第百四話 決別
邪馬壹国に到着次第、日御子は真っ直ぐに神殿へと向かった。
民たちは列をなして、女王の帰還を平伏して迎えた。
穂北彦王はすぐに神殿へと駆けつけて来た。
毎度のことだが、日御子の戻りに狂喜乱舞していた。
「姉上、久しぶりにお会いでき、大変喜ばしく思っております。しかも此度はいつもよりもお早いご帰郷とあり、穂北彦は感動しております」
「うん、わたしも嬉しいよ、穂北彦……」
主人に会えてはしゃぎ回る犬みたいだ。
そんな弟に温かい眼差しを向けながら、日御子はお決まりのセリフで返した。
「やはり、そちらの王都は肌に合わぬのではないですか?姉上、ご無理なさらず、ずっとこちらにいらっしゃれば良いではないですか」
期待に目を輝かせて、穂北彦が日御子に提案する。
コイツのシスコンは、王になっても相変わらずだ。
「違うの穂北彦。わたしには、やるべきことがある……」
「やらなければならないこと、ですか……」
「そう。女王としてでなく、わたしがわたしとして、やらなければならないこと……」
姉の表情を見て、穂北彦も何かを察したのだろう。
彼の顔つきも真剣なものに変わった。
「姉上、私にも出来ることがあるのであれば、お力になりとうございます」
「ありがとう。穂北彦。でも、大丈夫だから……」
「そう、ですか……」
残念そうに、穂北彦は少しだけ肩を落とした。
「姉上、くれぐれもご無理なさいませぬよう」
「うん、ありがとう……」
頭を下げ、地につけた穂北彦の手が、微かに震えていた。
本当は無理にでも止めたいのだろう。
だけど、穂北彦は姉の想いを汲んだ。
穂北彦もまた、王として、人として、成長しているんだ。
「持衰」
日御子と別れて外に出たあと、穂北彦が俺に話しかけてきた。
「タケルのことは、話には聞いてる」
穂北彦は、日御子とタケルの謁見の場には来ていなかった。
人伝てに、その時のことを知ったのだろう。
「それが関係しているのだろうとは、想像がつく。だが、それによって姉上が何をなさろうとしているのか、俺にはわからない。教えても下さらない」
穂北彦は日御子を、ずっと母親代わりにして育ってきた。
大好きで、大切な人。
そんなたった一人の姉の力になれないことを、穂北彦は歯痒く思っているのだろう。
「だから持衰。姉上のこと、お前に任せたぞ。死ぬ気で、姉上をお支えするんだぞ。いいな」
悔しさそうに、でも真摯な眼差しで、俺に一番大事な人を託してくれた。
「どっかの誰かさんと、同じようなことを言うんだな」
「……? 何のことだ」
穂北彦がナビと重なり、思わずくすりと笑ってしまった。
穂北彦は怪訝な顔をした。
「約束するよ、穂北彦。俺は全力で、日御子のために尽くす」
今度は俺も真剣に、穂北彦に向かってそう告げた。
「か、勘違いするなよ。今回だけだからな。普段は俺が、姉上をお守りするんだ。俺も、まがりなりにも王なんだからな」
そう言って腕を組んでそっぽを向いた。
少し、頬が赤い。
王になっても、素直になれない性格は、相変わらずなようだった。
夜になり、俺は神殿の前に腰をかけていた。
秋の収穫祭が近い。
冷気を孕んだ風が、柔らかく、鋭く通り抜けていく。
遠くから、馬蹄の響きがこだましてきた。
20騎ほど。
音の大きさで、どれくらいの数かわかる。
漢で身につけた、ちょっとした特技だった。
離れた場所で、その音が止む。
しばらくしていると、森の中から人影が、ぬっと現れた。
「よお」
「おう」
お互い、軽く手を上げて挨拶を交わす。
近づいてきたタケルは、5歩くらいの距離で足を止め、辺りを見渡した。
「お前一人か」
「ああ、衛兵たちには暇を出した。巫女たちにも、夜は外に出ないように頼んだ」
「どうりで、誰にも邪魔されないはずだ」
周囲へ向けていたタケルの視線が、俺を捉える。
「お前一人で、どうにか出来ると思っているのか?」
「どうだろうな。けど、誰がいたって、無駄に死人を増やすだけだ」
ゆっくりと、俺は立ち上がった。
「なあ、タケル。今ならまだ間に合う。このまま引き返せば、今夜は何も起こらなかった。そういう事にできるんだぞ」
無駄だとわかっている。
けど、友として最後の忠告を、俺は口にせずにはいられなかった。
タケルは、静かに夜空を仰いだ。
「持衰。俺はもう、この国の在り方を許せなくなっちまったんだ。殺し合いたい奴は勝手に殺し合えばいいだろ。何で日御子一人が、その責任を肩代わりしないといけないんだ。日御子は関係ないだろ」
「日御子が王にならなければ、他の関係のない女子供が、大勢死ぬことになる」
「それが世の習いだろ」
「確かにな。でも、血を流さずに済む方法がはっきりしているのに、それを選ばずにいることを、俺と日御子は出来なかった」
俺の言葉が届いているのかいないのか、タケルは虚ろな目で、俺の背後の神殿を眺めていた。
「なあ、持衰。やっぱり、あのまま都萬彦に任せておけば良かったんだ。そうすれば、戦はいずれ終わっていた」
「言っただろう、タケル。それまでに流される血が多すぎる。俺達の我儘で、救えるはずの人間を殺すことに、日御子は耐えられない。彼女を、深く傷つけることになる」
「傷はいつか癒える。最初は泣いていても、いつか笑える時がくる。けど、女王であり続ける限り、日御子は一生笑えない」
「それが、日御子の望みなんだ」
その時タケルの目に、今日初めて感情の色が宿った。
黒い、憎悪の感情が。
「お前は日御子が望めば、何でもするのか。あいつが死にたいと言えば、その胸に剣を突き立てるのか」
「タケル、そんな話しは……」
「そんな話しだろう」
俺の言葉を遮り、タケルが叫び声を上げた。
泣きたくなるくらい、悲痛な叫びだった。
「日御子が何を望もうが、無理矢理にでも、それを叶えるべきではなかったんだ。あいつの幸せを一番に考えることが、何よりも大事なんじゃないのか。他の人間がどうなろうが、知ったことか」
「日御子の幸せを、俺たちが勝手に決める権利はないだろう」
俺も叫んだ。
昔は俺も、ありとあらゆる手を使ってでも、日御子の自由を守りたいと思っていた。
それが、日御子のためなんだと。
けど、そうじゃなかった。
誰かの犠牲に成り立つ自由を、日御子は喜んだりはしない。
それが分かるからこそ、俺は。
タケルが、ふっと息を吐いた。
自分の心を、再び冷え切らせるために。
「持衰、もういいだろう」
「そうだな。タケル」
腰に差した剣を、俺は抜き放った。
タケルも、構えを取る。
「じゃあ、やるか」
「ああ、持衰」
これから俺は、目の前の友達と殺し合う。
なのに何故だろう。
言葉のやり取りよりも、この方が通じ合える。
そんな気がする。
子供の頃ふたりで遊んだ時のように、タケルも無邪気な笑顔を浮かべていた。




