ゴールテープ
ある冬の夕方。僕は大学生の頃の友人と飲むために居酒屋に来ていた。連絡はよく取り合っているのだが、こうして二人きりでお酒を飲むのはかなり久しぶりな気がする。
店へと入ると彼はもう待っていた。こちらに気がつくと片手をあげて合図する。僕も手をあげ合図を返すと隣の椅子に腰をかけた。
「悪いなカウンターで」
「今更そんなことを気にする歳でも間柄でもないだろ」
店員を呼んでビールを注文する。友人は芋焼酎水割りのおかわりだという。
「いつから居たんだ?」
「30分は前かな。ところでお前さん、こないだ賞を貰っていただろう。凄いじゃないか」
「ああ、読んだのか」
「もちろん」
なぜか彼は得意げな顔をしている。
「実はあの賞がきっかけでな、出版社の人から声が掛かってな。丁度今日原稿を出してきたところだ」
「ほう。今度からは『先生』って呼ばなきゃだな」
「よせよ。それじゃあ僕は君のことを『係長』って呼ぶぞ」
「残念な話なんだがな……俺、係長じゃなくなったんだ……」
唐突に神妙な面持ちをしだす友人。つられて僕も真剣な声色になってしまった。
「まさか……」
「ああ。先月から課長になっちまったんだ……」
「心配して損したぞ」
「はっはっは、そいつは悪い事をした」
「とにかく、めでたい事だな。綺麗な奥さんに可愛い娘、仕事まで順調ときたら幸せの真っ盛りなんじゃないのか?」
少し皮肉めいた言い回しだっただろうか。いや、こいつは皮肉は通じないんだった。
「いやいや」
手をヒラヒラさせながら彼は笑った。ほらな。
「まだまだこれからさ。むしろ大変なのはこれからだからな」
「そんなものなのか」
「そうさ。むしろお前さんだって長年の夢が叶いそうなんだ。幸せじゃないのか?」
僕は今。
「幸せ……なんだろうな。まだ実感はないけど」
それから、娘の自慢や育成計画なるものを熱く語られたりし、日付が変わる頃お開きとなった。
数ヶ月後、いよいよ僕の本が販売される日がやってきた。意気揚々と最寄りの書店へと足を運ぶ。僕の本が大きく陳列されていた……はずだった。しかし目に入るのは人気のある小説家の本ばかり。僕の本など存在していないようだった。いや、存在はしていた。コーナーどころかPOPすら作られておらず、新刊たちの片隅に置かれていた。
そうか。そうだったんだな。彼の言葉をようやく理解することが出来た。
「まだまだこれからさ」
小さくつぶやいて僕は書店を後にした。