87年目-1 思い残すことのない人生
本エピソードの主要な登場人物
()内は年齢
レベッカ・ウェイン(享年100)
ヴァール(???)
WSO特別理事、レベッカ・ウェイン。
かつては北欧最強とも呼ばれた女傑であり、歴史を紐解けば大ダンジョン時代の興りとともに能力者として覚醒し、第一次モンスターハザード、第二次モンスターハザードにも参戦した戦歴を持つ大御所中の大御所だ。
第二次モンスターハザード以後はWSOの事務員となり、そこからキャリアを積み最終的には特別理事という役員の席につき、半世紀もの間ソフィア・チェーホワ統括理事の片腕として大ダンジョン時代社会の運営に貢献してきた。
そんな彼女もこの頃、ついに天命を迎えようとしていた。大病なく、怪我もなく……ただただ純然たる老衰による、衰弱である。
御年驚異の100歳。それでもまだまだ肉体的にははるかに若々しい姿を保っていたのだが、それでも終わりの時は近づいてきていた。
それはレベッカが100歳の誕生日を迎えた、翌日のことだ。スイスはジュネーヴ、WSO本部の統括理事室に、彼女はいきなりやって来て辞表を提出したのだ。
受け取ったヴァールが、珍しく鉄面皮を崩して困惑の表情を浮かべたのも無理からぬことではあった。
「なんだ、どうした急に? いや、歳を考えればとっくに引退していてもおかしくないのだから、別に不思議ではないのだが」
「いやあ、へへへ……前から考えてたんですけどね、実んところ。昨日で一区切りついたもんで、いよいよおさらば時かなって思いましてね」
「……100歳か。本当に、君は長く生きているものだよ、レベッカ・ウェイン」
かつての巨体も、もはや枯れ枝めいている。白髪どころか髪もほとんど抜け落ちてウィッグで見かけを整え、皺まみれの身体は全盛期と比べてまさしく見る影もない。
それでも一般的な非能力者を比較例にあげればまだまだ、80手前くらいの元気さを見せているのが今のレベッカだ……しかしてさすがに、往年の体力や気力は相当萎れているのはヴァールから見ても分かることだった。
100年生きて、その8割方を探査者として、能力者としての活動に費やしてきた。
WSO特別理事として、もはやソフィアや自身にとっての腹心とさえ言える彼女もいよいよ隠居時かと、不思議なまでに得心がいき、ヴァールは軽く息を吐く。
「分かった、受理しよう。今まで長い間、本当にご苦労だった。いや、本当に多くの場面で君には助けられた。感謝してもしきれないな」
「そりゃこっちのセリフですよヴァールさん。ソフィアさんにもですけどね、ずいぶん楽しい人生を過ごさせてもらいました。残るわずかな余生、悔いなく気持ちよく死んでいけるのはやっぱり、お二人のおかげですよ」
「何? ……滅多なことを言う。どこか悪いのか」
考えてみれば100歳、どこかしら体調に不備を抱えていてもおかしくない年だ。それでもあからさまに死を口にしたレベッカに、ヴァールは軽く眉を寄せて心配した。
レベッカは彼女にとってもある種、特別な立場の人間だ。WSOが未だ能力者同盟だった頃からの古い付き合いで、知り合ってから今に至るまでの期間はエリスやマリアベールはおろか御堂将太さえ凌ぐ。
そして第一次モンスターハザードにおいても、第二次モンスターハザードにおいてもともに戦った友なのだ。
シェン・カーン、妹尾万三郎、トマス・ベリンガム。シェン・ラウエンにシモーネ・エミール──ラウラ・ホルン。そしてエリス・モリガナ。
あの頃に出会い、そしてそのほとんどがもう会えなくなった戦友達を思い返し、感傷的な気持ちさえ抱きつつ尋ねるヴァール。
レベッカは常の豪快な笑みではなく、微笑みを浮かべて答えた。
「いえいえ、健康そのもの! ただまあ、テメェのことですからね、分かるんですよ。たぶん今年か来年にはこの世にゃいないってね。だからこその引退です。いわゆる生前整理ってやつですね、へへへへ」
「直感的なものか? 余人ならいざ知らず君の言うことだ、だったら本当なのだろう。そうか……ついに君も、人生をまっとうするか」
「いろいろありました。楽しいことも悲しいことも、腹立つことも笑えることも。そういうの全部ひっくるめて、まあ、思い残すことのない人生ってやつでしたよ。自分でも驚くくらい、今、胸ん中が透き通ってます」
「良いことだ、きっと。大概の命は、ヒトであれそうでない何かしらであれ、なかなかそんな境地には至れまい」
まさしく透き通るような微笑に、ヴァールは瞑目してその事実を受け入れた──レベッカはもうすぐ、この世を旅立つ。
命あるすべてに訪れる終わりを迎えるのだ。そして幾ばくかの休息を経てまた、新たな旅を始める。あらゆる魂が巡るサイクルに、一区切りを打つ時が来たのだ、と。
ヴァールの立場からすれば、それは間違いなく素晴らしいことだ。だが同時に、喪われゆく彼女を想ってどうしても思うところも湧き出てくる。
ソフィアの陰として、人の世で長く生きたゆえの変化。■■■■たる彼女にはそれが、良いことなのか悪いことなのか判別しかねた。
けれどそれでも、ヴァールは立ち上がり。背筋を伸ばし、居住まいを正して。
深く、深く腰を折り曲げ頭を下げた。
すべてをやり遂げたレベッカへ。この世を巣立ち、一時の安らぎを得んとするレベッカ・ウェインへ。
最後の感謝を告げたのだ。
「ありがとう。本当に、これまでありがとうございましたレベッカ・ウェイン。80年前、あなたが能力者同盟に参加してくれたこと。そして今まで大ダンジョン時代社会に対してあまりにも大きな貢献をしてくれたこと。そのすべてをWSO統括理事として、また一個人として深く、深く感謝します」
「ヴァールさん……」
「どうか、残る余生を安らかにお過ごしください。あなたの名と存在は、これからの世にも永く刻まれます……ワタシもソフィアも、あなたのことを永遠に忘れません。ともに時代を駆け抜けられたことを、いつまでも、いつまでも誇りに想い続けます」
ヴァールからの言葉に、レベッカは、涙ぐんで微笑んでうなずく。
これをもって、自分の人生の役割は果たしきったと……心底から納得できた、穏やかな笑みだった。
この後、半年後。WSO特別理事を辞して直後。
自宅にて眠るように亡くなっているレベッカが発見されることとなる。
何一つ思い残しのない、完全にやり遂げた人生。レベッカ・ウェインは、満ち足りた死を迎えたのであった。
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レベッカのことを今でもきちんと覚えている、ヴァールが活躍する「攻略! 大ダンジョン時代─俺だけスキルがやたらポエミーなんだけど─」は下記URLからご覧いただけますー
https://ncode.syosetu.com/n8971hh/
書籍化、コミカライズもしておりますのでそちらもよろしくお願いいたしますー




