱した。
「退け」
舌打ちをし、辺りの兵へ向かって叫ぶ。
同じ言葉を他の兵たちも叫び、山々に木霊する。
散らばっていた敵兵たちが、山の斜面を駆け下りていく。
いい引き際だった。
山岳戦は地形に明るいこちらが有利だ。
あと数合やり合っていれば、狗奴国軍の被害は拡大していただろう。
尤も、相手もその辺りの呼吸は心得ている。
「追撃」
山中に散らばった兵も敵を追う。
一見まばらだが、小隊ごとの纏まりは維持している。
蹴り飛ばされていた難升米が立ち上がるところだった。
その様子を、黙って見ていた。
その間にも、左右から敵を追う兵たちが通り過ぎていく。
「持衰様……」
右頬を殴った。
難升米の上体が揺れるが、倒れたりはしなかった。
口の端から、血が伝うのが見えた。
それを意に返さず、こちらを見つめ返してきた。
なぜ殴られたのか、難升米は理解しているようだ。
普段はおどおどしている癖に、なぜこんな時だけ堂々としているのか。
「随分と、離れた場所から来たものだな」
難升米の兵たちは私の部隊よりも、かなり東側に位置している。
目視してこちらに回ってきたわけでは無いはずだった。
「哨戒の兵は、戦闘中でも常に放っております。そして情報は逐一私の元に届きます」
狗奴健が私の所へ向かっていると、報せが入ったということか。
前線から離れすぎていたようだ。
こうも難升米に好きに動かれるとは。
いや、ここに私がいるせいで、難升米はそう動くしかなかったのか。
「もう良い、指揮に戻れ。それと、今後私を守る動きは禁じる」
「はい」
拝礼して、難升米が駆け去っていった。
向き合っている間、難升米の足が小刻みに震えていた。
途中で気付いたことだった。
私もすぐに、別の方向へと走った。
「若い子に気苦労かけちゃってさ〜。お爺ちゃん、そろそろ引退したら?」
「卑弥弓呼がそうするなら、私も喜んで隠居するよ」
優雅に宙を舞いながら、ナビが軽口を叩く。
必死に走る自分がいかにも滑稽で、少し不愉快な気分になった。
麓に降りていた兵たちの、後尾に追いついた。
金峰山沿いから離れず、敵の背に矢を射掛けている。
申し訳程度の攻撃でしかない。
退却中の敵が反転したら、騎馬に襲われる前に山へ隠れる。
ずっと、そんな戦いを繰り返してきた。
狗奴国と本格的に戦い始めてから三年は、まともなぶつかり合いも辞さなかった。
だが、卑弥弓呼の騎馬隊に良いように叩かれ続けた。
朝鮮半島から騎馬を入手することも出来なかった。
あっさりと、私は平野での戦いを捨てた。
負け続けた戦が、三度に一度は、勝利と呼んでいいものに変わった。
後の二回は、痛み分けと思えるように取り繕った。
そう見えるだけで、本当は負けていた。
兵に道を開けさせ、先頭に出た。
稜線に沿って、五百の兵が展開している。
残り七百は、まだ山中で息を殺している。
間もなく、狗奴健の軍は、控えていた後軍に合流するだろう。
反転される前に、連合国軍はまた山に潜る。
二十年以上繰り返してきた、私の戦い方。
敵も分かっている。
あいつらは、絶対に出てこないと。
そんな勇敢さなど、持ち合わせていないと。
理解している。
理解させてきた。
二十年かけて。
信じ込ませてきた。
「進軍」
腹の底から、叫んだ。
負けない戦は、多くの兵の命を拾った。
だがそれは、逃げているのと変わらない。
戦士達は、鬱屈した思いを抱え続けた。
淀んだ何かが、澱のように溜まっていくのが、私にも分かっていた。
兵たちも咆哮した。雄叫びが、拡がっていく。
地そのものが、声を上げているようだ。
慟哭のようにも、感喜の叫びのようにも聞こえる。
連合国軍が、甦った。




