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倭国大乱 〜『観測者』は転生し、全ての歴史を見届ける〜  作者: 明石
第ニ章

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第百二話 裏切り

「本当に、肖古王しょうこおうには会わないのか?大率だいそつ殿」


「ああ。報せは送ってあるが、俺も一刻も早く本国に戻りたいからな」


タケルの返答に、燕久利えんくりは不満気な表情をした。

もう何度も、同じような押し問答を繰り返している。


「王は残念がられるだろうな。それに、城まで来てくれれば、歓待の宴や褒賞が待っているというのに」


「個人的な褒美は不要だよ。燕久利殿。それに、もう十分過ぎるほどのものを与えてもらった」


昔于老せきうろうとの戦いで、天照軍てんしょうぐんにも被害が出ていた。

三十四名の兵が命を落としたのだ。


倭国においては無双の強さを誇った天照軍が、これほどの犠牲者を出したのは、今回の戦が初めてだった。


その損害を埋めるため、燕久利は私兵から希望者を募って、タケルに与えた。

騎乗に巧みな者二十名が、新たに天照軍に加わったのだ。

彼らは、この戦の為に手に入れた三十頭の馬と共に、倭国へと渡る。


「私の気は、それだけでは済まないのだがな……」


「倭国では出会えないような強い敵と戦えた。新しい友達と一緒にな。俺は満足しているよ、燕久利」


拳を突き出し、タケルは笑った。

虚を突かれたように、燕久利は驚いた顔を見せた。

だが、すぐにタケルの想いを汲んで、自分の拳を、差し出されたタケルの拳に合わせた。


「さらばだ。タケル」

「ああ」


踵を返して、タケルは倭国へ帰る大型船へと乗り込んだ。

別れは済んだ。

タケルはもう振り返らず、燕久利もまた、騎馬による土煙を上げて、ゆっくりと走り去っていった。


タケルは、海原の遥か彼方。倭国への方角を見つめた。

ようやくだ。ようやく、日御子に会える。


タケルの中に戦の余韻は既になく、心は全て日御子に向けられていた。




倭国へ戻って五日目のことだった。

遂に、使いがタケルの元に到着した。


待ちわびた瞬間のはずなのに、いざその時が来たと思うと、

胸の内で心臓が破れそうなほど高鳴った。


五年——。


タケルは五年もの間、日御子に会うことが出来なかった。

幾度も神殿を仰ぎ見た。

あの中に日御子がいる。

すぐ近くに、想い人がいる。


それなのに、会うことは許されない。


その顔が見たい。

語りかけたい。

見つめられたい。

笑いかけて欲しい。

言葉を返してほしい。


募り続けた想いは、重石のように胸に積もっていった。


その想いが、ついに報われる。


日御子に、会える。


持衰が第二の王都に定めた大集落。

その最奥に建つ神殿に、タケルは初めて足を踏み入れた。


高く築かれた高床に上がっただけで、空気が変わったように感じられる。


入口の左右に控える巫女たちが、静かに幕を持ち上げた。


この奥に、日御子がいる。


タケルは、生唾をひとつ、ごくりと飲み込んだ。

身を屈めて幕をくぐる。

鼻孔を、焚かれた香木の香りがくすぐった。


日御子──。


伏せた顔をゆっくりと上げた。


次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、タケルの思考が一拍止まる。


「……なんだ、これは」


広い神殿の奥は、白い幕で仕切られていた。

おそらく、あれが祭壇なのだろう。


その右側には御子長みこのおさである於登おと

反対側には持衰じさいが静かに座している。


二人きりで会えるなどと思ってはいなかった。

だがこれは。


「おお、大率殿。よくぞ戻られた」

「此度の働き、誠に大義であった」


左右から、次々と労いの声が降りかかる。


奴国王なこくおう伊都国王いとこくおう末盧国王まつろこくおう──。

諸国の王、その延臣までもがずらりと居並んでいる。

中には、以前見たことのある顔もあった。


「どうなってるんだ……」


タケルは、誰にも届かぬほど小さく呟いた。


タケルはただ、日御子に会いに来ただけだ。

それがなぜ、こんなことになっているのか。


助けを求めるように、タケルは持衰を見た。

だが、彼は黙って座ったままで、タケルと目を合わそうともしなかった。


状況が飲み込めぬまま、それでもタケルは日御子を求めて、祭壇に向かって歩を進めた。


「そこでお止まり下さい、大率殿」


静かに、だが有無を言わさぬ口調で、於登がタケルを制した。


「女王のお成りです。その場でお控えください」


はじめは何を言われたのか分からなかった。

少し遅れて、座れと言われたのだと理解して、タケルは腰を下ろした。


白幕が微かに揺れる。

人影がうっすらと浮かび上がった。


あの向こうに日御子がいる。


タケルの感覚から、周りの人間の視線が消えた。


幕が、ゆっくりと取り払われた。


そして、タケルは再び、暗い衝撃を受けた。


「日御子、なんで……」


目の前に現れたのは、確かに日御子だった。

赤く縁取られた白い羽織に、首に揺れる玉飾り。


間違いなく日御子だ。


だが、彼女の顔を見ることは、タケルには叶わなかった。


日御子は青銅の輪を頭に嵌めている。

その輪には、またも白い絹布が備えられていた。

日御子の顔にその絹布が覆い被さり、彼女の顔を、誰の目からも守っていた。


日御子の登場に際して、皆が一斉に頭を床につける。


持衰と、於登までもが同じようにしている。


この場において顔を上げているのは、女王である日御子と、呆然とその姿を凝視しているタケルだけだった。


諸王と延臣がおもてを上げる。


「大率殿、女王より下賜のお言葉がございます。慎んで拝聴なされますよう」


於登が引き締めた声音で、タケルに告げた。


「大率タケル」


日御子が初めて口を開いた瞬間、タケルの肩がびくりと震えた。

静謐なのに、凜と響く声。

記憶のままの美しい声。

だが、そこに温かさはなかった。


「此度のあなたの功は、この上なく大きい。

大率が斯蘆国しろこくを退け、弁韓を救いしこと、連合国の柱たる位に見合う、素晴らしき働きでした」


淡々と、日御子が言葉を紡ぐ。

女王日御子を盟主とした連合国体制となって、女王が初めて臣下に対して口にする賛辞。


この上ない名誉である。

誰もが羨むであろう待遇だった。


だが、タケルはそんなものを欲していない。


女王からの言葉など要らない。


“お帰りなさい”

“久しぶり”

“ありがとう”


ごくありふれた、誰もが口にするような言葉。

日御子が、日御子としてタケルに送る言葉。


タケルが欲しくて欲しくて堪らないものは、ただそれだけだったのだ。


「今後も、我が連合国のため、その力を存分に振るってくれることを、我は願います……」


そう言うや否や、日御子はすっと立ち上がった。


「女王、私は……」


直答じきとうは許されぬぞ、大率よ」


すぐ近くにいた奴国王が、刺すような口調でタケルを咎めた。


目を見開いて、奴国王を見つめる。


何だと?何を言ってるんだ?


俺は、ただ俺の大事な人に話しかけただけだ。


なぜ貴様などに、そんな事を言われなければならない。

なぜ俺が、日御子に話しかけてはいけないんだ。

鈍い痛みと怒りが、タケルの中でせり上がってくる。


その間にも日御子は、背を向けて神殿の奥へと立ち去ろうとしている。


「お待ち下さい、女王……」


タケルの声など届いていないように、日御子の背中は少しずつ遠ざかっていく。


「待ってください……女王。……待ってくれ……」


日御子、日御子。

やっと会えたんだ。

なのに、行ってしまう。

日御子、嫌だ。

俺は、まだ。


「……日御子」


喉を枯らし、涙を流しながら、懇願するようにタケルは叫んだ。


日御子の肩が震えた。

背を向けたままだが、その歩みが止まった。


周囲の人間がざわめく。


「日御子、頼む……。日御子、待ってくれ……」


「血迷ったのですか大率殿。女王の御名みなを呼び捨てにするなどと」


於登が色めき立ち、タケルを叱責した。

だが、彼の耳にはもう届いていない。

ふらふらと立ち上がり、祭壇の日御子へ近づこうとする。


「いけない大率殿」


横から取り押さえられ、地面へ叩きつけられた。

不弥国の臣、多模たぼだった。

全身に衝撃が広がる。

肺が圧迫されて空気が押し出される。

だが、そんなことはどうでもよかった。

タケルは日御子を見つめ続けている。

彼女は未だ、背中を向けたままだった。


「持衰……。おい、持衰」


今度は持衰へ向かってタケルは声をあげる。

だが、多模に押さえつけられているため、のどが詰まり、声はうまく出なかった。


「持衰……お前からも何か言ってくれ。約束したよな。日御子に会わせてくれるって……。持衰、頼むよ。少しだけでいいんだ……。それだけで俺は……。持衰、頼む。お願いだ……」


床を涙と涎で濡らしながら、タケルは持衰に呼びかけた。

けれど彼は、唇を噛み、ただ目を逸らすだけだった。


「持衰、なんで……」


日御子が半身だけこちらを向いた。

垂れ下がる白布の隙間から、わずかに横顔が覗く。

全て見えないが、昔と変わらぬ、美しいままの顔立ちだった。


その横顔に、涙が一条伝っていた。


泣いている。

日御子が、泣いているのだ。


そして再び背を向け、歩き出す。

今度こそ日御子は振り返らず、神殿の奥へと消えていった。


「日御子、日御子……」


主を失った祭壇に向かって、タケルは何度も呼びかけた。

だがどれだけ喚いても、彼女はもう姿を見せてはくれなかった。


「長き戦の疲れで、大率殿は我を失っている」


衆目に向かい、持衰が声を張る。


「今日のところは下がれ。しばらくは、ゆっくり休むといい」


そう言って顎をしゃくると、多模のほかにも数名が進み出て、タケルを出口へと引きずろうとする。


「離せ、触るな。邪魔をするな」


振り払おうとすれば簡単なはずなのに、その力が出なかった。

なされるがまま、タケルは祭壇から遠ざけられていく。


なぜだ。なぜお前たちは俺から日御子を奪うんだ。


心の奥底から憎悪が湧いてくる。


憎い。憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い。


自分と日御子を隔てる全てのものが、タケルは憎くてたまらなくなった。


国も。民も。王も。持衰も。すべてが。


「持衰……」


憐れむような目で、持衰がこちらを見つめ続けていた。

その瞳も、次第に遠ざかっていく。


この時タケルの中で、危うげながらも保たれていた均衡が、がしゃがしゃと音を立てて崩れていった。

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