58.山羊の目怖い!
「《ーーーーーー》」
拡張されているのにゼラの言葉が聞き取れない。呪文の様だが何を言っているのかさえわからない。
ルークに捕らえられていた5体の狼はスッと光になって消えてゼラに還っていく。
ゼラの前に先程の黒いドラゴンを出した時よりも半分位小さな黒い魔法陣が一つ現れた。
その魔法陣からぬるっと手の様なものと羊の角が見えるとゆっくりとそこから顔を覗かせている。
山羊の様に見えたがそれもすぐに違う事に気付いた。
「おーいおいおい。それは駄目でしょー…ゼラァア…?」
チェドは焦りと怒りの声をゼラに向けたが、ゼラは聞く耳を持っていないようだ。
ゼラはゼラで召喚を止める素振りは一切ない。
「バフォメットの完全体ならアウトでしょうが、不完全体ですから。」
ぬるりと魔法陣から現れたそれは山羊の頭に背中には黒い烏の様な羽を生やし、人間の様な体のものが現れた。だが腹の部分はぽっかりとがらんどうだ。
山羊の悪魔は顔を歪ませにやりと笑った。
可愛い顔とは思えず寧ろ恐ろしい。
大きな笑い声を出しているが聞き取りにくいのに聞くのが不快な音だ。
「笑っていないで、殺さぬ様あの人を跪かせて。」
ゼラが睨みつけながらルークを指差すと山羊の悪魔は笑うのを辞め、両手を広げて頭上に黒い魔法の塊を作り上げ、それをルークに素早く投げつけた。
登場から余韻もない攻撃をもらってもルークは焦る様子もなく黒い魔法の塊を切る様に裂く。
黒い魔法の塊は真っ二つに割れてしまったが消えることはなく、その場に割れたまま留まるとその中から羽の生えた無数の蟲が出てきて一斉にルークに襲いかかった。
矢のように飛ぶ虫は次々にルークに向かっていくが、ルークに触れる前に近づいたものから次々と燃えている。まるで見えないバリアがあって当たったらそこで発火するような現象にひやひやしながらも戦いを見守る。
全然効いていない攻撃の様子に山羊の悪魔は顔を顰め、胸の前に手を持ってくると重い物でも潰すかの様な仕草をとっていた。けれど悪魔の手の中には何も見えず、ただ空気だけを押しつぶしている様にしか見えない。
視線を映しルークを見るも全く変化がなく、涼しい顔で悪魔に笑みを見せている。
「重力系魔法はぴくともしないが。まだやるのか?」
小馬鹿にしたルークの言い草に山羊の悪魔は茶色の顔をどうやってか赤くさせて怒ってしまった。ゼラも苛立ちを隠せないのか顔を顰めて山羊の悪魔に悪態をつく。
「何をしているの?悪魔はそれくらいしか出来ないの!?」
【っ…!】
ゼラに煽られ山羊の悪魔は歯を食いしばり苛立ちを募らせている。その拍子に口腔内を切ったのだろうか、口から少し血が出ていた。
ぽたっと滴る血に気付いたのかまたもニヤリと嫌らしい笑みを見せると、山羊の悪魔は自分の羊角に自身の手を深く貫いた。
痛そうな自傷に悪魔の手からドロリと血が滴ると、その瞬間に血が形を変え大きな赤黒い鋏と槍に変化した。武器を手に入れた山羊の悪魔はその槍をくるくると空中で回すと勢いをつけてルークに向けてそれを放り投げてしまった。
ビュンッと風を切るように真っ直ぐ飛んでいった血の槍は当たれば確実に負傷するだろう。それを見越してルークは少し上の方へと高度を上昇させたが槍もまた軌道を変えてルークへと向かっていく。
槍の軌道を見たルークは手を前に出すと槍はぴたりとなんなく止めた。槍の攻撃は止めることが出来たが他の攻撃に気づいていないルークに私は叫んでしまった。
「ルーク!!後ろ!!」
この距離じゃ聞こえないかもしれないのに咄嗟に私は大声を出してしまった。
ルークから離れていたはずの悪魔がルークの後ろから首を血の鋏で狙っていたのだ。首を狙う悪魔のニヤついた顔はルークの死を連想させて私の喉がヒュッと鳴る。
【ーーー!!?】
「……っっ!!ちょっと…!!私は跪かせるように言ったのよ!殺せなんて言ってないでしょ!?」
緊迫した空気の中、鋏を持つその血塗れの悪魔の手がぴたりと止まった。ゼラが魔法を使って山羊の悪魔を止めている様だ。けれどゼラは息を切らしていてどうにも辛そうな様子が見て取れる。
漸く一撃を与えられると思っていた悪魔はゼラが止めたショックからかにやけた顔を辞め、目を見開いてゼラを恨めしそうに見つめていた。だがゼラはその顔に怯えずに怒りを表して怒鳴る。
「命令に従えないならもういい!!戻りなさい!!」
ゼラが叫ぶと手首が光りを放つ。そこに召喚証が刻まれているのだろう、悪魔はその光に一瞬嫌な顔をして見せたがゼラの方を見るとにたりと悪魔は笑みを見せた。
ゴトッ、ボトッ。
宙から地面にそれは堕ちた。
堕ちた2つのものは人間の手の形をしてはいるが不恰好な毛が生え、爪は黒く染まっていた。
宙にいる悪魔の手首からは黒い液体が漏れ出している。山羊の悪魔は自分両手首の召喚証が刻まれた所から下を切り落としたのだ。それを行った悪魔はうっとりとした表情を浮かべゼラを見下していた。
それがどんな意味かここにいる人が固唾を呑んでその様子を見ている。静まり返る空間に1人、恍惚の表情を浮かべた悪魔は声にならない声で笑いを堪えていた。
機嫌が良い悪魔は手首から先がない腕を掲げると、どろりと黒い血がその腕に滴って流れている。その流れた血が蠢いたと思ったら血が形を変え、手へと変化していく。
黒い血で作った手は赤く染まり、山羊の悪魔は血で代用した赤い手を自由に動かしている。
「……嘘。」
そう呟いたゼラの顔から血が引き、白くなっている。
ガタガタと無意識なのか震えた体は今の状況をどうにも出来ないのを物語ってる。
それを嘲笑うように山羊の悪魔が顔を歪めたのは言うまででもなかった。