ティートの場合
「俺はティートを選ぶよ。でも付いてきてくれるかな。女神様も知ってると思うけど、俺の世界はすごく遅れてて、不便なことも不快なことも多いから……」
「心配はいりませんよ、勇者。ティートの意思はもう確認してあります。あなた達のこれからに幸多からんことを」
女神様の言葉とともに視界が真っ白に包まれる。
ああ……愛しの世界アルテシアよ、さらば。
ここはもう俺にとっては、もう心の故郷になっていた。
ベルザもフェンリーヌもどうか幸せに……
その想いを最後に、俺の意識は闇に塗りつぶされた。
……………………
「主任……馬踏主任っ! 聞いてます!?」
「お、おう。すまん、なんだっけ」
地球へ帰還してから一週間が経った。
俺は以前と変わらず、ブラック企業で社畜をしていた。
「先週から、ミス多いですよ」
「す、すまん……」
さっきから俺を責め立てているのは、プロジェクトメンバーであり後輩の三上 礼子だ。
今年で三年目だが、優秀な奴で、ベテランぞろいのプロジェクトの中でも存在感を示している。
何を隠そう(別に隠すほどのことでもないが)三上が新人配属された時、教育担当は俺だった。
殺人的な業務量の合間で、できる限り尽力していたつもりだが、こうして立派に育ってくれて、うれしい限りである。
三 上 は わ し が 育 て た。
「馬踏主任がやらかしたことの尻ぬぐい、いっつも私がやらされるんですからね。ホントちゃんとしてくださいよ」
「うん……ごめんね」
俺の内心とは裏腹に、詰め寄ってくる三上には、新人教育担当だった俺への敬意なんてものは欠片もない。
いや、昔はあったのかもしれないけれど、ここ1年同じプロジェクトで、散々尻ぬぐいしてもらった結果、枯渇してしまったのだろう。
(アルテシアでは結構、頑張ったのになぁ)
異世界を救ったところで、地球に何か影響があるわけではない。
それは俺自身の能力もそうだった。
魔王討伐の旅を通して上がったレベル……知力や魅力、身体能力も、「元の体で返す」という女神様の言葉通り、引き継げなかった。今の俺は、異世界召喚される前と、全く変わらない状態……いや、むしろ悪化していた。
異世界帰りの勇者といえば、強くてニューゲームが当たり前だろぉお? って思うじゃん。
でもダメだったんだよね。しかも自分のウカツさで。
あたしってほんとバカ。
「先週からなんだか気が抜けてますよ。もともと抜けまくってる所にさらに抜けて救いようがない状態です。たるんでるんじゃないですか?」
そう、身体能力は以前と変わらない。しかし精神面が明らかに退行していた。
アルテシアでは困ったことがあると、すぐに旅の仲間たちに、オギャったりバブったりしまくっていた。
そのせいで、社会人としての責任感やら、プレッシャーへ立ち向かう精神とか、社畜として必要な能力が、ダダ下がりしていた。
その結果が、3年目の後輩に叱られている現状である。
結局今日は、三上に叱られっぱなしの一日だった。
とはいえ、別にそれで凹んだりしたわけじゃない。
昔の俺だったら、後輩にこれだけ叱られれば、反省したり、プレッシャーを感じていただろう。
しかしアルテシアの冒険を通して、俺は学んだのだ。
ダメなものはダメなんだと。
ダメなりにやってれば、なんとかなるし、ならないときはあきらめろ、と。
赤子が責任感につぶされるか?
幼児がプレッシャーに立ち向うか?
大人だって人間だ。三つ子の魂百まで、の言葉通り、中身は子供と、そんなに変わらない。
我慢や辛抱もある程度は必要かもしれないが、自分を壊すほどする必要はない。俺が投げ出しても、誰かがやつてくれるさ!
その真理を、アルテシアでオギャることで、俺は悟った。
(それに10歳近く年下の後輩に叱られるのも、バブみがあって悪くないな)
叱られながら、そんな風に思うあたり、精神的能力はダダ下がりしていても、ストレス耐性は、ダダ上がりしているかもしれない。
……………………
「ほんと、馬踏先輩は仕方ない人ですね~」
「ごめんって。でも、三上がいるから大丈夫だろー」
「開き直ってどうするんですか! 反省してます!?」
「してるしてる」
21時を超えると、さすがにオフィスも閑散としてくる。
プロジェクトメンバーも残っているのは、俺と三上だけになった。
他メンバーがいるときは、ツンが強い三上だが、二人だけになると若干柔らかい感じになる。その証拠に、他人がいる時は主任と呼ぶのに、2人だけだと、新人の頃のように先輩呼びになるのだ。
思えば、異世界に召喚される前の俺は、未熟だった。
三上はただキツく叱っていたわけではなかったのに、それに気付くことができなかったのだ。
「馬踏先輩は私が付いていないと、ダメダメなんですから」
ため息をつきながらジト目で言う三上の横顔は険しいものだ。
しかし、ほんの少し口元が緩んでいるのが見て取れる。
(こんなん息子に駄々甘だけど、将来を考えて厳しく指導する教育ママそのものじゃん)
三上がキツく叱る底には、ママの優しさがあった。
召喚される前の俺は、三上の中に潜むママみに気付くことなく、強く叱られるまま、若干の苦手意識すら持ち始めていた。
「そうそう、だからこれからもずっと助けてくれよ」
「……ずっと、ですか? それって」
ん? なぜか三上の顔が赤くなってる。
反省しなさすぎて怒ったか?
「そうだなぁ、30年くらいかな」
定年までそれくらいだ。異動とかあるから、いつまで一緒の部署で仕事するかは分からんが、頼れるうちは頼らせていただきたい!
「はえっ! そ、そんないきなり言われても困るっていうか(プロポーズみたいな……)」
「ん? なんか言ったか?」
三上は小声で、何か言っていたがよく聞き取れなかった。別に難聴系ラブコメ主人公ではない。
「なんでもないです! もう! 今日は疲れましたから帰りましょう」
「んー、そうだな。明日の俺たちに託そう」
まだまだタスクは山積みで、進捗は遅れまくりだが。
ここまで来ると、逆に遅れてることが常態化して、うるさく言われなくなるものだ。
出来ないものは出来ないんだから、潔く帰ろう。
2人で手早く後片付けをして、オフィスを出る。
駅までの道を、2人で帰る。
三上の口から漏れるのは、大体俺への文句だが、それも悪い気分ではない。
愛情の反対は無関心なんて言葉があるが、これだけ色々言いたくなるということは、それだけ関心を持ってくれているということなのだ。
これがオッサンの偉いさんから叱られるのであれば、別だが、三上は可愛らしい後輩だ。
全くもって悪くなかった。
「なんだか……最近の馬踏先輩、変わりましたね」
「あー、ミス増えたって?」
「まあ、それはありますけど……なんか」
「なんか?」
いつもズバズバとモノを言う三上だが、うまく言語化出来ない様子だ。
「うまく言えないんですけど。私を頼ってくれるようになったな、って」
「そうか?」
「そうですよぉ。先輩って、いっつも自分でいっぱい抱えて、パンクしそうになってたので。先週くらいから、急に私も含めて、他の人にも頼るようになった感じがします」
はて……自覚はなかったが、言われてみればそうだったのかもしれない。変わったことは、果たして良いことなんだろうか?
「迷惑だったか?」
「まあ……私は別に先輩の面倒見るのは嫌いではないデスケド……」
迷惑じゃないならよかった。
まあ迷惑だって言われても、頼るけどな!
「まあこれからもガンガン頼るわ」
「良いですけど……ちゃんとお礼はしてもらいますからね! その……お腹すいたので、ご飯でも……」
「ショウタっ!」
三上が何か言いかけた所に、透き通った声が被せられ、俺は弾かれたように声の元へ顔を向けた。
そこには、10年もの長きにわたって、魔王討伐の旅を支えてくれた仲間、ティートがいた。
「ママッ!」
思わず声を上げてしまう。
「……マ……マ?」
三上がポカンとした顔で、俺を見ているが、そんなことはどうでもいい。
俺は母親を慕う3歳児の如き速さでティートの下へと駆け寄る。繁華街の人混みがそこだけ割れて、モーゼみたいな状態になっている。
ザワザワと遠巻きに見守る人々が、熱にうなされたようにティートを見つめてたり、写真を撮ったりしているが、気持ちはわかる。
身にまとっているのは、シンプルなTシャツとデニムだけだし、耳は他人からは普通に見えるよう、幻術がかけられている。
それだけなら注目すべきものはなにもない。
しかし、身体のうちから光り輝いているように感じるほど、その美しさと存在感が圧倒的なのだ。
「もう……こんな遅くまで仕事して。なかなか帰ってこないから心配したんだからね」
「ごめんごめん。なかなか仕事終わらなくてさ」
意識する間もなく、ティートの細く滑らかな指が、俺の手を捉えて、恋人繋ぎになっていた。
一般人のステータスに成り下がった俺には、ティートの動きを捉えることはできない。
気が付けば、抵抗する間もなく、甘やかされ態勢に移行している。今された手繋ぎも、一見すれば恋人繋ぎに見える。その実は、迷子にならないよう、子どもをしっかり捕まえる意図しかないのだ。
まぁ恋人として色々いたす時も繋ぐけど。
「せ、先輩? そちらの方は?」
ああ、そう言えば三上と一緒に帰ってたんだった。
三上は呆然とした顔で、ティートと繋いだ手と、御年160を超えても、少女の如き美貌を誇る尊顔とに、視線を行ったり来たりさせている。水飲み鳥のおもちゃみたいでちょっと面白い。
「ああ、ティートは俺の……」
ママだ。と言いかけて思いとどまる。
見た目だけで言えば、ティートは10代後半から20代初めに見える。
地球の常識で言えば、三十路の俺がママと呼ぶのは無理があるだろう。
「私はショウタのママよ。よろしくね、可愛らしいお嬢さん」
「いや、言うんかーい!」
なんと胡麻化すか、迷っているうちに、ティートが三上相手に言い放つ。
「え……と。よろしくおねがい……します?」
みかみはこんらんしている。
「で、でも明らかに先輩より年下ですよね? それに先輩のお母さんは普通に日本人の方だったはずで……」
ん? 母親の話なんて三上にしたことあったかな?
過去に何度か、一人暮らしの部屋なのに、誰かが入ったような気配を感じたことがあるけど……まさかね。
「ええ、母親では有りませんが、ママですよ。えるh『ゴホン!』なので、若く見られますけど、これでもひゃ……『ゴホン!』60歳ですから」
危ねえ。
エルフだとか100歳超えとか、地球ではあり得なすぎて、洒落にならないので、咳払いしてごまかす。
「はは……? まま……? ろくじゅっさい?」
みかみはますますこんらんしている。
まあ永遠の乙女であるハイエルフなんて、この世界にゃ居ないもんなあ。無理もない。
しかし、いよいよ誤魔化すのも限界だ。
なにせアルテシアの住人は嘘をつかないし、つけない。
問い詰められれば、俺が三十路を越えて、10代にしか見えないティートにオギャってることすら話しかねない。
それは流石に先輩としての沽研に関わるので避けたいところだ。
「三上! じゃ、じゃあまた明日な! ティート、帰るよ!」
「あっ、走ったらコケちゃうわっ!」
「幼児じゃないんだから……」
過保護にされながらも、街並みに消えていく俺達の背中に、三上の声が届く。
「私……負けませんからねええええ!」
何か誤解してる様子だが、話し合うのは明日にしよう。ティートがいる場ではあれこれ話すのも都合が悪い。
その後、ワンルームの自宅に帰った俺は、存分にお姉さんママであるティートに甘え、オギャりまくって、仕事のストレスをすっかり解消した。
翌日から、連日に渡ってティートと三上のママ合戦が繰り広げられたり。
ブラックな企業運営に、しびれを切らしたティートが、M&Aをかけて社長に就任したり。
そりゃもう色々起きるのだが。
それはまた別の話で。
ティートの場合 完
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