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ベルザの場合

「俺はベルザを選ぶよ。でも付いてきてくれるかな。女神様も知ってると思うけど、俺の世界はすごく遅れてて、不便なことも不快なことも多いから……」

「心配はいりませんよ、勇者。ベルザの意思はもう確認してあります。あなた達のこれからに幸多からんことを」

 女神様の言葉とともに視界が真っ白に包まれる。

 

 ああ……愛しの世界アルテシアよ、さらば。

 ここはもう俺にとっては、もう心の故郷になっていた。

 ティートもフェンリーヌもどうか幸せに……


 その想いを最後に、俺の意識は闇に塗りつぶされた。

 

……………………

挿絵(By みてみん)

馬踏(ばぶみ)クン……言いたいことはわかるわね?」

「はい……すいません……」

 昼休みをすぐ後に控えたオフィスで、大文字(だいもんじ)課長の席に呼ばれた俺は、即座に頭を下げる。


 大文字課長は、怜悧という言葉が似合う美貌の女傑だ。

 俺から見ると2年先輩になるが、すでに課長まで昇進しているところからも、有能さは疑うべくもない。

 

 先ほどまで、大文字課長と一緒に、顧客とリモート会議を行っていた。

 俺が担当してきた中でも、随一厳しい客で、毎度苦労させられてきた。


 要件定義の時間を十分に取れなかったせいで、設計に甘いところがあり、レビューのたびに毎回厳しく指摘されていたのだが、今回は少し風向きが違った。


「どうしたんだ、一体。今日の資料は穴が多かったぞ」

 大文字課長が、怒っているわけでないのは、すぐに分かった。

 どちらかというと、純粋に疑問に思っての言葉だろう。


「そうですね。ちょっと思うところがありまして」

 

 以前の俺は、厳しいレビューに耐えるため、毎回細部まで検討し、提示されていない要件をなんとか洗い出して、完璧に近い水準まで仕上げていた。そのために、連日徹夜までして、大変な労力を要していたのだ。


 それを今回は、あえて手を抜いた。

 手を抜いた、というと悪く聞こえるかもしれない。

 しかし実態は99点を目指すのではなく、80点を目標にした、ということだ。

 

 仕事の水準を上げることに要する労力は、高みをめざすごとに指数関数的に増加していく。

 

 60点から70点にする労力を1とすれば、70点から80点にする労力は2、80点から90点なら4、90点から99点なら8といった具合だ。


 高水準を目指すこと自体悪いことではない。

 しかし、余りに労力が過多になって、心身に負担が掛かるほどとなれば、害悪でしかない。

 それが以前の俺にはわかってなかったのだ。


 ちなみに100点の仕事なんてものは存在しないというのが持論だ。

 「完璧の傍らに立たなければならない」という、俺の好きな言葉がある。

 言ったのは夜行さんだったか、御屋形様だったか、うろ覚えだけど。

 ちなみに嘘食いのほうの御屋形様である。キメツではない。


 まぁ、そんなポリシーは異世界の旅であっさり砕けたね。

 自分ができないことは、できる人がやればええねん。

 自分が知らないことは、知ってる人が答えればええねん。


 完璧と言うことは、それ以上変化する余地がない、と言うことだ。それは、あくまで理想だ。

 いろんな要因で変化し続ける現実に対して、やりすぎるのはよくないということだ。

 

「まぁ、不思議と杉本次長の指摘も厳しくなかったから、結果オーライだが」

 ため息交じりに大文字課長が言う。

 うーん、やっぱり色気あるなぁ、この人。

 眼鏡越しの視線がゾクゾク来るわー。ママになってくれないかな。


「まぁいいんじゃないですかね! 結果ヨシで」

「はぁ……そうだな。以前の君は、ちょっと張りつめすぎていた感じがあったから、これくらいでいいのかもしれない。ある意味成長したと言っていいのか」


 そう、今日の会議は不思議と穏やかに終わった。

 99点の設計よりも80点の設計の方が、顧客ウケがいいのは不思議に思われるかもしれないが、今ならその理由がわかる。


 特に厳しい顧客のキーマン、杉本次長は、今回のシステム更改の責任者だ。責任者だから、もっとドンと構えてくれればいいのに、細かいところまで逐一口を挟んでくる。


 俺もそれに対抗するべく、頑張っていたのだが、そのアプローチが間違っていたのだ。

 

 杉本次長は、ヤクザかと見まごう強面(こわもて)のオッサンだが、実はかなり面倒見がいい性格だ。


 完璧なモノを作ろうとしてる若造(というには若干、歳くってるが、50代からみれば誤差のようなもんだ)なんて、鼻持ちならない可愛げのないガキにしか見えない。

 よっしゃ、叩き潰したろう。

 とドッカンバトルになってしまっていたのが、過去の俺だった。


 だから、今回はあえて穴を作っておいたのだ。

 穴はいかにも杉本次長が、気持ちよく語れそうなところに作っておいた。

 狙いは当たって、杉本次長それはもう良い気分で講釈をたれて下さったので、ありがたく拝聴した。


 わからんところはわからんと、素直を甘えて頼るくらいの方が良かったということだ。

 異世界で身につけたオギャり技術が見事に役に立った。


 50代のオッサンだろうと、心にママを飼っているのだなあ、とちょっと微妙な思いになった。


「まあいい。これで詰まっていた後工程もすすめれるな。よくやってくれた」

「はっ! お褒めに預かり光栄の極み」

「ぷっ……くくく、あまり調子に乗るんじゃない」

 大文字課長は、叱るような口調だが、口元は緩んでいる。あ゙〜、ママに優しく叱られてる感たまんねぇ……


 この人絶対良いママになるわ。

 プロオギャリストの俺が保証する。


「ゴホン……。で……だな」

 うん? なんだか、歯切れが悪い感じで大文字課長が、話し出す。


「その、もうすぐ昼休みだし飯でも行かないか。ちゃんと昼食ってないだろう? おにぎりとかパンかきこんで、昼も仕事してるじゃないか」

 さすが大文字課長、部下の事をよく見ている。

 しかし、その情報は古い。

 異世界から帰ってから、俺の食事事情は改善しているのだ。


「最近は君とペアで動くことも少なくなったからな。たまには飯でも奢ってやろう」

 大文字課長とも、入社して以来だから、結構長い仲だ。昔はよく飯や飲みに連れて行ってもらったり、休日に一緒にお出かけしたりしていたものだが、課長に昇進したあたりから、すごく忙しくなったようで、そんな時間も取れていなかった。

 

「ああ、それは大丈夫です。弁当あるんで」

「む……? そうか? (さっき調べた時には見当たらなかったが)」

 大文字課長が、何か呟いていたが、常人の身体能力に戻ってしまった俺には聞き取ることができなかった。


 なお、全く関係のないことだが、きっちり締めておいたはずのバッグが、開けっ放しになっているのは気のせいだろう。


「ええ、昼休みにママが持ってきてくれるので。良かったら、課長もご一緒しますか?」

「はっ? ママぁ?」

 素っ頓狂な声を上げる大文字課長が、少し面白かった。

 

……………………

挿絵(By みてみん)

「あらぁ……あなたが大文字さんですね。うちのショウタがいつもお世話になっております」

「あ……いえ……私が大文字……デス」

 オフィス近くの公園は、緑が多く近隣サラリーマンの憩いの場所になっている。


 そのベンチで待っていたベルザは、俺が連れてきた大文字課長を見ると立ち上がる。

 手に弁当箱の入った手提げ袋をもったまま、大文字課長に静々と頭を下げた。


 大文字課長は、ベルザの美貌に見とれてるのか、カタコトになっていた。


 頭の下げ方一つとっても、ベルザの所作は、日本人的な趣に溢れている。

 ベルザは帰還してから3時間でこの世界の言語、風習を完璧に習得した。

 謝りすぎ、お礼しすぎと海外から揶揄される日本人的仕草まで完璧だ。


 服装もごくシンプルなワンピースで、ノルン族の特徴である額の呪紋も幻術で不可視になっているので目立った特徴はない。


 それだけであれば、何も目立つところはない。

 若奥さんが、弁当の忘れ物を届けに来た、位にしか見えないだろう。


 しかし、圧倒的な包容力をにじませるおだやかな美貌は、公園中の視線を独り占めしていた。

 ベルザの微笑みは神聖術を使ったわけでもないのに、見てるだけで癒されるので気持ちはわかる。


 俺がこうして、この公園でベルザの持ってきてくれた弁当に舌鼓をうつのも1週間になる。

 帰還直後は、以前の俺と同じように、昼を適当に済ませようとしていたのだが、ベルザに叱られたのだ。

 それ以来毎日丹精込めた手作り弁当を持ってきてくれている。


 わざわざ来てもらうのも悪いと思ったので、弁当くらい自分で持っていくといったのだが、重いものを持っちゃだめ、との過保護っぷりである。


 昼休みにもママと会えるのは最高の喜びだから、ありがたく甘えているけど。


 しかし1つ困ったこともあった。

 日に日にギャラリーが増え続けている事だ。

 

 会社の近くなので、もともとオギャるつもりもなかったが、若干視線が気になる。

 まあ、ママだけ見てれば良いんだけどね。


 ギャラリーが増えた原因は、どこかのSNSでバズったことらしい。

 どうやら、何の変哲もない公園に、突如現れた癒しの聖域は、疲労したサラリーマンに注目を浴びたようだ。


 俺もSNSを覗いてみたが、「女神だ……」だの「oh my goddess!(英語圏のアカウントだった。ベルザは俺のママだよ!)だの凄い反響だったが、どうでもいい。


 ちなみにどの写真でも、俺の顔にはアニメでよく見るような謎の光が差し込んでいて、見えないようになっていた。過保護なベルザの仕業だが、どうやってるのかは良く分からない。

 ベルザに聞いたが、全SNSのスーパーアカウントをハック、掌握して……みたいな怖い単語が聞こえてきたので、それ以上聞くのをやめた。


 ともあれ、今はべルザ手作り弁当に集中するときだ。

 ママが全力で子を甘やかすなら、子もそれに応えるべきだ。

 全集中で甘えるっ!


「はい、ショウタ。あーん」

「あーん……うまっ! ベルザのご飯はやっぱり美味いなあ。脳がとろけそうだ」

「うふふ、ショウタは本当に美味しそうに食べてくれるから嬉しくなっちゃうわ」


 脳がとろけそう、というのは比喩ではない。

 一口かみしめただけで、脳内の幸福ホルモンがドバドバと出てくるのを感じるほどの美味である。


 横でご相伴している大文字課長も、だらしなくアヘ顔を晒すほどだ。

 ちょっと独身女性が、往来で見せてはいけない顔してるので、ベルザに幻術で隠してもらっている。


「……はっ。美味すぎて意識が飛んでいた。これは失礼を」

 大文字課長がベルザに頭を下げる。

 対するベルザは慈愛の微笑みだ。


「良いんですよ。そんなに喜んでもらって嬉しいです。たくさん食べてくださいね」

「ふわぁ……ままぁ…………はっ! 私は何を」

 ふふ、大文字課長も、ベルザの溢れるママ力にやられたようだな。


 ベルザのママ力は、平常時でも53万ある。(俺調べ)

 並の精神では、その大波に飲み込まれ、大人としての仮面を被り続けることなど出来はしないのだ。


(おい、どういう事だ。君の母君は、年齢相応のはずじゃないか。それとも父君は再婚されたのか?)

 大文字課長が、声を潜めて聞いてくる。


(ああ、ママといっても血縁上とか、戸籍上のものでは有りませんよ。魂のママです)

(魂のママってなんだよ!)

 なんかキレてるが、他に言いようがないのだから仕方ない。

 

(というか、なんでうちの母のこと知ってるんですか)

(以前ご挨拶させていただいたことがあってな。いや、もちろん上司としてだぞ! その、息子さんをくださいとかそういうものでは……)


 なぜか焦って大文字課長が言ってるが、全然知らなかった。母ちゃん教えておいてくれよ。

 にしても、うちの実家、北海道やで。ただの上司が、わざわざ首都圏から挨拶に行くのって普通なの?

 

「ショウタ、頰をお米粒ついてますよ?」

「えー、とってとってー」

「もう、甘えん坊なんだから」

 口では仕方なさそうに、それでいて嬉しそうにベルザが米粒を取ってくれる。それをパクっと食べる様が、爽やかなエロスを感じさせる。


 夜には、いろんなモノを舐めたり、咥えたりしてくれる唇が、白昼の公園で俺のものを食べてくれる様、いと(をか)し。


「馬踏クンっ! 君ねえ……」

 流石に見咎めたのか、大文字課長が小言の気配を見せるが……


「はい、大文字さんもどうぞ。あーん」

「あーん……おいちぃ……」

 ベルザにかかれば、赤子の手をひねるようなものである。 

 

 そうして、おだやかな昼休みはあっという間に終わってしまう。

 今日も美味しさと栄養、甘え成分を摂取した俺は、午後からまた社畜業務に精を出すのである。


 翌日から、大文字課長が、なぜか対抗して弁当を持参してきたり。

 芸能界にスカウトされたベルザが、世界的ママアイドルに上り詰めたり。


 そりゃもう色々起きるのだが。

 それはまた別の話で。


 

 ベルザの場合 完

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