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たぶんホラーの短編集

梅の飴で匂わせて、味噌汁でいけ


 営業の帰り、夕方の渋滞が始まっていた。運転席で鈴木は大あくびを連発している。


「あー。眠いな」  


 そんな鈴木を水野は助手席でチラチラ窺う。夕暮れ時、車内は鈴木越しに西日が眩しい。


「大丈夫ですか?」


 鈴木にとって水野は会社の後輩であり、大学の後輩でもあり、妻の同級生でもあった。就活の世話をした頃からの仲だから、他の社員と二人でいるより多少の気楽さがあったかもしれない。


「運転変わります?」


「やだよ。水野は下手くそだろ?」


 即答する鈴木に水野はわかりやすく顔をしかめる。


「居眠り運転よりは安全です」


「いやいや無理無理」


 鈴木の完全否定に、水野は更に不満顔だ。


「俺、運転下手じゃないです。大丈夫ですよ」


「何が大丈夫だよ。怖いよ」


「怖くないですよ」


「だってこの前、会社の車で事故ったろ?」


「違います! 事故ってないです!」


 水野は甲高く悲鳴をあげた。しかし、鈴木は半笑いのまま首を傾げる。

 

「聞いたよ。駐車場でアクセルとブレーキ間違えて、バックで急発進したって。違うの?」

 

「それはーー間違えただけですよ」


「でも、車は?」


「……修理に出しました」


 水野がおずおずと答えると、鈴木は大声で笑った。


「ほらぁ」


「でも、鈴木さん眠いんですよね?」


「まあまあ。どこかでコンビニ寄ってコーヒー買うから」


「この辺にコンビニないですよ」


 そう言いながら、水野は抱えていた鞄の中をガサゴソとあさりだした。


「何してんの?」


「飴でもあればな、と思って」


「あるの?」


「あっ、ありました」


 水野は意気揚々と鞄から飴の小袋を取り出した。


「これです!」


 水野の手のひらの上をちらりと見て、鈴木は落胆を隠せない。


「なんだ梅味かぁ」  


「なんだとはなんですか。おいしいですよ」

 

 憤慨する水野を気にもせず、鈴木はヘラヘラと笑う。


「梅味ってちょっと苦手なんだよね。なのに最近、奥さんがはまっているらしくて。梅味のお菓子が勝手に増えてきてて、腹が立ってんだよね。憎しみまで芽生えてる」


「憎まないであげてください。梅味がかわいそうです!」


 水野は子どもみたいに声を荒げる。


「なんだよ。叫ぶなよ。冗談なんだから」


「冗談なんですね? 憎んでないんですね? じゃあこれを食べてください」


 水野は鈴木の胸ポケットに個包装のお菓子を無理やりねじ込んだ。


「こんなところにいれるなよ」


 鈴木が袋を取り出すと、透明なビニール袋の中にカリカリ梅が入っている。


「これカリカリ梅じゃねえか。嫌がらせか?」


「カリカリ梅も駄目?」


「梅の飴より更に梅じゃねえか」


「もうわがままですね。それなら、これはどうですか? 甘くて食べやすいですよ。手を出してください」


 手のひらを差し、鈴木は受け取る。


「なにこれ。ねり梅?」


「はい。美味しいですよ」


「話聞いてた? 梅以外がいいの!」


「あとは梅ミンツしかもっていません」


「どんだけ梅推しなのよ。俺は梅味嫌いなんだって。やっぱりーー憎いんだよ」


 鈴木はねり梅の袋を投げて返す。

 水野はやれやれという風体でねり梅を鞄に戻した。


「梅味を憎むなんて馬鹿なことです。梅の飴でいいから舐めてください。舐めないと真由美に言っちゃいますよ」


 不意打ちで妻の名前を出され、鈴木は渋い顔をする。


「何を言うんだよ」


「そりゃ、真由美に内緒で土地借りて農業始めていることですよ」


 鈴木は言葉が出なかった。秘密で始めた趣味を会社でしか会わない水野が知っていることに寒気すらした。


「黙っとけよ。それから、うちの奥さんのこと真由美って呼ぶなよ」


「いいじゃないですか。真由美は俺の友だちなんだから」


「ーーまあ、そうか。そうかもな」


「わかったら梅の飴舐めてください。目が覚めますよ」


 勝ち誇ったような言い草に苛立った鈴木だが、ここは観念してみせることにした。


「わかった。舐めるからーーもう眠くもないけどね。その代わりさ」


 スボンのポケットをまさぐる。そして、小さな飴の袋を取り出したり


「実は俺も持ってたんだよ、おんなじ梅の飴」


「持ってたんですか?」


「そうだよ。お前も舐めろよ」


 赤信号になり、鈴木はブレーキを踏んだ。梅の飴を口に放り込み、再び前を見据える。信号は赤く灯っている。


「俺の持っていたこの飴ね、ちょうど今朝、ベッドの隅に落ちているのを見つけて拾ったんだよ。謎だろ?」


「そんなの誰かが落としただけで、謎じゃないですよ」


「誰が落とすんだよ」


「落とし物くらい誰でもしますよ」


「赤の他人が俺ら夫婦の寝室で?」


 言葉につまらせた水野に、鈴木は黙ったまま何も言わない。


「ーーそれ、真由美のポケットに入ってたんじゃないですか?」


 沈黙に耐えれず、水野が切り出す。


「パジャマのポケットに梅の飴を入れるか?」


「たまたま、入っていたんですよ」


「いや。聞いたら真由美は違うっていうんだ」


「ーーそうなんですか。じゃあ僕にはわかりませんよ。さっぱりわかりません」


「そうだな。誰の落とし物なんだろうね」 


 沈黙の真っ只中、信号は青になった。鈴木はアクセルを踏む。車は慎重に走り出す。


「最近、真由美が怪しいんだよ」


「怪しい?」  


「妙にウキウキしている」


 鈴木は小さく笑った。


「梅味の飴が好きな真由美の間男が、俺の家の夫婦の寝室に落としたのかもな。梅の飴で匂わせやがって。巧妙だな」

 

「まさか、梅の飴なんかで匂わせなんてしませんよ。それに、真由美を疑うのよくないです。真由美は仕事しながら子育てしてるんですから」


「水野さ、勘違いしているかもしれないけどね、俺、いい夫なのよ?」


「自分で言います?」


「自分で言うの。毎日子どもを風呂に入れるし、真由美が料理苦手だから週の半分は俺が作ってるしーーまあ、俺も真由美を頼っているところたくさんあるけど。一番は自由を許していたのよ。育児で疲れたときは、俺が子どもを預かって、真由美は一人で旅行にいったりさ。まあ、浮気も長い間なんとなく気づいていたけど、目をつぶってきたんだ」


 水野が息を飲むのが聞こえた。

 鈴木はしゃべるのをやめない。


「でもさ。ここのところ嫌になってきてさ。毎日毎日虚しくて。それで農業を始めたの。畑やってると一瞬嫌なこと忘れて夢中になれる。でも結局家に帰るとむしゃくしゃしてさ。それでさ。それでね。数滴、味噌汁に毎日仕込んでいるのよ」


「仕込んでる?」


「うん。愛情と、わずかな農薬を」


 日が沈んで、すっかり外も車内も暗くなっていた。さっきまで鬱陶しいくらいに車内に射しこんでいた西日は遠くの空に沈んでしまった。

 前の車のテイルランプが赤い。


「薬品が徐々に体に蓄積して、いくら寝ても体が重くなって、布団から起き上がれなくなる。そのうち皮膚が爛れて、喉が焼かれて声も出なくなって、原因不明の病として死んでいく。そんな薬品」


 鈴木の声はなぜか明るい。説明は軽快で悲痛さも後ろ暗ささえ感じなかった。


「鍋の中にさ、液体がポチャンと落ちる音を聞くと胸のあたりが落ち着くと言うか、ミントガムを食べたときみたいに爽快なんだよ」


 鈴木はウインカーをつける。そして、いつもの交差点で左に曲がり、いつもの渋滞から抜け出した。いつもの会社まで後少し。

 ようやく順調に進むことができてほっとしている鈴木の隣で、すすり泣く声がした。


「おいおい、何を泣いてんの?」

 

 助手席で水野かしくしくと泣いている。


「僕、飲みました」


 嗚咽混じりに水野が吐き出す。


「味噌汁、飲みました」


「うちの味噌汁飲んだの? 俺の留守の間に?」 


「はい。真由美がすすめるままに飲んでしまいました。何度も何度も」


 それはつまり、何度も何度も真由美とこっそり会っていると認めたことになる。


「馬鹿だなぁ」


「僕死ぬんですか?!」


 水野は運転席に身を乗りだす。


「運転中にしがみつくなよ。危ないな」


「教えてください! 死ぬんですか!?」


 水野が必死に訊ねているが、そうこうしているうちに車は会社の駐車場に着いた。車庫入れをしなくてはいけない。

 しかし、シフトレバーをバックに入れても、水野は泣きじゃくっている。


「落ち着け水野。邪魔だ」


「でも!」


「わかったよ。ーー農薬の話は嘘だよ」


「ほんとに?」


「本当の本当。農薬使って犯罪なんて。お世話になっている農家さんを裏切るような行為はしませんよ」


 鈴木がそう言うと、水野は更に大きな声で泣き出した。


「騙しやがって……!」


 涙でぐちゃぐちゃの水野を見て、鈴木は乾いた笑いをこぼした。


「キャンキャンとうるせえな」


 車内はバック音が鳴り響く。

 シフトレバーを握りしめつつ、鈴木はつぶやく。 


「まあ、泣きたいのはこっちなんだけど?」


 まだバック音はなっている。迷いと憤りが混じり合う。


「お前、俺の奥さんとやってんだろ? 何度も何度もさ。何度も何度も」


 改めて言ってみると、腹の底から怒りがこみ上げてくる。

 飴玉の袋を落とすなんていうミスをしたのはわざとなのか。鈴木にはもうどうでもよかった。

 駐車を終えるとシフトをドライブに入れ替え、お行儀よく真っすぐに前を向く営業車の中で鈴木はフロントガラスの向こうを見つめる。

 まだ営業に出ているのか、目の前の駐車スペースには他の車は停まっていない。視界にはブロック塀と、雨ざらしで汚れた社屋の裏側の壁が見えた。


「このまま塀に突っ込もうか」


「えっ?」


 水野の情けなく漏れ出た声とは正反対に、鈴木は明るく、穏やかに言った。


「このままアクセルとブレーキを間違えて交通事故に遭ってみるのもいいかもしれないね」


 フロントは大破するだろうか。

 最近の車はよくできているし、案外生きているかもしれない。


「嘘ですよね?」  


 水野が顔を上げる。

 満面の笑みの鈴木と目が合うと、水野の涙はあっという間に恐怖で消えていった。

 

 「アクセルとブレーキを間違えるだけ、そう、ただの間違いだろ?」




 終わり




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