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そこが日常だった世界

作者: 橙矢雛都





「先生って、ピアノ弾くんだ」



その一言で俺は手を止めて、音楽室の入り口を見る。

そこにいたのは1人の女子生徒。すぐに自分が受け持つクラスにいる生徒だと認識する。

逢見(おうみ)和花(わか)。特に目立った所はなく、だからといって埋もれているわけでもない、正直言ってよく分からない生徒だった。

彼女は自分から話しかけに行くようなタイプではない。相手が担任教師である俺であってもだ。

だから、何故、なんで、どうして。

そんな感情ばかりが次々と生まれてくる。



「意外か? 俺がピアノ弾くって」



とりあえず、無難な返事をしておいた。

別に見られようがどう思われようが、俺はそんなの気にしない。とりあえず、だ。

逢見は俺の問いにクッと小さく笑いながら壁にもたれかかり、「別に」と短く返してくる。興味がない、というわけではないみたいだけど、やっぱり何考えているのかよく分からない。

そこで会話は途切れた。けれども逢見はその場を動こうとしない。

そういえば逢見は音楽が好きだったことを思い出す。教室でいつも1人でいる彼女は、ずっとイヤホンを着けて何かを聞いているのを目にしたことが何度かある。

ならばと思い、俺は一曲弾こうと手を、指を動かした。

何年か前に、自分で作曲したオリジナルの曲。既存の曲だとなんとなく恥ずかしかったのもある。

普通は逆じゃないかと、高校の時の友人に言われたことがあるけど、世間一般に知られているようなものだと粗が見える気がして嫌なのだ。

元々はピアノじゃない楽器で演奏していた曲。わざわざピアノ用に作り直すの大変だったな。



「やっぱり、先生の音は優しい音ですね」

「…なんか意味ありげな言葉だな」

「大した意味はないですよ。ただ、この曲… 聞いたことある曲で、もう一度聞きたいなってずっと思ってたんです」



想像もしていなかった言葉に、思わず手が止まる。

聞いたことがある? どこでだ?

この名も無き曲を、しかも人前で演奏したことがあるのはたったの一度だけ。そのたった一度、あの時あの場にいた人々の中に逢見もいたと…?

だとするならば、逢見は()()()()()ことになる。俺の、実家のことについて。

正直、この高校で教師をやっているうちは周囲には知られたくない。たとえ後1年程で教師を辞めることが、もう決まっているのだとしても。



「先生って、何で先生になったの?」

「どうした、急に」

「んーん、なんとなく。私も、春から3年生になるのに進路とかなーんにも決まってないから」



逢見のような、まだ何も決まっていない生徒は意外に多くいる。そしてそれは決して珍しいことではない。

自分が高校3年生の時も同じだった。

家のことは、兄貴がいるから俺は割と自由で、やりたいこともやれた。

でも、俺にはその特別やりたいことが何もなかった。とにかく家から、兄貴から離れたくて手に職をと思ったけども、その結果が何故教師なのかは自分でも分からない。



「でも…先生、人に何かを教えるの好きだよね」

「…えっ?」

「面倒を見るのが好きの方が合ってるかな…」



何を、言っているのか、分からなかった。

何で俺が分からないことを、彼女の方がさらっと言えるのか。

仮に俺が逢見の言う通りそうだとしよう。

では何故、高校教師なのか。

小学校でも中学校でも。保育士や塾講師とかでもよかったはずだ。

ただ、必死に、あの家から、兄貴から離れたくて抗い続けていたのは覚えている。



「ま、どんな理由があったのだとしても… もう、なんの関係もなくなるけどな」

「どういうことですか?」

「まだ校長と教頭、学年主任しか知らないから他言無用で頼むな。家の事情で、後1年で辞めるんだ。教師を」

「えっ…」

「本当は今すぐ辞めて帰ってこいって言われたんだけどな。ちょっとだけ意地を通して猶予を貰ったんだ」

「それが後1年…」



どうして逢見に話したのか、自分でも分からない。誰でもいいから話してしまいたい気分にでもなったのかもしれない。

俺の教師を辞めるという発言を聞いてから逢見は黙ってしまった。

きっと、予想もしていなかった言葉だったんだろう。見ればほんの少し眉を下げ、何を話したらいいか分からないという顔をしている。

俺も俺で何かを話すということもなく、再びピアノを弾き始める。

逢見の立ち位置は変わらず音楽室の入り口。壁にもたれかかりながら目を閉じて、聞く体勢を整えていた。整いすぎな気もする。

後1年。逢見がいるこの学年が卒業するまで。

決して長くはなかった教師生活。感慨深いことがあったわけでもないのに、後1年、時間が欲しいと言ったのは何故なのか。

自分で自分が分からない。教師に、逢見のいる学年に何かしらの執着があるのは確かなのに。






~*~


音楽室で逢見と話した日から月日がたち、春も過ぎて今は夏。いや、夏休み初日。

教師生活残り1年のうち、四分の一がすでに過ぎた。なのに、あの日の疑問は未だ解消されないまま。

俺は、3年生となった逢見がいるクラスの担任となった。

3年生になっても逢見は相変わらずだった。教室ではほとんど1人で、昼休みはお弁当を持ってどこかへ消える。

去年も逢見の担任だったが、今年の方が接触も会話も明らかに多い。昼休みも何回か同じ空間でお弁当を食べたことがある。その際の口数はまぁまぁだった気がする。

逢見の話はけっこう面白いと思った。普段の様子からは想像できないほどよく喋るし、趣味も合うから会話が続く。

家でも外でも音楽を聴いて過ごしているらしい。いつでもどこでもというのを聞いた時はさすがにびっくりした。

他に趣味はないのかと聞いたら、少しの間を開けて「花」と答えていた。その時俺は1つ気になったことがあった。少し言いにくそうにしていたことだ。

別に珍しい趣味というわけでもないだろうに。花と答えた彼女の言葉に、俺は何かしらの解釈違いをしているのかもしれない。

それにこの約半年の間、逢見と話す機会が増え、「逢見」の名前に覚えがあることを思い出した。


確か、兄貴の…



「月宮先生!」



信号が青になり、横断歩道を半分くらい進んだ所で後ろから名前を呼ばれた。

俺が信号待ちをしていた場所に逢見が立っていた。俺を見つけたことで嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。

逢見は俺を追って一歩を踏み出す。信号は青になったばっかだし、来るまで待ってやるかと足を止めたその瞬間だった。

時間にしてみれば1秒にも満たない程一瞬であったが、足を止め、逢見の姿を見た時に背筋が寒くなった。



「逢見!」



叫んだ時にはもう体は動いていた。考えるよりも体が動くってやつかと思った。

俺の視界に入ったのは、信号が赤なのに気づいていないのか、猛スピードで突っ込んでくる車だった。

運転手がやっと気づきハンドルを切るが、周囲の人々を何人も次々と撥ねていく。ハンドルを切る前にブレーキ踏めやこのやろう。

逢見に接触するまで後1メートル弱。 …という所で手が届く。でも接触は避けられない事を悟った俺は、かばうように逢見を強く抱き寄せた。

その直後に襲ってくる衝撃と痛み。兄貴と同じことしているなぁと思いつつも、腕の中の彼女だけは守ろうと必死だった。

状況把握が出来るような状態ではなかった。逢見のことはおろか、自分のことも分からない。確認しようがない。

けれど、ほんの少しだけ感じられた腕の中の鼓動と体温が俺を安心させた。

だから急に力が抜けた。意識が遠く、遠のいて。


ーーー途切れた。






~*~



「はっ……」



見慣れた天井。いつも使っている枕やタオル。

どこをどう見てもここは自分の部屋だった。俺は確かに事故にあったはずで。けれど痛みどころか俺の体には傷1つなかった。

まさか、盛大な夢オチか。でなければ目覚めて最初に見える景色は病室のはずだ。

だけども、病室じゃない理由を考えても「夢オチ」以外に浮かばない。



「…あれ、荷物……」



引っ越しの為に、少しずつ段ボールにまとめておいた荷物が無くなっている。引っ越す気配など微塵も感じられない程、今まで通り、いつも通りの俺の部屋。



「……ていうか、何で俺は、引っ越す準備なんか…」



まとめた荷物がどうとか言うより、今の俺に引っ越す理由なんてない。

今住んでいる所は非常に好条件と言える物件だ。よほどのことがない限り、仕事を辞めるようなことでもない限りは、そんなことはありえない。

ありえない、はず、なのに。



「…っ! いっ…てぇ…」



頭を打ったわけでも、体調が悪いわけでもないのに、突然来たその頭痛。

まるで何かを思い出そうとしているかのような。

俺は何かを忘れているんだろうか。大切な、何かを。



「ま、そのうち思い出すか。それより今日は明日の準備をしねーと」



体調不良になっている場合じゃない。明日は俺が勤める高校の始業式と入学式の日。そして3年生のクラスを受け持つことがもう決まっている。

1年生の頃から受け持っている学年だから、生徒に対しての不安はない。だけど彼らは3年生で、受験生で、あるいは就活生でもあるから今まで以上に気を抜けない1年になりそうだ。

あらかじめ渡されたクラス名簿のコピーを眺める。男女混合で並んでいる名前を、上から順に見ていく。



「ん…? 逢、見…?」



見慣れない名前だった。でもその女子生徒の名前が気になって仕方がない。

この学年の生徒に全く知らない生徒なんているはずがないと思っていた。転校生とかでもない限りは。

転校生という話は聞いてないし、この逢見和花という生徒はちゃんといたんだろう。俺が、覚えてないだけで。

再び頭がズキズキと痛む。思い出せと、体が必死に訴えている気がしてくる。

でも俺は、気づいていなかった。()()が自分の存在する本当の世界じゃない、その可能性が思考から抜け落ちていることに。


頭痛以外の感覚が、感じられないことに気づいていなかった。














「先生。先生……

お願い… 目を覚まして。 …月宮先生」



意識が戻らず、未だに眠り続ける男の手を握りしめながら。

泣きながら、想いを込めながら、言葉を紡ぐ少女の姿がそこにあった。




初投稿作品でした。

連載を投稿する時のために、機能確認をしておこうと書いた作品です。

これも元々は、連載ものとして考えていたものを「おためし」として作り直したので拙い部分は多々あるかと…

またいつか、これも含めて、連載作品を書いていけたらなと思います。

お読みいただきありがとうございました!


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