第百十四話 投馬国
機は熟した。
タケルはそう判断した。
兵の練度は申し分ないものになっている。
兵力は凡そ二百の歩兵隊と、二十騎の騎馬隊だった。
今は秋の刈り入れ刻だ。
どこの国も、民たちを農に専従させている。
だからこそ好機なのだ。
大国、投馬国を叩く。
狗奴国王は難色を示した。
わざわざこちらから、眠れる獣を呼び覚ますことはないと。
兵は出せない。それが王の返答だった。
戦うな、とは言われなかった。
戦闘的な南の気性が、僅かにそこに表れていた。
いずれにせよ、干戈を交える時は来る。
それは王にも分かっているのだろう。
「秋の収穫が終わって、民を徴集出来るようになってからじゃ駄目なの?そうすれば、父上だって兵を動かして下さるかもしれない」
出陣の準備で集落内がバタつく中、迦夜がタケルを掴まえて声をかけてきた。
最近は自分の屋敷に帰らず、タケルの集落にある仮の屋敷で寝泊まりすることが多い。
「おそらくそれは無い。王は戦を止めはしないが、自ら投馬国に攻め入ろうとは考えていない。戦うなら勝手に戦えという姿勢だ」
「だったら、お前も無理に戦わずに、父上がその気になるまで待てば良いじゃない」
「その頃には、投馬国も万全の状態になっている。攻め入るなら今しかない」
「……わたしが父上を説得して、兵を用意させれば――」
「それも無理だな」
否定の言葉に、迦夜が言葉を詰まらせる。
「お前如きの言葉で、王が考えを変えるとは思えない」
「何だと、貴様」
迦夜が青筋を立てる。
「寧ろ、王は俺が死んでも構わないとさえ思っているかもな」
「はあ?そんなわけないでしょ」
迦夜は否定したが、タケルは自分の予測が間違っているとは思わなかった。
娘と婚姻を結ばせはしたものの、タケルの力が狗奴国王にとっても脅威であることには変わりない。
投馬国を削った上で、タケルも共に倒れる。
それが、王の最も願う結果なのかもしれない。
再三に渡る迦夜の制止を振り切り、遂に出陣の準備は整った。
「行くんだね」
「ああ」
「留守は任せなさい」
「必要ない。王の集落にでも戻っていろ」
「ふん、素直じゃない奴め。ホントは待っていて欲しいくせに」
内心の腹立たしさを押し殺したように、迦夜は笑顔を繕った。
「……死なないでよね」
「ああ」
歩兵の足並みに揃え、進軍を始めた。
極力馬の負担を抑えるため、騎兵も馬を引いて歩いている。
投馬国の境に近づくにつれ、黄金色に染まった田が広がっていく。
刈り入れの最中なのだろう。
鎌を手にした農民たちが、こちらに気づいて怯えたように身を固くした。
歩兵の中から発せられる、略奪を期待する視線。
戦の現実を知る者ほど、そういう目をしていた。
「手を出すな」
一言だったが、声は低く、はっきりしていた。
「相手は兵じゃない。畑も家も焼くな。刃を向けるのは、武器を持つ者だけだ」
異を唱える者は、一人もいなかった。
軍規は徹底している。
韓の国から付いてきた兵は、そもそも初めから、ここで略奪が許されるとも思っていなかった。
タケルは一瞥だけくれて、前を向いた。
敵は投馬国の軍だ。
刈り入れに追われる民ではない。
「それにいずれは、俺の物になる人間たちだ」
タケルは騎乗を命じた。
速やかに二十人の部下が馬に跨った。
「民に見られた以上、俺たちのことはすぐに知らされる。その前に一気に叩くぞ」
馬が駆け出す。
歩兵はその後を追わせる。
投馬国の集落は脆かった。
刈り入れの最中ということもあり、若い男の多くは畑に散っている。
武器を手にしている者は少なく、警戒も甘い。
タケルは馬上から集落を眺め、短く命じた。
「抵抗する者は斬れ。だが、武器を捨て、伏した者には手を出すな」
兵たちは一斉に散開し、出入口へと向かった。
馬の機動力をもってすれば、相手が迎撃の準備を整える前に接近することが出来る。
数刻も経たぬうちに、集落の長と民たちが引き摺り出されてきた。
歯向かった者たちは全て斬り捨てた。
「物資を確保しろ」
集落の人間に倉まで案内させた。
穀物、乾肉、塩、矢、粗末な鉄器。
王からの補給は無い。
ならば、進みながら奪うしかない。
兵糧が確保されると、タケルは次の命令を下す。
「火を放て」
家々に火が移ると、集落は瞬く間に煙に包まれた。
泣き叫ぶ声が上がるが、タケルは構わなかった。
集落を占領しても、そこを維持する為に兵を残せるほど、数に余裕はない。
そのままにして残せば、いずれ背後から衝かれる。
それを防ぐには、タケルの通った道を焼き払うしかない。
タケルは兵を休ませることなく、馬を進めた。
集落を制圧し、奪い、焼き、さらに進む。
夜になれば、見張りを立てながら交代で休息を取った。
同じことを幾度も繰り返し、軍は西へと向かっていく。
深く、より深く、投馬国の懐へと入り込む。
筑紫島の南端。
二本に伸びた半島の付け根にある平野に差し掛かった。
その前方に、夥しい数の兵士の姿が映った。
投馬国領内に侵犯して初めて、軍らしい軍との邂逅だった。
だが、動きは重く、統率も甘いように見える。
刈り入れを終わらせ、急いで集めたのだろう。
タケルは頭上に剣を掲げた。
「数に怯むな。敵は俺たちの急襲に浮き足立っている。一気に崩すぞ」
そして振り下ろす。
二百の兵を四つに分け、横並びにして突っ込ませた。
迎え討つ敵の数は六百はいるだろう。
だが、一度に相手にするわけではない。
調練に調練を重ねた兵たちが、染み付いた槍さばきで敵を刺し殺していく。
個々の力も、軍としての質も、完全にこちらが優っていた。
だが、投馬国の兵は勇猛だった。
どれだけ仲間が目の前で殺されようと、悲鳴を上げて逃げ惑うこともない。
槍を構え、歯を食いしばり、正面から受け止めに来る。
だからこそ、殺し合いは徹底的なものとなる。
タケルの兵は躊躇なく、何度も槍を突き出した。
喉を貫き、鎖骨を砕き、腹を裂く。
刺したまま引き抜かず、体重を乗せて押し倒し、次の敵へと槍先を滑らせる。
投馬国兵も一歩も引かない。
刺されてもなお斬りかかり、槍を折られても短剣で組みつこうとする。
血を吐きながら噛みつこうとした者もいた。
個々の力は完全に上回っている。
だが、斬っても斬っても、次々と敵は前に出てくる。
更にここまでの進軍で、疲労は確実に蓄積している。
タケルは必戦場全体を見渡す。
突くべき場所、倒すべき敵を必死に見極めようとしている。
こんな時、持衰は的確に、そして素早く、それを見つけ出していた。
タケルには無い力だった。
それでも、タケルは遂に見つけた。
後方で必死に陣を立て直そうとしている、ひときわ豪奢な鎧。
兵の中に守られながら、退かず、剣を振るって兵を叱咤している。
――あれか。
その瞬間、タケルは駆け出した。
そのすぐ後ろから、騎兵も続く。
戦場を大きく迂回し、意識の外へ出た時、タケルの騎兵隊は一本の矢となった。
側面から敵の軍勢に走り込んでいく。
騎馬隊の存在は投馬国も知っている。
前線以外は、常に騎馬隊に注意を向けていた。
だが、歩兵隊の奮戦が、その注意を僅かに逸らしていた。
盾の防御、弓での牽制。
その全てが遅い。
タケルは、既に群れの中だった。
投馬国王。
小さな動揺と、激しい怒り。
取り囲む兵を蹴散らす。
駆け抜けざま、タケルは剣を払った。
刃が、王の肩口から深く食い込み、鎧ごと骨を断つ。
衝撃で身体が傾いたところへ、騎兵の槍が腹を貫いた。
王は膝をつき、それでもなお剣を離さなかった。
歯を剥き、血を吐きながら、睨み上げる。
タケルは馬上から、もう一度剣を振り下ろす。
今度は確実に、首を落とした。
転がった頭部を見た瞬間、戦場の空気が変わった。
投馬国兵の動きが、目に見えて鈍る。
それでも逃げない。
退かない。
だが、もはや指揮は無い。
タケルの兵は、それを逃さなかった。
内と外から、投馬国軍を喰い千切った。
勇猛であるが故に、投馬国軍の損耗は激しかった。
最後まで戦おうとする者から、順に死んでいく。
やがて、戦場には立っている者と、倒れている者だけが残った。
タケルは血に濡れた剣を振り、刃についた肉を落とした。
「またお前に近づいたぞ。日御子」
倭国の南の覇者が、失墜した瞬間だった。




