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倭国大乱  作者: 明石辰彦
第一章

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第十話 接触

砂浜に舟に積んできた筵が敷かれ、俺はそこに横たえられた。


土器の甕にわずかに溜められた雨水を、椀ですくって口元にあてがわれる。

一口ずつ喉に流し込むと、ひび割れそうな乾きが少しずつ癒えていく。


やがて、舟から取り出されたのは固く乾いた干し魚だった。

仲間が指先で割り、口に押し込む。

噛み締めると、塩気と魚の脂が舌に広がり、空っぽの胃が悲鳴のように反応する。


航海の間、飲み水は僅かに許されていたが、食べ物はほんの欠片だけだった。

おそらく俺は軽い栄養失調だったのだろう。


――旨い。


倭国の集落にいたときは、正直それほど好みではなかったのに。

空腹って、やっぱり最高のスパイスなんだな……。



気付くと、いつの間にか遠巻きに人影が集まっていた。

現地の者たちだろう。

そりゃそうだ――舟でいきなり五十人以上の異民が砂浜に押し寄せてきたのだ。誰だって驚くに決まっている。


彼らは距離を取りつつも、こちらを好奇と警戒の入り混じった目で眺めていた。

粗布を身にまとい、腰に帯を締め、そこから袋や小物を吊るしている。

布の色は生成り(きなり)の者もいれば、藍や褐色に染めたものを着る者もいる。

倭の村で織られる麻布と大差ないはずなのに、仕立てがまるで違う。

左右から衿をきちんと重ね合わせ、袖を通して形を整えた衣は、俺たちの貫頭衣よりもはるかに「服」という感じがする。


首長も袖付きの衣を着てはいる。だが倭ではそれは特別な者だけの装いだ。

こちらの人々は、子供から大人まで、当たり前のように皆がその形をまとっている。

しかも女たちは腰から足元まで長い裳を重ね、裾が揺れるたびに整った線を描く。

髪は高く結い上げられ、布や簪で留められていた。

倭では髪を束ねるにしてもせいぜい紐で括る程度だ。

同じ麻布を使っていてるのに全くの別物だ。

この装いの違いだけで、ここは倭国ではないのだという実感を得るのに十分だった。



仲間の中で、僅かに漢語を話せる者がいた。

彼が群衆に向かって声をかけると、ざわめきが広がり、その中から一人の男が前に出てきた。

衣の色合いや立ち振る舞いからして、どうやらこの場のまとめ役らしい。


漢語を話せる仲間は、舟に積んできた荷の中から用意していた貢物を取り出した。

干した魚と貝、それに漆を塗った木の小箱に、勾玉をいくつか詰めたものだ。

それを両手で差し出すと、漢人の男は一度それを受け取り、じっと品定めするように眺めた。

やがて、ゆっくりと何度か頷く。


どのような言葉が交わされているのか、俺にはまるで分からない。

ただ、横になりながら見ているだけだった。



仲間がこちらに戻って来る。

「とりあえずこの土地の長のような者に取り次いでもらえることになった。もう少しで案内役が来る。俺たちはその長の邸に赴き、そこで沙汰を受けることになる」

「上手く事を運べそうなのか?」

別の人間が問う。その表情は強張っていた。いや、この場のほぼ全ての人間がそうだった。


「さっきの男は言っていた。異民が流れ着くこと自体は稀にあるらしい。下手な真似をしなければ、たいていは受け入れてもらえる、と。だが……」

「だが?」

「俺たちのように、クニの使者でもなく、ただの漂泊者で、それも五十を超える人数で押し寄せてきた例は、聞いたことがないそうだ。どう扱うかは、長の裁き次第だと」


無事に辿り着いた安堵はすぐに遠のき、俺達はまた新たな試練にみまわれることになった。


やがて、数人の漢人がやって来た。

彼らは槍を携え、身なりも整っている。一目で彼らが案内役だとわかった。

槍で突つかれて列を作らされ、分担して貢物を運びながら、砂浜から内陸へと歩みを進めた。

食べ物を口にして、しばらく休んだお陰で、俺は何とか立って歩けるくらいまでには回復した。


目の前に飛び込んできたのは、高く塀をめぐらした大きな建物だった。

土と木で築かれた壁は倭の集落では見たことのない高さで、門は黒々と塗られ、その扉には金ピカな装飾が光っている。

門前に立つ男たちは帽子みたいなものをかぶり、腰には刀を帯びていた。倭の首長の屋敷とは比べものにならない威容だ。


案内役が声をかけると、門は軋む音を立ててゆっくりと開いた。

中に広がっていたのは、整然と区切られた中庭と、奥にそびえる堂々たる主屋だった。

木の柱は太く、瓦を載せた屋根は広くせり出している。


すっげー。弥生時代でもそれなりの高さの塔楼や、祭祀で使うそこそこ立派な神殿もあったけれど、中国の建築技術と比べるとやっぱり雲泥の差だな。


関心してる場合じゃないけど、この時代の生の建物を見られるなんて、普通じゃありえないからな。

どうしても興奮してしまう。


待てよ?というかここは中国のどこなんだろう?

いつもだったらこの辺でナビの解説が入るはずなのに……、


ナビ?ナビ!?


俺は心の中で呼びかけるが、ナビの姿は見当たらない。


「なんで出てこないんだ?もしかしてまだ怒ってんのか!?」


こんな遥か昔の、右も左も分からない世界に飛ばされても正気でいられたのは、なんだかんだナビがいてくれたお陰だった。

なのにアイツがいてくれないんじゃ……。


先程の興奮が急速に冷めていく。

かわりに自分の中で物凄い勢いで不安が募っていく。

頼むナビ。もう勝手なことしないから出てきてくれ……。


やがて俺たちは、庭に集められた。

役人らしき者たちが行き交っている。木簡を手にした者が近くに侍る。記録係だろうか?

俺たちがどう処遇されるのか。

それがもう少しで決まる。


正直、俺が「能動的」に介入しなければ、歴史の強制力により落ち着く所に落ち着くだろうから、この場で殺されるってことは考え辛い(俺一人が生き残るってパターンも多分ありえない。他の全員が殺されてるのに、俺だけ助けられる理由がないから)

でも、奴隷にされたり、みんながそれぞれバラバラの所に送られる可能性はある。

ゴクリと俺は喉を鳴らす。


やがて、他の役人よりも上等そうな衣をまとった男が現れた。

黒に近い深い藍の衣に布帽子をかぶり、腰には笏のような板を携えている。

明らかに偉そうだ。彼は堂の入口の石段に据えられたつくえの前に腰を下ろした。

その位置は俺たちが立たされている庭より一段高く、自然と見下ろす形になる。


庭に整列させられた俺たちに、値踏みするかのような視線を容赦なくぶつけてくる。


役人の長が声を発した。


「汝等何人?來此作何事?」


先程の、僅かに漢語を話せる仲間が前に出て応じる。


「我々 倭人……逃 戰鬥 來。想 在 漢 生活」


何言ってるかさっぱり分からん。ナビ……。


仲間がさらに言葉を続ける。


「有 禮物。請 收下」


すると彼は運んできた貢物を恭しく差し出す。

先程の海岸で会った漢人に渡した物の倍以上の量だ。

他の仲間も手伝い、布を下敷きにして両手で捧げ持つ。


役人の長は近くに侍る役人たちに顎をしゃくる。

彼らは頭を下げると素早く駆け寄ってくる。貢物を降ろすよう指示したのだろう、仲間達は貢物を地に置いた。


役人の一人は木簡と筆を持っている――記録係だ。

他の役人が貢物を仕分け、代わる代わる声をかけるたびに、記録係は頷きながら筆を走らせていく。

目録を作っているのは、言葉が分からなくても理解できた。


やがて書き終わった記録係が目録を役人の長に差し出す。

彼はその内容を検めると口元を歪め――ニンマリと笑った。

貢物はどうやらお気に召したようだ。


その後も、交渉係の仲間は所々つっかえながらも、何とか長とのやり取りを終える。

会話が止まったところで、長は立ち上がり背を見せると、のしのし足音をたてながら邸の奥へと消えていった。

役人たちも一斉に動き出し、いそいそと貢物を運び去っていく。

俺たちは頭を地に擦りつけるようにして、それを見送った。


庭に残されたのは俺たち倭人だけ。

やがて誰もいなくなったのを確かめ、皆が恐る恐る顔を上げる。


「おい……どうなったんだよ?」

声をひそめて別の仲間が問う。


交渉役の男が、疲れ切った表情で答えた。

「ああ、貢物と俺達の態度が効いたようだ。特別にひとまとまりで暮らすことを許された。この地のはずれに未開墾の土地があり、そこを我々の住処としてあてがってくれるそうだ。」


おお。と皆が歓声を上げる。

マジか。かなりの特別待遇じゃないか。この地に受け入れてもらえるだけでなく、専用の土地まで与えてもらえるなんて。

開墾しなければならないのは骨が折れるが、今までの境遇と比べれば大した問題ではない。


「だが、」

気まずそうに交渉係が言い淀む。

引っかかる物言いに不吉な予感がする。


「だが、何だ?早く言え。」

「だが、土地はあくまであの役人のもの。開墾して収穫した半分は税として納めろ、と」


誰もが息を呑む。


「それだけじゃない」

男は言葉を継いだ。

「女たちは養蚕を学び、糸を作って絹布を仕立てろ、とも言われた。それを定められた数だけ献上せねばならないそうだ……。自分達の土地ではそれが主な仕事になるが、召集があればそれに応じ、製鉄、造船、建築なども手伝えと言われた……。」


「は、半分だと?」

「奴らのために絹布を編めだと?ふざけたことを……。」

「伊都国の方がまだマシだったぞ」


どこに漢人の耳があるか分からない。皆声を抑えている。

それでも内心の怒りはその声音や表情から滲み出ている。

口々に不満の声を出し合い、相乗効果で場の空気が過熱していく。

ーーマズイな。このままじゃ収集つかなくなるぞ。


「いや、十分だ。」


今まで沈黙を守っていた首長が声を発する。

はっ、としたように皆が口を閉じる。


ーー十分?


首長はこの条件をどうとらえているのだ?

今から彼は何を発言するのか?

皆が固唾を飲んで首長の次の言葉を待つ。


「本来であれば、我らは生口せいこうとして散り散りに売られ、二度と顔を合わせることもなかっただろう。

それが、一つの群れとして暮らすことを許されただけでも上出来だ。


そして考えてもみよ。我らが差し出した宝物と、この人数――。

強大な漢の国の役人と言えど、結局はただの人。人である以上欲もある。すべてを自分の懐に収め、我らを好き勝手に使い潰そうと考える者もいるだろうと踏んでいた。

逆に清廉潔白な人物であったとしても、なおさら戦禍から逃れてきた無力な我らを無下に追い払う真似はせんだろう。」

「しかし!これ程の税と労役を課せられれば、奴隷と何も変わらんではないか!」

誰かが堪えきれず声を荒らげる。


首長はその方を静かに見据え、ゆっくりと首を振った。


「いや、違う。倭国での奴隷と、この国での使役では全く意味が変わってくる。ここは漢だ。

すべてが我らよりも進んでいる。この地での生活それ自体が、我らに学びと発見をもたらす。我らは進化できるのだ。」


「だが、結局すべて持っていかれたら、何も残らない。」

「いや残る。身につけた知識と技術がな。」


「だがそれも結局、漢の役人どものためのものだ。この地にいる限り永遠に、自分たちのためには使えまい。」


首長の瞳が鋭く光った。

「誰がいつまでもこの地に縛られると言った?」


一瞬、ざわめきが走る。


「漢での学びは必ず我らの力となる。その力は、今の倭国のいずれの国よりも遥かに強大なものとなろう。

その力を携えて――」


首長は庭に並んだ仲間たちをひとりひとり見渡し、低く、しかし確かに響く声で言い放った。


「我らは必ず、故郷へと帰るのだ。」


静寂。

しかしその沈黙の中、人々の瞳には、これまでなかった輝きが宿り始めていた。


ーー倭国へ。故郷へ。必ず帰る。


「そして……我らを蔑ろにした伊都国を、いや、この大乱を引き起こしたすべての国々を、我らの手で屈服させる。

漢と同じく、一つにまとまった国を――倭に打ち立てるのだ。」



鳥肌が立った。

なんて壮大な計画なのだろう。


漢へ渡ると決断したその時から、この人は確かに変わった。

甘さを捨て、ここまで峻烈な決意を抱くようになった。

だが、それでも根本は変わらない。

この人は昔から、誰よりも、何よりも、俺たちの幸福を願ってくれている。


首長のこの誓いを、俺は必ず見届ける。

この時、俺は初めて「観測者」としてここにいる意味を見出した。

歴史をただ眺めるのではなく、誓いを胸に刻み、未来へとつなぐこと。

俺はこの人の覚悟を、絶対に無かったことになんてさせない。


そう。これが俺の使命なのだ。


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