第17話 好意と敵意
「あら。本当に行ってしまいましたね」
けしかけたのは自分のくせに、イザベラは素知らぬ顔で言う。
「それで。どういうおつもりなのですか?」
本心では今すぐにシエラを追いかけたい。
しかし、イザベラがあえてシエラに席を外させたことに何か意図を感じた。
「……さすがは【包帯公爵】様。でも、優しいシエラさんには聞かせられない話ですの。強引なことをして、ごめんなさい」
「いえ」
まさか王女に謝られるとは思わなかった。
アルフレッドは意外に思うが、立ち話もなんだ。
近くにあった休憩用のベンチにイザベラをエスコートする。
「今朝、こんなものがわたくしの枕元に置かれていたのです」
そう言って、イザベラがそっとドレスの隠しポケットから取り出したのは。
――呪われし王国との繋がりを絶たなければ、お前の命はない。
血文字でおどろおどろしく書かれた、脅迫状だった。
それを冷静な表情で見つめるイザベラに、アルフレッドは驚く。
「怖くはないのですか?」
「一月以上同じようなことが続けば、嫌でも慣れてきますわ」
「……申し訳ございません、不躾なことを」
「ふふ、かまわないわ。だって、【包帯公爵】様はわたくしを救いに来てくれたのでしょう?」
にこりと笑っているのに、どこか冷たい。
誰かに狙われている、という日々が王女を歪にしてしまったのだろうか。
「はい。ロナティア王国とヴァンゼール王国が今後も良い関係を築いていけることを、我が王もお望みですから。そのために、微力ながらお役に立ちたいと思っております」
周囲の気配を探りながらの王女との密談ではあるが、シエラたちが戻る様子はまだない。
今のうちに、気になることはすべて聞いておこう。
アルフレッドはイザベラに向き直る。
「いくつか質問をさせていただいてもよろしいでしょうか」
アルフレッドの問いに、イザベラは頷いた。
聞きたいことは山ほどある。
しかし、他国の問題だ。
どこまでアルフレッドの問いに答えてくれるのか。
「イザベラ王女がヴァンゼール王国へ嫁ぐことで不利益を被る者はいますか?」
「……ヴァンゼール王国は友好国だし、交易も盛んだわ。そんな国へ嫁ぐことを阻止したい人間なんて」
「では、ヴァンゼール王国と戦争をすることに利益を感じるような人間に心当たりはありますか?」
「……ごめんなさい。わたくし、国政には干渉できなくて。そういうことはお兄様に確認してもらった方がいいわ」
「そうですね」
昨夜の舞踏会でヴァンゼール王国の良からぬ噂を率先して流していた貴族の数人について、シエラから名前を聞いている。
後ほどエドワードに確認するつもりだ。
しかし、それが噂の発信源であるとは断定できない。
社交界では誰もが嬉々として噂を流すものだ。
(社交界に出ないイザベラ王女が知らないのも無理はないか)
アルフレッドは質問を止め、話題を変える。
「クリストフ王子はイザベラ王女との結婚を楽しみにしているんですよ。結婚式は一年後だというのに、張り切ってもう準備を進めています」
「……まあ。それは嬉しいですわね。クリストフ王子とは一度会ったきり、あとは文通のみのやり取りで、そんなに楽しみにしてくださっていたことを知りませんでしたわ」
「クリストフ王子は自信家の恥ずかしがり屋なのですよ。あ、私が言ったということは内緒にしてくださいね」
「ふふっ、【包帯公爵】様ったら」
口元に手を添えて、イザベラが楽しそうに笑う。
「でもだからこそ、イザベラ王女のことは心配しています。早くヴァンゼール王国に迎え入れて、守ってあげたい、と……」
一瞬、イザベラの身体がかすかに震えたのをアルフレッドは見逃さなかった。
怯えたようなイザベラの反応に、アルフレッドはつとめて優しく問う。
「本当は、イザベラ王女様は呪いの犯人に心当たりがあるのではないですか?」
エドワードから話を聞いた時から、疑問に思っていた。
本物の呪いなら分からないが、嫌がらせとするならば、イザベラに近すぎるのだ。
イザベラの私室、まして寝室など、第三者が簡単に介入できる場所ではない。
たとえば、イザベラの侍女、近衛騎士、親族――。
しかしそれらについても人の仕業で、一月以上も経っているなら、いくら王女といえど気づかないはずがない。
「いいえ。ご期待に沿えず申し訳ないけれど、わたくしには何の心当たりもないのです。だから、ずっと……本当は怖くて」
イザベラが俯き、さらりと黒髪が頬にかかる。
震える手には、ぽつりと透明の雫が落ちる。
(今までずっと、一人で抱え込んでいたのかもしれないな……)
敵が誰だか分からず、社交界では気丈に振舞う。
これ以上の攻撃は無駄だと示し、弱みを握らせないために。
自分の弱い部分を隠し、強がり続けることは容易なことではない。
包帯で自分を隠し、傷つくまいとしていたかつての自分と重なった。
「本当に、よく今までお一人で耐えてこられました。ですが、これからは信頼できる人に頼ってもいいと思いますよ。エドワード様は、本気でイザベラ王女様のことを心配していました。人は、誰かの支えがあれば、より強くなれますから」
アルフレッドがシエラによって救われ、支えられているように。
包帯を巻いた状態のアルフレッドでは、微笑みを向けても気づかれないかもしれない。
それでも、アルフレッドはイザベラの心が少しでも晴れるようにと願い、笑みを作る。
「……本当に? わたくし、お兄様はわたくしを政治の道具のように思っているのだとばかり……」
「私と酒を酌み交わした時、エドワード様はイザベラ王女様の自慢話ばかりしてきましたから。まあ、私も妻の自慢話で対抗しましたけどね」
「ふふっ……本当に、包帯公爵様は愛妻家ですこと」
「最高の誉め言葉ですよ」
シエラのことを思えば、自然と笑みが浮かんでくる。
しかし、今頃幼馴染のモーリッツとやらと二人でいるのだと思えば一瞬にしてモヤモヤが広がった。
「……羨ましいですわね」
かすかな声で呟いたイザベラの言葉は、そわそわしているアルフレッドには届かない。
愛しい妻がまだ戻ってこないことで、アルフレッドは居ても立っても居られなくなる。
「ちょっと、二人を捜しに行きませんか?」
アルフレッドが勢いよく立ち上がる。
「え、はいっ……きゃぁっ!」
アルフレッドの勢いにつられてサッと立ち上がったイザベラが、足をくじいて体勢を崩す。
咄嗟にアルフレッドが手を伸ばし、ぐっとイザベラの身体を支える。
王女様の護衛として側にいたのに、危うく怪我をさせるところだった。
ほっと息をついたところで、目の前に赤の双眸が迫る。
ふわりとかすめた、濃厚な薔薇の香り。
――魔女殺しめ。
美しく、恐ろしい声が耳の奥で響いた。
舞踏会の時に聞こえた声と同じ。
目の前にいるのはイザベラだが、彼女の声ではない。
しかし、その声に意識をとられていたせいで反応が遅れた。
「――アルフレッド様っ!?」
悲鳴に近いシエラの声が聞こえたかと思うと、アルフレッドはイザベラに唇を奪われていた。
包帯越しに、ではあるが。
「なっ、どういうおつもりですか!」
アルフレッドの問いに、イザベラの方が驚いた顔をしている。
しかし今はイザベラのことなどどうでもいい。
「シエラ! すまない!」
振り返ると、そこにいたのは意識のないシエラを抱えたモーリッツの姿。
「夫の浮気現場を見たせいで、シエラは倒れました。あなた、最低ですね」
突き刺さるような殺気に、アルフレッドは顔をしかめた。
本気で、この男はシエラを好いている。
「断じて私は浮気などしていない。私の妻に勝手に触れるな」
アルフレッドはモーリッツの腕からシエラを奪い返そうとするが。
「シエラを傷つけたあなたに、今は任せられません」
冷ややかな眼差しでモーリッツがシエラを抱えて背を向ける。
「待ってください。足が痛くて、立てないのです」
追いかけようとしたアルフレッドの背後で、イザベラの声がする。
優先順位など分かり切っている。シエラだ。
しかし。
シエラを傷つけた、と言われて動けなくなってしまった。
「ごめんなさい、わたくしのせいで」
「いえ。でも、どうしてあんなことをしたのですか?」
「身体が、勝手に動いていました……」
白い肌を真っ赤に染めて、イザベラが言う。
「あなたはクリストフ王子の婚約者です。今後、このような行動は慎んでください」
どんな男も見惚れてしまうような美しい容姿を持つ王女相手にも、アルフレッドの心はまったく動かない。
シエラのことが心配でたまらなかった。
「わたくしのことも、抱えて連れて行ってくださいませんか?」
「申し訳ないが、お断りいたします」
アルフレッドは近くに控えていた近衛騎士にイザベラのことを頼み、すぐにモーリッツとシエラを追うようにして走った。




