第十二話 再会
「やるぞ!」
首長の号令に気合が入る。
皆も「応!」とかけ声を返す。
ただ――。
「首長、首長。もう暗いからな。それに皆を休ませぬと。明日にしてはどうじゃ?」
村の長老だった爺ちゃんが口を挟む。
「あ、うむ……」
言われてみれば、朝に海岸へ着き、そこから役所に。そして延々と歩き詰め。
気づけば、辺りはもう薄闇に沈みかけていた。
俺も正直、体が悲鳴を上げている。張りつめた気が緩んだ途端、足の先から力が抜け落ちるようだった。
女子供は筵を広げてその上に。
男達は地べたに横たわり、そのまま眠り込む。
寝心地なんて言葉はこの場には存在しない。だが倭国からの脱出、荒海を越えた航海、漢での騒動――。
半月以上まともに休むこともなく張りつめていた俺たちは、もう限界だった。
不安と疲労がない交ぜになりながらも、意識はあっという間に闇に溶けていく。
――生きてここまで来られただけで、今日はもう十分だ。
あくる朝――いや、太陽の高さからすればもう昼か。
周囲のざわめきに目を覚まし、思わず呻く。
完全に寝坊だな……。
ただ、横を見ると、まだ筵に突っ伏してイビキをかいてる奴もいる。
俺だけじゃなかったと知って、ちょっと安心する。
とはいえ、いつまでもゴロゴロしてるわけにもいかない。
皆の姿を見渡せば、もう動き出している者も多い。
俺もそろそろ何かせねばと、首長を探すが見当たらない。
そこへ――。
「お目覚めかね?持衰殿」
背後から聞き慣れた爺ちゃんの声。
「あ、ああ。ていうか、持衰……殿?
俺はもう持衰じゃないし、殿なんてつけてもらう身分でもないけど……」
動揺する俺に、爺ちゃんは豪快に笑った。
「何を言うか、持衰殿。航海の間、ワシらは皆お主に縋っておったのじゃ。あの首長でさえもな」
ま、まあ……この時代、持衰は航海の成否を左右すると信じられてたからな……
「あ、お主今、それは己が持衰であったからと、それだけの理由だと思ったじゃろ?」
「それ以外にないだろ。」
「お主は雷鳴が轟こうと、暴風が吹き荒れようと、大波が襲おうと、眉ひとつ動かさなんだ。まともな人間なら、いくら持衰の使命感があろうとも、そんな真似はできん。
なぜじゃ?なぜ、お主は、あれほどまでに泰然としていられたのじゃ?」
いやいや……怖すぎて逆に固まってただけです。
爺ちゃんは遠い目をして、さらに続ける。
「ワシとて何人もの持衰を見てきた。じゃが、あの時のお主は別格じゃった。
突然、雲が裂け、我らの舟の周りだけ雨が止んだ。波すら静まり返った。
――まるで海が、お主に頭を垂れたかのようじゃった……」
爺ちゃんの顔は恍惚としている。きっと今もその光景を思い浮かべているのだろう。
……すまん、その時の俺、気絶してて何も覚えてないんだわ。
「ま、まあ……とにかく皆が無事で何よりだったよ。
なあ爺ちゃん、一つ聞きたいんだけど。首長、どこにいるか知らないか?俺も何か手伝わないと」
「おお、そうじゃった!」
爺ちゃんが手を打つ。
「実はその件を伝えるために声をかけたのじゃ。首長は今あちこち回っていて忙しいからの。お主が起きたら言伝をしておくようにと言われておる。」
「首長から俺に言伝?」
「うむ。この辺りの地形や、近くに何があるか――それを調べて欲しいそうじゃ。ただし、あまり遠くへは行くな。少しずつ縄張りを広げていけばよい」
「なるほど……探索ミッションってやつか」
やるべきことがはっきりして良かった。このまま所在なさげにウロウロするのは御免だったからな。
俺は起き上がり、昨日までの疲れも何のその、意気揚々と探索に向かった。
――「散歩ついでと思って気軽に見てくれば良い」
最後にそう言われて、俺は送り出された。
なんか、俺のこと労り過ぎてる気がする……。
歩き始めてすぐ、地面を掘り返して畑を作ろうとしている者、木を伐ろうとしている者、食べられそうな木の実を集めている者たちに出くわす。
すると、口々に声が飛んでくる。
「おお、持衰!」
「持衰殿!」
「持衰様!」
なんか持衰が名前みたいに定着してないか?
……ていうか、様って。
これまで気味悪がられて避けられることの方が多かったのに、今はあろうことか崇められ始めている。
急な変化に戸惑うし、正直むず痒い。
あと、これ結局対応が変わっただけで、距離取られてることには変わりないよな?
20分ほど西にまっすぐ歩き、雑木と草に覆われた荒れ地を抜けると、やがて視界が少しずつ開けてきた。
足もとには湿り気を帯びた土が広がり、ところどころぬかるんで足にまとわりつく。
川の支流なのか細い水の流れが幾筋も地表を走り、湿地のような窪地には葦やススキが群生している。
正面には緩やかな丘陵が横たわり、その斜面は濃い緑の雑木林に覆われていた。
背の高いクスやシイの木々に混じって、絡みつくようにツル草が垂れ下がり、まるで森そのものが外界を拒んでいるかのようだ。
その合間を縫うように、白い幹の竹が群れて生えており、風が吹くたびに葉擦れの音がさやさやと響く。
振り返れば、遠くに港町の屋根や海のきらめきが小さく見える。
だがこの場所はもう、人の営みから切り離された領域。
こっちの方はこんなものか。
とにかくこの辺りは湿地帯なんだろうな。
草木も多く、川や海からも距離がある。舟の交通網が遠いってのは中々不利な条件だ。魚も捕りづらい。城からも離れすぎ。まあ、良い土地だったらとっくに誰かに取られてるよな。
一旦戻って別の方角にも行ってみようと思ったその時、
遠くで土埃が巻き上がっているのが目に入る。
最初は馬かと思った。数は多くないが、こちらへ真っ直ぐ迫ってくる。
途端に背筋が冷え、思わず身構える。
武器もない今、盗賊の類だったらちょっと厄介だ。
――?ていうか、あれ……光ってね?
目を凝らした瞬間。
「え?ナビ!?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁあ!! み・づ・げ・だぁぁぁああああ!!!」
光の中から飛び出してきたのは、間違いなくナビだった。
そのまま勢いよく俺の胸に飛び込んでくる。
「ナビ……!」
こいつ、今までどこ行ってたんだ?
ただ、そんな疑問よりもこうしてまた会えた喜びが先に込み上げてくる。思わず目頭が熱くなった。
今の今まで忘れてたけど。
「どわぁぁぁぁああ、やっど、やっど会えだあぁぁぁぁぁぁ!!!」
ナビは俺の胸の中でなおも泣き叫ぶ。
だが、その姿はいつもの彼女と全く違った。
薄緑の長い髪はボサボサで、枝や葉が絡みついている。
頭にあった花冠は千切れた蔓の切れ端になり、白いドレスは皺だらけで泥まみれ。
まるで深い森を必死で抜けてきた後のようだった。
「な、ナビ? いったい何があったんだ?」
怒って姿を隠していたのかと思っていた。
だが、この有様を見るに……何か全く別の理由がありそうだ。
「わ、わだじ……キミと一緒に舟に乗っで……。でも、でも嵐がぎで、かぜすごぐで……!
つがまるどごなくて、飛ばされで……!!」
「お、おお、そうだったのか……」
「わだじ、わだじがんばって飛んだの! すっごくさげんだの! キミに向がっで……!
で、でも全然……全然気づいでぐれなぐてぇぇぇ!!!」
「ご、ごめん……俺もその時、自分のことで精一杯で……」
ナビは顔を上げ、俺を仰ぎ見た。
目は真っ赤に腫れ、涙は滝のようにぼたぼた流れ落ちる。
鼻水はびよーんと俺の胸元まで伸びて、口は大きく歪んでぐしゃぐしゃの顔。
な、なんという美人の無駄遣い……。
俺もナビに会えた喜びで胸が熱くなったが……自分以上に感情を爆発させてる相手を見ると、逆に冷静になるんだよな。
「ま、まあ良かったよ。俺はてっきり、お前がまだ怒ってて姿を見せないんだと思ってたから……」
「いいわけないでしょぉぉぉぉお!わだ、わだじがどんな思いでここまで!!」
「あ、ああそうだよな。ごめん……。
それで、嵐で吹っ飛ばされたのは分かったけどさ、一体どこまで行ってたんだ…?」
というかお前、人の体すり抜けたり宙に浮いたりできるくせに、風には飛ばされるのかよ。物理法則どうなってんだ……
ナビはまだしゃくりあげていたが、ようやく俺から体を離し、鼻をすすりながら答えた。
「……ベトナム……」
「ベトナム!?」
……ちょっと待て。
そこからどんだけ距離あると思ってんだよ!?
飛ばされたってレベルじゃねえ!
「いや、待てよ? 距離なんて関係なくないか? お前、初めて会った時いきなり俺の前に現れただろ? あんな感じで瞬間移動すれば良かったんじゃないのか?」
「違うの。私は、どこかから、やってきたんじゃ、ない。『歴史を修復させる』っていう、ひっく、この宇宙の、防衛システムによって発生した、『現象』なの。キミに出会った、まさにあの時に、私は、私になったの。ひっく、だから、瞬間移動とか、ワープなんて、できないんだよぉ……」
「そ、そうだったのか……。その事実も中々衝撃だけど……。え? じゃあお前、ここまでまさか……ずっと走ってきたのか?」
「うん……」
「いや何キロあるんだよ!?」
「……千三百キロ……」
「フルマラソン三十回分じゃねえか!!!」
かくして、俺はナビと何日かぶりの再会を果たし、ようやくこの場所について教えてもらうことができた。
――漢の会稽郡、句章県。
聞けば、会稽は大陸の東の玄関口みたいな場所で、俺たちより前にも多くの倭人がここを訪れていたらしい。
この辺りの潮流や風向きは、まるで導かれるように船をこの港へと押し流してくるのだという。
黒潮の流れが大陸沿岸へ分かれ、さらに季節ごとに吹く強い風が加われば――否応なく船はこの地へ吸い寄せられる。
俺たちの舟が無事ここに辿り着けたのも、まるっきり偶然って訳でもないらしい。
自然そのものが、倭から来る者をこの地へ誘うのだ。
そして、俺がこの句章に到着して二年の月日が流れたーー




