第36話 王女の正体
「ふふ、驚いた?」
「……シエラの記憶喪失は、あなたの仕業か?」
イザベラが魔女。
信じがたい言葉が出てきたが、アルフレッドの頭を占めるのはシエラのことばかり。
感情を抑えて、アルフレッドは静かに問う。
イザベラは笑みを浮かべたまま、頷いた。
その瞬間に、アルフレッドの怒りは爆発した。
「……今すぐシエラを元に戻せ!」
「無理よ。だって、わたくしは不完全な状態の魔女だもの」
そう言って、イザベラはわざとらしく肩をすくめた。
「どういう、ことだ……?」
「わたくしは、魔女の生まれ変わり。魔女の魂を持っていても、魔力は持っていないわ。できることといったら、人を呪うことだけ」
解くことはできないけれど、とイザベラは赤い唇を不敵に歪ませる。
「シエラを呪ったのは何故だ? 何が狙いだ?」
イザベラは、大国の王女だ。
これまで何不自由ない贅沢な暮らしをしてきたはずだ。
王女としての責務はたしかにあるだろうが、王族という最高の身分。
わざわざ人を呪う必要などないはずだ。
ましてや、新婚旅行で来た他国の貴族など……。
「わたくしはあなたが欲しいのよ。グリエラに愛された【包帯公爵】のあなたが、ね」
「狙いは、グリエラの包帯か」
最初から、おかしいとは思っていたのだ。
王女が不気味な噂ばかりの【包帯公爵】のファンだなんて。
「それならば包帯だけ要求すればいいだろう。シエラの記憶を奪う必要などなかったはずだ!」
「一度あなたに抱きついた時に分かったの。ただ包帯だけを奪うのでは無意味だと。グリエラがあなたのために魔力を込めたものだから、あなたが身に着けていないと意味がない。試しに包帯に口づけてみたら、魔力を吸収できたわ。だから、魔法がちゃんと使えるか試したかったのよ。あなたの可愛いシエラさんを巻き込んでごめんなさいね。でも、どうせあなたを失うのだから、記憶を消してあげたのは優しさよ」
悪びれもせず、イザベラは微笑む。
(包帯の魔力を試すために、シエラの記憶を……?)
イザベラからのスキンシップとあのキスは、包帯の力を確かめるためだったのだ。
「この包帯を利用させるつもりはない。すべてはイザベラ王女の自作自演だったとエドワード王子に報告しよう」
「いいえ、あなたはここから出られない。それにもし出られたとしても、あなたは今頃、王女誘拐の犯人として指名手配されているわ」
「……どういうことだっ!?」
「わたくしがそう仕向けたからよ。呑気に新婚旅行に来たあなたと違って、わたくしには手駒がいるの。もし見つかればあなたは当然処刑されるだろうし、このままでは外交問題ね……でも、あなたが大人しく従うのなら、誘拐は誤解だと証明してあげる」
だんだんと自分が今置かれている状況が見えてきた。
(やられたな……)
ロナティア王国でのイザベラは、ヴァンゼール王国の呪いに悩まされている被害者だ。
それがたとえ噂だとしても、同情し、味方する者は多いだろう。
おそらくイザベラの手駒は、積極的に呪われた王女の噂を流していたストレイ伯爵、コーネット侯爵、バルモント伯爵の三人。
身分の確かな三人が証言すれば、アルフレッドを誘拐犯に仕立て上げて騎士たちを動かすことは可能だろう。
たとえアルフレッドが皆に真実を伝えたところで、誰が信じてくれるのか。
ここは、ヴァンゼール王国ではない。後ろ盾であるザイラックはいないのだ。
それに、アルフレッドを脅すための材料は、ひとつではない。
「シエラは無事だろうな?」
「えぇ、今のところは。あなたを忘れていれば無害な娘でしょうから」
イザベラの言葉を信じてもいいかは分からない。
しかし、アルフレッドを忘れているシエラならば、一人で無茶はしないだろう。
(……記憶を消したのは優しさ、か)
アルフレッドのことを忘れているシエラならば、見逃してくれるつもりなのか。
いや、アルフレッドを従わせるために、これからもシエラを利用するつもりだろう。
そんなことは許せない。
「笑わせてくれるな。誘拐犯の汚名が晴れたところで、今度は別の目的のために利用されるだけだろう。そんなことに私たちを巻き込まないでくれ」
しかし、魔女の力によって歪められた空間に出口は見えない。
それに、何の策もなくこの森から出たところで、アルフレッドに待っているのは死だ。
シエラを守るどころか、危険に晒してしまうことになる。
アルフレッドは歯噛みする。
「あら。あなたにとってもいいお話だと思ったから提案してあげたのよ。【包帯公爵】の恐ろしい噂は、ロナティア王国にまで届いていたわ。きっと、どこにも居場所はないのでしょう? それに、シエラさんはあなたを忘れた方が幸せになれるわ。彼女を愛する人は他にもいたようだし」
そう言って、イザベラは意味深に笑った。
「まさか、モーリッツにも何かしたのか?」
この森にアルフレッドを誘導したのは、モーリッツだ。
ロナティア王国の王宮楽団にいたモーリッツならば、イザベラと何等かの接点があってもおかしくはない。
「えぇ。シエラさんに片思いしているようだったから、少し利用させてもらったわ。シエラさんを幸せにするためだ、という暗示に簡単にかかって。本当に、馬鹿な男よね」
アルフレッドに敵意を剥き出しにしていたモーリッツを思い出す。
彼はいつからイザベラの暗示にかかっていたのだろう。
しかし、その根本にはシエラへの恋心があるのだと分かるから、複雑な気持ちになる。
「今頃は、森から出られずに焦っているのではないかしら?」
ふふふ、とイザベラは楽しそうに笑う。
「モーリッツは、まだこの森に……?」
「そうよ。余計なことをされては困るもの」
「一体、何が目的だ?」
「あら。これだけたくさん話してあげたのだもの。ザイラック陛下お気に入りの【包帯公爵】なら、簡単に分かるでしょう?」
首を傾げて、イザベラは甘えるように言った。
かつて魔女たちが死んだのは、ヴァンゼール王国の森。
魔女たちを閉じ込めたのは、ヴァンゼール王国のラリアーディス。
人間を恨んで死んだ魔女の生まれ変わりであるイザベラが望むこと。
これまでの出来ごとを考えれば、容易に想像がつく。
「ヴァンゼール王国との戦争――だろう?」
アルフレッドがロナティア王国へ来た理由も、最終的にはそこに繋がる。
はじまりは、ザイラックのもとへ届いた、婚約破棄の申し出。
ロナティア王国内では“魔女殺しの国”と噂され、呪われた王女の出現で両国の関係は危うくなっていた。
ヴァンゼール王国に戦争の意思はない。
ロナティア王国とは友好関係を続けたい。
だからこそ、アルフレッドはロナティア王国で友好関係の修復と、それが無理ならばヴァンゼール王国にとって有益な情報を持ち帰らねばならなかった。
新婚旅行にかこつけた、国王からの密命。
(だが、それすらもイザベラ王女の掌で踊らされていた……)
友好関係が崩れそうだ、ということを餌に釣られ、まんまとアルフレッドはグリエラの包帯とともにやってきた。
自分が戦争の火種として使われるなどとは思わずに。
「えぇ、そうよ。親友のグリエラを裏切り、我らをあの森へと閉じ込めた王国などに、誰が嫁ぎたいと思う? ずっと、この時を待っていたわ。ヴァンゼール王国など滅びてしまえばいい。そして、すべて呪われてしまえばいいのよっ!」
明確な憎悪を持って、イザベラは叫ぶ。
その声に呼応するように木々がざわめいた。
はじめから、イザベラはヴァンゼール王国に嫁ぐ気などさらさらなかった。
だからこそ、結婚を進めようとするエドワードと距離をとっていたのだろう。
そして、婚約破棄のための下準備――呪われた王女の演出を整えていた。
「だから、そのためにもあなたが欲しいの」
うっとりと愛を紡ぐようにイザベラはアルフレッドを求める。
正確には、欲しいのはアルフレッドではなく、グリエラの包帯に宿る魔力。
一歩一歩、ゆっくりとイザベラがアルフレッドに近づいてくる。
「残念だが、私はシエラ以外のものになる気はない」
グリエラが言っていた、止めて欲しい「あの子」とは、きっとイザベラのこと。
アルフレッドとしても、イザベラを止めなければならない理由がある。
愛するシエラのため。アルフレッドを受け入れてくれた大切な人たちのため。
居場所を作ってくれた国王ザイラックのため。
そして、呪われた自分に願いを託した古の魔女のため。
アルフレッドは大きく息を吐いて、覚悟を決めた。
「シエラを傷つけるかもしれないあなたを野放しにはできない」
包帯を素早くほどき、アルフレッドはイザベラが何かする前に距離を一歩で詰める。
そして、イザベラが抵抗する暇も与えずに包帯で手と足を縛った。
ついでに、視界と口元も覆う。
「~~っ!」
地面に転がり、イザベラは何やら叫んでいる。
そんなイザベラを見下ろして、アルフレッドは眉間に皺を寄せた。
「……これでは、本当に王女誘拐犯だな」
これ以上好き勝手にされないため、物理的にイザベラの動きを封じた。
王女にこんなことをしたと知られれば、シエラに怒られるかもしれない。
そう考えると、少しだけ胸が痛むが、イザベラを止めるためにはこうするしかなかった。
魔女の生まれ変わりであっても、イザベラは不完全な魔女。
それでもシエラの記憶を奪い、モーリッツに暗示をかけ、この森を作った。
すべてはグリエラの包帯のおかげで。
そして、目的のために完全な魔力を手にしようとして、アルフレッドをこの森に閉じ込めた。
油断はできない。
しかし、前世は魔女で、今世は王女として生きてきた彼女はきっと、自分に危害が加えられるかもしれないということに思い至らなかった。
だからこそ、アルフレッドの強硬手段に対応できなかったのだ。
アルフレッドは貴族だが、密偵として鍛えている。
本物の魔女ならば分からないが、蝶よ花よと育てられた王女を抑えることなど簡単だ。
「……縛る物がグリエラの包帯しかない、というのが諸刃の剣だが」
イザベラのあの口ぶりからして、彼女の前世はグリエラの親友ベラだ。
親友を止めたい、というグリエラの想いを信じるしかない。
イザベラ自身が弱まれば、自然とこの森も正常に戻るのではないだろうか。
「さて、これからどうするか……」
アルフレッドは、地面に転がるイザベラを冷めた目で見つめて呟いた。