第31話 計画外の行動を
エドワードは騎士たちを下がらせ、シエラに座るよう促した。
シエラは警戒しながらも、黙って座る。
メリーナがそっと紅茶の準備をするために動いた。
「それで、本当に記憶が戻ったのか?」
少し気まずそうに、エドワードが問う。
「はい。エドワード王子様のことも、イザベラ王女様のことも、ちゃんと思い出しました。アルフレッド様はイザベラ王女様が呪われていないことを証明するために協力していたはずですが、何故、誘拐などという物騒なことになったのですか?」
言葉には小さな棘が混ざってしまったが、今すぐにアルフレッドのもとへ行きたい衝動を抑えているのだから許してほしい。
メリーナが淹れてくれた紅茶を一口飲み、高ぶる感情を落ち着かせる。
「……そのことだが。実は僕も詳細は分かっていないんだ。ベスキュレー公爵がイザベラを連れてどこかへ消えたきり戻ってこない、という報告を受けただけでね」
「絶対に、アルフレッド様ではありませんわ」
「あぁ。それでも、王宮内には【包帯公爵】がイザベラ王女を呪い殺そうとしている、という噂が広まっている。不自然なほどに」
「イザベラ王女様は呪われていない、と示すはずが、逆に呪いの存在が濃厚になってしまったのですね……それどころか、王女誘拐の犯人扱いだなんて」
アルフレッドが心配だ。シエラは小さく溜息を吐く。
「エドワード王子様は、アルフレッド様が誘拐したとは考えていないのですよね?」
シエラの問いに、エドワードは迷わず頷いた。
「ザイラック陛下に頼んで彼を呼んだのは僕だ。だから、こんなことになって本当に申し訳ないと思っている。だが、僕の敵は絞り込めそうだ」
「それは、ヴァンゼール王国を良く思わない方たちということですよね?」
「そうなるね。彼らが暴走して噂を広めているのは間違いないだろう。二人が無事に見つかれば彼らを罰することができるが、騎士たちが王城中を捜してもまだ見つからない」
エドワードは眉間にしわを寄せ、頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。
少なくとも、エドワードは味方だと思ってもいいだろう。
(そういえば、モーリッツはどこに行ったのかしら……)
アルフレッドを呼びに行き、戻ってこなかったモーリッツ。
彼は今、どこで何をしているのだろう。
「あの、楽団員のモーリッツは知りませんか? 彼がアルフレッド様を連れてきてくれる予定だったのです」
気になってシエラが聞いてみるが、王子であるエドワードが楽団員の一人を認識しているはずもなかった。
「すまない。だが、そういうことなら騎士に確認させよう」
「ありがとうございます」
自分の周囲で今、何が起きているのだろう。
始まりは、記憶喪失だ。いや、イザベラの呪いが噂になったことだろうか。
そのイザベラとアルフレッドがキスをしている場面を思い出してしまい、ちくりと胸が痛む。
アルフレッドからの愛を疑ったことはない。
記憶を失ったシエラを気遣いすぎて、離婚を考えてしまうような優しい人なのだ。
(全力で離婚は阻止するつもりですけれど……)
たとえアルフレッドの本意でなかったとしても、イザベラに対する嫉妬心はどうしても抱いてしまう。
だって、これは密命付きとはいえ、自分たちの新婚旅行なのだ。
それを何故、他の女性に夫との時間を奪われなければならないのか。
今も、愛する夫がイザベラを誘拐した、などという不名誉な噂に巻き込まれている。
滅多に怒りを覚えない温厚なシエラでも、さすがに限界だった。
ぐっと拳を握りしめた時、視界に部屋に飾られた立派な赤い薔薇が見えた。
「ベスキュレー公爵夫人? どうしたんだ?」
じっと薔薇を見つめるシエラに気づいて、エドワードが問う。
イザベラと同じ黒髪がふわりと風になびいている。
「……この赤い薔薇を見ていると、イザベラ王女様を思い出します」
薔薇を見つめながら、シエラはぽつりと言葉を漏らす。
「イザベラは、薔薇が好きだからな」
妹を可愛がる兄の顔になって、エドワードが微笑む。
「わたしが記憶喪失になった時も、薔薇の香りがしました」
薔薇の香りに誘われるように、あの時のことが鮮明に思い出される。
幸せを願う、とモーリッツから贈られた、薔薇の香水。
その後、シエラはアルフレッドとイザベラのキスを目撃して倒れた。
――魔女殺しめ。
倒れる直前、聴こえた気がした。
あの声は、イザベラに似た誰かのものだった。
これは、ただの嫌がらせではないかもしれない。
(……もし、わたしの記憶喪失が意図的なものだったら?)
アルフレッドの性格上、自分が記憶喪失の原因だと言われて、シエラと一緒にいられるはずがない。
シエラがアルフレッドを見て苦しむ姿を見せてしまったのだから尚更だ。
狙いはアルフレッドか、イザベラか。その両方か。
アルフレッドはイザベラの呪いについて調べようとしていた。
イザベラに呪いという嫌がらせを仕掛けていた犯人からすれば邪魔だったはずだ。
シエラは常にアルフレッドの側にいた。アルフレッドを狙う者からすれば、きっと邪魔だっただろう。
記憶喪失になったことでシエラはアルフレッドの側を離れ、アルフレッドはイザベラの呪いどころではなくなり、イザベラも再び一人になった。
女神の加護を受けたシエラの歌も、記憶喪失とともに失われた。
神の加護――奇跡を期待することはできない。
そして、アルフレッドがイザベラを誘拐した、という噂は、“魔女殺しの国”の噂以上にヴァンゼール王国との関係に亀裂を生む。
さらに大事になれば、戦争になりかねない。
そう考えると、ゾッとした。
これまで、自分たちは誰かの盤上の駒だったのかもしれない。
きっと、思い通りの動きをしていたはずだ。
しかし、現状を打破できる可能性はある。
シエラの記憶が戻ることは、敵の計画にはなかったはずだ。
であれば、シエラがとる行動はひとつ。
「エドワード王子様、わたしがアルフレッド様とイザベラ王女様を見つけてみせますわ」
シエラの言葉に、エドワードは目を丸くして見つめた。
ロナティア王国に不慣れなシエラが、どうやって捜すというのか。
王城に慣れた騎士たちでさえ、まだ見つけられていないのに。
「お忘れですか、エドワード王子様。わたしの歌は、女神ミュゼリア様の加護を受けています」
自分ならできる。そう信じて微笑む。
「歌えなくなった、と聞いていたが……」
「アルフレッド様への愛と記憶を取り戻した今なら、歌えます。それに、これ以上誰かに新婚旅行を邪魔されたくありませんから」
「それもそうだな。では、ヴァンゼール王国の歌姫にぴったりの舞台を用意しよう」
ふっと笑みを浮かべ、エドワードが立ち上がった。
「お願いいたしますわ」
絶対にアルフレッドを見つける。
そして、この最悪な状況の新婚旅行を最高なものに変えるのだ。
見えない敵に宣戦布告するつもりで、シエラは覚悟を込めた笑みを浮かべた。