第百十八話 卑弥弓呼
手にぶら下げた王子の首をぼんやりと眺めながら、夥しい死体が転がる中に、タケルは突っ立っていた。
王子が殺されようとも、敵は戦いを止めず、取り押さることが出来た者たち以外は、皆殺しにするしか無かった。
深手を負わせたもう一人の王子も、近くで自害し果てているのを、タケルの兵が発見した。
三人の王子の内、生き残ったのは一人だけということになる。
「王子と残りの敵兵を、近くの集落まで連行しろ。もう、抵抗する力は無いはずだ」
頭を下げ、副官が走り去ろうとした。
「そうだ、おい」
兵を呼び止め、タケルは手に持っていた首を放り投げた。
慌てて兵がそれを受け取る。
「塩漬けにしておいてくれ。腐らないようにな」
他の兵が、捕らえた敵を引き連れ、撤収を開始している。
味方にも被害は出ている。
二百名だった歩兵は、百十名ほどに減っていた。
相手は千に等しい数だった。
半数以上残っただけでも、上出来と言える。
だが、タケルは百五十は残ると予想していた。
王子たちの奮戦は、タケルの想像以上だった。
「将軍」
一人の兵が、タケルに駆け寄ってきた。
黙って目を向けた。
「その、迦夜様がお越しに……」
兵が言いづらそうに、タケルに報告した。
「そうか」
迦夜は、王子と敵兵を連行した集落で、タケルを待っているとのことだった。
産後の肥立ちが良かったとは言え、産んで間もない身体で、もうこんな遠くまで飛んでくる。
母は違えど、流石はあの王子たちの兄妹だ。
首長の屋敷を間借りし、迦夜はそこで待ち構えていた。
集落の民に案内され、タケルは中に踏み入れた。
いきなり怒声が飛んでくると思ったが、迦夜は静かに座り込んでいた。
だが、その目には暗い光が湛えられていた。
「よくもこんな所まで来たものだ。息子はどうした」
産まれてすぐ、タケルは戦のために動き出した。
まだろくに息子の顔を見てもいなければ、名前すらも決めていなかった。
「乳の出る侍女に預けてある。兄弟が殺され、父も斬られるかも知れないんだぞ?落ち着いて休んで居られるわけないだろ」
「命は救おうとした。手を振りほどいたのは、お前の兄たちだ」
「仕掛けたのはお前の方だろ」
迦夜の声に、怒りが滲んだ。
「意外だな、迦夜。お前は狗奴国内でも、はっきりと軽んじられていた。母の身分の低いお前はな。そんなお前が、腹違いの兄弟達に情があるとは思わなかった」
皮肉ではなく、純粋な疑問としての言葉だった。
「確かに兄上達とは、殆ど話しもしたことはない。だけど、兄を二人も殺されて、何も感じないほど、わたしは人でなしじゃない」
握った拳を震わせながら、迦夜は歯を食いしばった。
「タケル、お前はいつからこんな事を。いつ、王になろうなどと考えたんだ。あの子が、産まれたからか?」
「違う。最初からだ」
「最初、から……?」
迦夜が茫然とした顔で、タケルを見つめた。
「最初からこの国を牛耳るつもりで、俺は近づいたんだ」
「何のために?ただの権力欲で、お前がその地位を望むとは思えない」
一瞬、迦夜の目から怒りと憎しみが消えた。
タケルに対して理解を示そうとする、慈しみの光。
タケルは思わず言葉に詰まった。
まるで、自分の胸の裡を直接覗き込まれたような気になった。
迦夜が、日御子に重なった。
「知った風な口を……」
「言え、タケル。何が望みだ」
狗奴国を支配下に置く計略は、既に最終段階になっている。
迦夜に隠す必要はもうない。
だが、今の彼女にこのまま素直に話すのが、何故か癪だった。
「倭国に戻って、俺は様々な王たちを見てきた。皆弱く、中途半端な奴らばかりだった。もう、誰かに任せてはいられない。俺がやる。最初から、そうしていれば……」
日御子が、女王になんてなる事はなかった。
自分が、こんな所で一人になる必要はなかったはずなのだ。
「何様のつもりだ、お前」
「似たような言葉を、他の奴にも言われたよ」
自嘲気味に、タケルは笑った。
だが、自分の言葉は間違っていない。
「なんで、狗奴国だったんだ?」
「たまたま俺の目に止まった。それだけだ」
「父上と、兄上はまだ生きている。わたしは、お前を王にはさせない。産まれたあの子を、お前の息子とは認めない。そうすればお前は、王にはなれない」
「勝手にしろ。もう、そんな旗印は要らない。俺は俺の力で、この国の王になれる」
「父上も、殺すのか?」
「狗奴国王の出方次第だ」
言った瞬間、迦夜が身を翻した。
小剣を手に持ち、タケルに突き立ててきた。
「子を産んで間もない身体で、無茶をするな」
タケルは屈んだまま後ろに避けた。
迦夜の小剣は床に刺さっていた。
「お前を父上のもとには行かせない。ここでお前を殺す」
「それが出来ないことは、二年前に分かっているはずたろう?」
殺意の籠った目で、迦夜がタケルを睨みつける。
だが、その瞳が揺れている。
それが迦夜の内心の葛藤を表していた。
「迦夜。ここでもし俺を殺したとして、お前はどうなる。また王族の末端として、誰にもまともに相手にされずに、空しく生きていくつもりか?」
「わたしの動揺を誘っても無駄だ。わたしは狗奴国の王族として、反逆者を誅する」
床から剣を引き抜き、迦夜が素早く立ち上がった。
タケルも自然な動作で、腰を上げた。
「そうだ。お前は狗奴国の王族だ。ならばその子も、正統な狗奴国の王族のはずだろ」
「何が言いたい」
子供の事に触れたことで、今にも飛びかかってきそうだった迦夜が、構えを緩めた。
「俺が王になれば、お前の息子も将来確実に王になれる。だが、今ここで俺を殺せば、ただの反逆者の子供になるんだぞ」
「他人事のように話すな。あの子はお前の子でもあるんだぞ」
「その通りだ。お前は今、大切な息子の父親を、その手で殺そうとしているんだ」
「お前っ」
握った小剣を迦夜が力なく振り下ろした。
タケルは迦夜の手を掴み、動きを止めた。
「どの道この国は、もう俺のものだ。お前が選べるのは二つだけだ。俺と共に来るか、自分共々、息子に兄と同じ末路を辿らせるかだ」
顔を伏せ、身体を強張らせながら、迦夜が沈黙した。
やがて掠れた声で、タケルに返答した。
「約束しろ。父上と兄上の命は助けると」
「ああ、承知した」
兵を伴い、王の集落に入った。
遠巻きに眺めてくるだけで、タケルに手出しをしようとする者はいなかった。
王の屋敷には数人の護衛がいた。
王の左右に二人。
後方の出入口に二人。
そして、屋敷を取り巻くように数十人。
タケルは二人の兵を連れているだけだった。
だが集落の前には、百名を超すタケルの兵が囲んでいる。
中で何かあれば、一斉にその兵たちが殺到する。
もう、王は抵抗をしないだろうが。
「直属の兵も、全て息子たちに与えたんだな」
タケルの言葉に、王に対しての礼は無かった。
兵は剣呑な気配を漂わせたが、王は特に気にする風でもなかった。
「出し惜しみしては、お前を止めることはできないからな。結局敗れてしまったが」
王子たちの軍を見た時に、狗奴国のほぼ全兵力を投入していると分かった。
実際、改めて王の集落に近づいた時、それを守る兵力は皆無だった。
あっさりと、王はタケルたちを受け入れた。
「連れてきてくれたのか」
兵たちは長板に乗せ、自害した王子の遺骸を運び込んでいた。
タケルは、塩で一杯になった甕を抱えている。
その中には、討ち取ったもう一人の王子の首が入っている。
取り出し、王の前に差し出した。
王は目を細め、じっとそれを見つめていた。
「情けに感謝する。手厚く葬ることができる」
「子に対する情か。その情愛を、迦夜にも注げなかったのか?」
言った瞬間、どうでもいい事だと後悔した。
何故そんな事を口走ってしまったのか。
「情が無いわけではない。だが、儂は父である前に王だった。全ての子を、等しく扱うわけにはいかなかった」
分かるような気もした。
そうでなくとも、タケルと戦った三人の王子たちは、タケルと対峙しながらも、実は互いに争い合っていたのだ。
「禅譲してくれ、狗奴国王。あなたを弑するに躊躇う所は無いが、面倒は避けたい」
迦夜の顔がちらついた。
父を殺せば、あいつは悲しむだろう。
どうでもいい。どうでもいいはずだが、騒がれるのは辟易する。
「初めてお前に会った時の事を、はっきりと覚えておるよ」
狗奴国王が、遠い目をした。
「お前を見た時、この男はこの国に莫大な益を齎す。儂はそう思った。だが同時に、いずれ狗奴国に害成すやも知れぬと感じた。しかし、儂は受け入れるしかなかった」
あの時自分が何を言ったのか。
タケルもしっかりと覚えていた。
「お前は言った。“受け入れなければ、いずれ自分が敵になるだけだ”と。お前に目をつけられた時点で、儂の定めは決まっておったのだろうな……」
王は虚空を仰ぎ、目を瞑った。
静寂。
王と兵の息遣い。
そして、屋敷の外の兵たちの、金属や皮の擦れ合う音だけが、微かに届いてくる。
やがて目を開き、王が口を開いた。
「タケル、お前に位を譲る」
その言葉で、全てが決した。
狗奴国王は正式に、タケルに王位を譲り、退位した。
迦夜は王妃となり、産まれた子供は王子としての身分を与えられた。
三人の王子たちは、独断でタケルに挑んだ反逆者ということになった。
実際には狗奴国王の指示だが、彼から位を譲られた手前、先王に罪を被せるのは具合が悪かった。
建前上、タケルは王子たちだけを切り捨てさせた。
生き残った王子は平民に落とされ、戦に参加しなかった迦夜の幼い兄弟達、そして姉妹たちは、有力氏族としてタケルの下につかせた。
死んだ二人の王子も罪人ということになるため、先王が密かに手厚く葬っていた。
そしてその先王は、集落の奥の片隅に用意させた屋敷で、実質的に軟禁状態となっていた。
正式な即位式などは、後回しにした。
先ずは、民政と軍政を整える必要があった。
これまでの強国。特に日御子の率いる筑紫島北部連合国は、いくつもの中小国を束ね、一つの連合として成り立っていた。
国の名は残され、王たちは存続し、その上に女王が君臨する体制だった。
タケルは、それを否定した。
タケルはこれまで支配下に置いた国々に対し、それぞれの名を名乗ることを許さなかった。
狗奴国の支配下に入った国は、すべて狗奴国となる。
国は一つ。
王も一人。
圧倒的な武力を背景に、タケルは各地の政と軍事を、自身と延臣によって一元管理した。
徹底した中央集権化により、狗奴国はあらゆる事象に対して、迷いなく、迅速に動ける国へと変貌していった。
隣国である投馬国は兄弟国として遇され、実質的に傘下に収められた。
筑紫島南部は、完全に狗奴国の支配下に置かれた。
――日御子。やっとだ。やっとここまで来た。
邪馬壹国を立ち、四年以上の歳月が流れていた。
たった四年で、タケルは南国の王として君臨したのだ。
だが、タケルにとっては、長すぎる時間だった。
ようやく、北部連合国に対し、攻勢を仕掛けることが出来る。
ようやく、日御子を迎えに行く為に、動き出すことが出来るのだ。
「いよいよ北ですか。タケル様」
韓より従ってきた延臣が、タケルに問いかけた。
彼らだけは、最初から知っていた。
タケルが何を望み、何故戦っているのかを。
「タケルか……」
自分はこれより、日御子の愛する者たちを、大勢殺すことになる。
それは、おそらく“タケル”では出来ないことだ。
いや、タケルは“タケル”に、そんな事をさせたくなかった。
日御子と会う前に、壊れてしまう。
「俺はこれより、タケルという名を捨てる」
「王号を名乗られますか。良い考えだと思います。私の故郷、伯済国や漢の国でも、王は諱でなく、王号で自身を呼ばせておりました」
そういう事では無かったが、タケルは一々否定しなかった。
「日御子は、漢の文字では“卑弥呼”と書くそうだな……」
タケルはその字を、頭に思い浮かべた。
何となく、好きになれない字だった。
だが、自分には相応しい。
「俺は、卑弥呼の国を認めない。女に全てを押し付けて、安穏と暮らす連中を、俺は決して認めない」
タケルの言葉が、静かな熱を帯びていく。
部下は黙って、耳を傾けている。
「俺はこれより、卑弥呼を倒すまで、ヒミクコと名乗ろう」
「ヒミクコ……様ですか」
「そうだ。俺は卑弥呼の全てを否定する。卑弥呼に弓引く者、それが卑弥“弓”呼だ」
そう言って卑弥弓呼は、北に連なる山々へと目を向けた。
あの向こうにいる。
卑弥弓呼が、なお愛してやまない女が。




