81年前-1 早瀬葵
本エピソードの主要な登場人物
()内は年齢
早瀬葵(0)
早瀬光太郎(70)
極東アジアは日本、中部地方には世界的に見ても珍しい、超大規模クランが存在している。
早瀬会。第三次モンスターハザードにおいて名を馳せた地元探査者の雄、早瀬光太郎が結成したクランだ。
当初は片手で数える程度のパーティによる集まりだったが、光太郎のカリスマと何よりクランとしての活躍により、段々とクラン入りするパーティが増えていき……
第五次モンスターハザードの頃にはもうすっかり、日本でも有数の規模を誇るクランとなるに至っていた。
さてそんな早瀬会だが現代を遡ること20年前、一つの転機が訪れていた。
この時点ですでに引退して幾年月も経つ初代大親分、早瀬光太郎に待望の孫が生まれたのだ。それと同時に光太郎はいよいよ本気での隠居の意志を固め、それまでは周囲に請われる形で半ばフィクサー的立ち位置に収まっていたものを、完全に会との関係を断ち切る決断をしたのだ。
この決断自体、今でも現地の探査者や関係者からは賛否が分かれている。自分で作り上げたクランを容易に見放したと批判する者もいれば、後続にすべてを託して自らは潔く身を引いたと評価する者もいる。
ただどちらの立場でも言えるのが、その決断そのもののきっかけはやはり、孫の誕生であったという見解なのはたしかだ。
孫……その名は葵。早瀬葵。
現代においては弱冠20歳にしてA級探査者となり、かつ能力者犯罪捜査官として世界を股にかけ能力者犯罪の取り締まりを行う若き天才エージェントである。
師であり能力者犯罪捜査官としてのパートナーにエリス・モリガナを持つ彼女の誕生こそが、早瀬会にとってはある種の分水嶺と言えるのはある意味、皮肉なのかもしれなかった────
産まれてまだ数ヶ月の命を抱き、あやす。それだけで涙が出そうになるほどの感動が胸にこみ上げてきて、早瀬光太郎は鼻をすすった。
早瀬邸、今では妻の華と二人で暮らす屋敷に息子夫婦が滞在中のことだ。産後の肥立ちがあまり良くない義娘のため、自然豊かで空気も澄んだ中部の山間部にあるこの屋敷にて養生をさせているのである。
お陰で義娘、産まれたての孫にとっては母である彼女の体調もすっかりと良くなってきて、ほっと一安心しつつも老夫婦で赤子を構い倒しているのが現在だった。
その子……早瀬葵をやんわり抱きしめて、光太郎は目尻をこれ以上ないほどに下げてデレデレと笑っている。
「葵ちゃ~ん、あおちゃ〜ん」
「だうー。だう、だぅっ」
「おお、おお! ははは、よく動く子だ、将来はスポーツ選手かなあ? もしかしたらメダリストかもなあ!」
「ぁぅー?」
末は博士か大臣か……この時代にももはや使い古されきった、死後にもなり得ている定型に良く似たことを満面の笑みでうそぶく。
端的に言って孫馬鹿、まさしく目に入れても痛くないほどに溺愛している光太郎である。そんな彼を、妻の華はこれまた笑顔で見守り寄り添うばかりだ。
幸せな老後だ。華は心からそう思う。
若い頃から常に探査者として最前線でモンスターと戦い、時々においてはモンスターハザードに対処すべく出陣しては世界中で戦ってきた最愛の夫。
心から誇らしく、心から尊敬できるとはいえ裏腹の心配や不安も相応にあり、常に怯える心があったのも事実だ。探査者が、伴侶やパートナーを遺してダンジョン探査の半ばで力尽きるという話もそれなりに耳にするがゆえに。
だが光太郎は見事、最後までやり遂げた。15歳でステータスに目覚めてからきっちり50年、己の探査者としての使命を果たしきったのである。
5年前の引退表明からこちら、華は人生でこれまでにないほど安心と幸福に包まれた日々を過ごしている。きっとこれからも続くのだろう。どちらかが死ぬまで、ずっと。
それが嬉しくてにこやかに微笑み、お茶を啜る。
そんな最中、息子が居間にやってきた。がっしりした体格が父親譲りの、けれど優しげな顔立ちが母によく似た子だ。
彼……早瀬雄介は父に向け、手紙を差し出してきた。
「? どしたい雄介、これ」
「投函されてたよ。早瀬会の幹部方から……きっと催促だね、父ちゃんにまた会を仕切ってほしいって。ほら、二ヶ月前も来てたろ」
「ああ……何考えてんだかなァ、隠居相手に戻ってこいなんざ」
ぼやきながら葵を華に預け、手紙を受け取り中身を検める。息子の言うように、そこには催促、というよりは懇願の文が認められていた。
曰く"早瀬会の特別顧問として戻ってきてほしい、我々にはまだ大親分が必要だ"という内容である。
鼻で笑い、光太郎はそれを机に放り投げた。
呆れ返って一人、腕を組む。
「今の早瀬会幹部陣は全員、儂の若い頃からの仲間であり弟子だった連中だ。それがなんで雁首揃えてこんな、情けねぇこと言うんだ? たとえばこれがチェーホワ統括理事とWSOってんなら分からなくもねえが、儂と早瀬会じゃあなあ。良いから世代交代せいって話だよ」
「んー……やっぱ父ちゃんが偉大なカリスマだったからじゃないか? 後を継ぐほうも、先代がすごすぎると大変なもんだよ」
「別に儂ゃすごくねえし。仮にすごかろうが、そんなもん関係ねえし」
息子の推論に、そんなものかと納得しつつも憮然として光太郎は呻く。
実際、光太郎はさして自分をそこまで大層なものとも思ってはいない。世の中は広く、今なお自分を超える才能を持つ若者達が山ほどいて、日夜精進しているのだ。もう隠居して久しい老爺が、とてもでないが太刀打ちできる業界ではないだろう。
そもそも自分がすごいからそれがどうしたというのか? そんなことを理由にいつまでも上役に据えているなどどう考えてもろくなことにはならない。
自分は不老のソフィアやヴァール、エリスではないのだ。衰えもするしあるいは呆けたりもするかもしれない。そんな時に生き恥を晒したくない思いもあり、光太郎は勇退を表明したのだ。
「だってのにったく……儂は儂、あいつらはあいつらなんだ。違って当然、比べる意味もねえ。それが分からねえのは残念だが、とにかく儂は早瀬会にゃ戻らねえぞ」
「わかったよ、そう重役の面々には伝えとく。葵のことでもいろいろ、父ちゃん母ちゃんには世話になってるしね」
「親が子を助けんのは当たり前だ、気にすんな。まあ、連絡のほうは頼むがよ」
息子の執り成しに機嫌を直し、微笑む光太郎。
もう、彼は探査者界に戻る気は一切ないのだ……竹を割ったようなさっぱりとした性格らしい、見事なまでの割り切りだった。
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