第百十話 進撃
あれから迦夜は、姿を現さなくなった。
だが、それは長く続かないであろうことを、タケルは知っていた。
おそらくあの娘には、国内で居場所らしい居場所はないのだろう。
兵に聞いた話しでは、迦夜は正妻の子ではないとのことだった。
ふと、邪馬壹国の先王、都萬彦の顔を思い出した。
「どこの国にも、似たような話しはあるもんだな」
それ以上の思いは抱かなかった。
迦夜のことなど心底どうでも良い。
タケルにとって今最も重要なのは、再び迦夜が現れるようになる前に、戦ができる準備を整えることだった。
季節はもう移り変わり、秋から冬に変わっている。
それだけの時間が過ぎたということなのだ。
タケルは連日、陽が昇っているうちは休む間もなく、自分たちの新たな住処を作り上げるため、兵たちと汗を流した。
そして、それもようやく終わりを告げた。
「……整ったな」
小さな集落を眺め、タケルは呟いた。
集落に立ち並ぶのは、無駄を削ぎ落とした造りの竪穴住居だった。
兵の数に見合った数だけを、等間隔に配置し、通路はあえて広く取られている。
中央には、共同で使う大きな広場。
そこには火を焚くための炉がいくつも設けられている。
一角には厩と馬場。
逃走防止のための木柵で囲ってある。
さらにその外縁には、兵たち自身の手で拓かれた田と畑が広がっている。
自給のための作物、そして乾燥肉や穀を蓄える倉も整えられていた。
だが、
集落の周囲に、自分たちを守るための柵や環濠はない。
敵を拒むための形は、一切存在しなかった。
「守る必要がないからな」
誰に聞かせるでもなく、タケルはそう呟いた。
ここは籠城するための場所ではない。
戦うために集い、
戦うために動き出すための場所。
それだけで良かった。
「ふーん、とうとう出来上がったんだ」
「これは迦夜様。暫く振りですね」
タケルの傍に、迦夜が一人で近付いて来ていた。
「また供もつけずに一人歩きですか」
「放っておきなさい。わたしだって戦う術は身につけてる」
そう言う迦夜の腰には、短刀が差してあった。
身のこなしも軽やかで、タケルの目から見ても、確かにそれなりに動けそうだとは、初めて会った時から感じていた。
「南の女人は逞しいですね」
「北の女は戦わないの?」
「滅多に。でも、弓の扱いが巧みな女人には、一度会ったことがあります」
日御子に初めて会った時、彼女はタケルの前で、鮮やかに兎を射抜いて見せた。
あの時の凛とした姿は、今も瞼の奥に焼き付いている。
だが迦夜はその話に、特に興味はないようだった。
「で、これから戦に出るの?」
「ええ。これでようやく、あなたに役立たずと言われずに済む」
「まだ分からない。そういう科白は、勝ってから言いなさい」
「勝ちますよ。俺は」
タケルは迦夜に向かって、不敵な笑みを浮かべた。
タケルが迦夜に対して、初めて見せる笑顔だった。
決して、迦夜に対する親愛の情から表れた表情ではない。
久方振りに戦に出られる昂揚感と悦びが、彼に思わずそんな顔をさせただけに過ぎない。
だが、不意打ちのようにそれを喰らった迦夜は、なぜか頬が熱くなるのを感じた。
「ふん、精々死なないことを祈ってるよ。狗奴国のために、お前には命一杯働いてもらわないとね」
照れ隠しに憎まれ口を叩くくらいしか、迦夜には出来なかった。
突然現れた騎馬隊を前に、狙われた集落は成す術も無かった。
迎え討つよりも速く接近され、矢の雨を掻い潜り、すぐに取りつかれた。
木柵は燃やされ、焼け落ちた箇所から軍馬が殺到してくる。
「抵抗する者は殺して構わん。だが、不必要な殺生は禁ずる」
待機していた兵と、反抗を示した民たちは、容赦なく斬られた。
その中には若い女もいて、迦夜の言う通りの、南の国々特有の気性を感じさせた。
物品を略奪し、首長の首を刎ね、民を一所に集めた。
そうして集落を完全に制圧した後、タケルは兵を狗奴国へ放った。
この集落は狗奴国から近い、程なくして、狗奴国王たちが現れた。
「信じられん。戦に出てわずかの間に、この地を制圧したのか」
「後のことは、お好きなようになされるが良い。我々はもう行きます」
「待て、どこへ行くと言うのだ」
「この近くには、まだ幾つかの集落があります。それら全てを、今から陥としに行きます」
タケルは今の戦に満足していなかった。
長い間、戦いから遠ざかったことで血に飢えた男は、更なる血を追い求めていた。
本能を剥き出しにした、獣のような目を向けられ、狗奴国王はたじろいだ。
「そんなことが」
「出来ます。私たちの馬はまだ駆けられます。この事が周囲に伝わる前に、攻められるだけ攻めてしまうべきでしょう」
タケルの迫力に押され、狗奴国王は頷くしかなかった。
実際、タケルの言には一理ある。
それにもし彼が討死したとしても、狗奴国にとっては何の痛手もないのだ。
二十騎の兵を率い、タケルが集落を飛び出した。
枷が外れ、解放された気分だった。
邪馬壹国にいた頃は、勝てる確信があろうとも、戦を見送る機会が多かった。
それは日御子が望み、持衰が掲げる、慈悲の国という邪馬壹国の精神を守るためだ。
当時、タケルはそれを絶対的に正しいものだと思い込んでいた。
だが、今は違う。
慈悲など必要ない。
敵を殺し、支配しなければ、自分たちが喰われるだけだ。
守る為には、戦わなければならない。
望みを叶える為には、必ず犠牲になる者が必要になる。
そのために今タケルは、躊躇なく力を奮うことができる。
「日御子、持衰。やっぱりお前たちは間違っている」
タケルは前を見据えた。
その先に、ちょっとした一団が見えた。
とはいえ、その数は二十一騎のタケルたちより遥かに多い。
先ほどの集落とは距離が近い。
何が起きたのか、すぐに気づいてしまったのだろう。
「だがこれでようやく、少しは戦らしい戦ができる」
一団の中から投石が放たれる。
布に石を乗せて振り回し、その勢いを利用して放つ、古より行われてきた攻撃方法だ。
弓よりも遥かに準備が楽で、熟練した者であれば、驚異的な殺傷能力を発揮する。
現在に於いても、広く使われている武器の一つだ。
「散れ」
二十一騎が散開した。
投石は弓よりも命中精度に劣り、さらには次弾を放つまでに時間がかかる。
散らばって的を小さくし、初撃を躱せばもう向こうは成す術がない。
「突っ込め」
タケルは下半身に力を込めた。
自らの脚の力で、馬の背に強くしがみつく。
敵に突撃した衝撃で、振り落とされないようにするためだ。
その調練は、ずっと兵たちにも課してきた。
今はタケルだけでなく、騎馬の総力を持って、敵にぶつかることができる。
この戦術を昔于老との戦いでもとることが出来ていたら、あの時の戦は全く違う展開になっていただろう。
騎馬が四方から襲いかかる。
敵は良いように蹂躙され、次々と討ち取られていく。
全ての兵を殺し尽くした後、タケルたちは後方の集落に向けて駆けた。
一つ目の集落と同じように、ここもすぐに陥落した。
しかし、タケルたちは止まらない。
すぐにまた別の場所へと馬首を向け、駆け始めた。
「日御子、待っていろ。俺はお前との約束を果たすまで、戦い続ける。必ず、お前を救ってみせる」
鮮血を浴びながら、タケルは敵を斬り殺し続けた。
その姿は、味方の背筋までも凍りつかせるものだった。
全身を赤く染めたタケルであったが、腰に提げた皮袋だけが、異様なほど小綺麗なままだった。




