幕間③ 言い訳
このお話は、本編とは全く関わりはありません。
気付くと、あの謎の空間だった。
部屋の中のような気がする。
けど、壁も床も天井も、一面が真っ白で、どれくらいの広さなのか判然としない。
狭いような、途方もなく広いような。
不気味に感じてもいいはずなのに、何故か不安にならない。
どちらかと言えば落ち着く。
白い空間に不釣り合いな、正方形の木のテーブルに、同じく木の椅子が二脚。
俺は知らないうちにそこに腰掛けていて、向かいのもう一脚には、ナビが座っている。
緑の髪に、それよりも少し淡い、グリーンのナビのドレスが、椅子とテーブルと同じくらいに浮いて見える。
「へいへいへーい、弥生時代前半戦お疲れ様でした会、開催〜。カンパーイ」
「カンパイ」
前回同様、コツンとグラスを重ね合わせた。
突如現れた、グラスに注がれたウーロン茶を、口に運んだ。
やっぱり、ちょっと苦い。
対してナビは豪快に一息で飲み干した。
今回は透明の液体だ。
中に半月状にカットしたレモンが浮いている。
水……ではないよな?
「ナビ。なに飲んでるんだ?」
「これ?これ、ジントニック」
やっぱり酒だった。
しかも前回より厳つい。
空になったグラスにジン・スピリッツを注ぎ入れ、トニックウォーターの瓶栓を鮮やかに抜いた。
それもグラスに入れ、マドラーで一度、軽く搔き回す。
そしてもう一呷り。
今度は半分くらい残った。
「ぷはー、爽快。マティーニでも良かったけど、キミと飲むんなら、コレくらいのお酒の方が丁度いいよね」
そして残り半分も飲みきった。
「意味は分からんが、貶されたという事はわかったよ」
「お、反撥する元気はあるんだね。前回みたいに落ち込んでると思ったけど」
ナビが三杯目を用意しながら、少し意外そうな顔をした。
「日御子と俺の結末は、本当に辿り着きたかった未来じゃなかった。けど、俺も日御子も、自分達で選んで、納得した上での結果だった。だから、落ち込むのは違う気がする」
落ち込む権利なんてない、ってのが、本当のところかも知れないけれど。
「ふーん、タケルのことにも、整理がついてるってこと?」
「整理なんて、一生つかないよ。いや、来世を使い果たしたって、そんな時は来ない。でも、罪悪感で自分を責めるのは、タケルに対して不義理だと思ってる」
「あ、そう。ま、キミも変わってきてるってことか」
しげしげと、ナビが俺を見つめた。
だが、その直後、意地悪そうに俺を上目遣いで覗き込んできた。
「そうやって心を押し殺して、周囲に自分の感情の逃げ場を求めないのは立派だと思うよ。でもさ、わたしの前では無理しないでよ」
「言っている意味が分かんないんだけど」
「ほんとうは?どう思ってるの?ってこと」
「だから、言った通り……」
「じゃ、ないよね?」
途中で言葉を遮り、ナビがジト目で俺を凝視してくる。
たまらず目を背ける。
だが、それだけではナビの視線からは逃れられなかった。
「……そりゃ、まあ、もっとアイツの気持ちに寄り添ってやれればとか、そもそも、俺が余計なことしなければ、日御子も傷つかずに済んだのかも知れないとか、御子様に無理させなくて良かったんじゃないかとか、考えればキリがないよ」
「うんうん……」
「けど、けどさ。俺が選んだんだ。その選択の先に、何があるのかも、俺には分かっていた。払う犠牲が、日御子と都萬彦だけだなんて、最初から思っちゃいない。それが友達のタケルだったからって、俺が後悔していい理由にはならないんだよ」
「そうだね。それがキミなりの、日御子ちゃんや、タケルに対するケジメのつけ方なんだね」
このよく分からん空間と、ナビの気味悪いくらいの慈愛に満ちた眼差しと声のせいか、いつの間にか張り詰めてた俺の心が、決壊してしまっていた。
一度口を開いたら、中々言葉は止まってくれなかった。
「ていうか、お前。俺をどうしたいんだよ。折角気持ちを押さえつけてたのに、これじゃあ……」
「ここは本音を語ろうのコーナーだからね。だったら、キミの奥底を見せてもらわないと」
「何だよ、それ」
俺は、少し涙の溜まった目を拭った。
「……それに、せめてわたしの前では、気持ちに蓋をして欲しくないしね……」
「ん?何か言ったか……?」
「べつにー。最初に日御子ちゃんに会った時に、“やべー、ここが邪馬台国だったのか”なんて、無邪気に興奮してたキミが懐かしいなって」
「あの時は、まだ日御子に対して、そこまでの思い入れが無かったからな」
ウーロン茶を一口すすった。
色々吐き出したからだろうか、少し気持ちが軽くなった。
少し癪だけど、ナビのお陰だった。
「けどそうだ。それだよ、それ。もうそんなこと考える余裕もなかったけど、結局邪馬台国は九州だったってことだよな」
気持ちを切り替えるために、俺はわざとらしく明るい調子で声を出した。
「あー、それ危険」
「なにが?」
「邪馬台国論争ってさ、大昔からずっとされてきてるの。江戸時代の新井白石や、本居宣長の頃からね。いや、はっきり文献に残ってるのが、この二人の著書ってだけで、“邪馬台国って何処にあったんだろ?”って考察は、もっと前からされていたのかも知れない」
ナビが指先に緑の光を浮かび上がらせ、空に走らせる。
光は軌跡を描いて留まり、空中に文字が出来上がる。
“新井白石”“本居宣長”などと書かれている。
久方振り、エアー黒板授業。
「そんな昔から論争がされている説に対してさ、ちょっと参考書を読んだだけの、ちょっとネットの情報を聞き齧っただけの素人が、“邪馬台国は九州だった”、なんて結論づけるのは、おこがましいにも程があるね」
鼻で笑いながら指を突き指してきた。
俺の浅はかさを蔑んでいるかのようだ。
いや、俺は浅はかだなんて思ってないけどね。
「いや、江戸時代って言えば、確かに大昔だよ。けどさ、俺たちはそれよりも遥か昔の弥生時代。リアルタイムにいるんだぜ」
俺はナビに反論を試みる。
「前にも言ったけど、九州に邪馬台国があるってのは、実際に観ている俺たちにとっては、疑いようのない事実だろ?議論の余地ないじゃん」
そこまで言うと、ナビの表情が一段と険しくなった。
さっきまでの優しい顔はどこ行ったんだ。
「止めて、断定的な言葉は使わないで。あと、わたしもコレは前に言ったけど、キミという現代人が介入した時点で、歴史の流れが変わってる可能性があるんだよ」
厳しい声で言い募る。
というより、何か焦っているようにも感じる。
一体なにが、ナビをこんなに必死にさせているのだろうか。
「でもそこは、“歴史の強制力”が働くことによって、大きな流れは変わらないようにできてるんだろ?」
ナビはあまりこの話題を続けたくないようだが、沸いた疑問をそのままにするのは気持ちが悪い。
俺は更に会話を続けることにした。
そもそも、この話題を振ってきたのはコイツ自身なわけだし。
「邪馬台国が九州にあろうが、近畿にあろうが、はたまた全然違う場所にあろうが、“大きな流れ”には影響しないと、“歴史の強制力”が判断した可能性もあるよ。古代はそれくらい、歴史に“空白”が多いからね」
「いや、だとしても、俺一人くらいで、国の場所自体変わっちゃうなんて有り得ないだろ?」
「だーかーらー。これも前に言いかけたけど、バタフライエフェクトってこともあるでしょ?あんまり自分が過去に与える影響力を、甘く見ない方がいいよ」
「……バタフライエフェクト。って、なに?」
ナビが溜息をつく。
そんな事も知らないのか。と言いたげだった。
「そんな事も知らないなんて……。タイムスリップしてるクセに」
本当に言った。
ていうか、過去に転生しろって最初に俺に近づいてきたのは、お前だからな?
「バタフライエフェクトっていうのは、小さな事象であっても、後々大きな変化の要因になり得るって現象を、端的に表した言葉だよ。蝶の羽ばたき程度の小さな力でも、巡り巡って遠い地で竜巻を起こす原因になる。って具合にね」
「あー、なるほどね。“風が吹けば桶屋が儲かる”的な?」
「例えを例え直すな」
ナビのツッコミに、俺は軽く肩をすくめた。
でも、その認識で間違いないようだ。
「なるほど、俺の些細な行動一つとっても、それが大きな変化に発展しかねないってことか」
「そういうこと。だからこそ、歴史を修復するためにキミが必要であると同時に、“歴史の強制力”っていう、調整役もまた必要になってくるんだよ」
孫堅の事もあるので、“歴史の強制力”のことを考えると、未だに棘が胸に刺さったような痛みを覚える。
だけど、その存在が必要だということも、少しだけ理解は出来てしまった。
「じゃあ結局、俺が干渉する以前、邪馬台国は何処にあったのかは、分からずじまいってことか……」
「そうだよ。もう既にキミが、“ここにいてしまっている”からね」
マジか……。
折角、弥生時代にまで飛んできたのに。
非常にモヤモヤするな。
「まあ、キミの時代では、どちらかと言えば、畿内説が有力視されているけどね」
「え?てことは、邪馬台国は畿内にあったのか?」
「だーかーらーさー」
ナビが凄んでくる。
「ご、ごめん。冗談冗談。断定はダメなんだよな」
俺は慌てて、両手を前に突き出してぶんぶん振った。
それで何とかナビは落ち着いてくれた。
「でもナビ、その辺の畿内説とかの話しも気になるかも」
ナビの目が据わってきている。
俺と話すのに疲れてきているのか、酔いが回っているのか。
或いはその両方か……。
「分かった。簡単に説明してあげるよ。でもさ」
「でも?」
「ちょっと疲れた。休ませて」
気付くと、ナビはうとうとと舟を漕いでいた。
コイツ、やっぱり酒呑むと寝るタイプだ。
俺は仕方なくナビを横から支えて、またもやおあつらえ向きに出現したベッドまで誘導した。
すぐにナビの小さな寝息が聞こえてくる。
今回は、こいつが起き出すまで待っていようと思う。




