第百十九話 エピローグ&プロローグ
西暦210年。
邪馬壹国の南西部の森の中だ。
秋口に入り、夜の寒さが厳しくなってきた。
森の中で、焚火に当たって暖を取る。薪が爆ぜる音が耳に心地良かった。
日御子はしゃがみ込んで、じっと火を見つめていた。
俺はふと、その横顔を盗み見た。
艷やかな白い肌が、まるで炎を反射しているみたいに、朱く輝いていた。
日御子も33歳になった。
でも、ずっと神殿に籠り、陽の光も滅多に浴びない日御子は、まるで時が止まったみたいに、昔と変わらぬ姿だった。
「肉、そろそろ焼けるな」
「うん……」
硬い木の枝に刺した兎を三羽、丸ごと遠火で焼いていた。
血抜きをして、内臓は抜いてある。
抜いた内臓も、甕に入れて蒸し焼きにしていた。
兎を仕留めたのも、皮を剝いで処理をしたのも日御子だった。
女王になっても、自然の中で生きる力を、彼女は失っていなかった。
遠くで、馬蹄の音が響いた。
少しずつ、こちらに近づいてくる。
焚火の煙が、目印になっていた。
「よう」
「おお」
タケルだった。
あの日以来だから、5年近くぶりだ。
それでも俺たちは、普段通りの挨拶をした。
「待たせたか?」
「ああ、待ったよ。待たせすぎだ」
「済まないな。遅くなった」
「言っとくが、俺たちはまだ待たされてるんだぞ」
微かに苦笑して、タケルは腰を落とした。
3人で、等間隔に焚火を囲んだ。
「日御子も、来てくれたのか……」
「久しぶり、タケル。会えて嬉しいよ……」
ゆるりと、日御子が微笑みかけた。
タケルは何かを噛み締めるように、その顔を眺めていた。
本当に、嬉しそうだった。
「けど、俺が言うのもなんだが、よく抜け出せたな」
「ここは邪馬壹国が信仰する神山のようなものだからな。“時々は神殿ではなく、直接神の居わす地にて、祈りを捧げたい”って言ったら、何とかOKだったよ」
於登辺りには、大分渋い顔をされたがな。
「日御子の気晴らしに、時々は今回みたいな理由をつけて、外に連れ出すのも有りかもな。こんな抜け業を思いつけたのは、お前の呼び出しのお陰だな」
狗奴国王、卑弥弓呼から、突然の使者がやってきたのは10日ほど前だった。
“次の満月の夜、初めての場所で”
“倭人隊”
使者のメッセージはそれだけだった。
それだけで、十分だった。
「邪馬壹国や連合国内も、大分落ち着いて平和になった。今ならこうやって、本当に極たまにだけど、少しだけ自由な時間を作れる。だから……」
続きの言葉を、俺は呑み込んだ。
穏やかに、でも何かを諦めたように目を伏せるタケルの顔を見たから。
もう何もかも遅いんだと、声なくタケルは伝えていた。
「肉、いい感じだな」
川で洗った葉を並べた上に、焼いた兎を一羽置いた。
石包丁で切り分け、塩を振ってから日御子に渡した。
蒸し焼きにした内臓には、最初から塩をすり込んでおいた。
葉を皿代わりにして、二人に回した。
自分の分も、手許に置いた。
残り二羽の兎は、俺とタケルの分だ。
こちらは切り分けず、そのまま齧りつく。
二羽の兎は、どちらにするかタケルに選ばせた。
選ばなかった方を、俺が貰った。
「うまいな……」
脂で少し口の周りを照らつかせながら、タケルが呟いた。
「あの時の兎を、思い出すか?」
「そうだな」
俺とタケルが日御子に初めて会った時、別れ際に彼女は、仕留めた兎を譲ってくれた。
そのあと、タケルと2人で兎を喰らった。
「タケル。お前、言い出しっぺのくせに、まさか手ぶらなんてことはないよな?」
「ああ、持ってきている」
腰に提げた皮袋から、膨れ上がった麻布の包みを取り出した。
タケルがそっと目の前で開いた。
中から丸い茶色の塊が、たくさん出てきた。
「これって……」
クッキーか。
日御子と俺は一欠片ずつ手に取った。
乾いた感触。間違いない。
完全にクッキーだった。
「どんぐりやトチの実をアク抜きして焼いた物だね。タケルのいる狗奴国は鹿児島だから、樫の実なんかが使われてるんじゃないかな?」
ナビもクッキーを眺めながら教えてくれた。
木の実の種類はよく分からんが、邪馬壹国でも似たようなものが時々出されていた。
……正直、ぼそぼそしててあんまり好きじゃないんだよな。
「こういう時って、なんか地元の特産品とか持ってこないか?」
「まあ、食べてくれ」
図々しくも不平を垂れる俺に対して、タケルは自信ありげに食べるのを勧めてきた。
タケルは適当に摘んだ一かけを、先に一口で頬張った。
日御子と俺は顔を見合わせ、ほぼ同時にクッキーを齧った。
「うまっ」
「おいしい……」
俺と日御子は目を丸くする。
甘い。
木の実由来のほんのりとした甘みじゃなくて、がっつりとした甘みが口中に広がる。
食感もしっとりしてて、舌触りがいい。
「凄く甘いなコレ。何でだ?この時代に砂糖なんて無いだろ」
「砂糖?」
「あ、コラっ」
ナビが俺の頭を小突く。
触れられないので、スカッと俺の頭を通り抜けるだけだが。
「この時代に無い概念を口にしないでよね」
ナビが頬を膨らます。
「ごめん、つい……」
日御子が口を押さえてくすくす笑う。
彼女にナビは見えないが、存在として認識している。
このやり取りを、特段不自然がることは無かった。
タケルも幼い頃からの付き合いなので、俺の独り言には慣れっこになっている。
「懐かしいな。まだ神様と一緒なのか」
「那美様って仰るんだよ。タケル」
「へー、那美様ね」
頷きつつ、タケルが少し寂しそうな顔をした。
些細な気持ちの変化に、日御子も共感覚で気付いたのだろう。少し申し訳なさそうに俯いた。
「いや、でもホント美味いなこのクッ……、木の実焼いたヤツ。どうやって作るんだ」
空気を変えようと、俺は強引に話しを戻した。
「潰した桃やアケビと、鳥の卵を混ぜ合わせた。俺の仲間が作った物だが、妻の好物なんだ。日御子も気に入ると思ってな」
「なるほどねー。果物で甘味を補っているのか。卵のおかげで舌触りも良くなって、コクが出てる。確かに女子は気に入りそう……って、オイ」
俺のノリツッコミに二人がビクリとする。
「何だよ、持衰」
「つ、つつ妻?妻って言った?お前、結婚してんの?」
「そりゃあ、まあ。子供も二年前に産まれた」
「こどもっ」
「タケル、おめでとう……」
「ありがとう」
二人はのほほんとしているが、俺はそれどころじゃない。
「お、おおおお前。日御子の為にこの国を出ていくって言っておいて、いざ離れてみたらそれかよ。お前の日御子への想いはその程度だったのかよ?見損なったぞ。この浮気者」
俺は立ち上がり、タケルを指差した。
「何を怒ってるんだよ、お前」
俺の動揺を他所に、タケルはただ困惑しているだけだ。
こいつ、日御子の前で良くもこんな態度を取れるな。
「日御子からも何か言ってやってくれよ。この人最低です」
「え?えっと……」
日御子も俺の怒りの理由が分からないようだった。タケル同様、ただただ当惑している。
何で?
散々、自分の事を“好きだ、好きだ”と言っていた男が、あっという間に鞍替えしたんだぞ?
脈なしだったとしても気分悪いだろ。
「こらこら、落ち着きなさいって」
ナビがまたもや登場した。
「むかーし教えたでしょ?この時代は一夫多妻制どころか雑婚が当たり前の世の中なの。まあ、有力者達は少し事情が変わってくるけど、キミの21世紀の恋愛価値基準に当て嵌めてもしょうがないんだよ?」
溜息をつきながらナビが俺を諭す。
「てゆうか、キミもう70年この時代にいるんだよ?いい加減わかりなよ」
うるさい。
観測者の縛りのせいで、俺が恋愛が出来ないのはお前も知ってるだろ。
恋愛の価値基準に関しては、転生前から全く更新されてないんだよ。
「サイ、座ったら……?」
多少落ち着いたのを見て、日御子が声をかけた。
俺は日御子に従い、どかっと腰を下ろし、残った肉にかぶりついた。
「まあ、こう見えて俺も、もう王様だからな。妻がいない方が不自然だろ」
「……やっぱり、お前が卑弥弓呼なんだな」
「ああ」
タケルが出奔した直後から、狗奴国の動きが活発になった。
あっという間に投馬国を倒し、南九州をほぼ支配下に収めた。
こいつが関与しているのは明らかだったが、まさか王にまでのし上がるとはな。
「ていうかさ、何だよ?卑弥弓呼って」
「カッコいいだろ。俺は卑弥呼を倒す者だからな。だから卑弥“弓”呼だ」
胸を張ってタケルが答えた。
よほど気に入っているようだ。
まあ、コイツなりの日御子に対するアンチテーゼなんだろうけど。
「単純過ぎるだろ……」
「ええっ?何だと?」
タケルが心外だとばかりに目を見張る。
「もっと何かあっただろ。子供が考えたのかと思ったぞ」
「し、臣下たちは“めっちゃイイっすね”って言ってたぞ」
「そりゃ、王様がそう言ってたら、合わせるしかないだろ」
「そ、そんな。一生懸命考えたのに。今更、他のになんて変えられないぞ……」
タケルががっくりと肩を落とす。
シリアスモードだったタケルが、内心では必死にカッコいい名前を考えていたと思うと、凄く滑稽だ。
「わたしは、タケルらしくて、いいと思う……」
日御子がフォローを入れる。
多分、本当にそう思ってる。
というか、“あなたを倒します”って意思表示が込められてる名前を、当の本人が褒めるってどうなんだろ?
「だ、だよな」
目をキラキラさせて、タケルが顔を上げた。
日御子の言葉一つで、すっかり気を良くしたようだ。
相変わらず、単純な奴だ。
こんなんで、一国を治められるのかね……。
「じゃあ、もうタケルはタケルじゃないのか。親が悲しむぞ。勝手に名前変えて」
「死んでまた会えたら、謝っておくよ。それに、タケルの名は消えてない。息子に渡したからな」
「息子が、今はタケルなのか?」
「ああ、狗奴健だ」
「むむっ」
ナビがぴくりと反応した。
何かしら歴史的な事象と繋がった時、こんな反応をする。
何か引っ掛かったのだろうが、今は気にしない。
その後は火を囲みながら、これまで起こった色んな話しをした。
楽しかったこと。
許せなかったこと。
嬉しかったこと。
悲しかったこと。
年甲斐もなく、俺とタケルが莫迦みたいな事を言い合って、日御子がそれを見て少しだけ笑う。
子供の頃に、戻ったようだった。
夜は白み始め、朝が近づいてきた。
「そろそろか」
「行くのか」
「ああ」
タケルが立ち上がった。
衣についた土を、軽く手で払った。
「持衰、次に会う時は、今度こそお前の首を飛ばす。覚悟しておくんだな」
「へっ、けちょんけちょんにしてやるよ」
「けちょ…?相変わらずよく分からん事を言うやつだ」
そして、タケルは日御子を見下ろした。
じっと、穏やかに、日御子もタケルを見つめ返している。
「また、会いに行く。約束する。俺の勝手な、約束だけどな」
「タケル……」
日御子はもう、待ってるとは言わなかった。
もしまたタケルに会うことがあれば、それは連合国が滅びる時だと、日御子は理解しているから。
「日御子、皮袋だけど」
「持ってて。持っていて、欲しい……」
「ありがとう」
そして短く、別れの言葉を告げて、タケルは去っていった。
俺と日御子は、ずっとその後ろ姿を見送った。
やがて、木々に隠れ、その背も見えなくなっていった。
甲高い、石笛の音が、周囲に響き渡った。
「サイ……?」
懐に忍ばせていた石笛を、タケルが消えたあとに吹いた。
「顔をお隠しください、女王」
「え……?」
方々で、茂みが揺れる。
人が近づく足音がする。
「御免」
俺は羽織を広げ、日御子を包んだ。
「兵が来ます。ご尊顔を、軽々しく見せてはなりません」
兵たちが現れた。
俺たちを素通りし、タケルの消えた方向へ駆け去っていく。
一人の男が足を止め、跪いた。
日御子に配慮し、顔を上げようとしない。
俺の懐の中で、日御子が絹布を垂れさせた頭飾りをはめた。
「卑弥弓呼だ。討ち取れるとは思えんが、腕の一本くらいは落として見せろ」
短く返事をし、その男も走っていった。
「サイ、これは……」
「わざわざ敵国の王が領内まで来てくれたのです。ただで帰すわけがないでしょう」
「どうして……わたしが……」
どうして、人の感情の色が分かる自分が、持衰の思惑に気付けなかったのか。
そう言いたいのだろう。
「女王、貴女の共感覚は、人の思いを正確に読み取る力ではない。感情の色、揺れを感じ取ることが出来るに過ぎない」
共感覚という言葉は、この時代には存在しない。
だが、日御子なら、それが自分の力を指す言葉だと理解できただろう。
「私は、卑弥弓呼を討つことに、特別な感情は抱かない。ただ、貴女をお守りする身として、当然の事を実行しているだけです」
俺は決断した。次にタケルに再会した時が、俺が甘さを捨て去る時なのだと。
その時がやって来たと、俺は静かに受け入れていた。
布ごしでも、日御子の表情が読み取れる。
また、悲しませた。
でもそれが、俺たちの選んだことなんだ。
君が、望んだことなんだ。
笛の声が、耳に届いた。
「来たか」
先行してきた兵が三人。
一人は走り去っていく。
仲間に卑弥弓呼の位置を報せに行ったか。
襲いかかってきた二人を、卑弥弓呼は一振りで同時に斬り伏せた。
「卑弥弓呼様」
若い男が、七人ほどの兵を率いて現れた。
「狗古智卑狗、女王の歓待は中々のものだった。こちらも相応の返礼をしてこい。狗奴国の恥にならぬようにな」
「仰せのままに」
愉しそうに笑い、狗古智卑狗たちが走っていった。
好戦的な男だった。
卑弥弓呼が先王に反旗を翻した時、真っ先に呼応してきた者の一人だ。
あの時は、まだ十三かそこらの少年だった。
刹那、都市牛利のことを思い出した。
「嬉しいよ、持衰。お前もその気になってくれて」
卑弥弓呼は金属がぶつかり合う音と、怒号が響き渡る方へ一瞬顔を向け、踵を返した。
「戦おう、持衰。……待っていろ、日御子」
朝日が昇り始めた。
陽光は強く地を照らしているが、それを避けるように、暗雲が空に立ち込めていた。
第二章・完




