第16話 複雑な思い
どこまでも蒼い空が広がっている。
あたたかな風がふわりと亜麻色の髪を弄び、時々花弁を乗せてくる。
広大な敷地を持つロナティア王国の植物園。
出迎えてくれる美しい赤や黄色の花たちに、シエラは自然と笑みをこぼす。
とてもきれいな色だ。
視力を失って、暗闇の中でどれほど色彩を求めていただろうか。
もう一度、この素敵な世界を見ることができた。
それも、愛する人と一緒に。
「すごくきれいですね、アルフレッド様」
「……あぁ」
しかし、喜びを分かち合いたい夫は、心ここにあらず、といった返事を返す。
それもそのはず。一国の王女の外出にも関わらず、護衛の数が二人のみ。
当のイザベラはお忍びスタイルの簡素なドレスで、護衛なんて必要なかったと口を引き結んでいる。
実質、この場を任されているのは何故かアルフレッドなのだ。気軽に花を楽しめる状況ではないだろう。
それもこれも、近衛騎士団の副団長でもあるエドワードがアルフレッドを条件にイザベラの外出許可を出したせいだ。
「アルフレッド様がきっと守ってくださるわ」
そう言って自信満々に微笑んだイザベラを見て、ほんの少しだけシエラは後悔していた。イザベラの申し出を受け入れたことに。
たしかに今のアルフレッドの立場上、ヴァンゼール王国のためにも王女を守らねばならない。
それは分かる。
しかし、呪いではないことを証明するためと言っても、新婚旅行中の二人に少しぐらい遠慮してくれても良いのではないだろうか。
昼食の時は和やかに、楽しく話ができていた。
シエラも、イザベラが嫌いな訳ではないし、助けになりたいと心から思っている。
それでもやはり、素直にこの状況を受け入れるのは難しい。
今も、イザベラは何故かアルフレッドの隣をがっちりキープしているのだ。
もちろん、その反対側にはシエラがいる。
アルフレッドを真ん中に挟んだ状態で、植物園内を回っているのだ。
イザベラの意図が、シエラには分からない。
(……誰かに狙われているから、こうなるのも仕方がないのかもしれないけど)
せっかくの新婚旅行。
愛を深めるチャンスだと張り切っていたのに。
あと五日もすればヴァンゼール王国に帰らなければならない。
また慌ただしい日々の中、アルフレッドとゆっくり過ごす時を持てないかもしれない。
そう思えば、だんだんとシエラの胸の内は穏やかではいられない。
アルフレッドは、シエラを気にかけつつも、イザベラの動向を優先している。
「奥様、大丈夫ですか?」
こっそりと、後ろからメリーナが囁く。
本当は今すぐにでもイザベラを引きはがしたい気持ちだが、ここは夫を支える妻としてしっかりしなければ。
それに、メリーナに心配をかけたくない。
「えぇ、大丈夫よ。メリーナも、せっかくだから、楽しみましょう」
微笑むと、メリーナは納得していないような目でイザベラを見た。
しかし、シエラもメリーナも、アルフレッドでさえ一国の、それも友好国の王女に対して文句など言い出せるはずもない。
イザベラもきっと不安なのだろう。だから、ファンだという【包帯公爵】に頼ってしまうのだろう。
そう思っていなければ、この状況でさすがにシエラも笑ってはいられなかった。
(イザベラ王女様を狙っている者さえ分かれば、まだ間に合うはず……っ!)
すべての元凶は、その犯人だ。
新婚旅行を邪魔するなんて許せない!
シエラの嫉妬はメラメラと犯人への怒りに変わっていく。
「こちらには百種以上の薔薇があるのですよ」
さすがはロナティア王国の王女で、薔薇が好きなだけある。
イザベラは、自国の観光地である植物園を自分の庭のように案内していく。
ロナティア王国の植物園の目玉は三つあるらしい。
巨大な温室、水生植物園、そして今いる薔薇園。
もちろん広大な敷地を有する植物園には、その三つ以外にも豊かな芝生や雑木林、植物園内で保護されている小動物など、色々と見どころはある。
シエラはきれいな白薔薇に目を奪われながらも、周囲に怪しい人はいないか、と耳をすませた。
今のところ、不審な物音は聞こえない。
観光客らしき人々が時々すれ違うが、皆王女には気づいていなかった。
というより、包帯姿で歩くアルフレッドに怯えて誰も近づいてこない。中には分かりやすく悲鳴を上げて去っていく者もいた。
ちらりとアルフレッドを見るも、包帯を巻いているため表情は分からない。
「シエラ?」
アルフレッドの低い声が、甘く自分の名を呼ぶ。
それだけで、ぞくりとする。
甘い痺れが耳から伝わって、シエラの頬を赤く染めてしまうのだ。
視界に見える、真っ赤な薔薇のように。
「とても、美しいですわね」
「あぁ、本当に。私の妻は誰よりも愛らしく、美しい」
耳元で囁かれて、思わずシエラは腰を抜かしそうになった。
がっしりとアルフレッドに腰をホールドされ、みっともなく転ぶことは避けられた。
(急に攻めてくるなんて、ずるいですわ!)
それでも、嬉しくないはずがない。
シエラの口元はかなり緩む。
「お二人は本当に仲がよろしいのですね」
シエラとアルフレッドを見て、イザベラが羨ましそうに言う。
「そうですね。シエラが私を愛してくれているという奇跡に毎日感謝しています」
「それはわたしも同じですわ」
シエラが満面の笑みを向けると、アルフレッドも微笑んでいるのが包帯越しにだが分かった。
明らかに二人だけの世界になりかけた時、少し遠くからシエラを呼ぶ声がした。
「シエラ! こんなところで会えるなんて嬉しいよ。昨日は仕事もあったし、ゆっくり話もできなかったから」
慌てて走って来たのは、幼馴染のモーリッツだった。
夜会で再会したものの、ゆっくり話す時間も会う時間もなかったのをシエラも残念に思っていた。
シエラに笑顔を向けていたモーリッツだが、イザベラの姿を見るなり血相を変えた。
「お、王女様……っ!?」
「誰だか知らないけれど、わたくしはここにお忍びで来ているの。王女なんていないわ。いいわね?」
「……は、はい」
周囲に幸い、人はいなかった。
誰も先ほどのモーリッツの発言を聞いていないだろう。
冷ややかにイザベラに睨まれ、モーリッツは二、三歩後退した。
「イザベラ王女様。彼はヴァイオリン奏者ですわ。昨夜も素敵な演奏を披露してくれていたのですよ」
モーリッツのために、シエラはフォローを入れる。
「そうだったの。でも、お二人はどういうお知り合いなの?」
「彼とは、わたしの父が主宰するクルフェルト楽団での腐れ縁ですわ。三年ほど前、彼が音楽修行の旅に出てそれきりだったのですが、まさかロナティア王国の夜会で会えるとは思ってもいませんでした」
懐かしい友の顔を見て、シエラは思わず微笑む。
「それなら、積もる話もあるでしょうし、二人で少しお話してきたらどうかしら? アルフレッド様も、いくらシエラ様に夢中だと言っても、友人との時間を奪おうなどとは思いませんわよね?」
「そう、ですね……」
イザベラの言葉に、歯切れ悪くアルフレッドが頷いた。
モーリッツとは話したいが、今でなくともよい。
今イザベラのもとにアルフレッドを置いていきたくはなかった。
また後で、とシエラが口にしようとした時。
「ありがとうございます! 俺、また夕方になれば夜会の演奏があって練習もあったから、今シエラに会えて本当によかったと思っていたんです」
目を輝かせて、モーリッツがアルフレッドとイザベラに礼を言う。
「じゃあ少しシエラをお借りします!」
と言って、戸惑うシエラを強引にその場から連れ出してしまった。