無能な兄は本気を出さない~その男、存在してはいけない魔法使い故に~
「ハーツお兄様! なぜあなたは本気を出さないのですか!?」
「決まっているだろう。面倒くさいからだ」
今日も俺は妹のミリアとお決まりの口論を繰り広げていた。
毎朝の七時きっかりに俺の住むはなれに来る。十三という若さゆえ化粧は必要ないものの、長く伸ばされた茶髪はしっかりと手入れされている。一体何時に起きたのだろうと、早起きの苦手な俺は感嘆する。
しかも、この行為は俺が十二の頃から今日まで、六年間も続いている。とはいえ、さすがに徒労だと悟ればいいものを。
「ハーツお兄様が本気を出せば我がテメルセグ領の再建もできるはずです! それをカルロスお兄様に任せて自分は怠惰を貪ってばかり。ひどい話です!」
カルロスは俺の弟にあたる。領主の家の次男でありながら、長男を差し置いて政治を主導する明晰な頭脳。大国の英雄とも肩を並べると言われている魔法戦闘の腕。それらを併せ持つ俊英として各地に名を馳せている。
対する俺は一つ下の弟にも負けた凡愚と悪名高く、方々からも蔑みの声が叫ばれる。政治もできず、魔法もろくに使えないなら、小さなはなれに追いやられているのも妥当といえよう。
「カルロスを信じろ。あいつはやってくれる男だ」
ミリアの声に耳を貸さず、俺は再び本に目を落とした。世界に絶望した俺の心を潤すのはもはや、書物の中の世界だけだ。
今のマイブームは聖騎士物語。騎士を目指す若者が艱難辛苦を乗り越えて立派な騎士になる物語。味方の騎士たちも立ちはだかる敵も、クセのある人物ばかりで面白い。
「ただ飯喰らいのお兄様をここに住まわせ、そうした書物のお金も出しているカルロスお兄様の温情を無為に食いつぶすのですか?」
「……俺は自分の利益のためにしか動かない」
「ああ、そうですか! それなら一つ。お兄様が働きたくなるような話を持ってまいりました。その物語の作者。先日人さらいに捕まりました」
「……は?」
大抵のことは聞き流すという自信があった。だが、それは決して看過できない情報だ。
「最近。人さらいと違法な奴隷商人が動いています。やり口が上手く警備の目をかいくぐっています」
「不埒な輩の成敗は領主殿の務めじゃないのか?」
「カルロスお兄様は対外交渉で立て込んでおります。近隣の領主たちがこの領地を吸収しようと目論んでいるとか」
「……ちっ。親父が病気がちだからって調子に乗りやがって」
俺は舌を打った。こういう件に介入するのは面倒だが、そうも言っていられない。聖騎士物語の続きが読めないなどあってはならないことだからだ。
「しょうがねえ。で、アジトの場所は分かってるのか?」
「分かっていません。でも、本気を出したお兄様なら訳ないでしょう?」
ミリアは俺のことを買っている。それはかつて、テメルセグの長男は次の名君と言われるほどに、政治のできる子だったという伝説だけを知っているからだ。
「……どうなっても知らねえぞ」
俺は頭をかく。ろくなことにならないと分かってはいるものの、背に腹は代えられない。
「あ、一つ確認し忘れてた。ミリア、これお前の狂言じゃないよな?」
ミリアは頭が切れる。カルロスの手に負えない事件を俺の元に持ってきて、お気に入りの作家が捕まったと嘘をついていたとしても不思議ではない。
「もしそうだったら、お前を人さらいに売り飛ばすからな」
脅しとしては十分だろう。ミリアの頬には汗が伝っていた。
まずテメルセグ領の歓楽街へと二人は赴いた。夜でも明りの灯るその場所は、酒飲みや売春婦がたむろしていた。十三歳のミリアをこんな所に連れて行きたくはなかったが、ミリアが強硬に同行を申し出たのだ。
「当たり前でしょう? お兄様一人では心配ですもの」
身を案じているというよりかは、途中で投げ出さないかどうかについての不安だろう。信用がないと嘆きたくなるが、普段の生活態度であるはずもないので諦める。
「ダメだぜ兄ちゃん。そんな小さい子を連れてきちゃ」
当然のように道行く人間に注意される。壮年の男性。羽織っているコートはいい生地を使っている。それなりに金を持っていそうだ。
「この辺りには恐ろしい人さらいがいるって話だぜ」
「むしろ歓迎するよ。俺はこいつを売りにきただけだから」
「お兄様!?」
話が違う、と驚愕の表情でミリアに見られるが俺はスルーした。
「その年から危険な橋か? ろくな大人になれねえぞ」
「そんなこと言うあんたこそ、そういうのにドップリじゃないのか?」
ピクリ、とおじさんは眉を動かした。ビンゴだ。他の人間に比べて高級そうな身なりをしている者に声をかけたが、最初で当たりを引いたのは幸運だった。
「鋭いガキだなぁ」
「いい店教えてよ」
「……いい根性してやがる。気に入ったぜ」
男は口角を上げて語り始める。
「まっすぐ行って突き当りを右にずっと行くとあるよ。まぁ気をつけな。ガキには刺激が強いと思うからさ」
そう言い残しておじさんは去っていった。情報収集は完了。その人身売買の店が目当ての場所じゃなかろうと、その店主から更に情報を引き出せばいい。蛇の道は蛇。商売敵の情報であれば豊富だろう。
「……お兄様」
「さあ、お前を売りに行こうか」
「そういう設定で行くのならば、せめて事前に言ってください」
始めこそ驚いていたものの、即座に俺の意図を理解して後は口を挟まなかったのだろう。やはりミリアは頭の切れがいい。
「しかし、意外と簡単に教えてくれましたのね。こういう場所に来る人間は、もっと冷酷な人ばかりかと思っていましたわ」
「どこにでも義理や人情ってのはあるものだろ。……って風に見せかけたんだが、果たして効果はあるものかね」
俺の言葉の意味が分からなかったのかミリアは首をかしげる。だが教えはしない。ここは既に敵地と言っていい。誰に聞かれているか分からない。
「子供には刺激が強いというのは、どういう意味でしょうね?」
「グロいのは嫌だなぁ。そういうんじゃないといいけど……」
嫌な想像をしながら俺たちは歩み続ける。そうして俺たちは目的の場所に着いた。ノックもせずに扉を開ける。薄暗い店内。カウンター越しに座っていた人間がじろりとこちらを睨んだ。
「随分と若いお客さんだが、ここがどういう場所か分かってんのかい?」
腕に巨大なドラゴンの入れ墨のある、筋骨隆々の男だった。浅黒い肌には大小さまざまな傷がついており、彼の人生の壮絶さを物語っている。
「こいつを売りに来たんだが、買取はやってるかい?」
「………………やってませんねえ。領主様の妹の買取りなんてな」
ミリアの顔を知っていたらしい。店主はカウンターの向こうで立ち上がる。その様子を見て芝居は不要と感じたのか堂々とした態度で声を上げた。
「店の中を検めさせなさい! 最近違法な奴隷が流出しています!」
「どうぞ姫君。うちは真っ当な商売を心がけてますよ」
突如として慇懃に店主は接客を始める。店の明かりがつくと、奥の広場にずらりと並んだ奴隷の姿が見えた。彼らは鎖のついた首輪につながれて、その顔には一切の覇気がない。
よく見れば店内にいくつかの擦過痕がある。あからさまに違法なものは急いで隠したらしい。外に見張りがいて、俺らの動きに勘付いたのだろう。相手もやり手のようだ。
「……ここから見える範囲の中に三人。我が警備団に被害届の出ている者がいます。黒ですね」
だが、ミリアは小細工など無駄だと言わんばかりに言い放つ。最初に当たりの店を引き当てるとは運がいい。
「ちょっと待ってくださいよぉ。被害届を出されたのはご家族でしょう? ですが奴隷は本人の意思があれば合法です」
「奴隷になろうと言う者はよほど生活に困窮した者です! あそこにいる名家の令嬢などが望むはずもないでしょう!?」
ミリアが指をさした先には一人の少女がいた。名家の令嬢ならば経験しないような、固く不潔な床に座っている。だが、それに不満の声を上げるわけでもない。人形のようにただ座っているだけであった。
「……仕方ない。本人に聞くしかないでしょうね。おい、どうなんだ?」
店主の質問に怯えた様子もなく、奴隷の少女は淡々と語りだす。
「私は自分から望みました。厳しい両親のしつけから逃げ出したかったのです」
「う、嘘……!? あなたの両親は私たちの屋敷にまで来ました。あなたのために涙を流し、頭を下げていました。あの方々がそんな厳しいしつけなどするはずありません!」
「したんでしょうなぁ。人には外面というものがあります。姫様と会う際には取り繕っていたんでしょう」
動揺するミリアに追い打ちをかけるかの如く、男が口を開く。それらは全て想像でしかないが、全てを否定できる材料もない。
「何をしたんですか、この外道……」
「言いがかりは止めてくださいよぉ。領主様の妹が営業妨害ですか!? それは大問題ですよ!」
勝ち誇った顔でミリアに詰め寄る店主。まだ幼い妹は巨漢の迫力に飲まれ、目に涙を浮かべる。そろそろ潮時かと俺は妹の肩に手を置いた。
「ミリア。お前は頭がいいし正義感もある。だが相手を疑うってことを覚えなきゃいけないな。敵が真っ向から勝負してくれる保証なんてないんだから」
「あんたも言いがかりですかい? というかあんたは誰なんです?」
「領主の妹を知ってて兄を知らないのは些か勉強不足じゃないのかい?」
「へえ、あんたが。いや失敬。かつては次の名君と名高かったあなたが、妹を売りに来るほど落ちぶれるとは思わなかったもので」
「っはは。そりゃ正論だ」
俺は笑う。その声は乾ききっていて、自分でも耳障りだった。
「そんな人間が落ちぶれた理由。何だと思う?」
「……さあ?」
「全部面倒になっちまったのさ。あんたと同じ魔法を持ってたせいでな」
その瞬間、声が響いた。
「「「「「助けて!」」」」」
「……は!?」
男は弾かれたかのようにそちらに目をやる。先程まで静寂に包まれていた奴隷の展示場が、今や助けを乞う合唱に満ち満ちていた。
「助けて! 私奴隷なんかになりたくない! パパとママのところに帰りたいの!」
先ほどまで帰宅を固辞していた名家の少女も、瞳に涙を浮かべて叫んでいる。
「奴隷についてるあの首輪、魔法道具だろ? あんたの使う洗脳魔法の効果を強めるものだ。うちの領内じゃ流通どころか所持も禁止だぞ」
全てを言い当てられたからか、店主の顔が見る見る青ざめていく。先ほどまでの愉悦に歪んだ表情からの落差が俺の笑いを誘う。
「洗脳魔法!? それって……」
先の問答も全て操られた末の行動だったのかとミリアは悟る。そして刺すように店主をにらみつけた。
「どうして、首輪がついてんのに……?」
「同じだって言っただろ。道具になんか頼らなくたって、俺は身一つでそれができるんだよ」
本気を出せとか冗談じゃない。俺の使う魔法は洗脳。本気を出せば人の精神などたやすく塗り替えてしまう、最強最悪の魔法だ。
「店主。首輪の鍵はどこにある?」
「何を……、カウンター奥の机の中だ。引き出しの右の方だ」
店主は素直に答えながらも、驚愕に目を見開いていた。言うつもりはなかったのだろう。だが、その意思も俺に捻じ曲げられる。
「ミリア。みんなを解放して、然るべき処置を頼む」
「承知いたしました」
立ち直ったミリアの動きは素早い。素早く行動に移る。あちらは任せておけばいいだろう。
「さてと、あんたの罰は俺が下そうか」
「けっ。牢獄にでも連れてこうってか?」
「そういうのは面倒だ。もっと簡単に行こうぜ」
俺は懐の中から短刀を取り出すと、鞘を外して男の前に放る。
「飲め」
「…………は?」
「そうすりゃ許してやる。よかったな。本来十年以上は牢獄の中にいるところを、これで済ませられるんだ」
「ば、馬鹿を言うな!」
たまったものではないだろう。自分の意思で刃を飲むなど、絞首刑より遥かに残虐だ。しかし恐怖を無視するかのように店主の身体は動く。短刀を手に取り、大きく口を開いた。
「拒否権はない。お前も散々人のこと操ってきたんだ。因果応報ってやつさ」
「止めろ! 嫌だ、許してくれ!」
店主は涙を浮かべて懇願するが、その体は動き続ける。
「何で、何で操られてるのに俺の意識が残ってるんだよ!?」
「生憎と。こと洗脳に関しちゃ俺は天才的でね。何でもできるのさ」
洗脳魔法とは本来、大きな制約の課せられるものだ。対象に触れなければならない。短時間しか操れない。簡単な命令しか下せない。等々。
俺にはそれがない。半径二十メートルの中にいる者なら誰でも操れる。制限時間はなく、対象の意識を残したまま体だけを操るなどということも可能だ。もちろん、操られていることを気づかせずに操ることもできる。
「そんな人間、この世界に存在してていいのかよ!?」
店主の言うことももっともだ。
なぜテメルセグの長男は政治ができたのか。彼にとっては政治など、人形遊びと変わらなかったから。
なぜテメルセグの長男は政治を辞めたのか。その人形遊びはあらゆる政治を根底から破壊し、何もかもを不幸にするだけと気づいたから。
「まあ、いい。十分恐怖は味わっただろ」
俺は店主にかけた洗脳を解く。その手から短刀が放されて、店主は深い安堵の息を吐いた。
「今の恐怖を忘れずに牢獄で反省するんだな。あと、お前に奴隷を卸していた業者の情報提供も頼むぞ。それじゃあ、自首してこい」
俺の命令を受け、ふらふらとした足取りで外に出ていく店主。ミリアに解放された人々はみんな快哉を叫んだ。
「いやったぞぉぉぉおおおお!」
「俺たちは解放されたんだぁ!」
「やった家に帰れるのね!」
「君たちはヒーローだ!」
口々に自由を謳歌し、俺たちを褒めたたえる。その中の一人、銀髪の美しい女性が俺に歩み寄ってきた。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
その様子を見て、寄ってきたミリアが俺を肘で小突く。
「よかったですわね。憧れの作家様に恩を売れて」
「…………は?」
その言葉に俺は硬直する。
「まさか、あなたが聖騎士物語の作者……?」
「は、はい! 私の作品を読んでいただけているのですか?」
女性の首肯を見てしまった俺は床にのたうち回った。
「ああああああああ! 知りたくなかった! 作者の顔は見たくなかった! 物語に没頭できなくなるぅ!」
「面倒ですのね!?」
ミリアが吃驚する。お前には分からないというのか。そういうこだわりが。女性も俺の様子に驚いていたようだが、すぐに気を取り直したようだ。
「よろしければお礼をしますよ。物語を書く以外に脳のない人間ですが、私にできることであれば……」
素朴なのか天然なのか。自分の見目麗しさを理解していない様子だな、と俺は思う。危ない人ではあるが、俺にはもう関係ない。俺はふっと息を吐いた。
「必要ない。どうせあなたがたに俺の記憶は残らない」
俺は魔法を展開する。そして捕まっていた全ての者たちを対象に命じる。今日。俺に助けられたという記憶を封印しろ、と。
「…………あら?」
先ほどまで俺に感謝を抱いていた女性も、急に目を白黒とさせ呆然としていた。
「お兄様!? 何をしているのですか!?」
「俺の本気は面倒の種にしかならない。誰にも知られるべきじゃないのさ」
幼いころから、どれだけの人間に利用されそうになっただろうか。完璧な洗脳。上手く使えば巨万の富を築くことも、個人的な軍隊を膝下に置くことも、果ては世界を征服することだってできるだろう。
俺自身がそれを望まないのは、労せず手に入れるものの虚しさを知っているからだ。洗脳で世界を征服したところで、俺は人形遊び以上のことはできやしない。
誰も幸せにできない力など存在していない方がいい。だから俺は記憶を消す。どんな誹りを受けようが、無能を演じてやり過ごす。
「これで分かっただろ?」
普通に強いだけならば幾ばくかマシだっただろう。よりにもよって洗脳。誰からも忌み嫌われる呪いのような力だったからこそ、俺は世界に絶望した。
「……で、でも」
ミリアは動揺しながらも、必死に言葉を紡いでいるようだった。
「そんなことを言ってもお兄様はやるときはやるんですのね……」
「まあな。俺にだって守りたいものはある」
今回のように、俺の乾いた心に潤いをくれるもののためならば、この力を振るうだろう。身勝手ではあるが、俺も不幸のどん底で生きたくはない。
「だからミリア、頼むぞ。俺がこれ以上力を振るわなくていいよう、カルロスの力になってやってくれ」
ミリアはこくりと頷いた。
あれから一か月。ミリアは変わらず朝、俺の元にやってくる。
「今月はもう強盗事件が三件。嫌になりますわね」
「その全てを迅速に解決してるっていうんだから、お前はよくやってるよ」
ミリアはその辣腕を存分に振るっていた。あの日から政治に参加すると決意し、早すぎるという周りの声を実績で押さえつけた。
本当に自慢の妹である。だが……。
「ふふん。今月もお兄様の出番はありませんわ。相変わらず役立たずですねの」
そのモチベーションが、満面の笑みで俺を詰ることというのはいかがなものか。だが理解に苦しむというのも一興だろう。少なくとも全てが俺に操られるよりずっといい。
俺はクスリと笑うと、新しい聖騎士物語に目を戻した。
お読みいただきありがとうございます。
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