第32話 古の魔女の恋
酷い裏切りだ。彼女は憤っていた。
怒りは炎となり、森を焼き尽くさんとする。
しかし、その森は赤々と燃える炎にも涼しい顔をして佇んでいた。
「何故、何故こんなことに……っ!」
許せなかった。だから人間なんて信じられない。
人間を滅ぼそうと決めた先祖の考えに、彼女は大きく賛同していた。
多くの同胞が殺された。そして、それ以上に多くの人間を殺してきた。
しかし人間は減らない。元々の数の分母が違うのだ。
時に人間と交わり、その数を増やしてきたが、魔女の系譜はただ一つ。
数は増えても、魔力は年月と共に失われていく。
純粋な魔女の一族は、族長の血脈だけだ。
「私の大切なグリエラを利用した、あの男だけは絶対に許さない!」
グリエラは族長の娘であり、彼女の親友。
そして、一族の中でも稀有な力を持つ魔女だった。
◇
「私、恋をしたの」
白い頬を赤い瞳と同じぐらい赤く染めて、グリエラが言った。
親友の突然の告白に、私はぽかんと口を開けた。
「……冗談、じゃないわよね?」
「もちろんよ。冗談でこんな恥ずかしいことは言わないわ」
誰よりも強い魔力を持ち、誰よりも優しい心を持つ親友は、昔から恋というものを夢に見ていた。
しかし残念ながら、族長の娘という立場のグリエラに、自由恋愛などできるはずもなく、一族の中で強い男と結婚する未来が用意されていた。
だからこそ、私は冗談であってほしかったのだ。
「本気なの?」
「えぇ。でも、彼とは結ばれないってちゃんと分かっているのよ」
グリエラの切なげな表情を見て、嫌な予感がした。
最近、グリエラはよく一人でこっそり出掛けるようになっていた。
以前は、どこに行くにも親友の自分と一緒に行動していたのに。
最後に一緒に行ったのはどこだったか。
激化する人間との戦争のために、人間側の視察を任されていた時だ。
あの時は、グリエラと一時だけはぐれてしまい、かなり焦ったのを覚えている。
(……まさか、グリエラの恋した相手って)
口にするのも怖かった。
「親友の、あなただけに教えるわ」
しかし、グリエラは真っすぐに私を見つめて言った。
親友の私たちの間に、これまで秘密はなかったから。
「私が好きになった人は、ラリアーディス様」
私は息を呑む。
それは、人間の王の名だ。
族長たちが危険視し、その命を狙っている男。
「グリエラ、目を覚まして。その男は私たちの敵よ」
「でも、彼は私が魔女だと気づいても、何もしなかった。それどころか、街を案内してくれたのよ。すごく、楽しかったわ」
ラリアーディスがいかに優しく自分を気遣ってくれたか、グリエラは頬を緩めて話す。
一方私は、どうすればグリエラの中にある恋心を消せるだろうか、ということばかりが頭の中を巡っていた。
「私たちは互いに愛し合っているけれど、けっして結ばれることはない。でも、ラリアーディス様が言ってくれたの。私たちの愛が、魔女と人間の争いを治める光になるはずだ、と……」
「……グリエラは騙されているのよ。今更、魔女と人間が仲良く手を取り合えるはずないじゃない! どれだけの仲間が死んだと思っているの!? 私の父も、兄も、人間に殺されたのよ」
「人間だって同じよ。それなのに、この先もずっと殺し合いを続けるの? それで私たちは救われるの? 人間は魔力を持たないけれど、知恵がある。私たちに対抗する武器を作りあげて、戦争を始めた頃よりもずっと私たちは苦戦を強いられているわ。戦争は、お互いのためにもう終わらせるべきなのよ」
族長の娘として、優しい彼女が戦争に苦悩しているのは知っていた。
しかし、私は魔女を悪魔の使いだ、邪悪な存在だ、と決めつけてくる人間が大嫌いだった。
それに、家族が殺された。
何の力も持たないくせに、数だけ多くて煩わしい。
人間が滅ぶことが、私たちの平和だ。
「……私、グリエラの夢物語にはついていけないわ」
いつでも味方だと笑い合った親友に、私は初めて背を向ける。
――ベラっ!
自分の名を呼ぶ声が聞こえたけれど、私は振り返ることなくその場を去った。




